三郎が学園長先生の庵に呼び出されたのは、桜の蕾も綻ぶ、四年の終わりのことだった。
「おぬしもそろそろ、後輩を持ってもいい頃じゃの」
「はあ」
「なんじゃ、嬉しくないのか。学級委員長委員会に新たに一年生を加える、といっておるのじゃ」
「はあ……」
たしかに、学級委員長委員会は長らく三郎一人だけが所属する委員会だった。各学級に学級委員長はそれぞれ居れど、学級委員長なら全員学級委員長委員会に所属する、というわけではないからだ。学園長の言うことが本当なら、三郎が二年生のときの六年生が卒業して以来、実に三年ぶりに学級委員長委員会の人数が増えることになる。
しかし、それが喜ぶべきことかどうか、三郎にはいまいちピンときていないのであった。
「今更そのようなことを仰られましても、私ももう大概の仕事は一人でできるようになりましたし」
三郎の偽らざる本心である。
学級委員長委員会はその性質上、忍術学年全体を束ねる役割を期待される。三年生の三郎が、イベントごとに司会や審判を任されたり、上級生揃いの委員長会議を取り仕切ったり、学園長先生の思いつきを全生徒に通知したりと、学級委員長委員会としての責を一身に背負うことになったのだ。全ては語るには時間が足りぬが、その苦労は筆舌に尽くしがたいものがあった。
下級生の頃から大概のことは上手くこなす自信のあった三郎も、正直何度心折れそうになったことか。心理的負担もそうだが、単純に業務量が多いのだ。パソコンもコピー機もない時代である。書類一つ作るにも筆と墨と紙が要るし、人数分用意しようと思えばひたすら書き写すほかない。
会議の段取りなどはまさにその典型で、もうやだと泣き言を漏らしながら、雷蔵に励まされ八左ヱ門に手伝わせ、なんとかここまでやってきたのだ。どうせ人を増やすなら、その頃に増やしてほしかった。まさに、今更、の思いが強い。
というわけで、万感の思いを込めての発言だったのだが、学園長は湯飲みから茶を一口すすると、あっけらかんと言い放った。
「一人でできることを一人でやってもしょうもあるまい」
「……」
このタヌキじじいめが、との悪口をすんでの所で飲み込んで、三郎ははあ、と先ほどと同じ調子で、やや諦めの色を濃くした相槌を打った。
実際問題、このままでは学級委員長委員会の仕事を引き継ぐ相手がいない。三郎でさえ、一年の時には五年の先輩が付いていたのだから、三郎が五年に上がる今、一年を入れるのは間違った考えではない。
「それで、私にどうせよと?」
「なに、いつも通りでよい」
話は済んだとばかり、学園長は茶菓子に手を伸ばす。帰ってよしの合図と見て三郎は立ち上がる。学園長は何も言わない。
庵を辞す直前、ちょっとした意趣返しのつもりで、三郎は足を止めて振り返った。
「いつも通りですと、私は後輩の育成などせず、変装して遊ぶだけですがね」
片眉をちらと持ち上げた学園長は、口の中身を飲み込んでから、ふ、と鼻で笑った。
「なに、不破雷蔵の変装なら、後輩にも優しくできるじゃろう」
◆
蓋を開けてみると、五年に進級した途端、かわゆくて賢い一年生が二人も入ったばかりか、なぜか今まで委員会に所属していなかった隣のい組の尾浜勘右衛門まで加入して、三郎一人だった学級委員長委員会は一気に四人まで増えた。
とはいえ、委員会の仕事が忙しくないかといえば、そうでもない。
月一の委員会定例会議が先日終わったばかりだというのに、学園長から招集がかかって、緊急会議を開くから用意しておくようにと参加者一覧と議題の草案だけよこされた。しかも明朝の開催だという。
来週は授業参観があって生徒の親御さんがいらっしゃるから、その前に校内清掃を段取らないといけないし、来月は予算会議もある。ほっと一息つける最後のタイミングだったというのに、予定は台無しだ。
お茶飲み委員会の繁忙期は、こうして突如やってくる。休めるときに休むのも忍者の習い、いつも好き好んでのんびりしている訳ではないのだ。
