雪乞鳥という鳥がいる。
春から秋にかけてを北の国で過ごし、厳冬期を中央の国で越える、冬鳥。白銀の羽に青い目、成体は両翼の幅が大人の両腕を広げた大きさほどにもなる。
この鳥はめずらしく、ふつうの冬鳥とは逆に越冬地にて繁殖をする。北の国での生息地である月の湖周辺は夏でも気温が上がらないため、中央の国のほうが繁殖に適しているからだと言われているが、詳細は定かではない。
抱卵期間は約一月。北から飛来した鳥が営巣し、雛が孵る頃にちょうど初雪を迎える中央の国では、雛が親を呼ぶ鳴き声が雪を呼ぶという巷説から、雪乞鳥、または雪恋鳥と呼ばれる。
秋の終わりに、十三歳のアーサー・グランヴェルが九年ぶりの帰城を果たしてから、一月。城内は以前と変わらず平穏を保っているように見えたが、それが上辺にしか過ぎないことを、中央騎士団長カインはその日の早朝、思い知ることになった。
「私が見つけたときには、もうこんな状態で……」
扉を開けてすぐ、そんな声が聞こえてきた。まだ日が登って間もないというのに、城内の騎士団詰め所にはすでに数人の騎士たちが〈それ〉を取り囲んで顔をつきあわせていた。入ってきたのが騎士団長だと分かると人の輪の一角が崩れて開く。挨拶もそこそこに、カインは開いたところから輪の中心に分け入った。
「これは」
輪の中心は一人の若い騎士だった。彼の手のひらの上に、もがくように震える小さな生き物がいる。銀の小鳥。雪乞鳥の雛だ。その片翼はひしゃげ、おかしな方向に曲がっていた。明らかに、人の足で踏みにじられたのだと分かる痕。
ひどい、なぜ、一体誰が、という悲嘆の声があちこちから上がるなか、カインは何も言わずその小鳥を取り上げ、そっと石床の上に下ろした。
剣帯から剣を抜く。垂直に引き上げ、そして。
騎士たちはすっかり無言になって、若き騎士団長の一挙手一投足に注目した。そんな視線を物ともせず、剣をしまい、片膝をつき再び小鳥を持ち上げたカインは、事務机にハンカチを広げ、その上に骸を置いた。孵ったばかりの雛からしたたる血は微量で、白いハンカチの上をわずかに汚す。最後にくちばしの先から頭の上までを人差し指でなぞり、開いたままだった目を閉じさせると、カインはようやく騎士たちに向き直った。
「詳細は? 誰か知ってるか」
その口ぶりがまったく彼らの知る普段の騎士団長のままだったので、騎士たちは知らず詰めていた息をほっと吐いた。それから、示し合わせたように視線を一点に集める。注目を浴びた一人は輪の中心から外れた壁際に背を預けて立っていた。視線を追って、カインもまた振り向く。そこにいたのはカインの二人いる副官のうちの一人である、ゲオルグだ。カインより二回り近く年上で、前騎士団長ニコラスの時代から副官を務めている彼は、集まった視線に煩わしそうにため息を一つ吐き、壁から離れて背を正した。
「発見者は第三隊の准騎士ダニエル。同じく第三隊の准騎士ポールとペアでの巡回中に、何かが落ちているのを見つけた。時刻は……だいたい今から三十分前か? 昼番との交代前の最後の見回りだ。日の出の時刻は迎えていたから辺りは明るかったはずだ。だから気がついた、そうだな?」
「はい……」
輪の中心にいた、くせっ毛の気の優しそうな青年が首肯する。彼がダニエル。その斜め後ろでうつむいているのがポールだ。二人ともカインとそう年の変わらない、従騎士上がりの若い騎士。確か秋の叙勲で従騎士から昇格したばかりだった。ついでカインは、昨日の城内警備の夜番が第三隊であることも思いだした。同時に、警備計画上の配置と、時間帯毎の巡回ルートも。
いやな予感がして、カインはダニエルに向き直る。
「それで、一体どこでこれを?」
「王子殿下の居室の、窓の下だそうだ」
ざわり、とどよめきが広がった。詰め所内は夜番を終えた騎士と、これから朝番に入る騎士とで、徐々に密度を増している。積極的に話を聞く者、朝から騎士団長とその副官が顔を揃えていることに首を傾げる者、自分の準備を進めながらも聞き耳を立てる者と様々ではあったが、この銀の小鳥をただの鳥の一羽と受け止めているものは、きっと誰一人としていなかっただろう。なにせ、銀と青の色彩を持つ鳥である。何かを、誰かを、想像するのは容易い。
