鈴の音が朝からりんりん、学園中に響き渡る日。その音を聞いて学園の上級生たちはもう今年もそんな時期か、と頬を緩ませるのである。
今日は一年生の「暗やみ訓練」の日。一年生の腰に下がった鈴が鳴る。
* * *
「おほー、やってるなあ」
「やってるねえ」
おはよう、と食堂で朝の挨拶を交わすのは、先に来ていた五年ろ組不破雷蔵と同じくろ組の竹谷八左ヱ門である。彼らが見守る先には、腰に鈴を付けた一年生たちが朝からの武勇伝を口にしながらわいわいがやがや朝食の真っ最中だ。
「乱太郎ったら朝から眼鏡が見つからない!って大騒ぎだったんだよお。どうせ目隠ししちゃうんだから、いらないのにね」
「そういうしんべヱは着替えもせずに食堂に行こうとしてただろ」
「だってえ、見えないから着替えなくてもいいかと思って」
「自分で見えなくても先輩たちには見えてるんだから!」
一年は組のおなじみ三人組を皮切りに、朝から自分の部屋に掛けた罠に引っかかった、だとか、隣に寝ていたはずなのに起き抜け正面衝突したとか、話題には事欠かない。
というのも、今日が一年生の「暗やみ訓練」の日だからである。
「暗やみ訓練」とは忍術学園の恒例行事の一つで、一年生から三年生まで下級生の三年間かけて行われる実技の授業の一環である。夜闇を味方につけて暗躍する忍者たるもの、その暗やみに足を取られるようではお話にならない。一流のプロ忍ともなれば初めて忍び込む城内だって、見取り図一つで月のない闇夜であろうと完璧に歩くことなどまさに朝飯前。しかしそれを最初から忍者の卵に望むのは些か酷な話だ。まずは忍たまにとって一番身近である《我が家》――即ち学園内を、目に頼らず歩けるようにする、というのがこの訓練の目的であった。その第一回目である今日の課題は、「昼間の学園を一日目隠しをして過ごすこと」。一年生は朝目が覚めたその瞬間から夜布団に入る直前まで、今日一日目隠しで過ごさなければならない。もちろんいくつか例外はあって、その一つがここ食堂であった。
「食堂が訓練範囲外で良かったというか、もしここまで目隠しだったらこんな騒ぎじゃすまなかったろうなあ」
「そんなこと、食堂のおばちゃんが許すわけ無いじゃない」
「それもそうか」
八左ヱ門は目刺しの最後の一尾をぱくりとまるごと口に入れてから、それで、と気になっていたことを尋ねた。
「三郎はどうしたんだよ」
「昨日の夕方からお使いだって。でも今朝には帰ってくるって話だったんだけどな」
「鈴の音聞いて逃げたかな」
「そんな、猫の鈴聞いて逃げるネズミじゃあるまいし」
雷蔵は苦笑して、味噌汁を最後のしずくまで飲みきった。
「あいつ、この訓練嫌いだよなあ」
「あ、やっぱりハチも気づいてた?」
「分からいでか、毎年毎年、何くれ言い訳付けて消えるんだもの。どうしてかなあ、あいつの好きそうな行事なのに」
悪戯好きのあいつにうってつけの行事だよなあ、と首を傾げる八左ヱ門。
うん、と雷蔵は頷いた。頷きはしたものの、八左ヱ門の意見には内心同意できずにいた。
雷蔵がなにかを言おうとしたその時、お勝手の中から食堂のおばちゃんの「あんたたちいい加減お喋りしてないでさっさと食べきりなさいっ!!」という怒号が重なり、当事者ではないにしろ八左ヱ門と雷蔵も思わず飛び上がって席を立つ。
教室に向かいながら、八左ヱ門はもうその話題を蒸し返すことはしなかった。
* * *
一年生の腰になぜ鈴が付いているかと言えば、それは訓練中の思わぬ事故を防ぐためである。目の見えない一年生同士がばったり出くわして正面衝突しないように、あるいは人気のないところで誰かさんの作った蛸壺に嵌って動けなくなったりしないように。一年生の初めの暗やみ訓練が真っ昼間に行われるのも同じ理由からである。いきなり夜中の学園を舞台にしては、どんな事故が起こるかわからない。そのため、学園中の目がある昼間に行われるのだ。
さて時は昼休み。暗やみ訓練も折り返しだ。その日たまたま午前で授業が終わった雷蔵は、図書室にでも行こうかと長屋の渡り廊下を歩いているところだった。
