(柏餅散策台詞バレあり)
朝からずっと部屋を留守にしていたと思った独歩は、午後になると猛然と机に向かって何事かを書き始めた。こう言うと何だが、独歩は作家のくせして滅多に机に向かわない。構想を練るのは散歩の間、読書は庭のベンチかベッドの上、たまに思いついたことは走り書きでメモに残して、それが日記の代わりだ。だが機が熟すとでも言うのか、頭の中でストーリーが固まるとそこからが早い。原稿用紙に齧り付いて物凄い勢いで万年筆を走らす。今もそうだ。カリカリと音を立てて文字が生まれてゆく様子を、花袋はその後ろから覗き込む。
「何書いてるんだ?」
「今度の図書館新聞の記事だ。ずっとネタが浮かばなくて困ってたんだが、今朝庭を散歩していたら司書さんから柏餅を貰ってな」
原稿に集中しているはずの独歩は花袋の横やりをさして嫌がることもなく、手を止めないままに答えた。こういう真似は花袋にはできない。
「へえ、お前も貰ったのか。なんか最近配り歩いてるよな、あの人」
数日前、玄関先で自分も突然押しつけられたのを思い出す。銀座の老舗和菓子屋の名が入った包み紙に二つばかり、緑の葉に包まれた端午の節句の縁起物。懐かしい気分を誰かと分かち合いたくて、談話室で暇そうにしていた藤村と二人でありがたくいただいた。
「……で、それがどうして新聞のネタになるんだ?」
「覚えてないか、花袋。俺たちの時代、柏餅の葉といえば塩漬けだったろ。それが、今朝貰ったのは摘み立てみたいな緑色だったんだ」
「そういえば……」
「今時分、柏の葉なんてまだまだ小さい。餅を包めるだけの大きさの柏葉なんて手に入るわけない。だから去年のを保存しとくために塩漬けにするんだろ? それなのに俺たちが貰った柏餅は緑の葉。さて、この謎をどう解くかね、田山君」
独歩が最近江戸川に勧められていくつかの探偵小説を読んだのを知っている。いつの間にかペンを置き、安楽椅子探偵のごとくに澄ました態度で独歩が問うてくる。お前には分かるまいとでも言いたげな不敵な笑みを見せられて、馬鹿正直に「そんなこと考えたこともなかった」と答えてやるのは彼を調子づかせるようで面白くなかった。頭を絞って考えてみることとする。
柏餅の葉。そもそもどうして端午の節句に柏餅を食べるのか。物書きとして、流石にそれくらいは知っている。柏の木は新芽が出るまで古い葉が落ちない。それ故『代が途切れない』として縁起が良いからだ。しかしよくよく考えてみれば五月五日の端午の節句に、どうして態々柏の葉を使う縁起物を食すのだろう。立夏間近とはいえまだ晩春、葉の生長しきるまでには今少し間があろうに。
そこで一つひらめいた。
「明治改暦……」
「おっ」
「江戸時代までは柏餅の葉は緑だった……?」
「おおっ」
そうか、暦が変わったせいで季節がずれたのだ。『五月』が旧暦の五月であるならば、柏の葉が大きくなるのには十分な季節だ。それが新暦に変わったせいで、葉が生長するのを待たずに端午の節句が来るようになった。
それではどうして現代、葉の色は再び緑に戻ったのか。
「つまり……暦が……戻った……?」
「なんでそーなる!」
途中まで目を輝かせて相槌を打っていた独歩が、ガクッと椅子からずり落ちた。
「今更暦は元に戻らないし季節は先へ進んでいないだろ、どう考えても!」
「うーんわからん。降参だ」
「途中まではいいとこ行ってたのになあ……」
そう言いながらも独歩は嬉々として解説してくれた。彼がこの短時間に帝國図書館の蔵書を駆使して調べたところによると、現代では技術の向上により、去年の葉を塩漬けすることなく、さも今朝方採ってきたかのような緑色のままで保存できるようになったのだと。真空保存という技術が発達したのだと。彼の構想によれば次の壁新聞の見出しはこうだ。
「——『百年の時を越え、蘇る緑』、ねえ」
「どうだ、大スクープだろう!」
「半日でここまで調べたのか? 相変わらずお前の着眼点と取材力には感服するよ」
花袋が手放しで褒めたのに満足したのか、独歩は再び原稿用紙に向かった。その後ろ姿を眺めながら花袋はふと思うのだ。
どんなに月日が流れて、技術が進歩したとして、暦は元に戻らないし、季節は先へは進まない。でも、真空保存された緑が緑のままで次の季節を待つことはあるのだな。あたかも、仕舞い込んだはずの憧憬を憧憬のまま抱えて生まれ変わってしまった己のごとく。
独歩の肩越しに窓が見える。窓の外には麗らかな五月の空と明るい庭が見える。
今再び、新緑の季節。百年を越えて、緑は緑のままである。
(第13回花独ワンドロ参加作)


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