雪の解ける日

10,232 文字

21

 その日の朝、王家の食卓には珍しく四人の姿が揃っていた。
 中央の国の現君主である父、その妻で王妃の母。父のただ一人の弟、ヴィンセント叔父。そして、アーサー自身である。
 全員の前に皿が並び、給仕が壁際に下がると、食前の祈りの前に父が改まってアーサーを見た。
「今日はお前の誕生日だったな、アーサー。おめでとう」
「おめでとう、アーサー」
「おめでとう。晩餐会のスピーチの準備は済んでいるだろうな?」
 続けて述べられる三者三様の祝いの言葉に、アーサーは心からの笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。父上、母上。それに叔父上。はい、準備は済んでおります」
 病身の父と自らの塔に引きこもりがちな母が揃ってこの場に出てきているのは、そのためだった。ヴィンセントも普段なら自分の屋敷で朝食を摂ってから出仕するところを、両親の予定にあわせてくれたらしい。
 広い食堂の、長いテーブル。往事はこのテーブルの両側にずらりと王族が並んだこともあったのだろうか。今は四人でも多いくらいだ。父王の病が重くなるに連れてアーサー一人だけの食事が増え、アーサーが賢者の魔法使いに選ばれてからは、食堂自体、滅多に使われることもなくなった。だからアーサーにとっては、家族で囲む食卓というだけですでに誕生日の贈り物だ。
 今日は良い日になる。そんな予感がした。
「お前も十八になったのだな」
 アーサーが想いを馳せていると、父王は言葉を続けた。
「お前の誕生日を、私たちは今までろくに祝ってこれなかった。悪いことをしたと思っている。もし、なにか欲しいものがあれば言ってみなさい。私に用意できるものであればなんでも用意しよう」
「兄上、そのような」
「いいのだ、ヴィンセント。たまには私に父親らしいことをさせてくれないか」
 ヴィンセントがたしなめるが、父はそれを片手で鷹揚に制す。さらに母もが目尻に優しいしわを浮かべて続いた。
「そうですわね、あなた。……アーサー。言ってごらんなさい。私たちになにかできることはない? なんでもいいのよ」
 アーサーは、突然降って湧いた提案に、瞬きも忘れてぽかんとしてしまった。
 ほしいもの。なんでも。
 なんでも?
「あの! でしたら!」
 ガタン、と椅子を蹴って立ち上がったアーサーを、三対の瞳が驚きを持って見つめた。

