一週間ロマニチャレンジ

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「ロマニの髪の毛解いてるところが見たい」
 だいたいに於いて、このカルデア唯一のマスターにして人類最後の希望であるところの少女は唐突で突拍子なく、そして自分の欲求に素直である。
 何もない日の昼休み、所員食堂で食後のほうじ茶をすすっていた彼女は湯のみをどんとテーブルに置いてまるで一大決心のように告げた。
 幸いその場には彼女とその忠実なる配下である自分――マシュ・キリエライトしかいなかったので、彼女のいささか変態性を帯びた決意は誰にも聞きとがめられることはなかった。尤も、その場に誰か――サーヴァントでも、生き残りの所員でも――がいたとして、彼等にとっても既に彼女のこの属性は周知されているところであったので、問題はない。救いもないが。
 同じように茶を喫していたマシュは、湯のみから立ち上る湯気のせいで曇った眼鏡をなおしつつ、感じたところを告げた。
「……素直に頼んでみたらいかがですか?」
「そっか! そうだね!! 行ってくる!!」
 根が素直で善良な彼女は思い立ったが吉日即日とばかりにどびゅーんと食堂を出て行ってしまった。取り残されたマシュがゆっくりと茶を楽しんで待つこと、三分。
「駄目だった!!」
 行きと同じ勢いで戻ってきた彼女はがたん、どすん、とその勢いのまま席に戻り、それから唐突にへにゃり、とテーブルに懐いた。
「なんか、笑顔のままだけど絶対やだって雰囲気で拒否ってきたから、ちょっと心折れた……。ロマニのくせに……」
「ドクターは意外とそういうところがあります。身体接触を許さないタイプです」
「なにそれ……萌える……」
「先輩、今なにか?」
「ううん。それより、それ知ってて私にけしかけたわけ? 酷くないですか?」
「いいえ! 先輩ならもしや、と思っただけです」
「そっか。でも、駄目だったよ……」
「申し訳ありません」
 途中なにか聞き逃したが、とにかくここまで意気消沈している彼女を見るのは忍びなかった。善意とはいえ、彼女に無駄足を踏ませ心を痛めさえることになるとは思っていなかったのだ。
 だから、それは軽薄な慰めでも、口先だけの建前でもなく、本当に心から出た言葉だったのだ。
「先輩、私にできることならなんでもしますから」
「なんでも?」
 テーブルに頬をつけたまま、くるり、と茜色の瞳をこちらに向けたのに、ようやくマシュは、なにかまずいことを言ってしまったのではないか、と気づいた。

○月×日(月)