ただ、客観的な事実としては今はまだ、一羽の小鳥が城の周りで死んでいたという、ただそれだけに過ぎない。
「このことは王子殿下の耳には……?」
誰かが口にした疑問に、カインかよく通る声で答える。
「いや。いたずらにお気を煩わせるだけだ。しばらくは話を騎士団内にとどめておく。わかったな」
一斉に返る了承の声を背に、カインは詰め所を後にした。続いて退出したゲオルグがカインの横に並ぶ。このまま執務室へ向かうのだと思ったのだろう。昇ったばかりの朝日が差し込む回廊の途中で、道を外れていくカインを、その場に立ち尽くして呼び止める。
「おい。執務室へ行くんじゃないのか」
「ああ。……でも、その前に」
カインはハンカチごと手のひらの内側に隠したそれを、大事そうに持ち上げてみせた。
「こいつを葬ってやらないとな」
また後で、と手を上げるカインには、日陰に立つ副官の表情はよく見えなかった。朝の日差しが、二人の間に濃い影を落としていた。
◇
現在のグランヴェル城内におけるアーサー王子の立場は、微妙、の一言に尽きる。
国王陛下が病床に伏している今、直系王族の帰還を素直に喜ぶ者もあれば、王弟ヴィンセントを筆頭に地盤を固めてきた貴族たちには目障りな存在と映るだろう。そして何より、彼が魔法使いであるということ。これを素直に喜べる者は、今の中央の国にはほとんどいない。
そんな中、騎士団がいち早く王子側に付いたことは、アーサー王子にとって僥倖だった。騎士団というのは戦闘集団であると同時に、一種の名誉職でもある。騎士の中には貴族の子弟も多いし、正式に正騎士として叙勲されればわずかではあるが領地も得る。彼らを無視して王子を排除することは、仮に王弟の立場であっても難しいことだろう。——その友好の理由が、王子の「格好いいな」の一言であったとしても。
そんな事情は露知らず、騎士団長カインは親しい友の部屋を訪れるような気軽さで、今日も王子の部屋の戸を叩く。アーサーが帰城して以来、二日と空けず続いている習慣だった。もちろん、騎士団長として警護や任務の打ち合わせとして訪れることもある。だが半分は、ご機嫌伺いという名の雑談のためだ。
実際、カインはアーサーのことを友人のように思っていた。己が守るべき人であることは当然理解しているが、それは主君と騎士としてというよりは、年下の友——もっと言えば、弟を守る兄のような気持ちに似ていた。初めて会ったあの日から。
政治の難しい話は、カインにはよくわからない。だが城内に蔓延するどこか不穏な空気は肌に感じていたし、五つ年下の彼が、年に見合わぬ表情をする瞬間を、この一月の間何度も見てきた。生来の世話焼きな性分が、彼を放っておけない気にさせる。
加えて、あんなことが起きてしまえば。
今朝見た光景を思い出しかけて、カインは傍から分からぬ位わずかに、口元を引き締めた。アーサーをあんな目にあわせはしないと、密やかに決意を新たにする。
それにしても。
「アーサー様。俺です。カインです」
先ほどから何度もノックをしているのだが、一向に扉が開かないのだ。時刻は夕刻。執務は終わって、夕食にはまだ早い。警備の都合上カインが把握しているスケジュールでいっても、今は自室で休んでいる頃合いだ。そんな時カインが部屋を訪れると、決まって手ずからドアを開けてカインを中に招き入れてくれるのだが。
「……アーサー様。……アーサー?」
ドアを打つスピードが速くなる。声は荒げない。まだ何があったと決まったわけではない。小声で何度も呼びかける。それでも返事がない。
「アーサー、入るからな」
そう宣言して、カインは素早く扉を押し開けた。
煌々と灯りの点る部屋。ソファーの上にも、机のそばにも、アーサーの姿はない。まさかもう寝室に? 具合でも悪いのなら一大事だ。寝室へとつながる扉に向けられる目が、途中、揺れるカーテンに引き寄せられる。
「窓が……開いてる?」