 ◇

「カイン! 賢者様!」
 空の上からした声に、カインと晶はほぼ同時に顔を上げた。青い空に黒い影。箒に乗ったアーサーが、こちらに向かって降りてくる。
 もっとも、その姿が見えているのは晶だけのはずだ。彼は昨日からグランヴェル城に詰めていて、厄災の《傷》のあるカインは今日まだ、アーサーに触れていない。
「どうしたんでしょう」
「城で何かあったかな」
 そんなことを話しているうちに、アーサーはすとん、と中庭の噴水の前に着地した。アーサーに見つかる前にと、晶はこっそり手の中のメモをポケットに隠す。二人は中庭で、明日のアーサーの誕生日パーティのための買い出しメモを確認しているところだった。パーティがあることはアーサーも承知していることだが、準備しているところを本人に知られるというのは、ほんの少し気まずい。
 その気まずさをごまかそうと、晶は降りてきたばかりのアーサーに矢継ぎ早に話しかけた。
「アーサー、どうしたんですか? 帰りは明日になるって言ってませんでしたか? 今日は一日晩餐会の準備で忙しいから、と」
 話し出してから、この言い方では来てほしくなかったみたいに聞こえないか、と思い至るが、幸いアーサーは気にならなかったようだ。いつもの笑顔で応対してくれる。
「賢者様、すみません。少しだけ、抜けてきてしまったのです」
「急ぎの用事ですか? ならエレベーターを使えばよかったのに」
「箒で飛び出してから気がつきました。帰りはそうします」
 喋りながら、これはよくない、と気持ちが焦り、それがまた責めるような言い方に繋がってしまう。頭では分かっているのに、口ばかりが空回りして止まらない。このままでは、また変なことを言ってしまいそうだ。
 そんな晶に助け船を出すように、背後から快活な笑い声が上がった。
「あはは、アーサーも意外とおっちょこちょいなところがあるな」
「カイン」
 ほっと息をつく晶の横に並び、カインはそう言って片手を上げて見せた。ハイタッチの合図だ。カインの《傷》に慣れた魔法舎の面々は、何も言わなくてもその仕草だけで察して、パチンと手を合わせるのが常だった。
 そのはずなのに、どうしたことか。
 アーサーは今日に限ってはそうせずに、カインの手を両手で挟み込むように掴んで、無理矢理胸の高さまで下ろすと、そのまま両手でぎゅっと握りしめたではないか。
「アーサー?」
 ようやくその姿を目にすることができたカインが、不思議そうに握られた手とアーサーの顔とを見比べている。カインの手を握るアーサーは、真剣な顔をしていた。晶に対して向けられていた笑顔は、いつの間にか引っ込んでいた。どこか決意を秘めたような瞳に、ドキリとしたのは晶だけなのだろうか。カインはいつもとまるで変わらない調子で、「どうした?」なんて声をかけている。
「カイン。聞いてくれ」
「なんだ?」
「父上に誕生日プレゼントをいただいた」
「ああ! よかったな! おめでとう!」
「カインだ」
「すまない、俺は明日渡すつもりでまだ用意できてなくて」
 一瞬、あれ?と思ったが、カインが聞き流したので晶も、なんだ聞き間違いかな、と油断したのがいけなかった。
 とっておきの爆弾はその直後に落とされた。
「カインを貰ったんだ」
「……ん? 俺?」
「お前だよ、カイン。父上がお前を私にくださったのだ!!」
 アーサーは先ほどまでの真剣な表情が嘘みたいに破顔した。繊細な顔立ちにこれでもかと、満面の笑みが咲きこぼれる。花のかんばせ、という単語が晶の脳裏に浮かんだ。ついでになぜか、ファンファーレの幻聴まで。
 アーサーの背後に咲いた大輪の花々が、どこからか飛んできたリボンで結ばれブーケができる。二人の向こうに教会が建ち、色とりどりのカラーテープが舞い、ライスシャワーが雨あられと——
 晶は無粋と分かっていながら、なんとかその幻想に割り込んだ。
「ちょ、ちょ、ちょーっと待ってください!!」

