夜間飛行

3,192 文字

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 《大いなる厄災》の、やけに明るく輝く晩だった。
 おかげでカインは、夜空を迷いなく飛ぶことができる。天気の悪い日ではこうはいかない。忌々しい相手のもたらす光が、今はありがたい。
 一刻も早く、魔法舎へ辿り着く必要があった。だが焦りは禁物だ。カインは箒の柄を握り直した。魔法使いと名乗るようになって日の浅いカインは、まだ箒の操縦に難があった。一人乗りならまだしも、慣れない二人乗りは、こと集中力を要する。後ろに乗せているのが怪我人であれば、なおさら。
 その怪我人は、先ほどからやけに静かだ。
「おい、寝るなよ」
 振り返ることなく、カインは名を呼んだ。
「オーエン」
 応えは返らない。
「オーエン?」
 聞こえなかったのかと思って、再度の問いかけ。
「オーエンっ」
 なおも続く静寂にたまらなくなって、カインは叫ぶようにして振り返った。箒が宙で大きく揺れる。
「っ、おい、しっかりしろ! オーエン!」
「……うるさい」
 振動でずり落ちそうになった身体を戻しながら、さも鬱陶しそうに呟く声。その拍子に、尖った肩がカインの背中に刺さった。そこにまだ体温が残っていることに、心から安堵する。
「よかった、まだ死んでないな」
 思わず溢した呟きに、こういう時だけ律儀に相槌が入る。
「何がよかったって?」
「お前が生きててよかった、って。当たり前だろ」
 カインの答えを聞いて、鼻を鳴らすような冷笑が返される。それが傷に響いたのか、喉を締めるようなうめき声。なのに言葉は天邪鬼そのものだった。
「まさか。負けて無様な姿を晒すくらいなら死んだ方がマシ」
「お前なあ」
「なに」
 間を置かず問い返されて、カインは束の間、言葉を探した。

 中央の城からの帰り道、ボロ雑巾のようになったオーエンを拾ったのは偶然だ。夕闇の迫るなかでもはっきりと、地面がおかしな風に抉れているのが空から見えて、降り立った先だった。周囲に民家はなく、巻き込まれた人がいなかったのは救いだが、そのせいで発見が遅れたのかもしれない。
 クレーターの真ん中に転がるオーエンは、白いスーツが見る影もないほどに汚れていた。手足はおかしな方に曲がって、口からは赤黒いものが溢れている。
 カインが近づいても、オーエンは微動だにしなかった。一瞬、死んでいるのかと思ったが、ひゅうひゅうと隙間風のような呼吸音が聞こえて、まだ息があることを知る。
『どうした!? 何があった!?』
『……ミスラは?』
『は? いないが……ミスラにやられたのか?』
『――最、悪』
 それきり黙り込んだオーエンを、無理やり箒の後ろに乗せた。
 魔法でいくらでも姿を消したり、遠くへ転移したりできるオーエンが、何もできずにただ転がっているのだから、相当深傷を負ったに違いない。本当なら動かさずに、助けを呼びに行った方がいい。先にカインだけが魔法舎へ戻って、オズなりフィガロなりと転移魔法で戻ってくる方が、結果として早いかもしれない。だが、カインにはオーエンをこの場に置いて立ち去ることが、どうしてもできなかったのだ。
 
