1.
ロンドン、ヒースロー空港発三〇一便は定刻より十五分遅れでニューヨーク、JFK空港に到着した。
時は一九八九年、年末も押し迫った十二月中旬のことだった。空港内はあちらこちらに柊やリボン、ベルやトナカイの飾り付けがなされて、スピーカーからはクリスマスソングが鳴り響く。ショッピングモールは出張の合間に子どもへのプレゼントを求めるビジネスマンやOL、それに早くもクリスマス休暇を取った子ども連れの家族で賑わいを見せていた。
帰国するのかバカンスなのか、仲睦ましげに寄り添った老夫婦がウィンドウディスプレイを指さして何事かを囁き合っているその後ろを、ビジネススーツを纏いコートを腕にかけた二人の男が足早に通り過ぎた。
一人はいまどき珍しいスリーピーススーツに、バーバリーチェックのマフラーを首に巻いた、童顔の男。もう一人は体格に見合った大柄なジャケットをやや崩して着こなしている、これもまだ若そうな男である。
「世間はクリスマスか」
「会議、会議で嫌になるね」
「忙しくて結構なことだ。国が暇だと碌な事がないぞ」
彼らがイギリスとアメリカ――国そのものであることに、一体誰が気づくだろうか。傍目には駆け出しの外資系企業の社員か、観光ビジネスの営業マンにしか見えない。
まあ、国だからといって何か特別な扱いがあるかというと、そういうわけでもない。パスポートにはそれらしい年齢と取得日が記入してあって入国審査には何の影響も及ぼさないし、また移動のために特別なチャーター便を用意してもらえるわけでもない。
そういった特別扱いがないわりに、彼らのスケジュールは超過密だ。
なにしろ、昨日までロンドンで二国間の個別協議を持っていたというのに、次に待ちかまえているのはニューヨークでの世界会議である。たった一日のは自動的に移動に費やされることになり、二人は仲良くビジネスクラスのシートに肩を並べ、大西洋を渡ったというわけだ。
エスカレーターを降りてエントランスを通り抜けると、流石に十二月のニューヨークは寒かった。二人は慌ててコートを着こむ。
イギリスがそれに少しもたついている間に、アメリカはさっさとタクシーを拾って運転手に行き先を告げていた。
「おい」
まさかとは思ったが、待つこともなく行ってしまおうとするアメリカに、イギリスは慌てて追いすがる。
「おい待て、置いてくなよ」
「俺は君と一緒に行くなんて一言も言ってないけど?」
くるりと振り返って、アメリカはそんなことを言う。
「あ? どっか寄るとこでもあるのか」
てっきりイギリスは、このまま会場近くのホテルに直行するものだとばかり思っていたのだ。
アメリカはそっけなく返した。
「君に言う必要はないね」
「どうせ同じホテル取ってあんだろ。態々別に行くことないじゃねえか」
「うるさいなあ、俺には俺の用事があるんだ」
「用事? 何の」
「だから、君に言うは必要のないことだよ!」
むきになって大声を出すアメリカに、イギリスはふと思案した。
「ふん? さては――女か」
にやり、と口の端を引き上げる姿は、まるでチェシャ猫そっくりで、アメリカは思わず舌打ちをしたくなるのをこらえる。この笑みは、何かよくないことを企んでいるときの顔なのだ。
案の定、イギリスは次にとんでもないことを言い出した。
「おい、俺も連れてけ」
「はあ? 冗談じゃない。なんで女の子と会うのに君を連れて行かなきゃ――あ」
完全に墓穴を掘った。今度こそ包み隠さず、アメリカは盛大に舌を打った。反対に、イギリスはますます笑みを深くする。目が三日月のように細くなって、実にいやらしい笑い方だ。
「語るに落ちたり、ってな。ほらほら。連れてけよ」
「君って最悪だな」
「今さら気付いたのか」
痺れを切らしたタクシーの運転手が、クラクションを二回鳴らした。
「ああ、もうこんな時間だ。わかった、わかったよ。連れていく。だけど、頼むから大人しくしていてくれよ」
「まるで俺が大人しくないみたいじゃないか」
タクシーに乗り込むアメリカの後ろから、押し込むようにしてイギリスが続いた。
