2,090 文字

5

(学スス設定)


 静かだった校内にはざわめきが戻っている。入学式が終わったのだ。
 教室へ戻る人の波に流されながら、だが花袋はどこか釈然としない気分でいた。入学式中のことを思い出してぼんやりしていたのが悪かったのだろう、突然思い切りよく背中を叩かれて、衝撃に一歩二歩と蹈鞴を踏む。
「よっ、どうした花袋、難しい顔して」
「おわっ! ——なんだ、独歩か」
 同じクラスのはずの独歩は、入学式中どこへ行方をくらましたものだか在校生の列のどこにも姿が見えなかった。
「どこ行ってたんだよ、また先生に叱られるぞ。……なんでだか最近は俺まで叱られるんだよ、『部長の監督不行き届きだ』とかって」
 肩を組んできた男に思わずじと目になる。独歩の不良ぶりには教師陣も手を焼いているようで、手を替え品を替え更生にやっきになっているのが伺える。ただ、花袋が何か言ったくらいで彼が態度を変えるなどと、本当に思ってのことではないだろう。実際——
「取材だよ、取材! 情報は鮮度が命、新一年のなかの美男子美少女どころをいち早くチェックして全校生徒にお届けするのが新聞部の使命だろう。違うか部長」
「ただ何時間も座ってるのが辛抱できないだけだろ、お前の場合。……で、どうだ、めぼしい子は居たか!?」
「おう、独歩さんにかかればスクープの一つや二つ、お手の物ってな」
 そんな風に花袋の興味を擽る話題を的確に持ち出してこられればもう完全に独歩のペースで、二人は邪魔にならぬよう廊下の端に避けて情報交換を始めた。
「——そういや、さっきは何考え事しながら歩いてたんだ?」
 新たな美少女目録と女子学生向け美男子目録の制作が急務だと新聞部首脳会議が理解の一致を見たころには、廊下から学生の波は既に引いていた。もうすぐホームルームが始まるだろう。これ以上教師陣の心証を悪くしないためには早く教室に戻るべきだ。そう促そうとしたのを、独歩がぶり返した話題に遮られる。本人もほとんど忘れていたのに、そういうところを聞き逃さないのが敏腕国木田記者の真骨頂なのだろう。それに諾々と答える自分も自分だ。
「ほら、入学式で……って、そっか。お前はサボってて聞いてないのか、総代の挨拶」
 花袋が首をひねっていたのは、新三年に上がった学生代表の新入生歓迎の言葉についてである。
「どうもいまいち、キレがないというか……いや、別に悪いところはなかったんだぜ、しゃべり口も堂々としたもんだったし、どこに出しても恥ずかしくない挨拶だったんだけど……」
 その総代、三月の卒業式でも送辞を述べた。そのためどうしても、その時の出来と比べてしまう。「尊敬する先輩方に、この場で『友』と呼びかけるご無礼をお許しください」。そう前置きして述べられた餞の言葉を、花袋は今でも一言一句思い出せる。

 ——旅立つ友よ、先に進む友よ、……別れ往く友よ。
 君と出会い、共に学び、遊び、語らい、日々を過ごせたことは幸甚だった。またとない僥倖だった。君から受けた刺激を僕は今生忘れ得ぬだろう。君はどうか。一片でも忘れ難い思い出があればこれほど幸いなことはない。
 君との青春の日々がもう二度と帰らぬとは、今はただ信じがたい——しかし友よ、別れの時は来た。
 これから先、君の側に居られぬことは実に寂しい。君が辛苦の時、隣で励ましてやれぬことは悲しい。君が活躍の時、それを一番に喜んでやれぬことは悔しい。それでも君は前に進まねばならない。だから僕も笑って見送ろう。
 友よ、一人で進むことを恐れてはならない! 君と共に往くことは叶わねど、僕は君の輝ける未来を誰よりも信じている。君の往く先に幸あれと力の限り願っている。
 友よだから、振り返らずにいけ!

「卒業生によほど親しい先輩でもいたのかなあ、ありゃあなかなかの名文だったぜ。総代でなけりゃ新聞部にスカウトしたいくらいだ」
「アンタに褒められたら悪い気はしないな」
「おっ、独歩もそう思うか? ——って、……ん?」
 今独歩は「悪い気はしない」と言った。「悪い気はしないだろう」と、推量の形にはしなかった。些細な言い間違いかとも思うが、言葉に対する感度の高い自分たちの間のことだから、気になる。こっちを見てニヤニヤ笑っている独歩に、さらに嫌な予感がする。
「そろそろネタばらししても怒られないか。あの原稿、総代に頼まれて俺が書いたんだ」
「は、あああああ!? なんで、そんなこと——」
「小遣い稼ぎだよ。なかなか評判が良かったみたいで、いくらか上乗せしてもらった」
 ははは、と財布でも入っているのだろう尻ポケットを叩いてみせる上機嫌な独歩に、騙された気がして悔しいやら、知らなかったとはいえ本人の前でベタ褒めてしまって恥ずかしいやら。それにしても。
「お前が同学年で、つくづくよかったと思うよ……」
 あれが直接自分に送られたものでなくて、本当に良かった。
 別れの時にあんな言葉を送られてしまったなら、花袋はきっと、身も蓋もなく泣いて縋ってしまうだろうから。振り返らずにはいられないだろうから。


(第10回花独ワンドロ参加作)

関連小説

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です