二、
三郎は、激怒した。
「この……っ大馬鹿者どもが! 誰が荷を持って逃げろなどと言った!? 私の指示ひとつまともに守ることすらできないのかお前たちは!」
聞いたことのない声音であった。
飄々と吹く風のごとく気まぐれに嘘と真実とを語り、朗々と澱みを知らぬ水のごとく人を惑わし翻弄する。鉢屋三郎とはそのような声をだす人物である。時にケラケラと太陽のように笑うことも、大声で騒ぎ立てることもあったが、それは決してこのような恐ろしい声ではなかった。
ギリギリまで抑圧されていたものががついに決壊したように、それは激しく、厳しい。
「あ、あ……」
怒られ慣れていない優等生のい組の彦四郎は、声にならない声をあげるばかり。彼よりかはいくらか肝の座っている庄左ヱ門が、すかさず声を上げた。
「お言葉ですが先輩!」
「黙れ!!」
しかし三郎は反論を許さない。
「おれはお前たちの言い分を聞くつもりは一切ない! 当分おれの前にその顔を見せるんじゃない……不愉快だ!」
冷やかな双眸で後輩二人を見下ろした三郎は、乱暴な所作で部屋を出ていった。
一転、二人だけが残された部屋に静寂が落ちる。
びゅおう、と長屋の外を吹き渡る風の音が、静まり返った部屋にやたら大きく響いた。
彦四郎がびくりと肩を震わせる。
庄左ヱ門はじっと、戸の向こうを見つめていた。
風はごうごうと唸っている。その音が急に大きくなったかと思えば、やがて、たん、とはじめの一粒が落ちてきて、それは瞬く間に屋根を叩く大雨へと変わった。
外は、嵐である。
一、
よく晴れた秋の日。学級委員長委員会はお使いの真っ最中であった。
学園長の旧知である某寺の和尚から、南蛮渡来の絵巻物を手に入れたがなんと書いてあるのかさっぱりわからないから解読してくれないか。というような依頼の書状が学園に届き、その絵巻物を引き取るのに学園長直轄の学級委員長委員会に白羽の矢が立った。
本当は学級委員長委員会の現メンバーは四人なのだが、本日のお使いは三人きり。残念なことに尾浜勘右衛門は昨日からの校外実習が長引いて今日になっても戻らない。
「尾浜先輩も一緒に来れたら良かったですね」
寺への道をゆきながら、彦四郎は些か残念そうに眉を垂らした。
「い組の実習が伸びてるのでは仕方ないさ。でもあいつのことだから、寺の精進料理くらいじゃあご褒美にならんと端から留守番したがったかも」
「尾浜先輩はそんなことおっしゃいませんよ」
ふざける三郎に、庄左ヱ門は不服そうだ。
山越え谷越え、その寺までは忍たまの足で朝に出れば日暮れ前につく距離なので、三人は寺に一晩泊めてもらう予定である。
「そう怒るな、庄左ヱ門。そうだなあ、帰りは街道を回って、なにか甘味の一つでも買っていってやればそう拗ねはしないだろう」
「寄り道ですか?」
「いけないか彦四郎」
「そんなこと言ってません!」
「はは、では決定だ」
予定通り、日が沈むのが早い山奥にあってもお日様がまだ見えるうちに寺へ到着した三人は、蒔絵の美しい文箱ごと絵巻物を預かって、その晩は小僧と一緒に宿坊に厄介になった。
さて次の日。
日の出とともに寺を発ったが、そう行かないうちに三郎はむうと唸って、一年生二人に予定の変更を告げた。
「残念だが寄り道は中止だ。嵐がくるぞ」
嵐。そう言われて、庄左ヱ門と彦四郎は空を見上げる。秋晴れの空が見えている。昨日に続きよい天気である。雲もいくらかあるが、そう多くはない。頭の上の高いところと、それより低い西の空にも刷毛で刷いたような雲がいくつか流れているのが見える。
ご覧、と三郎は、その雲をすっと指でなぞってみせた。
「あの高い雲と、あっちの低い雲は、別々の方向に流れているだろう。ああいうのは大風の前兆だよ」
「はあ」
「へえ」
そうは言っても、この青空では実感がわかないのも仕方がない。気の抜けた返事をする二人を、三郎は特別咎めようとはしなかった。
「風を読んで天候を味方につけるのも忍びの習いだ。さあ急ぐぞ」
