「……好きだ」
彼とこうして相対するのは一体何度目のことだろう。呼び出したはいいが、結局違う話題でお茶を濁して逃げたこともあった。ためらってためらって、それでもまだ足りないくらいためらって。何せ相手は年上で、しかもなにより同じ男なのだから。この想いが受け入れてもらえないものだということは重々承知で、それでも秘め続けるには重すぎた。伝えずにはいられない。
そうしてとうとう、ようやく絞り出した言葉。伝えたはいいが、もう柚梨の顔を見るのが恐ろしくてうつむいた。だって、そこに浮かんでいるのは戸惑いか、憐れみか、嫌悪か、嘲笑か。言ったそばからすぐさま後悔が襲ってくる。嫌われてしまったら、明日からいったいどういう顔をして出仕すればいいのだろう。こうなると分かっていたのになぜ言ってしまったのか。万が一にも受け入れてもらえないのだから、黙って友人の位置に収まっていればいいものを。
耐えきれずふいと顔を逸らしたせいで鳳珠からは柚梨の表情は窺えない。しかし、彼からは己がよく見えることだろう。耳が熱い。きっと赤く染まっている。
沈黙が重たかった。今、彼は何を考えている? 知りたいが、知りたくない。いや、知りたい。どうせ答えは出ている。はやく引導を渡してほしかった。
数刻にも感じられた長い沈黙は、しかし実際はその十分の一、百分の一の時間だったのだろう。柚梨が口を開いたのが、空気でわかった。
さあ、何と言われる? 「気持ち悪い」? いや、きっと彼は優しいから、そんな直裁なことは言わないだろう。控え目に、しかし戸惑ったような声音で――
「なんだ、そんなこと」
――と思ったのだが、聞こえてきたのは予想を裏切る、いやに明るい声。とっさに顔を上げる。いつもどおりのほんわかした笑顔が鳳珠を迎えてくれた。
「ええ、私も好きですよ、鳳珠のこと」
「…………は?」
思わず間抜けな声が出た。
……全然伝わってない。
***
「――で、逃げ帰ってきたのか」
「……人聞きの悪い」
「それ以外になんて言うんだ」
呆れたような表情に何を感じたのか、鳳珠は無言でぐっと杯を乾した。これでもう軽く十杯目だ。話し出すまでに五杯、話し始めてからも五杯。いい加減酔っているのだろう、明らかに顔が赤い。
荒れてるな。黎深は美貌の友人を横目で確認して嘆息した。なんでこいつの恋愛相談にのってやらないといけないんだという思いが八割、残りは意外と性質の悪い彼の酒癖に対して。
前者は仕方がないといえば仕方がなかった。同期の誼というか腐れ縁というか。ただでさえ及第者の少ない国試だったが、その数少ない同期の中で一番面倒見がいいだろう男は王都を去って久しい。陰気で愛想のない男もいたが、彼もまた藍州へ旅立つということでなにかと忙しいのだろう、もともとあまり顔を合せなかったが最近は影も見ない。もうひとり心当たりがいるにはいるが、大酒呑みの彼を呼べばこの酒宴は収集がつかなくなるだろう。
八割、といった。このどうしようもない酒宴に付き合うのがもし完璧に、十割嫌だったならば、黎深はきっぱりすっぱり断って今頃は自邸で晩酌でもしているだろう。そうでなくいまここにいる理由、それは、
(こいつの恋なんて、おもしろそうだと思ったんだがな)
いつか彼の恋路を思いっきり遮ったことなどすっかり忘却の彼方なのか、非常に自己中心的な理由である。
「大体、そんなもん接吻して押し倒してしまえばいいじゃないか、やったもん勝ちだぞ」
「そ、そんなことできるか!」
「そんなだからだめなんだよ君は」
「そうは言ってもだな……」
ただでさえ酒で赤くなっている顔がさらに赤くなる。ああ、いったい何を想像しているのだか。黎深は見ていられなくなって、手もとの杯の透明な水面に視線を落とした。
そしてふと思い当る。
「もしかして君、経験がないのか?」
「……っ!!」
一応問いかけの形をしているが、その実ほとんど確認だ。
そうかそうかと黎深は納得した。なにせこの美貌である。今まで顔を合わせて正気でいられた女は百合が初めてだったというからには、女性と褥をともにするなんて夢のまた夢。好いた女と付き合うどころか、遊郭で遊ぶことだってできるはずもない。
ひとり納得している様子が癇に障ったのだろう、鳳珠はどんと音を立てて乱暴に杯を置いた。
「うるさい! 私は別に、そういうつもりじゃ……」
「はあ? なに言ってるんだ。馬鹿か君は。そういうつもりじゃなかったらなんだっていうんだ、三つ四つの小僧じゃあるまいし」
言い募れば、彼はひどく複雑そうな表情で押し黙った。そこにさらに付け加えてやる。
「言葉で伝えてダメなら行動に出るしかないだろう。こういうのはさっさと持ち込んでしまうに限る。相手だっていい大人なんだろう? そこまですればわかるだろう」
わかったようなことを言っているが、黎深だって百合相手にそれができるかどうかは不明だ。まあ所詮は他人事。適当に言ってやればいいのだ。彼だってまさか黎深に真っ当な回答を期待してはいるまい。
また杯に酒を注ごうとしているのを半眼で見つめ、そんなに飲んでどうなっても知らないぞと呟く。さりとてここは鳳珠の邸だから、適当に放って帰ったってなんの不都合もなさそうだが。
「まあ、なんにせよもう一度きちんと話し合うんだな、君がまだ諦めきれないというなら」
さっきから手元がふらふらと危うい。頭も左右に揺れている。これはもう落ちるな。そうなる前にこれだけは聞いておこうかと黎深は再び口を開いた。
「で、さっきから濁され続けていい加減うんざりしてるんだが、その相手っていうのは一体誰なんだ」
「……だれがお前なんかに、言うものか」
ばたん。そう言ったきり卓に伏してしまった男の手からすかさず杯を取り上げて、こぼれる前に口に運ぶ。熱い液体が喉を通るのに顔を顰めて、家人に暇を告げるべく立ち上がった。
「また、難儀な男に好かれたものだな、景柚梨も」
その独りごとを聞く者は、いない。


コメントを残す