発車した車内のラジオから流れるのも、やはりクリスマスソングだった。ボーイソプラノの歌声はかつての少年の声に少し似ていたが、大きくなった元少年は似ても似つかない低い声で育て親に向かって忠告を発した。
「いいかい。付いてきてもいい。俺の事情に首を突っ込むのを特別に許す。だから、絶対に一言も、しゃべらないでくれ。空気のようでいてくれ。君の大好きな妖精みたいに」
「あいつらは割りかしおしゃべりだ」
「いいね」
「……わかったよ」
「! 来てくれたのね!」
「エイミー、久しぶりだったね!」
「全然来てくれないから、もう忘れられちゃったのかと思った」
「まさか! 俺がそんな不義理な男に見えるかい?」
二人を乗せたタクシーが到着したのは、ニューヨーク郊外にある白壁のそっけない建物だった。リノリウムの床、白い壁、白々しい蛍光灯。思っていたのとは随分違う、とイギリスは思ったが、懸命にも何も言わなかった。
病室――そう、病室である。ナンバープレートの貼られた扉を開けると、そこにはベッドに体を起こした少女が一人、何か本を読んでいた。
エイミー。アメリカがそう呼んだ少女と彼はベッドの上で固く抱擁する。
「あら、そちらの人は?」
抱擁を終えた少女は、アメリカの向こうに見慣れない男の姿を見つけてきょとんと目を瞬かせた。
扉の脇で壁に背を預けて傍観を決め込んでいたイギリスは、少女と目が合うとひらひらと手を振った。彼女もまたそれに振り返すが、こちらを振り返ったアメリカがひどく恐ろしい目で睨んでくるので、イギリスはひとつ肩をすくめて手を降ろす。
「気にしなくていいから。そうだな、あれは――妖精だよ。紅茶の国の」
「妖精さん? ふふ」
ハロー、初めまして。
口を開く権利を与えられていないイギリスは、空港でアメリカに向けたのとは全く異なる種類の笑顔でそれに応じるにとどめた。
それから彼と彼女は、実に他愛のない話をした。
昨日の天気のこと。最近読んだ本のこと。庭に遊びに来る猫のこと。両親のこと。一つ年下の弟のこと。
それらはひたすらありきたりで、なんの変哲もない、退屈でつまらない話だった。しかし、イギリスは二人の会話をただじっと、耳を澄まして聴いていた。
二人が話していたのは、時間にしたら三十分ほどのことだっただろうか。
「今日はクリスマスプレゼントを持て来てないんだ」
「それは、クリスマスまでにもう一度会いに来てくれるってことね?」
「もちろんさ! 楽しみにしていてくれよ」
そろそろ切り上げ時だと判断したのか。アメリカは最後に、こう切り出した。
「ねえエイミー。俺にできることがあったら言ってくれよ? 俺はなにせアメリカだからね。たいていのことはできるんだ! 君のために月の石を取ってこようか? メジャーリーグのホームランボールがいいかな? メトロポリタン美術館の秘蔵品だって持ってきてあげる。それとも、飛行機でも豪華客船でもチャーターして、世界一周旅行はどうだい? きっと楽しいよ!」
「アメリカさん」
少女は静かに遮った。
「私、あなたにお願いがある」
「なんでも言って!」
アメリカは殊更声を張り上げ、おどけた調子で胸を張る。
少女は細い腕を伸ばし、アメリカの両手を握り、それからかすかに微笑んで、言った。
「覚えていて。私のこと、忘れないで」
笑顔を貼りつかせたまま、アメリカはただ、もちろん、と頷いた。
帰りのタクシーの中で、アメリカはしばらく無言だった。
誰もしゃべらない車内にむなしくクリスマスソングが流れる。エンジン音と、時折ウィンカーが発するカチカチという機械音とが、なんとも耳についた。
「君のせいだ」
ようやく聞こえたのはむすくれた声だった。
「君が一緒に来るとか言うから、何もかも台無しだ。本当なら俺が華麗に彼女の夢をかなえてハッピーエンドだったはずなのに」
「八つ当たりはみっともないからよせよ」
「そうさ、八つ当たりだよ」