太陽が南中する頃、嵐の予兆は確かなものになっていた。あんなに晴れていた空にはいつの間にか薄黒い雲が垂れ込めて、時折びょうと強い風が吹く。
急ぎ帰るために、街道ではなく山道を行く事にしたのだが、思えばこの判断が間違っていたのかもしれない。
ざわざわと風に騒ぐ山の中を、三郎は表面上は安心させるようにいつもの飄々とした態度で後輩二人を導いた。裏々山までくれば、学園はもう目と鼻の先である。なんとか雨に降られる前に帰り着けそうだった。
―そう思い、気が緩んだか。
嵐に紛れて気配を隠すのは忍びの常套。失念したわけではないが、しかし今日は忍務でもなんでもない、ただのお使いと油断していた。
三郎が気付いた時にはもう、穏やかではない気配が周囲を取り囲み、徐々にその範囲を狭めていた。木々の葉や草が擦れる音で判別しづらいが、六つ、いや七つ。
三郎は歩を緩めないまま、二人に指示した。
「そのまま歩きながら聞くんだ。いいか。おそらく山賊だろう。囲まれている」
あたりを見回そうとした彦四郎を、庄左ヱ門が視線で咎めた。その様子に三郎はふふっと笑った。
「私がなんとかするから、お前たちは合図をしたら、荷を置いて二人一緒に森の中に逃げなさい。いいかい、和尚からの預かり物はここに置いていくんだ。そうすれば追われることはない」
相手は山賊、目をつけられた理由は十中八九この預かり物だ。紫の風呂敷に包まれた預かり物は庄左ヱ門が持っている。
「先輩はどうなさるんですか」
「別々に逃げるのさ。そのほうが敵は混乱する」
突然の事態について来れないのか、顔をこわばらせる後輩二人を見て、三郎は潜めていた声を一転朗らかなものに変え、快活に笑ってみせた。
「なあに、大丈夫さ。そう心配することはない!」
山道の脇の林立する木立から、藪を掻き分けるようにして山賊が現れたのは、それと同時だった。道の四方八方から三人を取り囲むようにして七人。獲物がかかるのを待ち構えていたのだろう。こんな山奥で獲物に出会えるとは、運のいい山賊たちである。相手がただの旅人であったならば。
「楽しそうにしてるところ悪いねえ坊やたち。その高そうな荷物をこっちに渡してくれんか」
粗野な笑い声、垢の染みこんだボロ布のような着物、抜き身の刀剣は錆び付いていて刃こぼれがひどい。あれで切られるのは中途半端な鈍らでやられるよりもよほど酷い目を見るだろう。錆が体の中に入って傷口が腐り落ちそうな具合だ。
三郎は後輩たちを守るように一歩前へ出た。
「困りました。これは今度祝言をあげる姉の嫁ぎ先への結納品なのです。これがなくなってしまったら縁談が壊れかねません。何卒見逃してくれはしませんか」
ぺらぺらと口をついて出てくる言葉に、山賊たちの目には喜色が浮かぶ。容易いものである。
あの荷が目当てというなら、それを利用しない手はなかった。二人の後輩を守りながら戦うよりは小さな包み一つを守るほうがよほど楽だ。万が一にも二人を誘拐して金に変えようなどという気が起こらないように、山賊の注意を存分に引きつけてやる必要がある。
「どうか何卒。このように、弟たちも怯えております」
三郎はごく自然に見えるように後輩二人の背中に回した手で、とん、と拍子をとった。
一つ。
「お宅の事情は知らねえなあ! さァさ、おとなしく渡してくれりゃあ痛い目見ずに済ましてやらあ」
山賊たちの包囲の輪が狭まる。三郎は黙ったままだ。
二つ。
「どうしても渡したくねえっつうなら、話が変わってきちまうがなあ!?」
気の荒い一人が焦れてそのぼろぼろの刃を上段に構えてみせる。
彦四郎が怯えたように体を震わせるのが、触れた掌から伝わった。大丈夫。その思いをありったけ込めて、三郎は力強くその背を。
「命と荷と、両方獲っても、こっちは構わねェんだ!!」
掲げられた刀が、一見無防備な三郎の肩口めがけて振り下ろされる。その時だった。
三つ。
「行け!」
