暗夜航路

3,447 文字

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「というわけなので、霧島さん、頼みましたよ」
「……は」
 久しぶりに間抜けな声を出したな、と自分で判じてしまうほどに間抜けな声を、霧島は発した。
 目の前にはニコニコと胡散臭いほど笑顔の僚艦赤城、そしてその足元にちょこんと立っている小さな影。
 霧島はひとまずその影から無理やり意識を剥がし、赤城へと向けた。
「なぜ私なんだ」
「だって暇でしょう」
 暇、といえば暇である。今霧島はドックに入って大規模な改装中であった。第二次近代化改装というらしいが、要するに竣工して二十年も経った船なので最先端の装備に変えましょう、という話である。技術は日進月歩とはいうが、そんな呑気なことを考えていられるほど霧島は脳天気ではなかった。戦の気配が近づいているのだ。
 しかし、危機感を持とうが持つまいが、改装中であれば霧島にはやることがない。訓練航海にも出られないし砲撃訓練もできない。日々の雑務は減らないがそのぶん暇といえば、そうなのである。
 だがしかし、だ。
「確かお前も改装中のはずだったな」
「いやですね、艦が改装中だからといって私まで暇なわけじゃないんですよ」
 人のことを暇扱いしておいて自分はこれである。この赤城という男、柔和な顔立ちでいつもニコニコしているが、その腹は相当黒いはずだと霧島は踏んでいる。もちろん直接に口に出したりはしない。滅多なことを言って機雷に触れるのは避けたい。
 などと考えて無言になっているうちに赤城はそれを勝手に了解と受け取ったらしく。
「それじゃあ、今日一日、十一試艦爆をよろしくお願いしますね」
 そう言って、足元のちんまりとした影――六歳ほどの小僧の背を押した。

***

「こら十一試! そっちは危ないから立入禁止だ!」

「何勝手に烹炊所に入って――こらバカ、つまみ食いをするな!」

「コラ! 十一試!! 降りてこい!!」

「おれ、そんな名まえじゃないもーん!!」
「どうでもいいから降りろ! マストはそうやって登るもんじゃない!」
 霧島は今日一日で新兵訓練の軍曹並に怒鳴り声を発した気分だった。
 なにせこの子供は、少し目を離すとあっちへウロウロ、こっちにウロウロ、落ち着くということがまるでない。なぜこれが自分のところへ来たのか霧島はうっすらと察した。まだ試作機も飛んでいないというのに『目覚めて』しまったという子供――十一試艦上爆撃機は、おそらく工場でもこのように落ち着きなく、技術者たちの邪魔ばかりしているのだろう。自分の製作を邪魔する兵器がいていいものだろうか、と霧島は頭を抱えた。愛知航空機には子守りを雇う費用を割いてもらうしかない。
 するすると猿の子のようにマストから降りてきた子供がそのまま脇を走りぬけようとするので、その首根っこをひっつかみ、
「あいてっ!」
ゲンコツをひとつ落としてから、霧島は仕方なく子供の手をとった。手でも繋いでおかないと、次はどこへ行くかわかったものではない。改装工事中とはいえ、乗組員はほとんど通常の勤務をしている。邪魔をされては霧島の迷惑どころか、ひょっとしたらこの子供の製作者たちにしわ寄せが行くかもしれない。開発中止になんてなったら事だ。
 はあ、とため息をついて、霧島は今日の雑務を諦めた。もともと今日は大して仕事になっていなかったが。幸い、もう午後の三時である。あと一、二時間もすれば迎えがやってくるはずだ。
 夕方まで、霧島は子守りをすることを決めた。随分遅い決意であった。
 好奇の目に晒されながら、乗組員たちが体操をしている甲板を突っ切って、霧島は子供を艦首まで連れていく。マストの近くにいたのでほんのすぐの距離だった。
 艦首は霧島がこの船の中で一番好きな場所である。
 艦橋も、発令所も、これはたった今そこから降りてきたこの子供には言えないが実はマストの上も霧島の気に入りではあったが、やはりこの空と海とが半分半分に望める艦首の先の先が霧島は一等好きだった。
 ドックに入っている今はそこから一面に海や空を望むことはできはしないのだが、やはりこの場所には特等席の趣があるのである。

