これはまだ、フランスが小さな少年の姿をしていた頃のお話。
フランスは小さかった頃、それはそれは美しい外見と美しい声の持ち主でした。現在のフランス言わせれば、今だって自分は美しいし、美声の持ち主であると胸を張って答えるでしょうが、その頃のフランスは自他共に認める、まぎれもない美少年でした。
特にその歌声は誰もが聞き惚れるボーイソプラノで、まるで小鳥が囀るが如し、天使のような歌声。大げさでなく、教会の司祭様などは体を震わせてその歌声に感涙するものですから、フランスは「このじいさん、このままぽっくりいってしまうんじゃないか」と、一曲歌うたびに妙な気遣いをしなければならないほどです。また、当時から仲がいいとは言えなかったオーストリアやプロイセンも、フランスの何が気に食わなかったとしてもそれだけは認めてやってもいいと思ってました。
フランスが手持無沙汰の慰みに歌った民謡を、小さなイギリスも物陰から聞いていました。普段は何かとフランスに突っかかってばかりのイギリスですが、その歌声にだけはいたく感心して、その感心っぷりといったら、自分から「歌って」とねだるくらいのものでした。フランスは驚きましたが、喜んで小さなイギリスのために歌ってやりました。
ある日、フランスは声が出なくなります。昨日、一昨日あたりからなんだか声が出辛かったので、風邪の引き始めだろうかと思っていたのですが、今日になってOuiもNonも言えないほどに声が出なくなりました。
無理に声を出そうとしてのどを痛めても馬鹿らしいと、フランスは内心気が気ではないのを押し隠して何でもないように振舞いました。言葉が必要な時は紙とペンを使っての筆談で、それは時に面倒でいらいらするやりとりでしたが、そんな気短なようではかっこうがつきません。あくまでも優雅に、大したことではないと周りに知れるように、フランスはそういう態度を崩しませんでした。
しかし、ようやくいくらか声が戻ってきたとき、フランスは愕然としました。久しぶりに出した声は、まるで自分のものとは思えないような、しゃがれ、かすれた低い声だったのです。周りの大人たちは「声変わりだ、よかったね」と口々に言いましたが、いったい何が「よかった」のかフランスにはさっぱりわかりませんでした。
奈落のどん底に落とされた気分でした。それでもフランスは人一倍プライドが高いものですから、弱音なんて吐けませんでした。みなフランスの声変わりを些細なことのように言うのですから、自分だけが大げさに落ち込むなんてとてもできなかったのです。
それでも、小さなイギリスと会うときだけは、フランスは「まだ声が出せないんだ」と嘘をつきました。あんなに頑なだったイギリスがフランスの歌声だけは手放しでほめてくれたので、そのことが引っ掛かって自分から言い出せないのです。
フランスが紙に書いた文字に、イギリスは「ふうん」気のなさそうなふりをしていますが、返す言葉の端々に「まだ声が戻らないなんて心配だ」といった気配をにじませるので、フランスは困りました。イギリスにこの声のことを知られるのも嫌ですが、彼をむやみに心配させるのも不本意なことです。
フランスは声変わりした後の自分の声が好きではありませんでしたが、それより問題は、イギリスが褒めてくれたあの歌声が出せないことだと気付きました。言葉が使えないのは不自由ですから、せめてきれいに歌が歌えたならば、彼と話すのにこの声を聞かせるくらいはいいだろうと、そう思ったのです。
フランスは一人の時を見計らって、町外れの原っぱまで遠出して歌の練習をしました。本当は室内で歌うほうが自分の声の響きがわかるのでいいのですが、まず大事なことは「一人」であることです。贅沢は言っていられません。
時折北風が吹きすさぶ寒々とした原っぱで、遠くに見える山々や、広い空に届けるように、心をこめてフランスは歌いました。しかし、駄目でした。教会カンタータやマドリガーレ、オラトリオを、あの頃のように高い音で歌うために、喉を絞って声を出すのですが、ひどく無様で耳障りな、汚い音しか出やしないのです。
いったいどうやって歌っていたのか、歌い方すらもわからなくなって、フランスは途方にくれました。
あまりにも無理な歌い方ばかりしていたので、喉の奥が切れてしまったのでしょう。けほけほとせき込んだとたんに、唾にわずかな血が滲んで、じんと喉の奥が痛みました。それでももう一度歌ってみようとフランスは息を吸います。
ちょうどその時、「フランス、」と、小さな声が背中から聞こえて、フランスははっと振り向きました。そこには、複雑な表情をしたイギリスがいて、イギリスは呼びかけたはいいものの、次に何を言ったらいいのかわからないというように、それっきり黙りこくってしまいました。
うつむいたイギリスを見て状況を飲み込んだフランスは、茫然と目を見開きます。
そう、すべては聞かれてしまっていたのです。下手くそな歌も、合間についた悪態も、せき込んだ音も。一番内緒にしておきたかった人に、すべて聞かれてしまったのです。
おずおずと近寄ってきたイギリスを、フランスは力いっぱい抱きしめました。何か言い訳をしなければ、「いやあ、声変わりしちゃって」と、笑ってみせなければ、「歌えなくてごめんな」と何でもないように謝らなければ。そう思うのに、声が全然出ませんでした。
抱きしめたイギリスからほんのり優しいにおいがして、それがどうにもフランスの心をくすぐりました。小さな子どものにおいです。甘いミルクのような、やさしいにおいです。
いつの間にか、フランスは涙を流していました。このにおいが悪いんだと思いましたが、そう思ったところで涙は止まりません。イギリスもまた、何も言わずにおとなしく抱きしめられているものですから、フランスはそれに甘えてさらにぎゅうぎゅうと子どもの体を抱きしめて、肩に顔を押しつけて泣きました。大声で泣くようなまねはしませんでしたが、とにかく悲しくて悲しくて、声を殺して泣きました。


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