 一通り話を聞いた晶は、次のようにアーサーの言葉を補完した。
「……つまり、王様がカインを、アーサー『の騎士』に『して』くださった、というわけですね?」
「はい、その通りです賢者様」
 三人はアーサーを挟むように並んで噴水のふちに腰掛けていた。話を聞くうちに晶の混乱もなんとか落ち着き、脳内の教会に集まった参列者たちは解散、ばらまかれたお米は小鳥たちがついばみ、カラーテープを一本一本拾っては元のように丸めて片付ける余裕も出来ていた。これはまた別の機会までとっておこう。
 撤収ムードに入った晶は気付かなかった。アーサーを挟んで向こう側では、カインが何か言いたそうな顔をしていることに。
「なあ、アーサー」
「なんだ?」
 呼ばれたアーサーと同時に顔を上げた晶は、ふと、デジャブを感じた。さっきと真逆で、今度はカインが真面目な顔をしている。普段笑顔ばかり見せるカインだからこそ、そんな表情に晶はハッとしてしまうが、アーサーはどうなのだろう。
 神妙な顔つきで、カインは口を開いた。
「あんたが俺を自分の騎士にと推薦してくれたのはうれしい。光栄に思う。でも、俺はもうとっくにあんたの騎士のつもりだったんだけど、……違ったか?」
「もちろん。私だって、お前のことを私の騎士と思って、いつも頼りにしていたよ」
「それなら、どうしてわざわざ。陛下は『なんでもほしいものを』とおっしゃったんだろ? もっと他にあったんじゃないか。欲しいものとか、やりたいこととか。だって俺は、最初からあんたの騎士なんだから——」
「それは、違う」
 アーサーは不意に立ち上がって、カインに向き直る。
「確かに、父上の許しを得たからといって、私にはカインを騎士団に戻してやることも、騎士団長の位を与えてやることもできない。城内で多少融通は利くようになるだろうが、それだけだ。これほど尽くしてくれるお前に、私はなんの栄誉も、なんの勲章も与えてやれない。……それでも私は、名実ともに、お前を私の騎士にしたかった。胸を張って、誰の前でもあってもお前を『私の騎士』と言えるようにしたかった!」
 晶は、彼の手が固く握りしめられていることに気付いた。
 ——いつか、アーサーが言っていたのを思い出す。
『騎士団を解任された時も、本当は傍に置いておきたかったのですが……』
『魔法使い同士だから、贔屓しているのだと言われ、断念したのです』
 あの話を、アーサーはカインにもしただろうか。
 していたのなら、カインにも伝わっただろう。
 アーサーはきっと、十三歳の頃からずっと、こうしたかったのだ。
 これは十三歳のアーサーが欲しかったもの。そして今までずっと、欲しくても手に入らなかったもの。
 アーサーの瞳に薄く水が張っているのを、晶は見た。きっとカインも見ただろう。いつかテレビで見た、雪解けの色に似ていた。深いクレバスの奥を流れる、雪解けの水の色に似ていた。
「わかった」
 カインは静かに頷いた。
 そしておもむろに立ち上がり、腰から剣を抜く。
 陽光にきらめいた剣先に、晶も驚いて立ち上がった。何を、と声に出すより先に、カインはその鞘を払って、刃を地面に向け、柄をアーサーへと差し出す。アーサーは一瞬目を丸くしたが、混乱する晶とは違い、すぐに何事か理解した。危なげない手つきで剣を受け取る。
 剣が渡ったのと同時に、カインは一歩下がり、右肩の白いマントを大きく翻したかと思うと、音もなく片膝をつき、頭を垂れた。
 噴水の水が落ちる音が、静寂に響き渡った。
 アーサーが剣の刃の腹をそっとカインの右肩に置く。
「我、アーサー・グランヴェルは」
 凜とした声が響くと同時、刃は左肩へ。あの重たい剣が、ぶれることなく移動する。
「汝、カイン・ナイトレイを」
 剣は最後に、カインの眼前へと突きつけられた。
「我が騎士と認める」
 カインが顔を上げた。剣先に片手を添えて、そこへ恭しく口づけを落とす。
「謹んで拝命いたします。我が君」
 誓いの言葉はなかった。
 命令も、宣誓も、もちろん約束も、二人の間には必要ないのだと言わんばかりに。
「……っ」
 なんという場面に立ち会ってしまったのだろうか。
 晶は声を上げないように、自分の口を両手で塞ぐので精一杯だった。一幅の絵画のように美しい儀式を、呼吸さえ忘れて見守った。
「……」
 静寂が続く。風の音。木の葉の擦れる音。
 ……そろそろ、息をしてもいいだろうか。
 静寂。遠くでとんびが鳴いている。
 …………いや、もう、だいぶ、限界——
「っ、ふ、ははは!」
「あははは、あはっ!」
「!? けほっ、はあっ、はあっ……!」
 晶が場を台無しにするより先、ほぼ同時に静寂を破ったのは二人の笑い声だった。
 さっきまで真面目な顔で儀式に臨んでいたカインとアーサーが、二人して腹を抱えて笑っている。
「これ、止め時がわからないな!」
「だなあ、誰か『直れ』って号令してくれないと」
「は、はあ、なんか、すみません……」
 その『誰か』とはもしかして自分のことだろうか、と晶は呼吸の合間に謝った。
「いや、今のは賢者様に言ったわけじゃないからな!」
 カインが慌てて飛んできて、それを見たアーサーがまた笑う。
 あまりの落差に、晶もなんだかおかしくなって、一緒になって笑った。

 アーサーが、しまった、と言って懐から懐中時計を取り出したのは、三人でひとしきり笑い合ってからだ。時刻を確認してなんとも言えない表情になり、空を仰ぐ。
「すっかり忘れていたが、晩餐会の準備を抜けてきたのだった。はやく戻って着替えないと、ヴィンセント叔父上にまた叱られてしまう」
「それは大変だ! はやく戻らないと。帰りはちゃんとエレベーターを使えよ」
「わかっている! ……賢者様、それでは失礼します。また明日」
「はい。また明日」
 たっ、と魔法舎の入り口に向かって駆け出したアーサーは、途中で振り返って、こう叫んだ。
「そうだカイン! 父上に言われていたのだった! 一度顔を見せるように、とのことだ。正式に話を進めるためにも顔合わせは必須らしい。それに、母上も会いたいと! また後日、場を設けるから、そのときはよろしく頼む!」
 それだけ言うと、返事も聞かずに彼の姿は魔法舎の中へと消える。
「はは、アーサー様、楽しそうだ」
 カインは笑って、見送りのため振っていた手を下ろした。ついで晶の耳に、陛下とお会いするのはいつぶりだろう、新しいブーツを下ろそうか、という暢気なつぶやきが聞こえる。
 笑っている場合だろうか。晶は不安だ。
「……アーサー、本当に、一体なんとご両親に言ったんでしょう、『欲しいもの』のこと。気になります。知りたいような、知りたくないような。なんだか少し怖いような。いえ、やっぱりちょっと楽しいような」
「今度また聞いてみよう。……でも、何が怖いんだ?」
「いいえ、なんでもありません」
 カインが気にしないのなら、今は気にするべきではないのだろう。
 ただ、場合によっては、やっぱりあのカラーテープが必要になるんじゃないかと、予想より早く訪れそうな『別の機会』に、晶は胸を騒がせるのだった。