 オーエンの機嫌が地の底を這っているのは、ミスラのせいだけではあるまい。オーエンを連れ帰ることが、カインのエゴに過ぎないことはわかっている。
 それでも、カインは一言言わずにはいられなかった。
 溜息を吐きたいのを堪えて、できるだけ説教がましくならないように。
「……もう少し加減して喧嘩できないのか? 何が原因か知らないけど、喧嘩するたびにこんな大怪我して。いくら死なないとはいえ、痛くないわけじゃないんだろ」
「へえ、僕に、負け犬みたいにみっともなく命乞いしろっていうの。騎士様は惨いことを言うね」
 歌うようなオーエンの声――
「勝てないのなら、時には引くことも重要だ」
「黙れ。それ以上言うなら今すぐここから落ちて死ぬ」
 ――それが、一瞬で凍りつく。
 カインは潔く降参を選んだ。
「わかった、……いや、わからないけど。とにかく、もう言わない、今は」
「……」
「はあ。北の魔法使いはおっかないな」
「……」
 またなにか、嫌味が返されると思ってこれみよがしに呟いた独白に、合いの手は入らなかった。
 カインはしばらく、黙って飛んだ。夜風を切る音が延々と続く。段々と胸が騒ぎ出し、カインは再び振り返りたくなるのを我慢して、声をかけた。
「なあおい、だから黙らないでくれって。お前、ただでさえ体温低いんだから、紛らわしいんだ。ずっと名前を呼び続けるぞ?」
 背後で身じろぎの気配がする。うえ、と舌でも出したのかもしれない。
「僕に起きてて欲しいなら、お前がなにか面白い話をしろよ」
 妥協ともつかない提案は、そう深い意味があったわけではないだろう。
 カインは一度口を開きかけ、またすぐに閉じた。それから当て所なく視線を彷徨わせる。夜空に月以外の何かが見つかるはずもなく、当然のようにそこに視線が吸い寄せられる。
 真円を描く、大きな月。
 そういえばあれも、こんな満月の夜だった。
「――昔、騎士団にいた頃。こんな風に怪我人を後ろに乗せて運んだことがある」
「……」
「もちろん、箒じゃなくて馬の背にだけどな。酷い事故の現場だった。大きな竜巻が村に直撃したんだ。たまたま見回りに出ていた俺たちが居合わせて……大部分の村人は教会に避難して無事だったんだが、逃げ遅れた人がいた。崩れかけた家の中に、幼い兄妹が取り残されてたんだ。柱が倒れて、外に逃げられなくなっていた。助けに入ろうとしたんだが、目の前で家が崩れ始めて」
「で、死んじゃったんだ」
 茶化すような楽しげな声。カインは苦々しく笑った。
「おい、勝手に話を終わらせるな。間一髪、助けたよ。俺が兄のほうを抱えて、仲間の騎士が妹のほうを。でも、その仲間が脱出する前に、とうとう屋根が落ちてきて、……咄嗟に子どもを守ることを優先したんだ。そのせいで逃げ遅れた彼は、落ちてきた梁に足を潰された」
「ふうん」
「一刻を争う大怪我だった。出血が酷くて……ショックもあったんだろう、すぐに意識が混濁した。小さな村には医者もいないから、中央の街まで戻るしかない。俺の馬が一番早いからって、ニコラス団長は俺に彼を運ぶように指示した。ひもで体をくくりつけて、ほとんど負ぶうみたいにしてさ。必死に馬を走らせた。どんどん体温が下がってくのがわかるんだ。意識があるか呼びかけ続けろって言われてたのもあるし、なにより一人で心細かった。 ――お前が喋らないと、その夜を思い出す」
 話し終えて、ほっと息をつく。
 ひとりは、さびしい。
 胸騒ぎの正体は、言葉にしてしまえばそれだけのことだった。
「で? どうなったの?」
「は?」
 油断していたところに、不意にオーエンが尋ねた。間抜けな声を上げたカインを嘲ることなく、オーエンはいやに静かに続きを促す。
「死んだの、そいつ」
 質問の意図を捉えかねたが、素直に答えるほかない。
「いや、ピンピンしてる。足は片方動かなくなったけど、今も騎士団にいるよ」
 そう答えると、オーエンは急に饒舌に喋り出した。あまりにも急激な変化に、機嫌が良いのか悪いのか、押し測ることはできそうにない。
「ハッ。赤の他人を庇って不具になって、その上まだ騎士団にしがみついてるの? とんだお笑いものじゃない」
「……誰も彼のことを笑ったりしない。俺だって、彼の立場だったら同じことをしただろう。足の一本で人一人の命が救えるなら、安いもんだ」
 カインの答えは、オーエンのお気に召さなかったらしい。気まぐれな猫のように、一瞬前の興味をなくす。
「……くだらない。馬鹿らしい」
「お前はそう言うが、これが騎士としての誇りだ」
「理解できない」
「だろうな」
 オーエンは再び黙り込んだが、カインはもう無理矢理、言葉を探そうとは思わなかった。

 分かり合えない二つの影が、月明かりの下、今だけは静かに重なっている。

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