鋭い呼気とともに三郎は懐から取り出した短刀で山賊の刃を弾いた。同時にまず、庄左ヱ門が動いた。彼は大事に抱えていた風呂敷包みを―置くことなく、木立の中へ駆け込んだ。
「っ、庄左ヱ門!」
振り下ろされる刃に怯えていた彦四郎が、一瞬遅れてその背中を追う。
「ガキが荷を持って逃げた!」
「追え!!」
背後を取り囲んでいた三人の山賊が、庄左ヱ門と彦四郎の後を追って森の中へと飛び込んでいく。
―最悪だ。
立場は違えど舌打ちをしたかったのは三郎も同じだった。まさかあの子らが指示を守らないとは思わなかったのだ。
しかし今は悔やんでいる場合ではない。
「糞ガキが生意気な! 殺っちまえ!」
残った山賊たちが、三郎に向かって一斉に刃を向ける。それを見て、三郎は短刀の鞘を払った。
もはや血を浴びることをためらってはいられなかった。
◆ ◇ ◆
「しょ、庄左ヱ門っ! 先輩は荷物置いて行けって!」
「あそこに置いて行っちゃだめなんだ! 先輩、僕らを助けるために一人であの人数を!」
彦四郎もそれで理解した。たかが山賊だが、七対一は多勢に無勢だ。忍術学園の五年生といえども相手にできるかどうか。山賊はどいつも大柄で、背丈もそうだがその横幅は三郎の二倍も三倍も大きく見えた。三郎のその実力は六年生をも凌ぐという噂は知っているが、それでも庄左ヱ門や彦四郎の目には、彼があの人数を相手に無傷でいられるとは思えない。無傷どころか、あるいは。
彦四郎はその先を考えることをやめた。
三郎は言った。自分も別々に逃げる、と。
この状況に至れば、それが自分たちを安心させるための嘘であることは明白であった。
先輩が嘘をつくときは、大丈夫でない時だ。
それは彦四郎と庄左ヱ門の共通認識であった。彼らとて暗愚ではない。それどころか、学級委員を務められるほどの判断力を持った一年生である。二人は短くはあれど時間よりもずっと濃い委員会付き合いの中で、すでに三郎のやり口を見抜いていた。
「僕が先に行くよ!」
「うん」
荷物を持っていない彦四郎が先に立って藪を漕いだ。棘を持つ草がその手を容赦なく切りつけていくが、構ってはいられなかった。
びゅうびゅうと嵐を呼ぶ強風が二人の頬を、ゆく手を阻む草の海をなぶってゆく。
ざわり。
風が揺らすだけではない不穏な気配を感じて庄左ヱ門は振り返る。
思ったよりずっと近くに山賊の姿を見つけ、庄左ヱ門の心臓はおかしなふうに跳ねた。
「彦四郎っ、来てる!」
切羽詰まった声に、彦四郎は振り向かないまでも状況を察し、藪をかき分ける手を早めた。
しかし、いかな忍術学園の生徒とはいえ、大人と子供ではその足の速さには歴然とした差が存在した。なにより背の高さ、ひいては足の長さが、道無き道を行くのには要となった。
このままでは、追いつかれる。庄左ヱ門の脳裏に、三郎の背中越しに目にした、赤黒い錆の浮いた刀が浮かんだ。あれでやられたらひとたまりもない。ならばいっそ、懐に隠している四方手裏剣で―いや。それを打つためには両手に抱えた大事な荷を手放さなければならないし、もしも手裏剣が外れてしまったら目も当てられない。一年生の腕前では、当たるより外れる可能性のほうが、ずっとずっと高いのだ。
山賊たちが吐く三つの息が背中にかかっているような幻を感じて、庄左ヱ門は静かに決意した。
二手に分かれる。それ以外にない。
そうすれば少なくとも彦四郎は、無事に忍術学園までたどり着ける。山賊の目当てを自分が手放さない限りは。
庄左ヱ門が考えを実行しようとした、まさにその瞬間である。
「えっ、……わ、うわっ」
何かにつまずいたかのように、急に彦四郎の体が傾いだ。
「彦四郎!?」
咄嗟に手を伸ばし着物の裾を掴むが、その手ごと庄左ヱ門までが引っ張られ、大きく体制を崩す。
「手こずらせやがって―」
好機とばかりに追いついた山賊が二人に刃を突きつけようとするが、それは実現しない。
なぜなら、二人の姿は一瞬のうちに、藪の中へと引きずり込まれるようにして、消えたからである。
―彦、庄ッ!!