「——でしたら、カイン・ナイトレイを私にください」
 向けられた三対の瞳が、驚きに見開かれるのを気にも留めず、アーサーはなお言い募った。
「カインは誠実な男です。誰よりも高潔で、信頼の置ける男です。魔法使いであることを隠して騎士となりましたが、その実力、騎士としての素質に、何一つ瑕疵はありません。騎士団を追放された後も、決して卑屈になることなく、与えられた役目を全うしてきました。私は彼に何度も救われた。賢者の魔法使いとして選ばれる前も、選ばれてからも。彼がいなければ今の私はいません。それくらい、私にとって重要な存在なのです。ですから」

「私はカインがほしい。私の唯一の騎士として」

 ◇

「カイン! 賢者様!」
 空の上からした声に、カインと晶はほぼ同時に顔を上げた。青い空に黒い影。箒に乗ったアーサーが、こちらに向かって降りてくる。
 もっとも、その姿が見えているのは晶だけのはずだ。彼は昨日からグランヴェル城に詰めていて、厄災の《傷》のあるカインは今日まだ、アーサーに触れていない。
「どうしたんでしょう」
「城で何かあったかな」
 そんなことを話しているうちに、アーサーはすとん、と中庭の噴水の前に着地した。晶はこっそり、手の中のメモをポケットに隠した。二人は中庭で、明日のアーサーの誕生日パーティのための買い出しメモを確認していたのだ。パーティがあることはアーサーも承知しているが、準備しているところを本人に知られるというのは、ほんの少し気まずい。
 その気まずさをごまかそうとして、晶は降りてきたばかりのアーサーに矢継ぎ早に話しかける。
「アーサー、どうしたんですか? 帰りは明日になるって言ってませんでしたか? 今日は一日晩餐会の準備で忙しいから、と」
 話し出してから、この言い方では来てほしくなかったみたいに聞こえないか、とよぎるが、幸いアーサーは気にならなかったようだ。いつもの笑顔で応対してくれる。
「賢者様、すみません。少しだけ、抜けてきてしまったのです」
「急ぎの用事ですか? ならエレベーターを使えばよかったのに」
「箒で飛び出してから気がつきました。帰りはそうします」
 ああ、いけない。なんだかさっきから責めるような言い方ばかりになってしまう。頭では分かっているのに、口ばかりが空回りしている。焦ってまた変なことを言ってしまいそうだ。
 そんな晶に助け船を出すように、背後から快活な笑い声が上がった。
「あはは、アーサーも意外とおっちょこちょいなところがあるな」
 晶の横に並んだカインは、そう言って片手を上げて見せた。ハイタッチの合図だ。カインの《傷》に慣れた魔法舎の面々は、何も言わなくてもその仕草だけで察して、パチンとカインと手を合わせるのが常だ。
 そのはずなのに、どうしたことか。
 アーサーは今日に限ってはそうせずに、カインの手を両手で挟み込むように掴んで、無理矢理胸の高さまで下ろすと、そのまま両手でぎゅっと握りしめた。
「アーサー?」
 ようやくその姿を目にすることができたカインが、不思議そうに握られた手とアーサーの顔とを見比べた。アーサーは真剣な顔をしていた。晶に対して向けられていた笑顔は、いつの間にか引っ込んでいる。どこか決意を秘めたような瞳に、ドキリとしたのは晶だけなのだろうか。カインはいつもとまるで変わらない調子で、どうした?と声をかけた。
「カイン。聞いてくれ」
「なんだ?」
「父上に誕生日プレゼントをいただいた」
「ああ! よかったな! おめでとう!」
「カインだ」
「すまない、俺は明日渡すつもりでまだ用意できてなくて」
 一瞬、ん?と思ったが、カインが聞き流したので晶も、なんだ聞き間違いかな、と油断したのがいけなかった。
 とっておきの爆弾はその直後に落とされた。
「カインを貰ったんだ」
「……ん? 俺?」
「お前だよ、カイン。父上がお前を私にくださったのだ!!」
 アーサーは先ほどまでの真剣な表情が嘘みたいに破顔した。繊細な顔立ちにこれでもかと、満面の笑みが咲きこぼれる。花のかんばせ、という単語が晶の脳裏に浮かんだ。ついでになぜか、ファンファーレの幻聴まで。
 二人の向こうに教会が建ち、色とりどりのカラーテープが舞い、ライスシャワーが雨あられと降り注ぐ。
 晶は無粋と分かっていながら、なんとかその幻想に割り込んだ。
「ちょ、ちょ、ちょーっと待ってください!!」

