五月の上旬に母の日なる記念日があって、その日は日頃世話になっている母親に花を贈る日だそうで、転生文豪たる彼らに本来母も父もあったものではないのだけれど、新見と宮沢が特務司書に「お母さんありがとう」と花を贈ったところえらく感激されていた。創造主という意味では、確かに特務司書は彼らの母と言えなくもない。だがそれは子供の形をした二人だからよかったのであって、これが例えば谷崎からだったらなにか新手のプレイかと訝しまれただろうし、夢野だったとしても「明日分解しに行きます」とでもいう隠喩かなにかだと思われてとても心安まらなかっただろう。
とにもかくにもそういうことがあったせいか——回り回って、なぜか転生文豪の同士で、日頃世話になっている友人知人に花を贈り合う風習が流行している。前段との因果関係をあれこれ言うより、単に季節が良いからと言った方が良かったかもしれない。中庭は庭師や物好きの文豪の世話の甲斐あってちょっとした花園の様相であるし、そうでなくとも街へ出れば花屋でも公園でもはたまた街路であっても、色とりどりの花が美を競い合うように咲いているのが目に入る。一時の美を誰かと共有したいという感情の発露と思えば、この季節にそういった流れが起こるのもそう不思議なことではあるまい。
そんなわけで、独歩もこの機会になにか花を贈ってみたいと思うのだが、これがなかなか難しい。なんの気なしに目に付いた道端の野花を摘んで渡すのなら簡単にできそうなものだが、よりどりみどりの花からさあ一つを選べと迫られると迷う。せっかくならよいものを選びたい、他の誰が選んだ物より似合うものがいい、だがあんまり派手で露骨なものは避けたい。なにせ独歩が花を贈ろうとしている相手はあの田山花袋なのである。独歩のことを最愛の友と認めてくれる、が故にそれ以上を求めづらい、つくづく厄介な片恋の相手なのだった。
潜書の予定もなかったので時間つぶしに談話室を訪れると、そこで交わされている会話もやはり例の流行についてであった。太宰と谷崎。なかなか珍しい取り合わせだ。興味をそそられた独歩はそっと後ろから近づく。ソファに挟まれたローテーブルの上には真っ赤なカーネーションの花束が無造作に置かれていた。
「安易なんですよ、あなた」
困り顔と憂い顔の境目のような表情で、頬に手を寄せた谷崎がほう、と溜息をつく。太宰は彼の前で、叱られた生徒のように俯いている。
「だってあいつらは」
「新見さんたちがカーネーションを選んだのは母の日だからですよ。あなた、春夫さんを母親だと思っていらっしゃる? それならお止めしませんけどね」
「母親!?」
素っ頓狂な声で問い返す太宰。
「いや、母……では、ない、かと」
次第に語尾を弱らせる彼の前で、谷崎の爪紅のついた指がす、とさしたのは、一冊の本のとあるページである。
「花言葉ってご存じです? 赤いカーネーションの花言葉は母の愛、です。これを貸して差し上げますから、もう少し勉強して——」
太宰に差し出されたはずの本は、彼の元に届く前に横から伸びた手に掻っ攫われる。トンビではない、当然、独歩がそうしたからに他ならない。
「それ、いいな」
「あら、国木田さん」
突然現れた独歩にも谷崎はさして動揺を見せないが、太宰のほうは狐につままれたように目を白黒させている。
「これ、俺に貸してくれよ、谷崎」
「はあ。私は構いませんけど……?」
「太宰もいいよな」
「あ、え、……はい?」
「サンキュー!」
こうしてまんまと美しい装丁の小型本、花言葉の載った花図鑑を手に入れた独歩は、早速部屋に戻りベッドに寝そべってページを捲っている。
「今は便利な本があるものなんだなあ」
全ページフルカラーで、美しい花の写真が所狭しと並んだ図鑑はただ眺めるだけでも楽しい。加えて開花時期や世話の方法、そして谷崎の言う花言葉がそれぞれの花に添えられている。
「花言葉……」
独歩の生きていた頃にはなかった文化だ。もっとも、既にあったが独歩が気付いていなかっただけかもしれないが。
「カーネーション……赤が《母の愛》。ピンクは《女性の愛》ねえ。色によっても違うのか」
なるほど、これを贈られたら、佐藤はたまったものではなかろう。谷崎に止めてもらえた太宰は運が良い。
「ヒマワリは花袋っぽいな。でも……憧れ、崇拝、か。……そもそも時期がなあ」
ペラペラとページを捲っては、これはと目に付いた花の花言葉を確認する。が、なかなかしっくりくるものがない。いいなと思っても季節が悪かったりして手に入らない花もある。見たことも聞いたこともないような花もある。
「意外と難しい……ん?」
本の最後のほうまで来るといよいよ花の種類は切り花から樹木へと移っているが、そこでようやく見つけた。派手でなく、露骨でなく、だが言葉のよい、美しい花。花袋に似合うだろう、素朴で気取らない花。花言葉もちょうど良い。真実の意味を込めつつも、花袋がそれを知っていたときには、さりげなくごまかすこともできそうな——。
その花を午後にでも求めに行こうと決め、本を枕元に置いた時だ。トン、と一回、気休めのようなノックに続いて、聞き慣れた声。
「独歩、いるか」
「おう、いるぜ」
入ってきたのは花袋だ。さりげなく本を枕で隠してから起き上がる。その所作に、花袋は全く気付いていない。むしろ独歩から視線を逸らすようにして、後ろで手をもじもじさせている。かと思えば急に独歩の目の前に差し出されたそれは、見間違えようもない、花束である。
「これ!」
「お、う」
「流行ってるだろ、だからさ!」
「ええと……俺に?」
「お前に! 当たり前だろ」
「ほんとに?」
何度も独歩が確認してしまったのにはわけがある。
だってそれは、まさにたった今、独歩が選んだ花なのだった。
「アンタ……この花の花言葉、知ってるか」
受け取ってしまってから、つい尋ねてしまう。花袋は一度声を詰まらせながらも、用意していただろう答えを独歩に伝えた。
「せ、節度だよ。先生、かたっぱしから人を誑していくもんだから、節度を持って暮らしてくれと俺は言いたくて! ……っていうか独歩、お前花言葉なんて知ってたんだな」
「いや、知らない。ただ、花言葉ってのがあるってことだけ、最近聞いたからさ」
「そ、そうか」
「そうだよ」
二人の間で、花束がくすぐったそうに揺れている。緑の葉と赤い花弁のコントラストも美しい、素朴な花の名はツツジ。
もう一つの花言葉は——《恋の喜び》。
(第16回花独ワンドロ参加作)


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