冬の賛美歌

1,749 文字

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 僕たちにとって、時の流れというのは意識に上らせるのも面倒なほど緩慢だ。とくに冬の間など、窓の外は白一色、やることといえば暖炉の前でうとうとと居眠りをすることくらいで、毎日毎日代り映えのしない日を送る。僕の国に文筆家が多いのもきっとそういう理由に違いない。限りなく短い夏を――僕の国ではなく遠い国に訪れる夏を、それどころかここではない別の世界の夏を、どんなに夢見たとしても次の日は必ず冬なのだから。
 昨日と今日、今日と明日は限りなく同一であり、反復である。いっそ一日くらい飛ばしたとしても何の問題もなさそうだ。
 実際、寝て起きてみたら曜日がひとつずれていた、なんてことも昔はあった。何で起こしてくれなかったの、とリトアニアに文句を言ったけれど、困惑と怯えと誤魔化しが合い混ざったような表情に、問い詰める手を緩めてしまった。大方、僕を無理やり起こしたら何をされるかわからない、とでも思ったのだろう。まあ、僕も気持ち良く寝ていたところを起こされていたら何をしたかわからなかったから、それは正しい判断だったかもしれないけれど。
 そう言うわけで、冬の間というのは僕らにとって夢の中にも等しき時間だ。幸福な夢ではない、つらく厳しい夢の時間だ。僕はなるべく、その季節のことを記憶に残さないようにしている。記憶に残そうとしなくても思い出は大抵冬の日だ。それならば、何でもない日のことをあえて覚えていようと努力しなくてもいいじゃないか。そう思って。
 だからその日のことが僕の記憶の中で鮮明であるというのは、その日に何かしら特別な理由があってのことなのだろうけれど、その特別が見当たらなくて、そのせいでますますそれが特別に……あ、なんだか考えるのが大変になってきた。
 とにかく、それはやっぱり冬の、窓の外には雪しか見えないような日のことだった。
 雪しか見えないといったけれど、それは地面を覆う白の話であって、その時雪はやんでいた。空はよく晴れていた。まだ夜が明けて間もない時間だ。
 僕は暖かな暖炉の前ではなく、二重になった窓の前に立っていた。二重だろうと三重だろうと、外に近い所にいるのだから冷気は容赦なく入り込んでくる。
 僕は思い切ってその窓を開けた。暖炉に薪を足していたリトアニアが、突然吹きこんだ冷気に身をすくませる。
「何やってるんですかロシアさん!」
「いいから、君も来てごらんよ」
 室内にいるのだから当然、僕らはコートの一つも纏っていない。僕はあまり気にならなかったけれど、リトアニアはカタカタと歯を鳴らして震えていた。その様にくすりと笑う。
「静かにしてよ」
「だ、だって……!」
「いいから、ほら。静かに。耳を澄まして」
 耳を欹てるようにして外の気配を窺う。厳冬の季節、獣たちすら息をひそめる季節。物音などするはずもないそこに、チリチリと、ほら、ガラスを砕くような音が。
「なに……」
「今日はよく晴れたからね」
 ダイヤモンド・ダスト、と隣でリトアニアが囁く声がした。そう、それ。
 晴れた空にきらきらとした細かな光が浮かんでいる。雪ではなくて、空気の中に潜んでいた水が氷となって瞬いているのだ。
 ロシアではよくある風景だけれど、今年見るのは初めてだと思う。リトアニアに見せたのも初めてだったっけ? 息を飲んで外を見つめるリトアニアは寒さも忘れて見入っているようで、それが少し誇らしかった。
 僕は目を閉じて、冷たい空気をすっと吸い込んだ。
 こういう天気のとき、決まって僕の頭の中で流れるのは、たぶんドイツくんかオーストリアくんあたりの作曲家が作ったコラールだ。彼らのところの言葉はよく知らないから、歌詞の意味なんてさっぱりだけれど、その旋律がどうしようもなく高貴なものを歌っている気がして、それはこの景色によく似合っている気がして、ぐるぐるとその音楽だけが頭の中を満たしていく。
 思わず鼻歌をするとリトアニアがぎょっとしたように僕を振り返った。
「なに?」
「いいえ! あの、ロシアさんが歌を歌ったところなんて初めて見たものでっ」
 ぶんぶんと頭を振ってリトアニアが言い訳のようなことを口にする。
「そうだったかな」
 無風の中できらきらとさんざめく氷の粒を再び視界に収めて、僕はもう一度目を閉じて歌を歌う。神様を讃える歌を。

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