 一通り話を聞いた晶は、次のようにアーサーの言葉を補完した。
「……つまり、王様がカインを、アーサー『の騎士』に『して』くださった、というわけですね?」
「はい、その通りです賢者様」
 三人はアーサーを挟むように並んで噴水のふちに腰掛けていた。話を聞くうちに晶の混乱もなんとか落ち着き、脳内の教会に集まった参列者たちは解散、ばらまかれたお米は小鳥たちがついばみ、カラーテープを一本一本拾っては元のように丸めて片付ける余裕も出来ていた。これはまた別の機会までとっておこう。
 撤収ムードに入った晶は気付かなかった。アーサーを挟んで向こう側では、カインが何か言いたそうな顔をしている。
「なあ、アーサー」
「なんだ?」
 呼ばれたアーサーと一緒に顔を上げた晶は、ふと、さっきと真逆だな、と思った。今度はカインが真面目な顔をして、アーサーは、ここからでははっきりと表情は覗えないけれど、きっといつもみたいに微笑んでいる。
 神妙な顔つきで、カインは口を開く。
「あんたが俺を自分の騎士にと推薦してくれたのはうれしい。光栄に思う。でも、俺はもうとっくにあんたの騎士のつもりだったんだけど、違ったか?」
「もちろん、私だってお前のことを私の騎士と思っていつも頼りにしていたよ」
「それなら、どうしてわざわざ。陛下は『なんでもほしいものを』とおっしゃったんだろ? もっとほかにあったんじゃないか。俺は最初からあんたの騎士なんだから——」
「それは、違う」
 アーサーは立ち上がって、カインに向き直った。
 彼はもう微笑んではいなかった。
「確かに、父上の許しを得たからと言って、私にはカインを騎士団に戻してやることも、騎士団長の位を与えてやることもできない。城内で多少融通は利くようになるだろうが、それだけだ。なんの栄誉も、なんの勲章も与えてやれない。それでも私は、名実ともに、お前を私の騎士にしたかった。胸を張って、誰の前でもあってもお前を『私の騎士』と言えるようにしたかった!」
 晶は、彼の手が固く握りしめられていることに気付いた。
 ——いつか、アーサーが言っていたのを思い出す。
『騎士団を解任された時も、本当は傍に置いておきたかったのですが……』
『魔法使い同士だから、贔屓しているのだと言われ、断念したのです』
 あの話を、アーサーはカインにしただろうか。していたのなら、カインにも伝わっただろう。
 アーサーはきっと、十三歳のあのときからずっとこうしたかったのだ。
 これは十三歳のアーサーがほしかったもの。そして今までずっと、ほしくても手に入らなかったもの。
 アーサーの瞳に薄く水が張っているのを、晶は見た。きっとカインも見ただろう。いつかテレビで見た、雪解けの色に似ていた。深いクレバスの奥を流れる、雪解けの水の色に似ていた。
「わかった」
 カインは静かに、やさしくうなずいた。
 そしておもむろに立ち上がり、腰から剣を抜いた。
 鞘を払って、刃を地面に向け、柄をアーサーに差し出す。アーサーは一つうなずき、危なげない手つきで剣を受け取った。剣が渡ったのと同時に、カインは一歩下がり、右肩の白いマントを大きく翻したかと思うと、音もなく片膝をつき、頭を垂れる。
 噴水の水が落ちる音が、静寂に響き渡った。
 アーサーが剣の刃をカインの右肩に置く。
「我、アーサー・グランヴェルは」
 続いて左肩。あの重たい剣を見事に操っている。
「汝、カイン・ナイトレイを」
 最後に剣をカインの眼前に突きつけ。
「我が騎士と認める」
 カインが顔を上げた。剣先に片手を添えて、そこへ恭しく口づける。
「謹んで拝命いたします。我が君」
 誓いの言葉はなかった。
 命令も、宣誓も、もちろん約束も、二人の間には必要ないのだと言わんばかりに。
「……っ」
 なんという場面に立ち会ってしまったのだろうか。
 晶は声を上げないように、自分の口を両手で塞ぐので精一杯だった。一幅の絵画のように美しい儀式を、呼吸さえ忘れて見守った。
「……」
 静寂が続く。風の音。木の葉の擦れる音。
 ……そろそろ、息をしてもいいだろうか。
 静寂。遠くでとんびが鳴いている。
 …………いや、もう、だいぶ、限界——
「っ、ふ、ははは!」
「あははは、あはっ!」
「!? けほっ、はあっ、はあっ……」
 晶が場を台無しにするより先、ほぼ同時に静寂を破ったのは二人の笑い声だった。
 さっきまで真面目な顔で儀式に臨んでいたカインとアーサーが、二人して腹を抱えて笑っている。
「これ、止めどきがわからないな!」
「だなあ、誰か『直れ』って号令してくれないと」
「は、はあ、なんか、すみません……」
 その『誰か』とはもしかして自分のことだろうか、と晶は呼吸の合間に謝った。
「いや、今のは賢者様に言ったわけじゃないからな!」
 カインが慌てて飛んできて、それを見たアーサーがまた笑う。
 あまりの落差に、晶もなんだかおかしくなって、一緒になって笑った。