 先輩が、ドクターの髪を解いているところが見たいと言ったから、今日はチャレンジ開始日。
 語呂がよくないのは、これも私が未熟なせいでしょうか。とにかく、唯一なるマスターの命とあれば、黙って従うのがサーヴァントのつとめだと私の中の英霊も言っているような気がします。
 早速今晩、ドクターが寝入るであろう時間に私室に突撃することになりました。先輩は「シャワー上がりにかち合っちゃったらどうする……? どうしよう……!?」と何故か顔を赤くしていましたので、作戦時間を変更しますかと訪ねましたが決行を強く主張されました。一度決めたことを覆さない、さすが先輩です。
 夜十時。就寝には早いですが、もっとも気をくつろげている時間帯でしょう。ドクターの私室は居住区画の中でも医務室に近い地下4階にあります。本来居住区画にはその階に室がある者しか立ち入れないのですが――あの事件以降極端に人員を減らしたカルデアでは、互いに距離が近くなったのもあってその制限は撤去されています。
 ドクター、ロマニ・アーキマン。その表札を確認し、先輩と私はインターホンを鳴らしました。
 ピンポーン。
 ……ピン ポーン。
 ……ピンポン。
 ピンポン。ピンポン、ピンポンピンポンピンポンピンポン――
 計三十八回押しましたが、出ません。
 まさか寝てしまった? いえ、それにしたって、医療スタッフの長を務めるドクターがコレほど緊急、至急、逼迫を感じさせるインターホンに反応しないわけがありません。
 二人して首を傾げていますと、後ろからのほほんと、声をかけられました。いくらのほほん、ぼややん、ぼんやりとした声であっても、部屋の向こうに意識を注いでいたので二人して二・五センチは飛び上がったと思われます。
「なにしてるの……」と心底不思議そうな顔をして立っていたのは、そのドクター本人でした。いつの間に気配遮断のスキルでも獲得したのでしょうか。
「二人がボクの部屋にいたずらするのに集中しすぎて気づかなかっただけでしょーが。……で、どうしたの、こんな時間に」
 こんな時間にどうして外にいるの、というそれは実はこちらの台詞なのでは?という気もしましたが、かと言ってあまり素直に来訪の理由を告げては昼間のあの様子からしてガードが固くなるだけなのではと、コンマ二秒の視線のやりとりで同意に至りました。なんだかとても仲の良い主従のようで大変満足しました。しかし、では何かよい言い訳をとっさに思いつく事ができるかというとそうでもなく、二人してもじもじしていると、何を思ったのかドクターは急に優しげに微笑んで、部屋に招き入れてくれました。
 それから、温かいココアをごちそうになり、ごく平和な話題――ここ数日の日常のこと、最近仲間になった新しいサーヴァントのこと、女性サーヴァントたちの中で噂になっている美容法について――を経て最後はドクターの電脳アイドル趣味の話になったのでいつもの様に生暖かい視線を向け……いつの間にか一時間が経過していましたので、促されてお暇することになりました。なんだかとっても満ち足りた気分で私達の居住階に戻る途中、本来の目的を思い出しましたが、二人共とても眠かったのでそのまま挨拶をして就寝しました。

○月×日(火)

 チャレンジ二日目。
 昨夜はいつになくよく眠れました。私もレム睡眠の達人への道へ近づいたということでしょうか。朝食の席で先輩に挨拶しますと、先輩もまた「よく寝た」と零していらしたので、追いつけども追い越せない遠い背中を感じます。ますます精進しなければなりません。
 そこで、ようやく私たちは寝起きという一番気の緩む時間帯をむざむざと逃してしまったことに気が付きました。「ねおきどっきり」というそうです。初めて知る単語です。さすが先輩は物知りです。
 ねおきどっきりは明朝に回すとして、今日の作戦は、ずばり「待ち伏せ」です。昨日の作戦失敗にかかる原因はおもに二つ。一つはドクターの帰室の時間を見誤ったこと、もう一つは部屋の中にいるものだと思い込んで周囲の気配に鈍感であったこと。反省を生かし、今日はドクターが帰ってくるのを通路脇の物置で待ち伏せし、ちゃんと部屋に戻ったところで訪ねる、ということになりました。最悪、失敗したとしてもドクターの生活リズムが確認できるのならば今後にも活かせる、次を見据えた作戦となっております。
 二人で顔を突き合わせていると、通りがかった清姫が「献身的な後方警備ですわね……」と微笑んで去っていきましたが、あまり突き詰めて意味を考えてはいけない気がします。お巡りさんには捕まりたくありませんので。
 さて、作戦結果を先に書きますが、失敗でした。夕食を済ませ、夜九時頃に作戦を開始しましたが、なにしろ物置というのは狭く薄暗いのです。居心地が悪いということではありません。むしろ逆でした。カルデアの自動空調管理がこんなところまで行き届いているのか、埃っぽいということもなく、ただ単にその狭さと薄暗さが絶妙に心を安らがせるのです。箱のなかに入りたがるネコの気持ちがわかった気がしました。これは、落ち着きます。しかも、未使用のリネンやブランケットの類が積まれているところに無理やり二人分の体をねじ込んだせいで、ふわふわ、もこもことした感覚に包まれざるを得ず、そのあまりの心地よさに、途中からなんだかドクターの髪とかどうでもいいような気がしてきたなんてことはもちろんないのですが――、気がついたら、朝になっていました。目を覚まし、隣で寝こけていた先輩を起こして物置から這い出ますと、通路を照らす自動採光システムがぼんやり朝焼けの色を演出していました。限りなく自然に似せて作られたその色は、一日の中でもほんの一瞬しか合成されない特殊な色彩で、人工光だとわかってはいましたがなんだかとっても得をした気がしました。変な体勢で寝たので、体のあちこちが痛みましたが。
 ところで、シバによって観測される館内モニタ機能を使えばもっと楽にドクターの動向を確認できたと思うのですが、以前これを悪用して男性サーヴァントの入浴シーンを覗き見しようとした先輩は既に権限を取り上げられています。デミ・サーヴァント足る私にはもともと権限が与えられていませんし……非常に無念です。

