ミズキの葉の薫風にそよぐ麗らかな午後のことだった。
その木のたもとで独歩はやおら瞼を持ち上げる。葉の隙間から初夏の太陽がきらきらと溢れ、それがちょうど目に入ったものらしかった。それで目は覚めてしまったが頭のほうはまだはっきりとしない。半分寝ぼけたまま、風が葉を揺らす音を聞く。随分長いこと眠っていたような、ほんの少しうたた寝しただけのような、どうも不思議な心地がした。
おかしな格好で寝ていたせいか凝り固まった背が痛む。大欠伸のついでにあちこち伸ばしていると、すぐ側から声がした。
「起きたのか」
「花袋」
彼は読んでいた本に栞を挟んで膝に置き、頻りに首やら腕やらを回す独歩に向かって苦笑いする。
「よく寝てたな。また眠れなかったか」
「そんなことはないはずだが……」
二人ともが黙るとカッコウの声が遠くの山から聞こえてくる。空の上からは高く昇るヒバリの囀りが、あるいはどこか草むらの影からはヤマキジの鳴き声が、代わる代わるに耳に届く。風に乗ってちぎれた雲がありきたりな風景に複雑な影を加えている。独歩は今は手元にはないワーヅワースの詩集から何編かの詩を諳んじたくなった。
しかしその前に、彼は隣の友にいつものごとく切り出した。
「奇抜な夢を見たよ」
「またか。今度は何だ?」
ここ最近、眠る度に見る夢を語って聞かせるのが独歩の日課のようになっていた。花袋は煙たがるどころかどこか愉快げに聞いてくる。
「図書館の夢さ」
「図書館? ……上野の図書館か?」
「いや、似ているがそれよりもっと大きい。漢籍から洋書からこの世のありとあらゆる書物を集めた図書館さ」
「そりゃあいいなあ。行ってみたい」
「君もいたな、そういえば」
独歩はふと、友人の顔をまじまじと見た。毎日合わせて見慣れた顔が、どうしてかその時だけは知らないもののように見える。まだ目が覚めていないのかもしれない。夢心地のまま、しかし独歩の口は勝手にその先を紡いでいる。
「僕らは一度死んでいるんだが、夢の中でその図書館に生まれ変わっている。文学を……日本の文学を守るために、弓を持ち、本の世界へ入って、未知の敵と戦う——」
「そりゃあいいな。一度死んでも、僕も君も一緒にいるのかい」
「ああ……」
「そりゃいいや……」
花袋が繰り返して言う声が段々と遠くなる。ざわざわと耳鳴りがする。いや、風の音だ。山が騒いで、鳥の声が止み、一瞬空が翳る。やがてまた雲間から顔を出した太陽がきらきらと光を零し、その一粒が強く目を刺し——そして再び、独歩は目を覚ます。
ミズキの木のたもとで、帝國図書館蔵の印が押された読みかけのワーヅワースが、手から離れて草の上に落ちている。半分寝ぼけたまま、風が葉を揺らす音を聞いた。随分長いこと眠っていたような、ほんの少しうたた寝しただけのような、どうも不思議な心地がした。
「起きたのか」
「花袋」
どこかで見たような苦笑いを寄こす友が隣にいることになぜだか安心して、独歩はいつものごとく切り出した。
「奇抜な夢をみたよ」
午睡の夢は、未だ覚めやらぬ。
(第12回花独ワンドロ参加作)
参考文献:『東京の三十年』(田山花袋)


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