リリリリリリリンと狂ったような鈴の音が聞こえて、ぐるりと首を巡らせた雷蔵が見つけたのは、まるで目隠しなんてしていないような遠慮なしのスピードで前庭を駆ける乱太郎きり丸しんべヱである。危ないなあ、でも今声を掛けたらびっくりして転んだりして、もっと危ないかなあ。などと悠長なことを考えていた雷蔵だったが、乱太郎の向かう先を目にして背筋がひやりとした。さすが不運委員とでも言うべきか、その先には四年の穴掘り小僧の掘った蛸壺が当然のように口を開けて待っている。雷蔵は咄嗟に外へと飛び出した。
「乱太郎ストップ!!」
「え!?」
突然掛けられた声に驚いて、案の定乱太郎はその場ですっ転げる。最悪捻挫くらいしているかもしれないが、蛸壺に落ちるよりマシだろう。
「きり丸、しんべヱも止まれ!」
「良い子は急に!」
「止まれないい!」
乱太郎は止まったが、後ろから走ってきていたきり丸としんべヱがそのままのスピードで突っ込もうとするのまでは止められなかった。彼らに追い付くにはまだ距離がある。間に合わないか、と雷蔵が諦めかけた二人を咄嗟に抱きとめたのは――
「はあ。間に合ったか」
「その声は」
「竹谷八左ヱ門先輩!」
後から追いついた雷蔵は、大きな怪我もなくピンピンしている乱太郎の様子も含めてほっと息をついた。
「ハチ、ちょうどいいタイミング」
「遠くから見えたもんだから走ってきてよかった」
それにしても、と八左ヱ門が三人組に向き直る。
「なんであんな全力疾走してたんだ。お前たちまさか目隠ししてるって忘れてるわけないよな?」
「平気でーす!」
「もう慣れました!」
「すみません先輩。目隠しして徒競走は誰が早いかって話になっちゃって、つい……」
「つい、じゃないの乱太郎。見えてないだろうけどね、君の走ってた先には綾部のたあ子ちゃんが大口開けてたんだから」
「うわー……さすが保健委員」
「きり丸も揚げ足取らない! いつもはただの不運でも、今日みたいな時は冗談にならないんだよ!!」
「はい……」
委員会直属の先輩に叱られて、きり丸も流石に懲りたようだ。この可愛げがいつもあればいいのだが。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ!」
そこに、新たな声が加わった。落ち着いた足取りで歩いてくるのは彼らは組のまとめ役、庄左ヱ門だ。
「庄左ヱ門! どうしたの?」
「どうしたの?じゃないよ。すごい勢いで鳴りながら鈴の音が通り過ぎていったから、危ないと思って追いかけてきたんだ。もう、なんでそんな走り回ってるのさ。土井先生からも、今日一日は走らないことって言われたじゃない」
「ごめんね庄ちゃん。今雷蔵先輩たちから叱られてたところだから、もうしないよ」
乱太郎がそういうのに、庄左ヱ門は、そうなの?と納得したようなしていないような口ぶりだ。あの特徴的な眉と瞳が布で隠されてしまうと、庄左ヱ門も印象がだいぶ変わる。冷静さが全面に現れて、いつもより更に学級委員長然として見えた。
「流石に学級委員長はしっかりしてるな。どうだ庄左ヱ門。暗やみ訓練はもう慣れた?」
「慣れません」
八左ヱ門の問いかけにきっぱりはっきり答える庄左ヱ門に、三人組は感心し切りで、
「さすが庄ちゃん」
「冷静ね」
なんて見えてもいないのに頷き合っている。
「俺達結構慣れたと思ったけどなあ。なんで慣れねえの?」
「だって誰と話しても顔が見えないんだもの。本当にその人かどうかわからなくって、落ち着かないよ。顔が見えない人と話すのって、ちょっと怖くない?」
「声でだいたい分かるじゃん」
「そう?」
「ところで雷蔵先輩、今日は鉢屋先輩はいらっしゃらないんですか?」
疑問に思ったことを素直に口に出すしんべヱが、その時もきり丸と庄左ヱ門のやりとりを遮って尋ねた。ただ、向いているのは雷蔵でも八左ヱ門でもないあさっての方向だったが。
さり気なく位置を直してやって、雷蔵が答えた。
「三郎はねえ……」
そう言ってしばらく間があった。一年生達の目が見えていれば、雷蔵が八左ヱ門達と意味ありげに目を見合わせたのがわかっただろうが。
「お使い中」
結局仲間に甘い二人は、そういうことにしておいてやった。
* * *
放課後になると一年生は思い思いの場所で残りの訓練時間を過ごす。わざと六年長屋を通って、六年生の足音のしないのに驚く者。目隠しサッカーに興じる者。木陰で昼寝を決め込む者もいれば、普段通りに委員会に向かう者もいる。