「緊急会議になんで金楽寺の和尚様まで!? これ、僕たちが呼びに行くんしょうか?」
「彦四郎、事務方に、案内が出ているかどうか確認しに行ってくれ。あ、小松田さんじゃなくて吉野先生にな」
「先輩、この議題ですが、資料がないと話ができないと思います。少なくとも周辺地図は用意しないと」
「それなら壁掛けの図版が資料室にあるから今のうちに借りてこよう。資料室の鍵は松千代先生が持っているはずだが……図書委員に居場所を聞く方が早いかもしれない」
「三郎! 六年生に緊急会議の予定を伝えに行ったが、善法寺先輩だけ留守だった! どこかで不運に巻き込まれてるかも!」
「それはもう知らん! でも一応新野先生に聞きに行け、保健委員会の用事かもしれん」
彦四郎、庄左ヱ門に指示をして、泣きつく勘右衛門をあしらう。三郎本人は草案を吟味して議論の順番を整理したものを、流れるような書体で清書している。さりげない筆運びながら、読みやすく間違いのない筆跡で次々と完成する議事一覧に、左右後ろからのぞき込んだ三人が、おお〜と感嘆の声を上げた。
「先輩、字がお上手ですね」
「内容もよくまとまってる」
「書き損じが一枚もないです」
「煽てても何も出ないぞ! ほら、さっさと行った!」
筆を置いた三郎が眉をつり上げて叱ると、蜘蛛の子を散らすように三者三様、委員会室を飛び出してゆく。
まったく、と怒らせていた肩を下ろし、ぐるりと腕を回す。もう一息で清書も終わる。そしたら会議室の設営をしにいかなければ。人数が多いから二間の仕切りを取り払って、長机の数は足りるだろうか、年寄りたちには座布団も要る。
学園長の突然の思いつきは困ったものだが、この二年で大分鍛えられた。振り回されるのにも慣れて、ある程度の段取りは定型的に処理することができる。右も左もわからなかったあの頃とは違うのだ。
頭の中で次の算段を立てていると、ちょうど開けっぱなしの扉の向こうから、通りすがりの相棒がひょこりと顔を覗かせた。
「忙しそうだね」
「雷蔵」
図書委員も、委員会の帰りだろうか。庄左ヱ門が行き違いになっていなければいいが。彦四郎はちゃんと吉野先生から話を聞けているといい。勘右衛門は……まああいつは大丈夫か。
雷蔵の顔を見ながら学級委員長委員会の面々のことに思いを馳せていると、何がおかしかったのか、ふふ、と雷蔵が笑った。
「なに?」
「いや、楽しそうだったから」
「そうかな。忙しいよ」
「忙しいと楽しいは同時に起こりうるよ」
そうだろうか、と三郎は言われたことを吟味する。
今まで学級委員長委員会の活動で、忙しくて楽しいと思ったことは一度もなかった。一人の時は辛いばかりで、やだやだと雷蔵に泣き言ばかり言っていた気がする。それに比べるとたしかに、忙しいものは忙しいが、あのときほど辛いとは思わなかった。慣れたからかな、と三郎は結論づける。
「手伝おうか?」
墨が乾くまで、とあちこちに広げた紙を見るともなしに、雷蔵が提案する。三郎は悩みもせずに首を振った。
「それには及ばないよ。私一人じゃないからね」
「それもそうだ」
邪魔したね、とそれ以上の問答をせず、雷蔵は手を振って去って行く。その後ろ姿を見送って、さあてもう一息、と三郎は机に向き直った。
と、そのとき、ばたばたと忍者のたまごとは思えない大きな足音が、遠くから耳に入った。それも一つではなく、三つ。明らかにこちらに近づいてくる、その音を聞きながら三郎は筆を持つ。
最後の清書をしながら、次の展開はどちらだろうかと予想する、その口元はもう既に緩んでいる。
「三郎! だめだった!」
「先輩、どうしましょう!」
「鉢屋先輩! 見つかりませんでした!」
この瞬間を見ていたら、雷蔵は「ほうらね」としたり顔するだろう。
楽しそうと言われても弁解ができぬほどに自分が笑んでいることを、三郎はまだ気付いていないのだ。


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