桜の花が綻び始めるころになると、忙しい政務の間を縫って街外れを訪れるのが、燕青と悠舜の習慣だった。
茶州州都・琥璉の街の北にあるその丘は、桜の木を両手一杯に抱えるようにして街を見下ろしている。
景勝地であるにもかかわらず人影が見当たらないのは、まだ花見には時期が早すぎるせいか。
一輪、二輪と顔を見せ始めた薄紅色も、これほどまばらでは逆に寂しささえ感じさせる。
丘とはいえそれなりの高低差も距離もある道のりを、燕青は苦でもないという風に軽い足取りで歩いた――悠舜を背負って。この奇妙な習慣が始まった頃こそ、悠舜も自分の足で歩くことを主張したが、今では無駄だと悟ったのか、文句ひとつ零さず黙っておぶられるようになった。
そんなことにも、彼との付き合いの長さを感じる。さて、出会ってからどれくらいの年月がたっただろう。態々思い返すのも気恥ずかしいので、結局いつも数えずじまいなのだが。
頂上に着けば、燕青は悠舜を手近な岩陰に丁寧に降ろして、一滴もかいていない汗をわざとらしく拭う仕種をした。
「ふう……。絶景かな、絶景かなってな。晴れてよかった」
「いつもすみません」
道中何もしていなかったはずの悠舜のほうが、心なしか疲れた顔をしている。
「疲れたか?」
「いえ、そんなことは」
声をかければすぐさま否定が返る。性格だな、と苦笑しつつも、本当に弱っているときは返事も酷くうすのろになるので、大したことはないだろうなと見当をつけた。
特に意識せずとも、こういう場所に立てば視線は下界へと移動する。つられた様に彼も街に目を向けた。
比較的整然と並んだ州牧邸の近くの路地、茶州府の建物、街外れにいくに従って建物のまばらになる様子、さらに街の外に広がる黒い土地は、もう少しすれば種蒔きが始まる。
春の濁った空気の中、けぶるように、琥璉の街並み。
横で悠舜が、やわらかに目を細めるのが分かった。
慈しむような、包み込むような、母親のような眼差し。それは彼が、真実この街の母のようなものだからかもしれない。
「やっぱり空気が白くて、霞んでるな」
この季節であるし、一歩外に出た瞬間からわかっていたことだが、なんとなく残念な気がして漏れた独り言に、横から答えが返ってくる。
「春だからです。冬の間眠っていた生きとし生ける全てのものが、ようやく目を覚まし、息をし始める。滞っていたものが活動を始める息吹が、空気を濁らすのですよ」
彼には申し訳なかったが、燕青はその言葉の中身よりも、歌うような音韻を心地よく感じていた。
いきなりどさりと乱暴に地面に胡坐をかいて、次にはそのまま寝転んだ上司に、悠舜も戸惑ったのだろう。
「燕青」
かすかな逡巡の後の咎めるような声が、燕青の右耳を打つ。
聞こえなかったふりをしてぼんやり昊を眺めていれば、隣で小さな溜息が聞こえた。彼が諦めた音だ。これでもう、小言は聞こえてくるまい。それが分かってしまった自分がおかしくて、微かに笑いが零れた。
まだ少し冷たい風が前髪を揺らす。
雲と見分けのつかない昊が、視界一杯に広がっている。


コメントを残す