○月×日(水)

 チャレンジ三日目。
 特になんの成果も得られないまま物置で目を覚ました私たちは、そのままドクターの私室に突撃しました。時刻にして早朝四時半。ええ、その時の私たちは少しおかしかったのだと思います。先輩は「寝起きテンション」と言っていました。物理学における張力とこの状況になんの因果があるのかは今こうして振り返ってみると理解しかねますが、その時は疑問にも思いませんでした。私もおかしかったのだと思います。任務中でもないのに先輩とごく近い距離で一夜を過ごし、共に目覚める――というのがまるで日常にありながら非日常のようで、なんの緊張感も必要ない状況で迎える先輩との朝だというのに、戦場にでもいるかのように脈拍が不正に跳ね、顔が火照りました。寝起きということを差し置いても体温の上昇を感じます。流行性感冒でしょうか。
 ともかく、そのような形でドクターの部屋を訪れました。することは初日と同じでインターホンを鳴らすだけです。私室のロック解除許可は部屋の使用者と最高責任者――つまり現状、ドクターご本人です――しか持ちえません。私がデミでなく真性のサーヴァントであれば、一時霊体化し壁をすり抜けるという手も使……えなかったですね。私だけ入っても先輩が入れなければ意味がありません。私個人としては、ドクターの下ろし髪にも寝顔にも一切興味がないのでした。うっかり、忘れそうになっていましたが。
 前回と違って今回は一度目のインターホンに返事がありました。スピーカー越しに「はぁい、今行くよー」と寝ぼけたような声が聞こえます。もっともドクターの場合、いつも寝ぼけたような声を出すので本当に寝ぼけていたのかどうかわかりません。とにかく、返事があったことで私たちはお互いに顔を見合わせました。部屋と廊下は完全に防音になっているのでその必要はないはずですが、何故か声をだすのがはばかられました。頷き合って、その時を待ちます。それから、一分もかからなかったと思います。ドアの施錠が解かれる音がして、視線がドアと壁の隙間に引き寄せられます。隣から先輩の緊張が伝わってきました。唾を飲み込む音さえ聞こえたような気がしました。
 果たして、出てきたドクターは――まったく、いつも通りでした。ええ。いつも通りだったのです。ぽやぽやとした顔も、ゆるふわな髪を後ろで適当に詰めた頭も、慌てて着替えたにしては着崩れていない白衣も、普段通り嵌められた手袋も。
 図らずとも私の予感は的中してしまいました。だから言ったのです。ドクターはいつも寝ぼけたような人ですので、寝ぼけていてもいなくてもわからないと。
「なにも手袋までしてなくたって――ッ」
 血を吐くような嘆きが聞こえてきましたが、ドクターは気が付かなかったようで、どうしたの、具合悪くなった?と心配顔です。叩き起こされたというのに嫌な顔ひとつしないのはドクターの鏡といえるでしょう。まさか自分の髪が見たくてこんな早朝に突撃されているのだとは想像もしていない――していないでほしいのですが、大丈夫ですよね?
 さて、今回も言い訳に詰まった私です。この点はもっと反省するべきです。前回の教訓が生かされていません。とっさに「ええ、主に先輩が、某桜セイバーのように吐血しそうな感じかもしれません」などと答えそうになりましたが、この手の冗談は医師に言うべきことではないと思い直し、私は先程感じた動悸について述べることにしました。
 先日同様、部屋に招き入れられ、前回とは違いテーブルを挟まずに、ドクターは私の前に座りました。引き出しから聴診器を持ちだして心臓の音を確かめた後細かく問診され、言われるがまま答えていると、厳しかったドクターの表情は徐々に緩んでいきました。
「キミも、ずいぶん成長したってことかな」
 診断も病名も下さず、なにも問題はないと言ってドクターは私達二人を帰しました。はたして、何も理由がないのに心臓が高鳴ることなどあるのでしょうか。帰り道、そう先輩に尋ねましたが、先輩は先輩で何か考え事をしているようで上の空でした。よっぽど今回の作戦失敗が堪えたのでしょうか。それとも、私が自分のことにかまけて先輩の命令(オーダー)をおろそかにしているように見えてしまったでしょうか。そうであればと誠心誠意お詫びしましたが、そうじゃないから安心してと言ったっきり、先輩はまた考え事に戻ったようでした。
 そういえば私の診察中、先輩の視線は部屋の奥に向いていたようでした。そちらにはベッドの他は特になにも見当たらなかったと思うのですが……何か気になるものでもあったのでしょうか。確かに先輩なら、ドクターが寝乱したシーツ一つ目にしただけでも興奮して倒れそうですが。