アメリカはイギリスと話している間もずっと、外を眺めていた。既に冬の日は落ちて、外の景色など何一つ見えないはずである。森の中を蛇行するか細い道には街灯もない。対向車が通るたびに、ヘッドライトがガラスに反射して、夜の闇の中に彼の顔を浮かび上がらせた。
ガラス越しに見る顔は、拗ねた子供のようにも、途方に暮れた迷子のようにも、あるいは多感なティーンエイジャーの横顔そのものにも見えた。
「なんにも聞かないんだな」
「聞いてほしいなら聞くぜ」
「別に」
そう言われてしまうと、イギリスには語るべき言葉が何一つなくなってしまう。彼と少女の関係について、イギリスはただの他人でしかない。どんな慰めも上滑りし、物事の表面を撫でるだけだ。
イギリスは知らない。二人の出会いを。これほどまで親身になる理由を。彼がアメリカと呼ばせる理由を。それはもしかしたら、ひどくありきたりな言葉で表せる感情なのかもしれないが。
「思春期にはよくあることだ」
「その一言でまとめられたくはないね、老大国」
イギリスは知らない。彼女の病名を。病の重さを。彼女の余命を。
知っているのは、少女の腕の細さとだけ。
「俺にできることは、記憶だけなのか?」
アメリカが吐き捨てるように呟いた、それが彼の本音なのだろうか。
だが、記憶というのは国の本性みたいなものだ。古から今日までの、ありとあらゆる人の意思を記憶する。それが国のありようなのだと、イギリスは考えている。
「俺は、覚えてるだけなんて、いやなんだ」
覚えていて。忘れないで。それがどんなに尊い願いか、幼いヒーローにはまだ分からないのだ。
2.
数日間の日程で行われた世界会議の全日程が終了した後、アメリカはイギリスに誘われて飲みに出かけた。
といっても、対外的にはアメリカは未成年で通っている。パスポートの年齢だって十九だ。飲酒に関するモラルが高いこの国では、下手をすると酒を飲んだアメリカではなく、酒を飲ませた販売店のほうが免許を取り上げられてしまう。国家の具現としては、そいつは少しよろしくない。
だから飲みに出かけるといってもアメリカが口に運べるのは辛口のジンジャーエールくらいなもので、酒の味など知るべくもない。
酒癖の悪い元保護者の付き添いなんて普段ならどんな手を使っても逃げるところなのだが、その晩は付き合うのも悪くないと、何故だかそんなことを思ってしまったのは、心が弱くなっていたせいか。
つまらない錯覚もしたものである。
クリスマスはどこにでもやってくる。それがマンハッタンの魔天楼であっても例外でない。アメリカはそろそろ嫌気が射していた。どこへ行こうと無条件に幸せを押し付けてくる聖人の誕生日に。幸せでないものは不幸だと――なんという真実だろうか!――、その真実を容赦なく押し付けてくるこのイベントを、これほど居心地悪く感じたことは今までになかった。
あまり騒がしい場所には行きたくない。そんな思いを酌んだのか、イギリスが選んだのは半地下にある薄暗いバーで、よく言えば味のある、悪く言えばまるで時代に取り残されたような、いかにもイギリスが好みそうな懐古主義の店だった。その趣味には、今回だけは感謝したい。時代ばかりか世俗からも取り残されたような店内は、クリスマスのムードがひとつもなかったからだ。
濃い飴色をしたマホガニーのカウンターでは、いかにもといった風貌の初老のマスターが、暇そうにグラスを磨いていた。客は一人もいない。平日だということを考慮しても、あまり流行ってはいなさそうだ。
「よぉ」
イギリスは気安い仕草でマスターに手を挙げた。
「なんだ、あんたか」
「まだくたばってないみたいで結構なことだ」
「そりゃあこっちのセリフだね。その様子じゃあ我が祖国はまだまだ滅びそうにない」
イギリスの口から発せられた言葉に、アメリカはおや、と思った。普段の彼はオンでもオフでも、お手本のようなクィーンズイングリッシュをちらとも崩さない。それはもう、なにかの当てつけのように。その彼が、マスターと話すときには軽快なロンドン訛りに発音を変えている。