庄左ヱ門は一番最後の例に当てはまった。特にやることはないが、かと言って自室に引っ込んでしまうのももったいない。誰か居るだろうかと会議室のある長屋に足を向けた。
学級委員長委員会が根城にしている会議室の辺りは流石に人気が少なく、腰に下げた鈴の音だけがやたら大きく響いているようで少し恥ずかしい。視界が効かないのでその分聴覚が敏感になっているのだろう。
壁に手をやり縁側から足を滑らせないように、慎重に歩いてゆく。角を二つばかり曲がって、数えて三番目の引き戸を開けると、染み付いてしまったお茶の匂いと昨日のお茶菓子だったおせんべいの醤油の残り香がしたので、間違いなく辿り着いたと分かった。
部屋の中からは物音ひとつしない。どうやら誰もいないようだった。戸を開ける前に、中からふと誰かの気配がしたような気がしたが、気のせいだったのだろう。庄左ヱ門はいつも座布団を片付けている一角まで手探りでたどり着くと、山になっているその一番上から一枚引っ張りだして敷いて座った。お茶を入れたいが、流石に目隠しで湯を使うのは無謀と諦める。普段なら宿題でも始めるところだがそれもできない。来て数分で、結局手持ち無沙汰になった。どうしてここまで来たのだったか、目的は、そう。
当たり前に、誰かいるのだと思ったのだ。鉢屋先輩か尾浜先輩、彦四郎あたりが、いつもみたいに長机囲んでお喋りでもしているものだと、てっきり。
そんな庄左ヱ門の内心を読んだみたいに、すぱんと障子戸が開いたもので、庄左ヱ門はびくりと肩を震わせる。
次いで聞こえてきたのはよく知る一年い組の学級委員長の声。
「庄左ヱ門、来てたんだ」
「彦四郎。――じゃあ、ありませんね。鈴の音がしません」
名を口にして、すぐに気付いた。そんなはずがないのだ。彦四郎だって同じ一年生、今は訓練の真っ最中のはず。鈴の音だってするはずだし、目隠しだってしているはずである。戸を開けてすぐに中に誰がいるかなんてわかるわけがないのだ。
「おやバレたか。さっすが庄左ヱ門、冷静だねえ」
次にしたのは五年の尾浜勘右衛門の声。男らしい低い声が間延びして聞こえるのは確かに彼の人の声そのもの、だが。
「尾浜先輩なら先ほど木下鉄丸先生に捕まっているのが聞こえました。なにか用事を頼まれているようでしたので、まだ委員会には来られないと思いますよ――鉢屋先輩。お顔だけでなくお声もこんなに似せられるなんて、さすが変装名人ですね」
「……庄ちゃんには型なしだけどね」
ぱたん、と戸が閉まる音の後、軽い足音とともに彼が近づいてくる。すとんと庄左ヱ門の目の前に腰を下ろした気配は、確かによく馴染んだ悪戯好きの先輩のものだ。それなのに、その彼は意地悪く言う。
「しかし、本当に私は鉢屋三郎かな?」
にやり、庄左ヱ門の瞼の裏には、あの人を喰ったような笑みがありありと浮かぶ。なにかおもしろいことを思いついた、という時の顔だ。今日に限ってその対象は、ほかならぬ庄左ヱ門自身なのだろうけれど。
すでに掌の上だと承知のうえで、庄左ヱ門は聞き返す。
「どういう意味ですか?」
「庄左ヱ門は今目が見えないね。だから私が本当に鉢屋三郎か、なんの確証もないわけだ。さっきは上手く見破れたけど、もしかしたらもう用事を済ませた勘右衛門かもしれないし、他の五年生、六年生かも知れない。いやいやもしかしたら、忍び込んできたどこかの城の忍者かも。優秀な庄左ヱ門だって、プロ忍の気配はわからない。プロが本気になったらいくら変装名人と呼ばれる鉢屋三郎だって敵うまいさ」
「……それは、そうかも知れませんが」
「そもそも、君が普段から知っている、と『思い込んでいる』鉢屋三郎だって、本当に存在するのかね。誰にも素顔を見せず同室の不破雷蔵の顔を借りている、そんな男がこの学園にいるということこそ、初めから錯覚だったのかもしれない」
不意に、彼の手が庄左ヱ門の手を取った。自分のものより微かに冷たい手。驚いて咄嗟に引っ込めようとするのを制し、彼はそれをさらに前へと導く。庄左ヱ門の手にまた別の温度が触れた。細い絹糸のような質感が指先にかかり、ああ、顔に触れているのだと悟るに至った。
