北帰行

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 明け方、聞き慣れない鳥の声で目を覚ます。眠気眼を擦って雨戸を開けて見れば、朝まだきの空に真雁が一陣、北へ向かって飛んでいた。綺麗に一列、やはり雁は雁行陣で飛ぶのだな、としょうもないことを思う。
 山向こうまで飛んで行くのをなんとはなしに見送って、さてもう一眠りと、私室に引き返そうとすると誰かが廊下をやってくる足音がする。はて、刀剣男士たちの私室はこことは棟が違う。短刀の部屋だけは母屋にあるが、それにしてはいやに重い足音である。果たして角を曲がってやってきたのは鶴丸国永であった。向こうもまた、おや、と片眉を上げて見せる。
「なんだい驚いた。こんな朝早くから」
「お前こそ。厠かい」
「まあ、そんなところだ。主はどうした」
「雁がね、北へ帰っていくもんだから、見送ってたよ」
 鶴丸はふぅん、と相槌のようなものをひとつして、北の空へと目を向ける。もう見えない雁の群れを探したようだった。しばらくそうしていたかと思うと、彼はそれじゃあと云って元来た方へ戻ってゆく。
「厠は?」
「もういいんだ」
 おかしなやつだな、と思いはしたものの、眠かったからあまり深くは考えずに部屋に入って布団を被った。まだ体温が残る布団は温かく、すぐに眠った。
 夢を見た。農閑期の殺風景な田圃の只中に一人立つ夢である。空の上では星がぐるぐると軌跡を残して巡っている。目が回りそうだったので、渦の中心の動かない星だけを見ていた。やがて東の空が明るくなり、生ぬるい風が吹く。飛び立たなければならない、と強く感じるままに、伸ばした腕にはいつの間にか翼が生えていた。都合がよかった。翼があれば飛べる。二三度はためかすと、落ち穂が風に煽られ飛び散った。助走をつける。日が登る前に行かねばならない。一歩、踏み出す。
「主」
 急に呼ばれて振り返ると、そこにいるのはなんと自分の姿である。なんだ、主はお前じゃないか。はて、それじゃあ、俺は。
「主。起きて」
 はっと目を覚ますと、障子を薄く開けて、燭台切光忠が申し訳無さそうな顔でこちらを覗き込んでいた。伊達男が珍しく、髪も服も整えていない。
「ごめんね主、起こしちゃって。鶴丸さん、こっちに来てないかと思って」
 光忠の背中越しに見える空の色からすると、あれからさほど時間は経っていないようだった。朝は、まだ来ていない。
「鶴丸なら、さっき――」
 いいかけて、布団の中に自分とは異なる熱源があることに気がつく。半眼になって布団をのけると、いつの間に潜り込んだのやら、足元で鶴丸が丸くなって眠っていた。身内の粗相に厳しい光忠が何か云うかと思ったが、彼は裏腹に、ああよかったと胸を撫で下ろす。
「昨晩は大倶利伽羅が夜戦で、僕も遅くまで厨の片付けをしていたものだから、鶴丸さんが起きたのに気が付かなくてね。この時期はちゃんと見張っとかないといけないのに」
「なにが?」
「なにって、今は渡りの季節だろう?」
 目を凝らすと、鶴丸の周りにだけ白い羽根が落ちているのに気がついた。お伽話と同じく、人に本当の姿を見られてはいけないらしい。あの時雁の声だと思ったものは、もしや、違う鳥の声だったのだろうか。

 その一度を除けば、光忠と大倶利伽羅がうまいことやっているのか、鶴丸が突然いなくなるようなこともなければ、夜明けに聞き慣れぬ鳥の声がすることもなかった。それでもたまに思い出すのは、北の空をじっと見つめていたあの皓い横顔である。そうか、お前は北へ帰りたかったのか。

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