わにとマリトッツォ

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 『図書館の庭に生息する生物』こと「かっぱわに」は、その日図書館の食堂におりました。生息地は図書館の庭かもしれませんが、活動範囲が図書館の庭に限定されるわけではないからです。ここ最近はとみに、らばーふぃぎゅあやら、びーずぬいぐるみやら、しりこんらいとやら、りふれくたーやら、様々にグッズ展開されてその活躍の場を広げています。
 さて、そんなことはどうでもよいのです。とにかく、かっぱわにはその日、図書館の食堂の、調理場の隅の、小さなコーヒーテーブルを目指しておりました。深夜、ひとけの少ない時間帯です。食堂にも、ここに来るまでも、かっぱわにの他にはだれもおりません。かちこちと柱時計の針の音が響きます。常夜灯が付いた食堂は、しんと静まりかえった図書館のなかで、唯一ほのかに光を放っていました。
 つい一段落前には「どうでもよい」と言いましたが、実はかっぱわにが目指すコーヒーテーブルの上には、件のらばーふぃぎゅあが三体ほど置いてあるのでした。そしてたまに、その前にきゅうりが供えられている、ということを、かっぱわには知っていました。目当てはもちろん、そのきゅうりです。
 どうしてそこにきゅうりが供えられているのか。はじめは図書館に生息する文豪の誰かのちょっとした洒落だったのかもしれませんが、かっぱわにには関係ありません。自分によく似た置物の前にきゅうりが供えられていたら、それはかっぱわにに供えられたも同じ。一度見つけてからは、きゅうり配給所としてありがたく定期巡回させてもらうことにしたのでした。
 供えると消えるきゅうりの怪の真実を、文豪たちはまだ知りません。知らないながら、面白いので、消えるたびにきゅうりを供え直しているのです。
 図書館の庭にある池から、従業員勝手口を通って、かっぱわにはようやく、コーヒーテーブルに辿り着きました。三つ足のコーヒーテーブルのそばには、椅子が一脚置かれています。どちらも実用性というより、アンティークの瀟洒な見た目が気に入られて置かれているものであります。人が腰掛けることは、あまりありません。かっぱわには小さな前足でまず椅子の足に捕まると、よじよじと器用に椅子を登り、それからよいしょとテーブルの上を覗き込みました。
 さて、今日はきゅうりはあるかしら。
 覗き込んで、かっぱわには愕然としました。
 なんと、そこにあったのは、きゅうりでも、らばーふぃぎゅあでもなかったのです。どころか、三体のらばーふぃぎゅあは、無残にもテーブルの端の方に追いやられていました。つぶらな目をしたやつが二体と、ぎゅっとめをつむったやつが一体、なんだか寂しそうにテーブルの中央を見つめています。彼らが見つめる先には、かっぱわにが今まで見たこともない、丸い、——なんでしょう。かっぱわににはうまく説明ができないのですが、鞠のように丸く、でも途中に口が開いていて、そこに白い何かが詰まった、鞠、まり……マリ、ええ、そんな感じの何かが、白いお皿の上にどんと一つ、置かれているのでした。
 もちろん、かっぱわには、それがマリトッツォと呼ばれる、一世を風靡したものの最近はとんと見かけなくなった洋菓子の一つであることや、それが、図書館に生息する文豪の一人、志賀直哉が思いつきで作った残りものであること、彼が「誰かが通りすがりに食べるだろう」と思いつきで置いたことなどは、知る由もありません。
 ただ、事実として、今までらばーふぃぎゅあのために存在していたコーヒーテーブルが、見知らぬ何者かに占拠されている。それだけがかっぱわににとっての真実でした。もちろんきゅうりは影も形もありません。
 終わった。かっぱわにの天下が、終わった。
 かっぱわには、そのように悟りました。
 正直、少し良い気になっていたことは、認めましょう。ぬいぐるみに、ふぃぎゅあに、きーほるだー、らいと、らぐまっと、ぴんず。様々にグッズ展開されて、かわいいかわいいと愛でられて、調子に乗っていたのかもしれません。つぶらな瞳、短い手、きゅーとな尻尾、かぱりと開いた口にギャップを感じさせる鋭い歯。かっぱわに自身、ひっそりと池の中に生息していただけの頃は外見なんて気にしたことがありませんでしたが、芥川に見出されて以降、最近は「もしかして、ぼくってちょっと、かわいいのかも……?」なんて思い始めていました。なにもしなくてもきゅうりをお供えされてしまうのも当然と、思い上がっていました。
 継続して愛されるためには、努力が必要なのだと、かっぱわには唐突に気付きました。世間が求めるものを分析し、それに応えられる自分であること。ただ漫然と流行に身を任すようではいけないのです。
 かわいいは、つくれる。
 どこかの化粧品のキャッチコピーのようなことを、かっぱわには思いました。かっぱわにのつぶらな瞳は、決意に溢れて黒々と光っていました。
 今からでも遅くない。まずは、この小さなコーヒーテーブルを取り戻す。この、丸くて白いのが詰まった、こいつが今、世間に求められるかわいさなのだとしたら。
 ふと辺りを見回したかっぱわにの目に、厨房の作業台に乗った、ラップを掛けられた銀色のボウルが映りました。ボウルの中には、マリなんとかの口に入っているのと同じ白いものが、まだまだたくさん入っています。

 ◆ ◇ ◆

「は〜、疲れた。休憩休憩、っと」

 深夜二時。寝るのも忘れて館内新聞の記事の執筆と写真の整理に夢中になっていた国木田独歩は、なにか夜食でもないかと食堂に降りてきて、それを目撃することになった。
 コーヒーテーブルの上に並んだ、志賀が作った洋菓子と、それにそっくりな姿の、口に白いクリームをたっぷり詰めて、ぱんぱんに膨れたかっぱわに。

「……」

 記者の性として、たまたま手に持っていたカメラでぱしゃりと一枚写真を撮ってから国木田は、喉を詰まらせて苦しそうにしているかっぱわにに、慌てて駆け寄ったのだった。

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