清明/虹始見

1,469 文字

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(「春分/雷乃発声」の続き)


 白かった昊が、ほんのり赤味を帯びてくる。まるで花の色だと、ぼんやりとした意識の中で燕青は思った。
「気は済みましたか」
 思わぬ近さから聞こえた声に、急速に意識が冷えて、さっきまでの曖昧さが消えてなくなる。
 身を起こしてみると、すぐ横に膝を抱えるようにした悠舜が座っていた。
「悪ぃ、……俺寝てた?」
 尋ねれば、そうですね、と少し考えるようにして、
「でも目は開いていましたし、けれど一刻くらいはそのままでしたから」
 どっちでしょう、と結局は曖昧な結びで、悠舜は苦く笑った。
 目を開けたまま意識を飛ばしていたのかと、自分の無防備さと奇妙さに力ない笑いが漏れる。
 よいしょ、と掛け声をかけて立ち上がる。街の家並みからは既に炊事の煙が一筋二筋立ち昇りはじめていて、もうそんな時間かと自分の迂闊さを呪った。それから、ふと先ほどの悠舜の言葉が気になる。
「気は済んだか、って、どういう意味だ?」
 立ち上がるのに四苦八苦していた彼の腕を持ち上げながら訊けば、聞こえてましたか、と苦笑が返った。
 ぽんぽんと腰の砂を払いながら、こちらと視線を合わせることはせずに悠舜が言う。
「清明節ですものね、今日」
「……ああ」
 一瞬、暮れかけの太陽が瞼に入って目が開かなくなった。
 気付いていたのか、と思うと同時に、気付かないわけないよな、とも思う。それなのに、急に声が詰まったように上手く出せなくなったのはなぜだろう。

 そう、本来なら清明節はすなわち掃墓節。祖先の墓を参り、穏やかに過ごすべき日である。
「祖先、ってわけでもないんだけどなあ」
 父と母、弟や妹たち。祖先と言い切るにはあまりに身近で、自分よりも幼くして散ったはかない命たち。
 彼らにきちんとした墓はない。まともに弔うこともできなかった。命日すら、記憶の中では酷くおぼろげだ。
 掃除する墓もないから、燕青は毎年、花の季節にこの丘に上る。
 まだどこにも死の影など見当らなかったころに一度、家族で訪れたこの丘に。

 生命が芽吹く頃、桜の咲く頃、花の季節。こんな良き日、それなのに態々今はもういない者を思い出して、もう会えない現実を思い知る。そんな内心とは不釣合いなほどに昊は晴れているし、風は春の香りを運んでくるから、燕青は少し悲しくなった。
「故人を偲ぶ、なんて、結局は生者の自己満足だよな」
 なんかな、虚しいよな。
 我ながら弱気な声が出たことに困惑する。でもそれが偽りない今の気持ちだから仕方がなかった。
「まあ、そうなんですけど」
 燕青以上に困ったような声を出して振り返った悠舜が、でも、と続ける。
「でも私は、もし私を偲んでくれる人がいたら喜ぶと思いますよ」
「縁起でもないこと言うなよ」
 すかさず言うと、でも真実です、と穏やかな声が答えた。

 さてそろそろ帰ろうか、という段になって、燕青はふと思ったことを口に出した。
「なんで毎回付き合ってくれてたんだ?」
 ――何も言わずに、と付け加えたかったが、それは音にせずに飲み込んだ。
 今日だって、燕青があの一言を聞き逃していたら、きっと何も触れないままに、今年もこの奇妙な散歩を終わらせていただろう。そうして来年もまた、何も言わずに付き合ってくれるのだ。
 悠舜はおや、と、驚くにしてもやわらかすぎる表情で少しばかり目を開くと、軽く笑った。
「なにもあなたのためだけに来ているわけではありませんよ」
 清明節があなただけに訪れるとお思いで?
 黄昏のなかでは、言葉の主の表情を確かめることは叶わなかった。

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