No.21 アンチイノセント(尾鉢)
言わせない/諦めて/覆い被さる
「こういうの、もうやめろよ」
こちらを見ようともせず三郎がこぼした言葉を、勘右衛門は想像していたよりもずっと冷静に受け止めていた。
布団も敷かぬ板間の上に組み敷くのはこれでもう何度目か。「やめろ」と言うなら、彼はもっと早くにそうすべきだった。いつか来るだろうこの時を、もう何度頭の中で繰り返したことかしれない。冷静でいられるのはそのためだった。だからといって何も嬉しくはない。
「……こういうのって?」
言葉尻にかすかに嘲りの色が乗ったのは、「いつか」が分かっていても何も変えられなかった自分自身に対してだった。だが、三郎はそうは思わなかっただろう。非難がましい目で勘右衛門を見上げる。感情の高ぶりに合わせて、首の皮膚の薄いところが紅潮してゆく。
「人をおちょくるのも大概にしろ」
「おちょくってなんかいないさ。おまえがやめてほしいのは、固い板間に押し倒されることか? 肩を押さえつけられることか? それとも」
勘右衛門は身を乗り出して、三郎の上に覆い被さる。赤く染まった首筋に顔を近づけて、何か言われるより先に強くそこを吸った。
「……っ、あ……!」
「——見えるところに跡を残されることか?」
きれいについた花片状の跡に、勘右衛門の裡にある欠けた器が束の間、充足する。
欠けた器にいくら注いだとて無意味だ。いくらもしないうちに嵩が減って、すぐに底を突く。分かっていても、それでも満たさずにはいられない。
今し方つけた場所の隣に、再度吸い付く。一度口を離して、角度を変えて、再度。吸われる度、押さえつけられた三郎の体がびくびくと震える。本気で抵抗すればいくらでも逃れる術があるだろうに、三郎はまるで哀れな草食動物のように勘右衛門の狼藉を甘受している。躊躇っているのか、諦めているのか、はたまた、哀れんでいるのか。その理由まで、勘右衛門が知る由はない。
もしかしたら、この行為全てが、三郎にとってはほんの些末ごとなのかもしれなかった。どうやっても着物では隠しようのないはずの吸い跡は、彼の化粧技術によって、翌朝には何事も無かったように覆い隠されてしまうのだから。
たった一晩の跡さえも残せないという事実を目の当たりにする度、勘右衛門の内なる器は、またぴしりとひび割れるのだけれど。
(ああ、そんな役立たずの器、いっそ粉々に砕けてしまえばいいのに)
「なあ、なにをやめてほしいんだよ」
自傷行為にも等しいその問いを、勘右衛門は再び口に乗せた。なぜかそれを聞いた三郎の方が傷ついた顔をする。
未だ板間に押さえつけられているのだから、もっと怒ってもいい、勘右衛門を押しのけて罵倒したっていいのに。三郎は何度か口を開いては閉じ、閉じては開き、散々躊躇って、ようやく震える声で、その先を紡ぐ。
「そんなの、きまってる——」
唇が次の音を生む、その直前。
破滅を望む頭とは裏腹に、体は動いた。
「——っ」
咄嗟に塞いだ唇。隙間ひとつなく合わさって、息をも奪うような、長い口付け。言いかけた言葉は、唇の中に吸われて消える。
三郎の目が、悔しげに歪むのを、ぼやけた視界が捉える。
(まだ、言わせない)
ほの暗い満足感が、器の外に零れて渇く。
勘右衛門は気付いていない。これが初めての、唇への口づけだった。


コメントを残す