○月×日(木)

 チャレンジ四日目。
 今日はどうしますか、と私から声をかけたのは、午後二時を回った頃でした。今までなら朝一番にでも私に今回のミッションについて声をかけてくるのに、どうしたことでしょうか。即断即決、決めたことは最後までの先輩にしては珍しく、そろそろ諦めたということなのでしょうか。
「医務室に行ってみようと思う」
と先輩は言いました。諦めてはいなかったようです。少しほっとしました。中途半端に諦めるなんて、先輩らしくありませんから。
 それにしても、医務室というのは盲点でした。確かに、今まで就業後や就業前の私室にばかり挑戦していて、この辺りで少し目先を変えてみるというのは必要かもしれません。先輩の視野の広さには感服します。
 普段管制室にいることの多いドクターですが、本来の彼は医療セクションのトップです。止むに止まれぬ事情により組織の頂点に立っていますが、彼の本拠地は本来医務室なのです。
 医務室のドアは開いていました。当たり前ですが、私室と違ってここに入るのに許可はいりません。もちろん種々の薬品も揃っていますので、部屋の主が不在の時は入ることはできませんが、ドアが開いているということは人がいるということです。
 目的が医療行為の受領ではないのもあって、私と先輩はなんとなく、気配を殺してその部屋に近づきました。戦場に慣れた私達ですから、気配遮断もお手の物ですが、万一ばれないとも限りません。ああ、そうでした、理由を訊かれた時の言い訳を考えておかなければならないのでした。軽々しい嘘は吐きたくありませんので、どこかに足の小指でもぶつけて怪我でもしてきたほうが簡単かもしれません。想像するだに、痛そうですが――。
 結果的に、タンスの角に小指をぶつける必要はありませんでした。気が付かれなかったからです。いえ、ですが、ミッションクリアしたわけでもありません。正直、混乱しました。あの自らの欲望に忠実な先輩が、それをしなかった理由がわかりません。
 ドクターはいました。いましたが、部屋の奥、診療室のデスクに凭れるようにして居眠りしているようでした。入口からは肩と頭くらいしか見えませんが、あの特徴的な夕焼け色をした髪の毛は間違いありません。医務室には治療用ベッドもありますし、大人が寝そべっても問題ない大きさのソファもあります。それにもかかわらず仕事用机で寝ているということは、本当は眠るつもりはなかったということなのでしょう。サボり魔で有名なドクターにしては謙虚な姿勢ではないでしょうか。
 今度こそ好機であると思いました。無防備に後頭部を晒している今なら、後ろから近づいてあのほわほわした髪の毛を束ねるゴムを一思いに取り払ってしまうことも可能のように思えました。先輩が無理でも、戦闘経験を積んでレベルの上がった私になら、容易いことだったと確信しています。
 私は先輩の指示を待ちました。マシュ、行くよ。と戦場に凛と響くあの頼もしい声で、命令(オーダー)が下されるのを待ちました。ですが、いつまでたってもそれはありませんでした。それどころか、下されたのは正反対の命令でした。
「そっとしておいてあげよう」
 えっ、なんでですか?と、そう叫びそうになったのを、事前に察知したのでしょう、先輩はシーッと口元に人差し指を添えて、私の肩を掴むと無理やり廊下へと引き返させます。
 完全に廊下にまで戻ってきて、改めて質問する私に、先輩は難しい顔をして言いました。
「敵に塩を送るわけじゃないけど、スポーツマンシップにのっとった結果です」
 ……すぽーつまんしっぷを乗っ取るとは、船をハイジャックするという意味でしょうか。あまり穏やかな響きではありませんが――。

