月下の背中

5,274 文字

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「出てこい! 土井半助!」
 学園の敷地内にある木の上で昼寝をしていた三郎は、その大声によって眠りを妨げられた。ぽかぽかと暖かな陽気に加え、一年は組は校外実習、学園長先生もその引率で不在とあれば、ハプニングに巻き込まれる可能性は限りなく低い。そんな、昼寝にはもってこいの日だというのに、これは一体どういうことか。
 三郎はしぶしぶ体を起こし、眼下を見下ろす。すると、黒い忍び装束に身を包んだ若者が、何やら書状を手に大声で喚いているのが見えた。
「出てきて私の果たし状を受け取れ! もう一度勝負だ!」
 あれは——と三郎は目を眇める。タソガレドキ忍軍に所属する、名前は確か——
「しょせん……いや、諸泉尊奈門、だったか」
 土井先生にまとわりついては「勝負だ」と囀る姿を、最近よく目にする。そのせいで、学園どころか諸国を巻き込んだ大騒ぎになったのもまだ記憶に新しい。となれば、学園部外者、それも騒動の発端となった忍者など、学園内に入れるべきではないのだが——どうせまた小松田さんが勝手に中に入れてしまったのだろう。あのへっぽこ事務員は、入門票に記名しない者は地の果てまで追いかけるくせ、名前さえ書けば誰でも通してしまうのだから。
「さて、どうしたものか」
 すっかり眠気の覚めてしまった三郎は、木の枝の上で思案する。
 ああやって何度名前を呼ぼうと、土井先生が出てくるはずもない。今頃は一年は組と一緒に兵庫水軍の砦で水練実習という名の素潜り漁をしているはずだ。教科の授業がさらに遅れるうえ、新鮮な魚介が食べられると学園長先生までついて行ってしまったが、また胃を痛めてていなければいいのだが。
 しばらく尊奈門の様子を見ていた三郎だが、ふと、良いことを思いついたとばかり、目を細めて口の端を持ち上げた。
「これ以上煩くされては敵わんからな」
 そう呟くと、素早く面と装束とを入れ替え、音もなく木の上から尊奈門の前へと飛び降りた。いきなり目の前に現れた尋ね人の姿に、尊奈門が驚いて身を引く。
「土井半助——っ!」
 その様子にくすりと笑って、三郎は声音を変えて話しかける。聞く者を安心させる、大人びた低い声と優しい口調に、ほんの少しの呆れを乗せて。
「尊奈門くん。また来たのかい」
「何度でも来るぞ! お前を倒すまで!」
「はいはい。それは受け取ってあげるから静かにして。まだテストの採点が残ってるんだ」
「っ! 確かに渡したからな! 約束、違えるなよ!」
 果たし状を渡すや否や、尊奈門は屋根の上に飛び上がり、姿を消す。どこからともなく「出門票〜っ!」と雄叫びが聞こえるので、そう遠くない場所で捕まるのだろう。まあ、捕まえたところで、サインさえあればすぐに解放してしまうのだろうが。
「……」
 学園に静寂が戻ってくる。しかし、もう一度昼寝というわけにもいかなくなった。意外なほどあっけなく手に入った果たし状を、ひとまず開いてみる。
「うわっ」
 書面全体に大きく記された「再・殺」の文字に、思わず書状を落としそうになるのを堪えて、三郎はその物騒な書状をもう一度まじまじと見た。
 ——今宵、月が昇る頃、ススキ野原にて待つ。
 書の端に小さな文字で、そう書いてある。どうやら、これが本来の要件らしい。
 ススキ野原というのはおそらく、裏々山の向こうの斜面にあるあの一帯のことだろう。一年は組の実習を終え、土井先生も夕刻までには戻るだろうが、今宵の月は立待月。戻ってから出かけていては、到底間に合わない。
 顎に手を当て、ふうんと訳知り顔した三郎は、また一つ言い訳を重ねる。
「間に合わないのなら仕方がない。約束は違えてはいけないらしいし」
 は組もいなければ、学園長先生も不在。何も起こりそうにない退屈な日に、突如飛び込んできた騒動の種を、みすみす逃す鉢屋三郎ではない。
「昼寝なんてしている場合じゃあないな」
 鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌で、三郎は長屋の方へと踵を返す。今宵は面白い夜になりそうだった。

 その晩のこと。
 三郎は土井先生に変装し、裏々山の南面にあるススキ野原へとやってきていた。ちょうど東の空から、わずかに欠けた月が昇り始める。夜風がススキを揺らし、さらさらと音を立てる。その音に紛れて、綿足袋が地を蹴る音がした。
「……っ」
 挨拶代わりの棒手裏剣が飛んできたのを、三郎はひょいと身をひねってかわす。昼間のように大声で喚くような真似は、流石にしないか。仮面の下でにやりと笑い、こちらも用意していた忍具で応戦する。
「!」
 手裏剣を立て続けに二枚、三枚と打つ。月明かりにほのかに浮かび上がる影をめがけて、ススキの穂の先をかすめるようにして手裏剣が飛んでゆく。相手も馬鹿ではない、即座にススキの中に身を隠し、その輪郭を曖昧にする。
 三郎は耳を澄まして、夜風が揺らすのとは異なる、人工的な音の発生源を探った。音は右手前方から左手前方へ、否、——来る!
