ワードパレット:lunar phase

10,401 文字

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8番「上弦の月」 作兵衛

わずかに/眠る/大きく


 左門と三之助が帰ってこない。
 食堂でランチを食べている最中、委員会の用事で呼び出されて、戻ってみればこうだ。その場にいた一年生の証言では、それぞれ三年長屋を目指してあっちだ、こっちだ、と言いながら、見当違いの方向に向かって行ってしまったのだとか。この春入ったばかりの新入生に、引き留めろというのは荷が重い。
 一つ学年が上がろうと、急に迷子が治るはずもない。彼らとの付き合いも三年目になる作兵衛は、それでも毎度のことに頭を抱えた。幸い午後は自習だ、急ぐ必要は無い。夕飯までになんとか二人を連れ帰ればよい。
 自室に戻り捕り縄を用意して、手始めに学内を周回する。教室棟、管理棟、中庭を巡り、正門で小松田さんに挨拶する。小松田さんがいるなら、外へ出たとは考えにくい。迷子は出門表を書いて外に出たりはしない。
 それならばと二人の行き先を見据えた作兵衛は、校庭から裏山へと入った。歩き慣れた道をさくさくと登る。道の両脇には野の花が咲き、頭の上では春の鳥がせわしなく鳴き交わす。穏やかな午後の裏山は、思わず目的を忘れてしまいそうなほどのどかであった。
 三年生に上がって、作兵衛は決意を新たにしていた。あの迷子たちをいたずらに迷わせずに捕まえておくのは自分の責任である。三人揃って上級生に上がるためには、この一年が正念場だ。
 だというのに、新学期早々二人を見失ってしまって、出鼻をくじかれてしまった。まるで自分だけ空回りしているようで虚しくなる。春の日ののどかさが、更にその思いを強くするようだった。
 そうしているうちに、山頂まで辿り着いてしまった。と同時に、視界がぱっと開ける。裏々山、そのまた先の山まで、白く春霞に滲んでいる。その稜線にぽかりと浮かんだ上弦の月が、妙に大きく目を引いた。
 反対の斜面に目を向ければ、萌黄色の木々が広がっている。谷間に咲く山桜、白い花を付けた水木。冬の内に雪の重みに耐えかねた倒木の隙間から、小花の群れ咲く野原がわずかに覗いていた。
 ふとそこに気を引かれて、じっと目を凝らす。
「……っ」
 次の瞬間、作兵衛ははじかれるように、そこを目掛けて駆け出した。
 獣道を逸れ、藪を漕ぎ、とぶようにして最短経路でその場所へと辿り着く。そこだけ切り取ったように空から光が注ぐ場所で、萌えいずる若草と同じ色をした制服の二人が、頭を寄せ合って大の字に倒れていた。
 作兵衛の脳裏に嫌な想像がよぎった。まさか足を滑らせて滑落したのでは。何かに頭を打って倒れているのでは。
「左門! 三之助! おまえら、無事——」
 勢いのまま駆け寄って、二人の傍に両手をつく。おや、と作兵衛の気が逸れる。
 白詰草が覆う土は柔らかく、午後の日差しがたっぷりと当たって温かい。その上をふわふわと蝶が飛んでいる。鳥のさえずりも木々の葉擦れの音もどこか遠く、風さえここでは吹き止んでいる。
 地上の楽園のような場所で、作兵衛が探していた二人は、穏やかな寝息を立てて眠っていた。
 緊張に強ばっていた肩からがっくりと力が抜ける。
「心配させやがって……」
 怒りに任せて一度は作った握りこぶしも、二人の寝顔を見ているうちに解けてしまった。左門は口を開けて眠っているし、三之助の鼻の上には、いつの間にか蝶がとまっている。
「……なんだかなあ」
 あまりに呑気な寝姿にほだされるように、あるいは、やってられぬと投げ出すように、作兵衛は二人の隣に同じように寝転がった。
 草と土の匂いが顔のすぐ横から香る。空は白くけぶっている。春の陽に照らされて、まるで野に咲く花と同じになった気持ちで、自然と瞼が重くなる。
 やがて二つの寝息が三つになっても。
 春の月は穏やかに、眠る若草色の子供たちを見守っている。

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