たしかに、妙に薄ら寒いと思っていた。暖炉に火が入っていないせいかと思ったが、それだけではない。窓が開いて、そこから外気が入り込んでいるのだ。
今度こそ、カインの脳裏に今朝の小鳥の姿が鮮明によみがえった。
——踏みにじられた翼。かすかにもがく首。鳴き声を上げる力もない。
「アーサー!」
一目散に窓際へと駆け寄る。申し訳程度に付いている低い柵から身を乗り出すようにして下をのぞき込んだ。最上階に位置する部屋から見下ろす地上は、夕闇に紛れてよく見えない。だがそこはまさに、今朝小鳥が堕ちていた場所のはずだ。
「アーサー!!」
カインはさらに窓から身を乗り出した。こうしていないで、早く下へ降りるべきかもしれない。人も呼ばなければ。それに、もっと灯りがほしい。……やらなければいけないことは次々思いつく。実現するための最短で最良の方法も分かっている。浅くなる呼吸を、意識して落ち着かせる。それを行うために、カインが口を開こうとした、そのときだった。
「カイン! ここだ!」
アーサーの声がした。
「上だよ、カイン!」
下ばかりのぞき込んでいたカインは、その声に急に頭を上げようとして、バランスを崩した。身を乗り出しすぎていたために、重心が窓の外にあったせいだ。落ちる! そう思うのとほぼ同時。
「《パルノクタン・ニクスジオ》!」
不思議な響きの言葉が聞こえた。次の瞬間、落ちかけていたカインの体は重力に反してふわり、と浮き上がる。どこに手をかけて落下を防ごうかと、すでにその算段をしていたカインは、手を伸ばせば触れる位置にあるはずの柵が自分から遠ざかっていくことに、かえって混乱した。
「わわっ、わっ!?」
そのまま、窓から王子の部屋に戻されるかと思いきや、体はどんどん上へと向かう。まるで風船にでもなった気分だ。とうとう王城の屋根の高さまで上昇した後、カインがしっかりと両足を屋根につけたのを見計らって、不思議の力は泡がはじけるようにぱちんと消えた。体に重力の戻ってきたのを確かめて、カインは大きなため息を一つ吐くと、恨めしそうに目の前の主を見上げる。
「アーサー様……」
「はは。ごめん、カイン。大丈夫だったか?」
魔道具の本をぱたんと閉じて手元から消したアーサー王子は、いたずらな笑みを浮かべてその手をカインに差し出した。カインは手袋を脱いでその手を取る。なだらかな傾斜のある屋根の上を、手を引かれて一番上まで登る。
「心配したんですよ」
「ああ、とてもうれしい。ありがとう」
「……どういたしまして」
アーサーに悪気があったわけではない。ただ、朝のことがあったせいで、余計な気を回してしまったカインが無駄に肝を冷やしただけだ。今までも、アーサーが部屋を抜け出したことがなかったわけではない。むしろ、部屋に一人きりで手持ち無沙汰にしている彼をカイン自ら外へ誘ったことすらあった。脱走を教えた張本人がそれを咎めるわけにもいかず、カインは口から出かけた文句を飲み込む。代わりに、別の小言が飛び出した。
「一体、何をしてたんです? こんなに手が冷たくなるまで」
アーサーの手は氷のように冷たかった。一体いつからここにいたのだろう。軍服のマントを着せかけようとして、本人に止められる。
「大丈夫。私は寒さには強いんだ」
カインの手から軽やかに抜け出したアーサーは、到着した屋根の一番高い場所で、ステップを踏むようにくるりと辺りを見回した。
「それよりも……ああ、ほら。今夜は星がよく見える」
「星……。星を見てたのか?」
「ああ、そんなところだ」
言われて見上げた空は、まだ夕日の名残が残っていた。薄青から群青、濃紺、深藍。グラデーションを描く空の所々で、静かに星が瞬き始めている。今夜は空に月がない。普段は〈大いなる厄災〉の影に隠れて存在感を消している星々が、たしかにいつもよりも多く見える気がする。ただ、カインにはその星々の名前や謂れに関する知識が一切ない。
「俺は星のことはさっぱりですよ。アーサーは詳しいのか?」
彼が野生の動植物に詳しいのは、折に触れて見知っている。だから星についても知識が深いのだろうかと水を向けてみると、アーサーはごまかすように頬を掻いた。