遠くから、聞いたことのないほどに切羽詰まった、聞き慣れた声が聞こえた気がした。
―幕間―
誰かの背におぶわれている。
庄左ヱ門は、体の前面に触れる体温に、ほうと息を吐き出した。温かい。
「まだ寝てていいよ」
それは勘右衛門の声のように聞こえた。尾浜先輩、どうしてここに、いらっしゃるのだろう。
夢うつつの思考はまとまることなく煙のように霧散する。
そうだ。
「鉢屋先輩……」
「大丈夫だよ」
ふ、と笑いを噛み殺すような音が触れた肌越しに伝わった。
「もう大丈夫だからね」
大丈夫なのか。勘右衛門の声に、無条件に安心を抱いて、そうして再び、庄左ヱ門は眠りに落ちる。
三、
三郎の怒鳴り声を、勘右衛門は廊下の壁にもたれて聞いていた。
―ああ、あんなに声を張り上げちゃって、まあ。
ぴしゃん、と壊れるような勢いで戸板を閉めて出てきた三郎は、そこに勘右衛門がいることを認めた途端、あれだけ怒鳴っていたのが嘘みたいにひどくバツの悪そうな顔をするので、勘右衛門は溜息をつくよりない。何も言わないで去ってやっても良かったが、勘右衛門は壁から背を起こすと、指先でついて来いと合図した。
激しく降りだした雨が屋根を叩く音のおかげで、二人は静けさに耐え切れない思いをせずに済んだ。
勘右衛門の部屋に来てから、三郎はじっと俯いたままである。勘右衛門の方を見ようともしないが、しかしおとなしく付いて来た挙句、何を言ったわけでもないのに自分から正座しているあたり、よくよく状況を弁えているようだった。
「それで、後輩怒鳴りつけて、気が済んだかい」
「……」
「黙ってたってしょうがない。よし、鉢屋三郎! 今回の実習の反省点を述べよ!」
今回のは実習ではないが、授業の実習後によくやるのと同じ調子で言ってやると、三郎は渋々口を開いた。
「一つ、ただのお使いと思って油断していた。一つ、雨が降るより先に学園に帰ろうと急いだせいで警戒を怠った。一つ、裏々山まで来たらもう大丈夫だろうと高を括っていた。一つ、」
朗々とまるで報告書が手元にあるかのように述べた三郎は、そこで一旦言葉を切る。
「一年生が、上級生の指示に従わないとは思わなかった」
そう言った三郎は柄にもなく、寂しげな様子であった。
「私は、信用されていないのかな」
こいつは何もわかっちゃいないな、と勘右衛門はもう何度目かの溜息をつく。
「ああ、信用されていないな」
「……」
「落ち込んでばかりで気づいてないなら言わせてもらうけれど。お前の作戦は根本的に間違っている。あんなの、下策だぞ」
勘右衛門は冷めた目で三郎を見た。
あの時勘右衛門が聞いたのは、絶叫と言ってもいい三郎の、一年生を呼ぶ声だった。
い組の実習が長引いたわけは、学園の周りの山に山賊が入ったという噂が舞い込んだからである。事実確認の後、その山賊が入った山というのが今回学級委員長委員会が向かった寺の方角と同じであることを知った勘右衛門は、じわりと嫌な汗が滲むのを感じた。
鉢屋がついているから、大丈夫なはずだ。
そう自分に言い聞かせ、向かった山で見たのは、返り血で真っ赤に染まった三郎が必死に草むらを掻き分けている姿。
勘右衛門自身、血の気が引く思いだった。
しかし三郎は、遭遇した山賊は全て屠ったと言う。それならなぜ、一年生の姿がないのか。
やがて覆い茂った草で隠されるようにしてあった小規模の崖の下に、折り重なって倒れる二つの影を見つけた時には、膝からくずおれるかと思うほどに力が抜けた。
もちろんそのような無様は五年生の威信にかけてしはしなかったが、一年生がただ気を失っているだけだとわかった時には、今度は反対の意味で力が抜けた。
三郎が彦四郎を、勘右衛門が庄左ヱ門をそれぞれ背負って学園へ戻る途中、勘右衛門は三郎から事の経緯を聞いていたが、同時に背中の庄左ヱ門の寝言のようなつぶやきも耳にしていたので、今の三郎には全く同情の余地がないのである。
「お前の立てた作戦は、そりゃあ定石だったろうよ。足手まといは逃がして、自分で敵を引きつけて時間を稼ぐ。教科書にでものってそうだ。でもね、お前、一番考えなきゃいけないところが抜けてるんだよ」
三郎が勘右衛門を見た。すがるような眼差しである。こいつ、一年生に言うことを聞いてもらえなかったことが、そうとう堪えてやがる。
この顔をずっと見ているのも悪くないが、と勘右衛門は一度口を止めたが、どうせすぐに辛気臭くなって嫌気がさすだろうから、教えてやることにした。