「……ちぃっ!」
 目と鼻の先を一閃する苦無の軌跡から、咄嗟にバク転して身を逃がす。派手な舌打ちが、相手の余裕の無さを物語っていた。闇夜に、丸い目がぼうと浮かび上がる。そこに向かって鏢刀を打ちたくなるのを我慢して、再度襲いかかる苦無を、こちらも苦無ではじき返した。
 鋼と鋼がぶつかる耳障りな音を残し、相手は三郎から大きく距離を取った。先ほどまでの威勢の良さはどこへやら。岩の影に身を潜め、じっとこちらを伺っている。罠かとも思うが、何かを仕掛けてくる様子もない。
 と、無言だった相手から、唐突に声が飛んできた。
「——お前、土井半助ではないな!?」
 三郎は一瞬きょとんとして、しかしすぐに苦笑に変えた。
「あーらら、ばれちゃったか」
 尊奈門の実力次第ではあるが、遅かれ早かれ気付かれると思っていた。昼間とは違いこの暗闇では、変装による外見操作もあまり効果を発揮しない。となれば、あとは手合わせの腕をどこまで似せられるか。武術大会優勝だの、不敗神話だのともてはやされる三郎も、流石に忍術学園の教師と肩を並べられるなどと驕りはしない。
「だれだお前!」
 警戒を露わにする尊奈門を不憫に思い、三郎は正直に名乗った。
「忍術学園五年ろ組、鉢屋三郎! 以後お見知りおきを」
「忍術学園!? さては、昼間俺の果たし状を受け取ったのも……」
「はい。ぜーんぶ鉢屋三郎の仕業でした!」
 まんまと忍たまにしてやられたと知り、尊奈門は悔しそうな顔を見せる。そこに、追い打ちをかけるように三郎が尋ねた。
「一体どこで気付いたんです?」
「っ……言いたくない!」
「?」
 三郎としては、自分の腕がどこまで通用したのかを確かめたかっただけなのだが。まさか土井先生が、尊奈門相手にチョークと黒板消し、出席簿しか使ったことがないとは思いもよらない。「手裏剣が飛んできたことそれ自体が違和感だった」などとは。
「くそっ、おちょくりやがって!」
 三郎にそのつもりがなかったとはいえ、尊奈門の自尊心は傷ついた。腹いせまぎれの棒手裏剣を、三郎はひょいひょいと躱してゆく。再び自分に敵意が向けられたことに、三郎は気を良くした。
「土井先生の代わりにはなりませんが、お相手しますよ」
「生意気な!」
 いくら常日頃、土井先生に軽くあしらわれていようと、相手は曲がりなりにもタソガレドキのプロ忍者。となれば、普段の鍛錬で高めた実力を試す、またとない好機である。
「その生意気な年下相手に、手裏剣一つ当てられないようでは……」
 怒車の術まで使って敵意を煽るのは、相手の攻撃を単調にさせるため。面の上では笑いつつ、内心では冷静に相手の力量を見極める。——六年生ほどの実力はない。これなら、勝てる。
 飛んでくる棒手裏剣を避け、ときに苦無で弾き返す。身の軽さを活かして、飛んで、跳ねて、躱して、逃げる。
「ちょこまかと! 避けるな!!」
「いやですよ、っと!」
 反撃の機会を伺い、三郎はひたすら攻撃を避け続けた。怒りに我を忘れた尊奈門は手加減なしに三郎を追い詰める。まっすぐと攻め込まれているうちは、動きを読んで避けられる。怒車の術が効いているおかげだと思い込んでいる三郎は、大事なことに気付いていない。
 ——ここはかつて、土井先生と尊奈門が果たし合いをした場所。
 つまり、地の利は相手にある。
「——っ」
 崖まで追い詰められていたことに気づいたのは、ぴょんと跳んでしまった後だった。勝ち誇った尊奈門の表情が目に浮かぶ。まんまと策に嵌められた。今から着地の市を変えることはできない。眼下には鋭く切り立った崖と、月明かりに照らされた川面。
 奇しくも、かつて土井先生が流された川だとは知らず、三郎はその先のことを算段する。あの川に飛び込むか。しかし、距離がある。どこかで体勢を整えなければ。
 一瞬のうちに生き延びるための方策を思考する。冷静でいるつもりでも、焦りが判断を鈍らせる。崖に手を伸ばすか、それとも落下の最中に打開策を見出すか。決断する前に、地面が近づく。崖が目前に迫る。
