22番「臥し待ち月」 三郎
散らばる/手招き/待ちきれず
遅くに昇り始めた月が、それでもそろそろ松の枝の上にかかろうとしている。三郎はもう何度目か、布団の中から雷蔵の後ろ姿に向けて声を掛けた。
「らいぞー、まだあ?」
「うん……もうちょっと」
夕刻から文机にかじりついている雷蔵の周りには、図書室から借りてきたのであろう漢籍が何冊も散らばっている。三郎なら開いただけで眠くなりそうな代物を、彼は飽きることなく延々と読み続けている。何のきっかけがあったのかはわからない。しかし雷蔵は時折こうして、取り憑かれたように本を読むことがあった。
「さっきもそう言ったじゃないか。そろそろ本当に寝ないと、明日の朝起きられなくなるぞ」
「うん……」
迷い癖という悪癖ゆえ、些末事から重大決心まで、なにを決めるにも時間がかかる雷蔵は、なにかと急かされることが多い。けれど、三郎に限っては、雷蔵を急かすことは滅多にない。飽き性で無駄な時間が大嫌いな三郎が、雷蔵のためならいくらでも待てるからなのだが、流石にこれ以上は彼自身の益にならない。明日も朝から授業があるのだ。
「らいぞお」
「……三郎は先に寝てていいよ」
ちらり。頑なに書籍に落とされていた視線が、ようやくこちらに向けられたのをいいことに、隣に敷いた雷蔵の布団をめくって、手招きする。
「だめだ。そうやってきみ、いつかみたいに徹夜するつもりだろ。ほら、おいで」
振り向いた横顔が逡巡に揺れている。先ほどから三郎が何度も声を掛けるせいで、集中力が途切れているのだろう。雷蔵のためを思っての言葉だ、うるさいと一蹴することもできず、さりとて湧き上がる読書欲に逆らうこともできず。理性では、明日の自分が苦労することもわかっているのだ。
あと一押しだ、と悟った三郎は、気付かれぬよう自分の布団をかぶったまま、背後から一息に雷蔵に飛びかかった。
「えいっ!」
「うわ、あ!?」
油断していた雷蔵は簡単に床へと押し倒されてくれる。どさり、と二人して床に倒れ込んで、その上に僅かに遅れて、布団が落ちてきた。
「三郎!」
「寝るぞ!」
そう宣言して、布団ごと雷蔵をくるむように抱きかかえ、ずるずると寝床へ引っ張ってゆく。
「ああもう、わかった、わかったよ! だから離して!」
「やなこった、今日はもうきみを離さない」
「なんだよそれぇ!」
待ちきれず痺れを切らした風にあえて振る舞う三郎に、雷蔵も気付いている。自分がそうさせたのだとわかっているから、文句を言いながらの抵抗は弱く、無理に腕の中から抜け出そうとはしない。
ようやく到着した寝床の上に転がって、宣言通り体を離さないまま、鼻と鼻とが触れ合う距離で、抱きしめ合って見つめ合う。
ちょうど油が切れたのか、灯明の火がふ、と消えた。
「ふふふ……っふは」
「はは、あはは」
どちらからともなく込み上げる笑い声が、夜のしじまに響かぬように。二人を覆い隠すよう、三郎は顔の上まで布団を引き上げた。


コメントを残す