「お前、あの子たちはね、学級委員長なんだよ。お前とおんなじ学級委員長で、よくよく気の付く性格で、そんな子らがずっとお前のことを見ていて気が付かないわけなかろうよ。お前がどういう時どういうたぐいの無茶をするかなんて、もうとっくにバレてるんだ。無茶しいの先輩なんて、信用ならないに決まってる」
それから勘右衛門は、彼らの気持ちを代弁してやった。
「信用して欲しいなら、お前もあの子らのことをもうちっと、信用してやんなよな。あの子らに逃げるだけしか求めないなんて、ちょっと見くびりすぎている」
三郎は不満気な顔だった。不満気というか、認めたくないと意地を張っているような顔だ。
確かに三郎は間違ってはいない。ただ少し、やり方を間違えただけ。
「いいかい。今日はもう遅いし、あの子たちは怪我はないとはいえ、一時は気を失っていたんだ。そんな子たちを怒鳴りつけた奴に何を言っても無駄と思うけど、謝りに行くんなら明日にしておくんだよ」
「……誰が謝りになど行くか」
勘右衛門は、嘘こけ、と心のなかでだけ呟いて、立ち上がって部屋を出た。
さて勘右衛門にはまだやることが残っている。
今日のうちに、もう一方の子らのことも叱りに行かなければならなかった。何を言っても先輩の指示に背いたのは厳しく処さなければいけなかったし、無茶をして怪我では済まなくなるところだったのだから。
そうしてたくさん叱った後に、教えてやらなければいけない。
「三郎があんなに怒ったの、たぶん君たちが初めてだよ」
勘右衛門の言葉に、庄左ヱ門と彦四郎は揃って顔色を悪くした。
「そんなに僕たちは、ひどいことをしてしまったのでしょうか……」
「は、鉢屋先輩は、もう僕たちのことをお許しくださらないんでしょうか……っ」
彦四郎はもうしゃくりあげそうになっている。庄左ヱ門だって、その大きな目を真っ赤にして、泣くまいと気を張っている。
そんな二人を見て勘右衛門は、ちがうちがうと大げさに手を振った。
「いいかい。三郎は滅多なことじゃ怒らないよ。それこそ、普通の人が怒るようなところで、あいつは笑ったりする。嘲笑って背を向ける。そもそも気に入らない奴には怒る前に見切りを付けて、もう金輪際関わらない」
そう、三郎があんな風にして怒るところなど、勘右衛門だって初めて見たのだ。あんな風に、喉が叫んばかりに声を割って、感情に任せて怒鳴りつけるなど、あの三郎に限ってするはずがないと思っていた。
学級委員長委員会に入ってよかった。三郎のあんな姿、これから一生かかったって二度とお目にかかれないだろう。
「だからお前たち、自覚しなければならないよ。お前たちは鉢屋三郎の、『特別』なのだから」
一年生たちはまだ、理解ゆかないという風にむつかしい顔をしている。
勘右衛門の役目はここまでだった。あとはなるようになる。
がたがた、ごうごうと大きな音がする天井を、勘右衛門はそっと見上げた。
雨も風もまだまだ止む気配はない。今夜ばかりは存分に喚けばいいと勘右衛門は思う。どうせ皆眠れぬ夜を過ごすなれば。
終、
「失礼します、鉢屋先輩!」
大きな声が五年長屋の一室に響いたのは、翌朝早くのことである。
目の下にどこかの会計委員会委員長みたいな隈を付け、きゅっと引き結んだ口元に決意をにじませた庄左ヱ門と彦四郎だったが、お目当ての先輩がぬっと振り向いたところで、その決意はどこかへ吹っ飛んでしまいそうになった。
なにせ鉢屋三郎の顔は、今はそこで苦笑している不破雷蔵の顔ではなく、恐ろしい般若の面であったから。
ひええ、と腰の引けた格好で身を寄せ合った二人を見て、般若がぼそりと言うのであった。
「すまなかったな。庄左ヱ門、彦四郎」
ぱかりと外した面の下、これまた隈を作った不破雷蔵の顔の三郎が、気まずげに視線を逸らしている。
庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせる。目と目で何かを確認し、二人はうんと頷いた。
「先輩! ごめんなさい!!」
「おわっ、ちょっと、待て!」
そう言って突然飛びついてきた二人分の体重に、三郎は為す術もなくどたんと後ろへ転がった。
さて、そのいくつか隣の部屋で、開け放した戸から空を見上げた勘右衛門は。
「嵐はもう行ったようだね」
雲ひとつない真っ青の秋空には、それはわざわざ言うほどもない事実であった。


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