「さあ庄左ヱ門。私が誰だかわかるかい」
そう言われて、庄左ヱ門は指先の感覚を確かめる。するりと指を通り抜ける髪は不破雷蔵のものではありえない。六年の立花仙蔵の鬘でもかぶっているのだろうか。そのまま指先をずらせばすうと引かれた細い眉と窪んだ眼窩に行き当たる。しんべヱや庄左ヱ門の顔を真似る時のような特徴的な眉の面影は感じられない。どちらかと言うと保健委員長の善法寺伊作のような、穏やかな曲線。かの不運委員長を真似ているならばその下にあるのは猫目だろうが、閉じられた眼の形までは分からない。ふうわりとしたまつ毛が指先をくすぐって、まだ少し丸みを残した頬へと辿り着く。できもの一つ無い肌は作り物とは思えない滑らかさで、縄鏢の達人中在家長次の傷だらけの顔とは似ても似つかない。ふと指に触れた鼻筋はこれもやはり、不破雷蔵の鷲鼻とは趣を異にしているように思われる。最後に辿り着いたのは、唇。他人の唇など触れたこともない庄左ヱ門には、存外やわこいのだという感想しか思いつかなかった。
最後まで顔を辿ったのを見て取って、彼は再び問うのである。
「私は誰だ、庄左ヱ門」
その声音は、なぜだかお遊びとは思えぬ真剣さだった。庄左ヱ門の気のせいでなければ、それは懇願の色を帯びていた。どうしたことだろう、ただの顔当てクイズに、先輩はなぜそこまで真剣になっているのか。
いずれの問いにも答えは見つからなかった。
だから庄左ヱ門は、こう言うしかなかったのだ。
「鉢屋三郎先輩です」
「……うん?」
気の抜けたような三郎の声。期待はずれだったかと、出来のいい後輩でありたい庄左ヱ門としてはついムキにもなってしまう。
「だから、鉢屋三郎先輩です! わかりません、先輩がどなたの変装をされているのかなんて!」
その答えに、たしかに期待はずれだけど、と力の抜けたのは鉢屋三郎である。
てっきり、怖がるものだと思っていた。だって庄左ヱ門は昼間、ああ言っていたではないか。
「私が恐ろしいのでは、ないの?」
「はあ?」
何の話ですか、と首を傾げる庄左ヱ門の、今は布に隠れている丸い目がぱちくり瞬くのが手に取るようだ。
「だから、昼間言ってたろう。『顔の見えないのは恐ろしい』って」
お使い中だった三郎がどうやってあの場の会話を知れたのだろう。雷蔵か八左ヱ門から聞いたのだろうかと庄左ヱ門は不思議に思いながらも、問われたからには答えねばならない。
「だって、暗やみでも暗やみでなくても、人を脅かさずには居られないのが鉢屋先輩ではないですか。それを今更怖がっていたら学級委員長委員会などやってられません」
庄左ヱ門にとっては言うまでもない、当然のことであった。
しばらく沈黙が続いた。
目の見えない庄左ヱ門には何が起っているかはわからなかったが、目隠しした後輩の前で鉢屋三郎はしばらく呆けた後、突然ぶっと遠慮会釈なく吹き出したのだった。
体をくの字にして笑い転げる三郎を、庄左ヱ門はどうすることもできない。もし見えていたら、気がついただろうか。笑い転げるその先輩が、眦に涙を浮かべていたことに。
ひとしきり笑って気が済んだのか、笑いの気配をにじませながらもきちん居ずまいをただした三郎は、戸惑う後輩に悪い悪いと謝った。
「いやあ、これほど笑わせてもらったのはいったいいつぶりだろう」
「……一昨昨日だって兵太夫と三治郎を唆して竹谷八左ヱ門先輩を罠に掛けてやったと、笑い転げていらっしゃったではないですか」
「おや庄ちゃんよく知ってるね。まあそれとこれとは別だよ」
何が別なのか、この先輩の言うことは真面目な庄左ヱ門には時折難しい。――そう、難しいといえば。
「ところで鉢屋先輩、正解は何だったのですか?」
「正解?」
「だから、今日の変装は誰のものなんですか、と伺っているのです」
髪がサラサラのストレートだったからやっぱり立花仙蔵先輩ですか。でも前髪がありませんでしたから違う方ですか。伝子さんじゃありませんよね、お肌がすべすべでおひげが当たりませんでした。
首を捻る庄左ヱ門に、三郎はにやりと笑う。その首元を、見慣れぬ髪がさらりと滑った。
「正解はね」
さて真相は、闇の中。


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