○月×日(金)

 チャレンジ五日目。
「アプローチを変えようと思う」
 朝一番に私が部屋を訪れると、先輩はドレッサーの前で小物入れの引き出しを全部開けてなにかを探しているようでした。まるでおもちゃ箱をひっくり返したように、ドレッサーの前は賑やかなことになっています。バラバラに散らばったヘアピン、青のサテンリボン、黄色のカチューシャ、黒曜石のバレッタ、紫と白のマーブルのバナナクリップ、薄桃色の飾りのついた東洋の簪など、こんなに持っていたのかと驚くほどのヘアアクセサリの数です。
 その中から、先輩は一つをつまみ上げました。いつも先輩が使っているものと色違いの――柔らかい萌黄色をしたシュシュです。その色はどこかで見たことがあるような気がしました。
「これをドクターにあげる。今すぐ付けてみてほしい、といえばドクターも断れないでしょう」
 さすが先輩汚い――ではなくて。好意を盾にして人の行動を制限する、なんて策略でしょうか。これには諸葛孔明も真っ青じゃないでしょうか。後でエルメロイII世に聞いてみましょう。

 ドクターは本日は管制室にいました。カルデアスとシバを用いて、次なる特異点の先行調査をしているようです。私たちは調査と調査の間は、なにか突拍子もない出来事でも起こらないかぎり――そして意外とそれがよく起こるのですが――、訓練のほかは休息に当てることができます。ですが、ドクターのようなバックアップ人員はレイシフトが行われていようがいまいがあまり関係ないようです。いつも忙しそうに働いています。
 管制室に入ると、中にいた所員の視線が一斉にこちらを向きます。そして、先輩と私だと分かると、どこか空気が緩んでいきました。特にカルデアスの直下で偏光レンズを覗き込んでドクターと何か話し込んでいたスタッフは、これ幸いとばかりにドクターを放り出し、お茶淹れてきますね、と出て行ってしまいました。
「お邪魔しましたか?」
「いいやあ、ちょうど休憩って時間帯だったから、いいタイミングさ」
 首に手をやって肩のあたりを解しているドクターは、笑ってはいますがなんだか疲れています。休憩されるということであれば、問題は無いでしょうけれど。
 そこにすかさず先輩が、綺麗にラッピングした例のシュシュを渡します。別に誕生日じゃないんだけど、と不思議そうな顔をしたドクターは、それでも人の好意を無碍にしたりはしない人ですので、嬉しそうな顔をして受け取りました。開けてみてと促され、ギフトバッグのシールを慎重に剥がすあたり意外と几帳面なのですね、ドクター。なんだかここ数日、ドクターのことに詳しくなった気がします。全く嬉しくはありませんが。
 取り出したシュシュに一瞬呆気にとられていましたが、ドクターは律儀にお礼を言いました。確かに、男性に贈るものとして適当な品とはいえなかったかもしれません。目的が目的ですので物品の変更は当たり前ですがききません。そうでありながら、贈り物がシュシュであってもそこまで違和感がないのがドクターがドクターたる所以でしょう。そこに託けて、先輩はドクターに今すぐ付けてみせてとせがみます。先輩、輝いています。目が、キラキラしています。先輩が嬉しそうでなによりです。
「しょうがないなあ」
 熱意に押され、ドクターが了承しました。やった、と心のなかでガッツポーズをしたのは私だけではないはずです。先輩の願いが叶う――ついにその時が来たのです。
 ドクターはもらったばかりのシュシュを手首にはめました。そして、反対の手を頭に添えます。一つにくくった髪の根元を押さえ、それから、ゆっくりと――。
 はらり、と髪が。
 元の位置に収まりました。
「……あれ?」
「これでどうかな」
 三十路男が恥ずかしそうにはにかんでいます。頭頂部には萌黄色のほわほわシュシュ。夕日色のふわふわと萌黄色のほわほわが、なんともメルヘンチックな雰囲気を醸し出しています。
「なぜ……ッ?」
 そろそろ先輩がオルタになりそうです。そういう黒いオーラを出しています。そう、ドクターは、元から髪をくくっていたヘアゴムを解かないまま、その上にシュシュを付けてしまったのです。
「ああ、だってボクの髪一度解くとまたまとめるの大変なんだよ? 前も断ったことあったと思うけど」
「なぜ……ッッッ!!」
 多分クラスはアベンジャーです。ジャンヌ・オルタの気配によく似ています。
 そういえば思い出しましたが、どこかで見たことがあると思ったあのシュシュの色はドクターの瞳の色と同じでした。これはお世辞ではないですが、その色のシュシュはドクターによく似合っていました。

