次やったら拗ねる

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 規則正しくノックを三回。どうぞ、と中から声がして、ヒースクリフは慎重に、部屋の扉を押し開けた。
「失礼します……」
「珍しい。どうかしたか?」
「いえ、あの」
 部屋の中の様子を見て言い淀む。ソファにゆったりと腰掛けたアーサーは、読みさしの本にしおりを挟んだところだった。くつろいだ姿といい、きょとんとした表情といい、ヒースクリフの思い描いていた姿とは少し様子が違ったが、ここまで来てなんでもありませんと帰るわけにはいかない。結局、あらかじめ用意していた言葉をそのまま口にする。
「喧嘩、したんですか?」
「喧嘩? 誰と誰が?」
「えーと……アーサー様と、カインが」
「まさか! 誰がそんなことを?」
 驚きを顕わにするアーサーに、正直に告げる。
「カインに聞いたんです。『アーサー様が部屋から出てこない』って。『様子を見てきてくれないか』と言われて……。朝食も、昼食の時間もいらっしゃらなかったので、俺も心配で」
「おや、もうそんな時間か? 読書に夢中になっていて気がつかなかった」
 その言葉は嘘ではないようで、棚の置き時計の針を確認して苦笑している。
 こんなことならもっと詳しく話を聞いておくべきだった。よくよく思い出してみれば、カインは喧嘩しているとは一言も言っていない。状況から、ヒースクリフが勝手に思い込んでいただけで。
 それでも、多忙故に普段は城に詰めっきりのアーサーが、せっかく魔法舎にいながら一人で部屋に引きこもっている。カインだって、自分で呼びに行けばいいものを、わざわざ人に頼むなんて、何事かがあったのには違いないのだ。
 そう、思ったのだが。
「呼びに来てくれてありがとう。まだなにか食べるものは残っているかな」
「カインがネロに、別に取り分けておくように言ってくれたみたいです」
「そうか。じゃあ、行こう」
 そう言ってあっさり立ち上がろうとするアーサーに、ヒースクリフは再び戸惑ってしまった。
「え? い、いいんですか?」
「なにが?」
「何か理由があって、お部屋に閉じこもっていらっしゃったのかと……」
「ああ、ちょっと拗ねていただけだ。もう気が済んだ」
「拗ねて……いた、んですか」
 アーサーはあっさりと笑ったが、今ひとつ腑に落ちない。拗ねる、という言葉とアーサーとが、上手く結びつかなかったせいかもしれない。
 ヒースクリフよりも一つ年下でありながら一国の王子として立派に務めを果たしているアーサー。彼が子どものように拗ねる様は、どうにもうまく想像できない。現に今も、彼はさばさばと笑っているだけである。
 そんな内心を知ってか知らずか、アーサーは肩を竦めてみせた。
「そうだよ。カインがまた私に内緒で城の仕事を受けていたみたいだから。次やったら拗ねると予告しておいたので、存分に拗ねていた。気分転換にと読書を始めたら、そちらに夢中になってしまったけれど」
「はあ……」
 話を聞いてヒースクリフは、自分に置き換えて考えてみた。シノが自分に黙ってブランシェットの領主の用事をこなしていたとしたら。
「ヒースもやってみるといい」
 突然の提案は、心の内を読まれたようでどきりとする。
 まさに今、それを思い浮かべようとしていたところだ。だが、頭の中の自分もシノも、アーサーやカインのようには動いてくれない。ちょっとしたことでもすぐに仲違いしてしまう自分たちは、アーサーの口から出る「拗ねる」の単語よりよほど子どもっぽい。
 恥ずかしいんですが、と前置きして、ヒースクリフは微苦笑で答えた。
「ちょっと難しいかもしれません。俺たちはそういうとき、すぐ喧嘩してしまうので」
 それを聞いても、アーサーは笑わなかった。手の中の本を撫でながら、独り言のように呟く。
「喧嘩か。いいな。カインとは喧嘩になったことがない」
 それから、取り繕うようにヒースクリフに向かって微笑みかける。
「拗ねることのいいところはね、相手に謝罪を求めないところだと思う。私が勝手に拗ねているだけ。カインが悪いわけではないんだ。だから謝罪はいらない。ただ、少し……」
 アーサーは一度言葉を切り、続きを探すように視線を彷徨わせた。まるで部屋のどこかに答えが落ちているとでも言うように、机や棚、ベッドの上、窓の外を順番に見つめ、最後に手元に視線を落とす。
「少し、寂しかったのかな。内緒にされて。私の知らないところで、カインが私のために働いているのは、従者としては間違いじゃないが、友人としての振る舞いではないような気がして」
 アーサーの手の中、何かの物語とおぼしき分厚い本は、はじめの数ページのところに栞が挟まっている。夢中になっていたわりに、読書はあまり捗らなかったらしい。
 ヒースクリフの視線に気付いたのか、アーサーは本をソファの上に置くと、何事もなかったかのように親しげな笑みを浮かべた。
「すまない。ただの独り言だ。気にしないでくれ」
 言外に、今までの話は聞かなかったことに、と言われている気がした。
「さあ、行こうか」
 そう言って向けられる背は、もういつものアーサーだ。
 ヒースクリフとて、こういった駆け引きに無縁ではない。腹の内に納めておくことが大事な場面もあるし、黙って従うのが賢い場面もある。それになにより、そうするのが一番楽で簡単な方法だ。そうしてくれていい、という気遣いすら透けて見えて、だからこそ、黙っていることはできなかった。
「あの、アーサー様!」
「拗ねていた」などと言いながら、アーサーの態度は頑是無い子どもの姿とはほど遠い。相手に謝罪をさせないために、自分が謝罪を受け取らないために。それは大人の判断だ。ようやく吐露した「寂しい」の言葉だって、探して探して、ようやく見つけた言い訳のように聞こえた。
 改めて彼の背負うものの大きさと重さを思う。彼の立場では、確かに仕方がないことなのかもしれない。でも、それでは、彼の見つけた言葉以上に、あまりに寂しすぎると想うから。
「もし、もしも次に、拗ねたくなるようなことがあったら。俺を呼んでくださいませんか。一人きりで部屋に籠もるのも悪くないけれど、誰かに話したらすっきりすることも、あるかもしれません」
「ヒースクリフが? 私の話を?」
 きょとん、と青い瞳がこちらを見ている。瞳の奥が迷いで微かに揺れている。
「それから、」
 社交辞令と受け取られては堪らない。ヒースクリフは咄嗟に言葉を継いだ。
 自分だって、寂しかったのだ。あんなふうな言い方は、まるで突き放されたようで。ここは王宮ではなく魔法舎で、今の彼らはグランヴェルの王子である必要も、ブランシェットの領主の息子である必要もないのに。
「あんまり俺のことを見くびらないでください。次にやったら、拗ねます」
 その意図は、過たず伝わったらしい。
 青い瞳がさらにまん丸く見開かれて、次の瞬間、
「っ——ふはっ!」
「あはは!」
 どちらからともなく、決壊する笑い声。
 それは誰がどう聞いても、ただの十八歳と十七歳の、少年たちの笑い声だった。

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