なるほど、同郷というわけか。アメリカは一人納得する。それならこの趣味の一致にも頷けるというものだ。
席に着いて、イギリスはスコッチをストレートで頼み、アメリカはジンジャーエールを注文する。
ナッツやアンチョビをつまみながら、イギリスは専らマスターとの会話を楽しみ、アメリカは特に口を開かずもくもくと食事を口に運んだ。
途中話を振られることもなく、半ばいないもののように扱われることが、今のアメリカには却って心地のいい処遇だった。一人でいると考えなくてもいいことを考えて憂鬱になる。しかし、ジョークを交えておしゃべりをする気分でもない。そういう者にとって、無関心は時に慰めよりも優しい。
そして、優しい時間というのは得てして短いものなのである。
「アメリカぁ。飲んでるかあ」
「……やっぱり止めておくべきだった」
今更悔やんでも遅い。強くもないくせに、どうしてウィスキーをストレートで飲むような真似をするのか、アメリカには全く理解できない。
ふらふらになるまで酔ったイギリスを揺り起しながら、アメリカは重たい溜息をついた。
「ほら。いい加減にしてくれよ。俺は君をおぶって帰るのなんかごめんだからな」
「タクシー呼べよー」
「自分で呼んで帰るんだね」
そうは言っても、結局自分がどうにかして彼をホテルまで連れて行かなくてはならないのだ。
二人の立場が逆転することはあるのだろうか。一度くらい酔いつぶれて介抱されてみたいと妄想を抱き、アメリカはすぐさまそれを否定した。こんな醜態を晒すのは絶対に嫌だ。
彼にとっても、これは見慣れた光景なのだろう。カウンターの向こうではマスターが笑っている。アメリカはイギリスが座るスツールを蹴って大げさに肩を竦めた。
「君もこんなやつの国民なんてやってないで、うちの市民権をとったらいいのに。歓迎するよ? もうここに住んで長いんだろ」
しかし、予想に反して彼はこんなことを言う。
「アメリカの市民権かい? ああ、それならとっくだ。俺んちは三代前からアメリカ人さ」
「えっ。そうなのかい?」
「そうとも。ニューヨーク生まれのニューヨーク育ちさ。見えないかね」
「あまり」
アメリカが正直に答えると、マスターはかっかと高らかに笑った。
「まあ、祖国っつうのはそうそう捨てられないもんさ。いや、そうさな、ルーツとでもいうのかね」
――ルーツ。根っこ。実はつい昨日、アメリカはその言葉を聞いたのだ。
折りしも時は一九八九年、年末も押し迫った十二月中旬のことであった。一つの国を二分していた壁が崩壊した、歴史的年の十二月である。
ここ最近の会議の連続は、多分にその出来事について話し合うためでもあった。ただ、それは休憩時間開けの余談だったはずである。
「あいつはどうなるんかなあ」
誰かが発言した。
プロイセン王国からドイツ帝国を経て、今は東ドイツの具現となった男に関する話だった。
「神聖ローマは国を失って消滅したぞ」
「あいつも消えるのか」
「でも今までのこともあるしなあ。本当はもっと前に消えてたんじゃないのか?」
アメリカは頬杖をついてこれを聞いていた。歴史を共有するヨーロッパ諸国と違い、アメリカのような比較的新しい国には、彼らの話には入る隙がない。
「当分は消えねえだろうな」
こう言ったのは果たして、誰だったか。退屈に飽いていたアメリカは覚えていない。
「あいつにルーツを求める者がいる限り、当分は消えないだろうな」
「――そう簡単には忘れられないものなのさ。そりゃあいつかは、何もかもが曖昧になってなくなる時が来るのかもしれねえがな。俺はちゃあんと、覚えてるのさ」
イギリスはいつの間にか目を覚まして、カウンターで静かに水を飲んでいる。ぼんやりと、何か心地の良い音楽でも聞いているかのように、瞳を閉じて。
帰り際に、アメリカは一つ思い出した。
「忘却は恐怖だ。俺たちにとって」
そうだ、あれはイギリスが言ったのだった。
「国が死ぬのは、人から忘れられた時だよ」
彼もまた、忘却される恐怖に怯えたことが、あるのだろうか。
3.