○月×日(土)

 チャレンジ六日目。
 それは辞めたほうがいいです、と私は三度は進言しました。控えめに言って、良い結果が起こるようには思えませんでした。私の拙い第六感では論拠に足りないと思われるかもしれませんが、シバで観測したとしても結論は同じだったでしょう。つまり、これは勘などではなく、決定した未来なのです。
 ですがその三度の進言をしても私には先輩を止めることはできませんでした。あとはもう仕方がありません。私は先輩のサーヴァントです。マスターには服従する。それは義務や権利の話ではなく、そういう性質なのです。
 罠を張るのは簡単でした。カルデア調理班特製、北海道産小豆と新潟県産コシヒカリを使用して作った漉し餡おはぎ。それを、それとなくしかし何の脈絡もなく医務室の治療用ベッドの上に置いておくのです。それだけで、ターゲットは吸い寄せられるようにそちらに向かいました。
 あとは簡単です。ベッドに座り、おはぎを口にしたターゲットを、ベッドの下に隠れていた私が飛び出して、押し倒す。ベッドに倒れたターゲット――ドクターは、「へっ?」と心底間抜けな顔をして、それでもおはぎの咀嚼をやめませんでした。危機感がないにもほどがあります。向日葵の種を頬張ったままネズミ捕りにかかるハムスター並です。
「すみませんドクター」
「どうしたんだいマシュ」
「お覚悟――あの、ドクター、早くおはぎ飲み込んでくれませんか。ちょっと、緊張感が……」
「緊張する必要があるのかい?」
「押し倒されているのに緊張する必要がないんですか!?」
「そうですよドクター。そんな緊張感のなさだと、そのうち痛い目に合います。エロ同人みたいに。エロ同人みたいに!」
 突如響いた第三者の声。言うまでもありませんが、先輩です。理解の難しい単語を使いながら、先輩は手をワキワキと蠢かせました。それはそれは嬉しそうな顔をするので、私も気が乗らないながら協力した甲斐があります。ですが、それも今日まで。長かった一週間が、ようやく終わりを告げるのです。
「今日こそ、ミッションクリアします」
「そう。今こそ、決戦の時……!!」
 決意の声は聖杯を前にした最終戦の面影がありました。
「はあ? キミたち、何の話?」
 わかっていないのはドクターのみです。相変わらずの脳天気ぶりです。まあ、いいです。別に酷い目に遭うわけでもありません。
「では、」
「いざっ!」
 二人の声が重なりました。先輩の、いえ、マスターの手が、ドクターの髪へと近づいていきます。私によって押さえつけられている体が、ふと抵抗を思い出したようでした。しかし、もう遅い。デミ・サーヴァントの力をもって強化された私の身体能力と、ひ弱な頭脳労働者のはかない抵抗では、初めから全力で抗っていたとしても逆転は不可能でした。
「ちょっと、っ、なにっ……!」