 アーサーが、しまった、と言って懐から懐中時計を取り出したのは、三人でひとしきり笑い合ってからだ。時刻を確認してなんとも言えない表情になり、空を仰ぐ。
「すっかり忘れていたが、晩餐会の準備を抜けてきたのだった。はやく戻って着替えないと、ヴィンセント叔父上にまた叱られてしまう」
「それは大変だ! はやく戻らないと。帰りはちゃんとエレベーターを使えよ」
「わかっている! ……賢者様、それでは失礼します。また明日」
「はい。また明日」
 たっ、と魔法舎の入り口に向かって駆け出したアーサーは、途中で一度振り返る。
「そうだカイン! 父上に言われていたのだった! 一度顔を見せるように、とのことだ。正式に話を進めるためにも顔合わせは必須らしい。それに、母上も会いたいと言っていた! また後日、場を設けるから、そのときはよろしく頼む!」
 それだけ言って、返事も聞かずに彼の姿は魔法舎の中へと消えた。
 今のを聞いてもカインはなにも思わないのか、陛下とお会いするのはいつぶりだろう、新しいブーツを下ろそうか、などと呑気なことを言っている。
 晶は不安だ。
「……アーサー、一体ご両親にほしいもののことをなんと言ったんでしょうね。知りたいような、知りたくないような。なんかちょっと怖いような、やっぱりちょっと楽しいような」
「俺は知りたいかな……って、何が怖いんだ?」
「いえ、なんでもありません」
 場合によっては、やっぱりあのカラーテープが必要になるんじゃないかと、予想より早く訪れそうな『別の機会』に、晶は胸を騒がせるのだった。

「——でしたら、カイン・ナイトレイを私にください」
 向けられた三対の瞳が、驚きに見開かれるのを気にも留めず、アーサーはなお言い募った。
「カインは誠実な男です。誰よりも高潔で、信頼の置ける男です。魔法使いであることを隠して騎士となりましたが、その実力に何一つ偽りはありません。騎士団を追放された後も、決して卑屈になることなく、与えられた役目を全うしてきました。私は彼に何度も救われた。賢者の魔法使いとして選ばれる前も、選ばれてからも。彼がいなければ今の私はいません。それくらい、私にとって重要な存在なのです。ですから」

「私はカインがほしい。私の唯一の騎士として」


アーサーお誕生日おめでとう2021(2日遅れでした…)

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