「実はそれほどよく知らないんだ。でも、少しなら知っている。例えば」
す、と細い指が空の一点を指した。
「あれは極の星と呼ばれる。見えるかな、あの山の峰を上に伸ばしたところにある」
もはや夕闇に沈んだ黒い影にしか見えない山の峰を、彼の指を頼りに辿る。すると、針の先で刺したような小さな星に行き当たった。
「ぽつんと一つあるやつか?」
「そう、それだ。北の一つ星とも言われるな。……星が一晩かけて空を一周するのは知っているか?」
「さすがに知ってる。〈大いなる厄災〉と同じように、だよな?」
「ああ。だけど、空にあるすべての星が、というわけではない。あの星だけは、動かないんだ」
「へえ……なんでだ?」
カインにしたら素朴な疑問だったが、聞かれたアーサーはぷくりとむくれて見せた。
「それほどよく知らないとはじめに言っただろう」
その様子に苦笑して、カインはことさら丁寧に頭を下げる。
「大変失礼しました。……でも、動かない星っていうのは便利だよな。道に迷ったときや方角が分からなくなったときに頼りになる」
「そうなんだ。あの星はいつでも真北にあるから、あの星を目指せばまっすぐ北へ進むことができる。渡り鳥たちも、あの星を目安にして北へと帰るらしい」
そう言って空を見つめるアーサーの横顔を見て、カインはすべて分かってしまったような気がした。
それは彼が時折見せる表情だった。広間のバルコニーや部屋の窓から外を眺める時の顔。寂しそうで切なそうな、十三歳の子供がするには似つかわしくない顔。今日だって、星を見るために屋根の上に登っていた、なんていうのは嘘っぱちだ。いくら〈厄災〉が空にないからといって、暗くなる前から見える星なんてない。あんなに手が冷たくなるほど前から眺めていたのは、だからきっと、星ではない。その先にある大地だ。
彼は北へ、帰りたいのだ。
◇
五日が経った。
夜半、カインは騎士団長に与えられた執務室にいた。城のほとんどの部屋は灯りが消えて、人気がない。この部屋もデスクランプと壁の燭台を一つ残して、他は消えている。机上には何枚かの書類が広がっていたが、カインの思考はすでに紙の上を離れ、全く別のところへ飛んでいた。
五日の間に、銀の小鳥は三羽見つかっていた。いずれも王子の居室のある棟のそばで、見つかったときにはすでに息絶えていた。夜の歩哨の騎士団員が見つけてくるたび、カインはその死骸を城の敷地の隅に丁寧に埋葬した。
物思いに耽っていたカインは、カタリ、と物音を聞いた気がして、はっと顔を上げる。執務室の扉の向こうに誰かの気配がする。誰何するよりもはやく、戸が三度鳴らされた。
「どうぞ。入って。……誰だ?」
「俺だ」
現れたのは、副官のゲオルグだった。入室した彼は扉を閉めたが、カインに近づくことはせず、入り口のすぐ脇の壁に腕を組んで凭れる。燭台の火が揺れて、長い影が揺らめいた。
「こんな時間まで、どうした。残業なんて性分じゃないだろう」
「……少し、考え事を」
ふ、と鼻で笑われる気配がした。カインは気にせず、問い返す。
「あんたこそ、こんな時間に何か用でも?」
「ああ。進言をしにな。わかってるだろう」
「例の小鳥の件か」
「もう五日だ。いい加減、騎士団内部に話をとどめておくべきではない。王子の身に何かあってからでは遅い。王宮に報告を上げるべきだ。犯人はまだ見つからないのだろう?」
その話は数日前にもされたところだ。内密にすべきではない。ヴィンセント様に報告しろ。何かが起こってからでは、責任問題になる。
ゲオルグの言葉は正論だった。だがそうしなかったのにはわけがある。はじめはちょっとした違和感、いわば勘のようなものだったのが、事件の核心に近づくにつれて次第に輪郭が明らかになっていく。その正体に触れる、あと一歩のところまで来ている気がするのに、どうしてもそれが掴めない。まるで風に揺れる火影のように、掴もうとしても逃げてゆく。
カインは、ゲオルグの影の先を辿って、闇に紛れた彼の姿を視界に入れた。そして、告げる。
「実は、犯人の目星はついてるんだ」