 霧島はその場に胡座をかき、股の間に子供を座らせた。こうしていれば子供は勝手にどこかへ行かない。その代わり自分もなにもできないので、手持ち無沙汰になる。
 ふと思いだして、霧島は尋ねた。
「お前、名前は十一試じゃないのか」
「そんなへんな名まえじゃない」
「じゃあなんて言うんだ」
「うーん……」
 それきり黙ってしまったので、霧島は呆れたような、微笑ましいような、しかし微笑ましいというには今日一日さんざ迷惑をかけられているのでそうは言い切れないような、微妙な気分になった。そういえば、はじめて子供とまともに会話をした気がする。こんな小さな子供でも会話はできるものなのだな、と不思議な感慨を抱く。
 しばらくすると、今度は子供が霧島に尋ねた。
「おじちゃんは名まえ、なんていうの?」
「霧島、だ」
「ふうん」
 おじちゃん……と思ったが答えてやると、やはり子供は、それきり黙った。何かを考えているようでもある。そしてまた、口を開く。
「きりしまさんは、せんかんなんでしょ?」
 戦艦がなにかわかってるのだろうか。しかしうむ、と頷くと、
「じゃあね、」
 子供はくるりと振り向いて、ニカッと笑った。

「おれが守ってあげるね!」

 完全に不意打ちだった。豆鉄砲を食らった気分であった。
「おれの仕ごとはせんかんを守ることだもん! だから、きりしまさんはおれが守ってあげる!」
 誰が教えたのかしらないが、随分生意気なことを。まだ試作機も飛んでいない小僧に。
 十年早い、とは思ったが、しかし子供相手にそれも大人気ない。
 子供はにこにことしたまま、霧島の目を見つめている。その真っ直ぐな視線も相まって、霧島は柄にも無く、照れた。
「……おう、頼むぞ」
「わっ」
 霧島は軍帽を取って乱暴に子供の頭にかぶせた。大きすぎる帽子のお陰で、子供の目には霧島の赤くなった耳は見えていないことだろう。

 一日中動きまわって疲れた子供は、そのうちうとうととし始め、やがて霧島の腕の中で眠ってしまった。夕刻、約束通りに迎えが来ると、霧島は眠ったままの子供を引き渡した。さよならも、またねもない別れだった。
 霧島が十一試艦爆と会ったのはその一日だけであった。

***

 時は過ぎる。一九四二年十一月。大東亜戦争開戦からまもなく一年が経とうとしている。
 戦艦霧島はガダルカナル島の陸軍支援のためその近海へと出撃していた。ガダルカナル島はすでに米軍の手にあり、作戦は困難を極めることが予想されたが、交戦が開始されるとその見込すら甘いものであったと言わざるを得なくなった。霧島の兄に当たる比叡は昨日の戦闘で大損害を受け、自沈が決定されたと報告があった。作戦部隊に所属する戦艦は、霧島一人になってしまった。
 この作戦に瑞鶴はついて来なかった。艦隊には唯一空母飛鷹がいたが、今は輸送船団の護衛に周り、霧島とは行動を共にしない。
 出航前、九がわめいていた。
 ――霧島さんを守るのは俺の仕事だろ! なんで連れてってくれないんだ!
 そのわがままを、どのように退けたのだったか。いつものように頑是無い子供の妄言とあしらったのではなかったか。
 まったく、初めて会った時から変わらないやつである。二度目に出会った時は、一度目のことなどすっかり忘れている風だったのに、言うことは少しも変わっていなかった。
「帰ったら、なんかうまいもんでも、食わせてやらんといけないな……」
 霧島は一人つぶやいた。でないといつまで経っても機嫌が悪い。他のことならばけろっと忘れるくせに、あれは霧島のことになるとやたら頑固になるのである。それでも、まだ食べ物で釣れるだけ可愛いものだ、と霧島はほくそ笑んだ。

「霧島さん。司令部から電報が届きました。次の作戦の指令です」
 発令所からわざわざ出てきたのだろう。艦首に立つ霧島の後ろから、若い尉官が控えめに、だがはっきりと声をかけた。
 本来なら霧島は今こんなところにいていい立場ではない。
「そうか。――手間をかけたな」
 一言労って尉官を先に行かせてから、霧島は軍帽をかぶり直し、一度前を見た。眼前に広がる果てしない海と空とを見て、それから踵を返した。

 過去でもなく、未来でもなく、この変えようのない現実に立ち向かうために、霧島はもう振り返らない。

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