 落ちる——。
「……っと!」
 崖下へと落下する、その寸前のことだった。
 誰かに腕を掴まれる。がくんと宙づりになった体が、次の瞬間には勢いよく引き上げられる。その勢いのまま転がるようにして、三郎は地面に倒れ込んだ。
 ススキ野原を踏み分けて立つ二本の足。見上げた先に立っていたのは、三郎が扮していた相手——土井先生だった。
「な、土井っ!?」
 いつの間に、尊奈門までもがすぐ傍までやってきていた。勝ち誇ったような顔を想像していたが、実際には焦りを滲ませた表情を浮かべている。もしかすると、三郎が崖下に落ちそうになったのを見て、思わず駆け寄ったのかもしれない。土井先生には容赦なく向かって行く彼も、忍術学園の五年生を崖に突き落とすほど無分別ではなかったということか。
 その尊奈門に向かって、土井は静かに告げた。
「尊奈門くん。今日は相手をしてやれなくて悪かった。次は必ず私が応じるから、今日のところは帰ってくれないか」
 いやに静かな口調にただならぬものを感じたのか、尊奈門はそれ以上何も言わず身を翻した。
 さらさらとススキが鳴る音が、彼の足取りに合わせて遠ざかっていく。やがて月下に、三郎と土井だけが取り残された。
 三郎は寝転んでいた体を起こし、地面にあぐらを掻いて座った。土井がその前に膝をつく。
「怪我は」
「ありませんよ。……あんなへぼ忍者に」
「忍者の三病、言ってみなさい」
 唐突な問いに、授業が始まったかのようで面食らう。しかし三郎は間をおかず、すらすらと答えた。
「恐れ、侮り、考えすぎ。……侮ったつもりは、ありません」
「へぼ忍者って言ったな」
「……」
 指摘されて、三郎はそっぽを向いて聞こえないふりを決め込む。その様子に、土井は大きく溜息を吐いて、地面に腰を下ろした。
「朝に書いたのとは別に、自分の名前が出門票に書いてあって胆が冷えたよ。小松田くんも、尊奈門くんが来ていた、なんて言うし」
「私が、あんなのに遅れをとると思ってるんですか?」
「ほらまた。『あんなの』って言わない。……まあ、必ずしもそうは思っていないけどね。でも、おまえはまだ忍たまなんだから、ちゃんと外出届を出さないと駄目だろう」
「……」
 三郎は返事をしなかった。
 土井の言うことはなにもかも正論で、反論の余地がない。だが、自分がただの考えなしのように思われるのは我慢ならなかった。三郎なりに思うところがあり、こうして深夜の果たし合いに裏々山まで足を運んだのだ。
 それは決して、興味本位や単なる実力試しだけの理由ではない。
 しかし、その目論見は結局上手くいかず、土井の手を煩わせただけで終わってしまった。今更何を言っても言い訳にしか聞こえない。——そう思って、口を噤む。
 本心を口にするには、少しだけ素直さが足りなかった。
 何も言わない三郎に苦笑をひとつこぼして、土井が立ち上がる。
「帰るぞ」
 あぐらをかいたままの三郎に向かって差し出された手を、素直に握り返すことすらできない自分にがっかりする。だが、それも今更だ。自分はそのようにしか振る舞えない。たとえ、尊敬し、大切だと思う相手の前でも。
 自嘲とともに一人で立ち上がろうとする三郎の腕を、土井が取った。
 さっき崖下に落ちるのを救ったのと同じように——いや、それよりずっと優しく、その腕を掴み、引き上げて、隣に並ぶ。
「私に気を使ってくれたんだろう? ありがとな」
「…………はい」
 ようやく小声で返事をした三郎の背を、土井が思い切りよく叩いた。
「いっ!?」
「いっちょまえに、立派になって!」
 そう言って、からからと笑う土井の背中を、三郎は追いかける。
 悔しいような、嬉しいような、むずがゆいような——そんな顔をして。

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