営舎の中の一室で溜まっていた書類の整理をしているシキを、シャーマンは反対向きに跨いだ椅子を鳴らしながら眺めていた。
シキが書類をめくる音、椅子が一定のリズムでカタン、カタンと鳴る音を除いて、室内は静寂だった。砲撃音も発砲音も、飛行機の爆音もしない、平和な日だった。
平和で結構、と言いたいところだが、しかし兵器である彼らにとってそれは暇と同義である。
カタン、ともう一度椅子が鳴ったのを最後に、シャーマンはいったん動きを止めた。こうやって無駄な雑音を発生させていれば何か言ってくるかと思ったのだが、さっきから一向にその気配がない。無視、完全なる無視だった。
「ステラってさあ」
話しかけても顔を上げもしない。例えばこれがあの生意気な戦闘機だったら、「オスカーって誰のことだ、俺はそんな名前じゃない」とかなんとか、文句のひとつも返ってきそうなものなのに。
しかたなく、ごほん、と咳払いをして注意を引いて、ようやく彼の視線を書類から引き離すことができた。
じ、っと向けられるのは亡羊とした瞳だ。シャーマンはもともと、日本人の瞳は真っ黒で焦点が読み取れなくて、どこを見ているのかよくわからない、と思っていた。シキはその点、日本人の極め付けみたいな男だ。能面みたいな顔、つまらない目、平坦な声。ケイやチハなら、露骨に呆れた声だとか、くるくると変わる表情だとかで、退屈しないのだが。
「ステラってさあ、俺がチハたんやケイ追っかけまわしてても怒んないの?」
一瞬、これも無視されるか?と思ったが、幸い会話が成立した。
「任務に支障がなければ特に言うことはありませんが」
成立はしたものの、それがなにか。と言わんばかりで、その点予想通りだった。
「ふーん」
つまらない。結局シャーマンは暇なのだった。
生憎ケイもチハもいない。隼もいない。シキは遊んでくれない。
――暇だ。
シャーマンは椅子から立ち上がって、すでに書類整理に戻っているシキの隣まで近づいた。
(ふうん……?)
初めてシャーマンの瞳に興味の光が浮かぶ。さすがに他人にここまで接近されて、無関心とはいかないようだった。張られた糸のような細い緊張感が伝わる。だが、あくまでも見かけは気のない振りだ。
軍帽のない頭は少し見慣れなかった。眼鏡のつるがかかった意外と形のいい耳も、見慣れない。
すっと手を伸ばす。緊張の糸が、シャーマンの手に触れてぷつりと切れる。
迫るシャーマンの手を勢いよく振り払おうとして、シキの右手は空を切った。シャーマンが引くほうが一歩早かった。
椅子に座ったシキからは絶対に手の届かないところまで後退して、シャーマンは手の内のそれをひらりと振って笑いかける。
「……返してください」
「怒った?」
「仕事に支障が出るので」
「ふーん」
ぴりぴりとした緊張感。それなのに彼はやっぱり表情を変えない。
シャーマンは奪った眼鏡を後ろに隠して、もう一度シキに近づく。眼光が鋭くなったように感じる。果たしてそれが、彼が怒りを覚えているからなのか、瞳を覆うレンズがなくなったせいなのか、判別をつけることはできなかったが。
くっと顎に手を賭け、上向かせる。
「何するんです」
「眼鏡とったら印象変わるかと思ったけど、そうでもないね」
「そうですか。それより眼鏡を」
ちゅっ
「返してください」
唇をふさいだ一瞬だけ声が途切れた。シャーマンが顔を離すと、中断されたテープレコーダが再び回るがごとく、シキは何もなかったように会話を続けた。
ここまでしても表情は変わらない。
この男はもしかして、自分が何をされたか理解してないんじゃないか。そんな懸念がシャーマンの脳裏をよぎる。
「怒った?」
「何が?」
「キス」
「別に減るもんじゃないですからどうでも。それより」
「あー、わかった。ワカリマシタ。……はあ。そんなに眼鏡って大事なの?」
仕方がないので眼鏡を返す。
眼鏡を受け取ったシキがそれを掛け直すのを横目で見ながら、さりげなく背後に回って、
ぎゅっ
「怒った?」
「任務に支障がでますから、怒りますよ。いいかげん」
中途半端に上がった腕ごと後ろから抱きしめてやれば、さすがに怒るだろう。そう思ったのだが。そして、彼の口ぶりからすれば怒っているのだろうが。さらに、ひしひしと感じる殺気も、暗に怒りを伝えてはいるのだが。
振り向いた顔は相変わらずだった。
「本当に怒ってる? ステラ表情変わんないからわからないんだよね」
シャーマンは耳元に口を寄せて、酷薄に囁いた。
「ねえ、怒って見せてよ。その澄ました無表情、歪ませてやりたい」
「……」
シキはそこで初めて、表情を変えた。
理解し得ないものを見たといわんばかりの、いやそうな、顔。
それを目にして、シャーマンは心からの笑顔を浮かべる。
「ふはっ、俺ステラのその顔すっげー好み」
その言葉に、さらに表情を歪めようとして、はっと無表情を取り繕う姿を見て、こんな退屈も悪くない。
シャーマンは無邪気に笑んだ。


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