「ほう、そうか。一体誰の入れ知恵だ?」
「俺が自分で考えたんだ」
一度驚きに見開いた目をしかめて、彼は少しだけ口調をくだけたものにした。
「……それは不安だ。聞いてやるから、はじめから話してみろ」
その言葉に背を押され、カインは中空に視線をやって、記憶を辿るように話し出した。
「二羽目、三羽目の小鳥が見つかったとき、あれっと思ったんだ。二羽とも死んだ状態で見つかっただろ。それから四羽目が見つかって、そいつを埋めてやりながらもう一度よく考えた。どうして一羽目の小鳥は、見つかったときまだ生きてたんだろうって。もしかして、一羽目も死んでいるはずじゃなかったのかって。……それで、もう一度ダニエルに話を聞きに行った」
そこで一度言葉を区切る。ゲオルグは無言のまま、促すように顎を持ち上げた。
「そうしたら、初日に聞いたのとは少し違うことを話してくれた。一番最初に見つかった鳥は、本当は、ポールが先に見つけたんだそうだ。ダニエルは気がつかないで通り過ぎた。何もないように見えた、って。でも、後ろでポールが立ち止まっているから振り返ってみたら、彼の足下になにか落ちている。ポールはすごく驚いているみたいで、ダニエルが声をかけても反応しない。だからダニエルが小鳥を拾って、詰め所に届けた」
カインは両腕を組み直して続けた。
「なんでポールはそんなに驚いていたんだろう。それはきっと、小鳥が生きていたからじゃないか? 本当は死んでいるはずだったんだよ。ちゃんと殺したと思ってたんだ。作戦としては、見回りの途中、ポケットかどこかに隠しておいた死んだ小鳥をそっと落として、それですぐにダニエルに追いつくつもりだった。でも、生きているのに気付いてしまったから、慌てて踏んで殺そうとした。でも、殺し切る前にダニエルが気付いてしまった。本当は、あそこでダニエルが気付くはずじゃなかったんだ。朝番と交代した後、次の見回りの騎士が気付く予定だったんじゃないか? 現に二羽目以降は、ポールたちの次に見回り入った隊が小鳥を見つけている」
それからカインは机の上に広がった書類から、一枚を選んで一番上に置き直した。入団時に提出される、経歴書だ。もっとも、書類を調べるまでもなく、カインは彼の経歴を以前本人の口から聞いたことがあった。歓迎会の時だったと思う。
「ポールは東の国との境にある調和の街の生まれだ。森が近くて子供の頃から木登りが得意。鳥の巣を見つけるのもきっとお手の物だろう。このあたりに飛来した雪乞鳥の群は、城の裏手の林に巣を作るらしいしな」
話が一段落ついたと感じたのか、ゲオルグは組んでいた腕をほどきゆっくりと両手を打った。
「すばらしいな。カイン、まさかあなたに探偵の才能があるとは思わなかった。認識を改めないといけないな。でも、それならすぐにでもポールを呼んで、彼に話を聞くべきじゃないか? そうしなければ、彼は今夜にでもまた雛を捕ってきて殺してしまうぞ」
褒められたはずが、カインはさっぱり喜べなかった。それどころか、ますます疑問が湧き上がる。明かりに目を凝らすほど、暗闇が一段と濃さを増すように。
「ああ、その通りだ。……でも、俺にはまだわからないんだ。なんでこんなことをしたのか」
「だからそれを本人に聞くんだ」
「ポールに聞いたら、きっと話してくれるんだと思う。でも俺は、……あなたから聞きたいんだ。ゲオルグ」
「……なぜ」
カインはいつしか立ち上がっていた。斜に構えるゲオルグの視界にしっかりと入るように。
「最初から、あなたらしくないと思っていた。どうしてあのときあなたが説明したんだ? 普段のあなたなら、状況説明など肩代わりしてやらない。あなたは無駄なことが嫌いだ。本人がそこにいるなら、本人に説明させるし、答えさせるだろう。俺がダニエルに質問したとき、あなたが答えたのも引っかかった。まるでダニエルに答えさせたくないと言わんばかりに。それがそもそもの違和感だったんだ。それにあなたも、調和の街の出身ですね。あなたの兄上は、あの街の領主だったはずだ。その権力を借りれば、ポールを脅して言うことを聞かせることくらい簡単にできる」