時は巡り、現在。
アメリカはニューヨーク市の外れにある小さな教会墓地に訪れていた。
クリスマスの早朝。まだ朝日の昇る前、東の空がうっすらと明るくなる時間。空気は冷たく凝り、吐く息を白く濁らす。雪こそないが、霜の降りた芝は歩く度にさくさくと音を立てる。
どこからともなく、早朝ミサの歌声が聞こえてくる。アメリカはミサには参加せず、人気のない朝の墓地を歩いていた。
墓石というものを見るとき、アメリカの胸に去来するのはよくわからない感情だった。
ここにあるのは紛れもなく、アメリカ国民が生きた証である。自分の一部が生きて、そして死んだ証である。しかし、アメリカはその大部分を知らないのだ。彼らがどのようにして生きたのか、アメリカは知らない。人間が、自分の細胞がいつ生まれいつ死んだのかなど、全く気にも掛けないのと同じように。
しかし、現に今アメリカの目の前には、そのたくさんの細胞たちの名が連なっているのである。果たしてこれは自分なのだろうか。何の接点もなかった彼らが、どうして自分の一部と言えよう。だからアメリカは墓石を見ると、自分と言う物がなんだかよくわからない、ひどく曖昧なものに思えて仕方がないのだ。
無数の見知らぬ名前を辿りながら、アメリカが探すのはただ一つの名前だった。ただ一つ知っている名前、かつて、忘れないことを約束した少女の名前を。
いつの間にか空はずいぶん明るくなっていた。アメリカは地面ばかりを見ていた顔を空に移す。ちょうどその時、雲が切れ、風がやみ、そして、
――不意に、笑い声が聞こえた。
アメリカの横を誰かが風のように駆け抜けて、追い抜いて行った。
アメリカは思わず立ち尽くした。
生まれたての太陽が照らす公園墓地に、一人の少女が立っていた。
「エイ、ミー」
彼女がいた。
同じ声をしていた。声だけではない。髪の色も。肌の色も。背格好もまるで変わらない。
ハロー、アメリカさん。今にもそう声をかけてくれるような気がした。
「キャシー」
「え?」
「私の名前はキャシーよ、ミスタ」
少しませた物言いも、頭のよさそうな発音も、すべて記憶の中の少女と同じだというのに、彼女は違う名前を名乗る。
その時ざくざくと霜を蹴散らす足音がして、後ろから男性の低い声がかかった。
「キャシー。勝手に外に出て」
「ごめんなさいパパ。でも聞いて。この人、おばさんの知り合いみたいよ。私のこと、エイミーと呼んだの」
振り返るアメリカの視界に、髪をきれいに撫でつけた中年の男性が映った。柔和な笑みを浮かべた彼は、アメリカを追い越し少女の隣に並ぶ。
「もしかして、姉の墓参りに?」
彼らの前には一つの墓石がある。アメリカも、その前に並んだ。そこに刻んであるのは、確かに記憶の中の少女の名前であった。
そういえば、一つ違いの弟がいると言っていた。血のつながりがあるのだから、似ているのも当然なのか。
「これは私の娘です。姉にそっくりでしょう。さあキャシー。御挨拶をして」
「こんにちはミスタ。おばさんのお墓参りなの? 私たちと一緒ね」
「こんにちはキャシー。俺は――アルフレッド」
そっくりなんていうものじゃなかった。まるでクリスマスの奇跡のように、彼女が生きてアメリカの前に現れたかのようだった。
アメリカが男性にそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。
「覚えてくれる人がいるというのはいいものだね。誰かが覚えている限り、彼女はまだその人の心に生きていると、そう思わないかい」
忘却は恐怖だという。アメリカはいつかの言葉を思い出した。それならば、記憶とはなんなのだろう。国を生かし、人を生かす、記憶とは一体なんだ。
「誰の記憶からも失われた時、それが人の死の瞬間じゃないかね」
◇ ◆ ◇
姉を知るという若者が去った後、姉の墓の上にはローズマリーの花束がひとつ残された。
娘がその花束を見て彼に尋ねる。
「ねえ、ローズマリーってクリスマスの花?」
「そうだね。でも、きっと彼は別の意味も知ってるんじゃないかな。――それにしても、彼と姉はいったいどうやって知り合ったのだろう。随分若く見えたんだが」
それは、人によく似た生き物の話だ。人の記憶の上で生き、あるいは人の記憶そのものとして生きる、遠くて近い隣人の話。
ローズマリーの花言葉:追憶・思い出・あなたは私を蘇らせる
2011/1/23発行 ヘタリア国と人アンソロジー『彼らはそこにいる They are here』に寄稿したものです。


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