「馬鹿馬鹿しい。たったそれだけの根拠で、私が裏で糸を引いていたと言いたいのか? 名誉毀損も甚だしいぞ。ふん、前言撤回だな。やっぱりお前に探偵は無理だ」
「教えてくれ、ゲオルグ。ずっと言っているように、俺はこの話を騎士団の外に漏らす気はないんだ。実害も出てない。……小鳥にはかわいそうなことをしたが。ポールのことだって、処分するつもりはない。あなたが話してくれさえすれば。なあ、なんであんなことをしたんだ。アーサー様に、一体なんの恨みがあって——」
「そんなものはない!!」
突然の怒声だった。
机を回り込んでゲオルグに詰め寄ろうとしていたカインの足が止まる。驚きをもって見つめてくるカインの視線を遮るように、俯き、片手で顔を覆ったゲオルグは、次第に肩をふるわせ始めた。——笑っているのだ。
「く、くく……は、はっ! お前は本当に何一つ分かっていない。考えているようで、なにも考えていない! アーサー殿下に恨み? そんなものあるはずがない! あるとしたらそれは、騎士カイン、お前にだ!」
ずらされた手の下から現れた鋭い眼光が、カインを貫いた。
「私もはじめからずっと言っていた。早く王宮に報告するべきだ、と。内々で済まされたら意味がない。表沙汰になればよかったのだ。騎士団が一枚岩でないことが王宮中に知れ渡ればよかった。そうすれば、《騎士団は王子派である》なんて間違った認識が正される。お前のままごとのような騎士道に、団全体が振り回されることはなくなる!」
「ぐ、っ」
足を止めたカインに自ら詰め寄ったゲオルグに、胸ぐらを掴まれる。間近に迫る瞳はランプを反射して、瞳孔には炎が浮かんでいた。
「年々権力も規模も小さくなっていく騎士団に、史上最年少といえば聞こえはいいが、剣の腕以外は無能で考えなしの騎士団長。ただでさえうんざりなのに、今度は魔法使いに仕えろだって? 冗談じゃない」
吐き捨てるようにゲオルグは続ける。
「確かにポールには協力を持ちかけた。半ば強制的に。ことが明るみに出れば犯人として捕まってもらう予定だった。その時には盛大に魔法使いへの暴言を吐いてもらうつもりだったよ。でもそれは作り話じゃあない。彼は子供の頃に、目の前で両親を魔法使いに殺されている。恨み辛みは掃いて捨てるほどあるだろう。騎士カイン、お前は少しでも考えたことがあるのか? 人間が魔法使いに仕えるということの意味を。魔法使いを人間が守ることの不自然さを。それは人知の及ばない力の前で剣を振り回す悲劇だ。指先一つで命を吹き飛ばされる絶望だ。肉壁となるしかない無力だ! お前は団員たちを、そんな馬鹿げた戦いに駆り出すつもりか!?」
「ゲオルグ、あんた、団を、心配して——」
襟を掴まれてうまく息が吸えない。そんな中なんとか絞り出した言葉でさえ、一笑に付されてしまう。
「つくづく話の通じないやつだ。心配? 俺はそんな無駄なことはしない。彼が帰ってきてしまった以上、それは義務だ。騎士団には王族を守る義務がある」
彼は疲れ切ってどうしようもないというかのようなため息を、細く深く吐き出した。
「……アーサー王子に恨みはない。恨みはないが、叶うならば、——彼は帰ってくるべきではなかった。そうすれば我々は、今まで通り陛下と王妃殿下、王弟殿下をお守りしているだけで良かったのだ」
徐々に弱くなる語気とともに、掴む手の力も弱まっていく。ようやく締め付けから解放されたが、カインはすぐに喋り出すこともできない。膝に手をついて呼吸を整えるので精一杯だった。その様子を、ゲオルグは冷ややかに見下ろした。
「言うべきことは言った。お前が人の話を聞かないことはよく知っている。今更この件をどう処理しようと構わん。もはや興味もない」
言い捨てて、きびすを返す。迷いのない足取り。
執務室から出て行く直前、彼は思い出したように一度だけ振り返った。そして、今までの激高と嘲笑と失望とがまるですべてなかったかのように、真面目で堅物で、どうしようもなく頼れる副官の顔をして、こう言った。
「よく見極めることだ。騎士カイン。銀の小鳥は、真にお前の主たる者か? 間違えればお前は、その手で主を弔うことになるだろう。銀の小鳥にそうしたように」
それが、カインが騎士ゲオルグを見た最後だった。
翌朝、時間になっても出仕しない彼の自室を訪れると、綺麗に片付けられた部屋に、「陛下にお返しする」との書き置きとともに、剣と軍服が残されていた。調和の街の領主に連絡を取ってみても、彼は故郷に戻ってはいないらしい。彼の行方は今も杳として知れない。
時期を同じくして、准騎士の中から数人の離反者が出た。主に貴族の子弟ばかりだったが、その中には平民の出であるはずのポールの名前もあった。
◇
それからさらに数日後。
カインは再びアーサーの私室を訪れていた。午前のうちに家庭教師の授業を済ませ、出された課題も早速片付けてしまったので今日はもう予定がないというアーサーは、向かいのソファに座って午後のお茶をカインに勧めた。ティーポットは予め用意されていたものだが、アーサー手ずから注いでくれる。恐縮しつつ、淹れ立てのそれを口に運んだ。ほっとため息が出てしまう。見計らったように、アーサーが尋ねてきた。
「問題は解決したか?」
「はい。……え?」
宮廷料理人の作ったお茶菓子に目を奪われているうちに、うっかり返事してしまってから慌てて聞きなおす。アーサーはすまし顔でカップに口をつけ、ふと顔を綻ばせる。
「ならよかった。私は何もしてやれなかったが」
「どうして分かったんです?」
「ここ最近、笑っていてもずっと口元がこわばっていた。らしくない」
「そんなにわかりやすかったかな」
「いや、たぶん私しか気付いてないだろう」
「それは、」
光栄と答えるべきか、恐縮と答えるべきか。迷った末に、カインは視線を窓の外へと外した。
窓の外は灰色だった。今日は午前中は良く晴れていたが、午後から雲が多くなった。日が遮られたせいで、気温もどんどん下がっているような気がする。
「……暖炉に火を入れようか?」
まるでカインの思考を読んだかのようなタイミングで尋ねられる。答える前に、アーサーはもう立ち上がって暖炉へと向かっている。
「それくらい俺が。いや、むしろ、入れなくてもいい。あんたはまだ寒くないんじゃないか?」
北育ちのアーサーは、常日頃本人が言うように寒さに強い。カインはまだこの部屋の暖炉が焚かれているところを見たことがなかった。たしかにカインにしてみれば、この部屋は薄ら寒い。それでも主に気を遣われるのは、なんだか違う気がした。
「いいんだ。入れよう。それに、魔法で点ければすぐだ」
止める間もなく、アーサーの口から、あの不思議な響きの呪文が紡がれる。彼の言ったとおり、炎はすぐに点き、ちょうどいい大きさで燃え始めた。
「ありがとう。悪いな、気を遣わせてしまって」
「そんなことはない。私が頑固だっただけだ」
「?」
言葉の意味を捉えかねて、カインが聞き返そうとした、そのとき。窓の方からカタン、と音がして、二人は会話を忘れて振り返った。先日、カインが落ちかけた窓。その外側に申し訳程度に備え付けられた低い柵。そこに今、一羽の鳥がとまったらしかった。空の灰色に紛れてしまいそうな、白銀の羽。つぶらな青い瞳。成鳥なのだろう、間近で見ると意外と大きい。翼を広げれば大人の両腕ぐらいはあるはずだ。カインが何羽も埋めた雛たちとは随分大きさが違うが、あれは確かに——
「雪乞鳥ですね」
「望郷鳥か」
「「え?」」
同時に別々の言葉を口にして、また同時に疑問符を浮かべる。あまりに息ぴったりのタイミングに、吹き出したのも同時で。顔を見合わせた後、ひとしきり笑い転げてから、カインは丁寧に聞き返した。
「望郷鳥、というのは?」
「北の国ではそう呼ぶんだ。中央の国では、雪乞鳥というんだったな。なんとなく思い出したよ」
「ああ。雛が生まれて親に餌をねだる時期がちょうど初雪の時期にかぶるから、そう呼ばれてるんだ。そうか、渡り鳥だと国ごとに違う名前で呼ばれるんだな」
「すべてがすべてそうではないだろうが……。望郷鳥には、おもしろい特徴があるんだ。木にとまるときに、必ず南を向いてとまる。中央では違うのかな? 北の国の少ない日差しを効率的に浴びるためだと言われているんだが、本当のところはよくわからない。でも、それがまるで自分たちの生まれた方角を見つめているみたいだろう。望郷鳥は中央の国で繁殖するから。それで、故郷を望む鳥。望郷鳥と名が付いた」
「へえ……」
故郷を望む鳥。その言葉を、カインは噛みしめるように繰り返す。窓辺で翼を休める鳥の姿に、いつかのアーサーの横顔が重なった。寂しげな横顔。あれは、故郷を想う顔だった。
——彼は帰ってくるべきではなかった。
副官の声が、脳裏に甦る。飛べずに堕ちた雛たちの姿も。踏みにじられた翼、冷たく固まった骸、声も上げられずに散った小さな命。何もかもが、まだカインの記憶に鮮明だった。守りたいと思っても、守る前に消えてゆく。弱きもの。はかなきもの。
「アーサー」
「ん?」
呼ばれて、銀の髪に青い瞳をした少年は、無邪気に振り返る。
「あなたも故郷に帰りたいか?」
「なんだ急に。そんなこと」
戸惑いを空笑いでごまかそうとする幼い主の前で、カインは懇願するかのように膝をつき、その手を握った。
「ちゃんと答えてほしい。アーサー。もしあなたが帰りたいなら、どんな手を使っても、俺があなたを帰してやる。だから、」
最後まで言い切る前に、カインの言葉は遮られる。アーサーは、カインの手を握ったまま、自分もすとんと両膝をついた。
「カイン。悪かった」
「……どうして謝るんだ」
「私は、お前を不安にさせていたんだな」
暖炉の炎の暖かな赤が、アーサーの青い瞳に映り込む。アーサーもまた、赤毛の騎士の蜂蜜色の瞳に映る炎を見つめていた。
ぱちぱちと炎の爆ぜる音が、短い沈黙を繋ぐ。
「お前にちゃんと宣言しよう。カイン、私は中央の国の王子だ。確かにまだ、北での暮らしを恋しく思うこともある。だが、私が私である限り、己の責務を放棄したりはしない」
カインはアーサーの目を見つめたまま、小さく首を振った。
「あなたは帰りたがっていた。自分に嘘を吐くことはない」
「そうだよ、カイン。自分には嘘を吐くことができない。たとえ一時の感情に流されて北の国へ帰ったとして、私は自分が中央の国の王子であることを忘れないだろう。他の誰が忘れても、他の誰に偽ろうと、私は私のことを偽れない。本当の自分を偽ることはできない」
アーサーはもう一度カインの両手を握り直す。
「カイン。だから、どうか安心して、私の騎士であってくれ」
そして、微笑んだ。
「私は決してあなたの忠誠を裏切らない」
カインは立ち上がろうとするアーサーを引き留めて、その手を額に押し抱き、深く深く頭を垂れた。内心では、自分の不明を恥じた。自分を偽って生きているカインには、よほど堪える言葉でもあった。
彼は生まれたばかりの雛ではなかった。巣立ちの日を待つ幼鳥でもなかった。庇護されるだけのか弱い生き物ではない。一人で空だって飛べる。その姿を地上から見上げることしかできない自分を、悔しく思うくらいに。
彼は、帰ってきたのだ。遠い北の国から。厳しい冬を越えて。自らの翼で。生まれた国へ。
この人と一緒に飛びたい。
それは今までの人生の中で、初めて生まれた感情だった。
騎士に憧れて、剣技を磨き、若くして騎士団長にまで昇り詰めた。この腕を持って国民を助け、王族をお守りすることに、なんの疑問もなかった。けれど、「助けたい」でも「守りたい」ではなく「共にいきたい」と思ったのは、これが初めてだったのだ。
その感情を表す言葉を、カインは一つしか知らなかった。
「アーサー殿下。あなたに心からの忠誠を」
「……はは、なんだかちょっと、恥ずかしいな」
ごまかすように首を巡らせたアーサーが、最初にそれに気付いた。
「あ、カイン。ほら」
今度こそ手を引かれるまま共に立ち上がったカインも、窓辺へと誘われれば、自然とそれが目に入った。
白銀の鳥が一羽大きな翼を広げ、今まさに空へと飛び立つ。
舞い散る雪の中を。
「初雪だ」


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