「はい、そこまでー」

 髪に触れる直前で、マスターの指が止まりました。ドクターの抵抗もピタリと収まり、私も思わず手を離し、声の方へと臨戦態勢をとりました。
 冷水を浴びせられた気がしました。首を伝うそれは事実冷水でした。いつの間にかびっちりと冷や汗が浮いています。強烈な魔力の気配に体が不随意に震え出します。
「せん、ぱい……」
 そんな私の反応を見て、先輩は大きくため息をつきました。そして、両手を上げて降参のポーズを取ると、ゆっくりと振り返ります。
「降参だ、ダ・ヴィンチちゃん」

    ■

「――『そうして、私達のチャレンジは終わりました。結果は振るいませんでしたが、私にとっては実に充実した一週間でした。目的を達成できなかった先輩はもっと悔しがるかと思いましたが、意外と冷静に見えました。それに、半分はクリアしたようなもの、と言っていましたが、一体どういう意味だったのでしょう。』……だってさ」
「まさかそんな計画が進行していたとは……前々から思ってたけどあの子、ちょっと胆力有り余りすぎじゃあない? マシュに悪影響与えてないといいんだけど」
 日曜日。世界に一般的に認められた休息日は、人類が滅び最後の砦と化したここカルデアにおいても根付いている。戦いが長期に及ぶことが見込まれているため、定期的な休息はむしろ規律や業務効率を維持するために必須の要素だ。もっとも、それを規則化し周知・運営しつつも真っ向から破っているのがこの目の前の人物なのだが。
 マシュから回収した報告書を音読しながら、カルデアの技術開発部名誉顧問たる英霊レオナルド・ダ・ヴィンチは煎餅を食んでいる。それを聞くのはDr.ロマンこと、カルデアの現司令塔ロマニ・アーキマン。しかし、彼は今もダ・ヴィンチに背を向け、デスクに向かって何かを打ち込んでいる。その手を止めずに、彼はふと思い出したように言葉を継いだ。
「ああ……いや。いい影響は与えているみたいだね。マシュは同年代の同性と出会って、青春時代――と言えるものを満喫してる。あの性格は元からだろうけど、マシュのためにある程度意図してやってるところもある。そうだろう?」
「もちろん。あの子が胆力だけの子じゃないって事はわかってる。そうじゃなきゃ人類の救世主なんてやってられないさ。で、その救世主ちゃんが何を心配していたのかもわかってる?」
「? ボクの髪を解きたいとかいうやや偏執的な望みを叶えたかっただけじゃないのかい?」
「だからキミは駄目なんだ、よッ」
 立ち上がったダ・ヴィンチは、英霊のバフスキルを無駄に使用し身体能力を上げると、音もなく五メートルの距離を詰めた。彼が振り返る隙を与えず、ダ・ヴィンチの手は彼の頭を掠める。
 ふわり、と夕焼け色が舞い上がった。
 その「夕焼け」は強烈な西日の色ではない。それを透かした雲の色だ。ふわふわと捉えどころがなく、いつだって同じ顔をして空に浮かんでいる、そういう雲の色。
「う、わっ?」
 一拍遅れて悲鳴があがる。それにしたって気が抜けている。慌てて頭を抑えたようだが、まったく意味が無い。彼の髪は背を半ばまで覆ったところで漂っている。
「なんで髪、下ろすの嫌なの?」
「……集中が解ける気がするんだ。スイッチがオフになる。所員の前じゃ見せられないし、ボクだって一度オフにしたものをまた入れなおすのは苦労するもの」
 そう言う彼の顔は、確かにどこかいつもより疲れて見える。耳にかかる髪が顔に影を作るせいだろうか。けして女顔というわけではないが優男然とした顔が、なんの加減か不意に疲れ果てた旅人の横顔に見えた。
 それが嫌で、ダ・ヴィンチは横髪を耳にかけてやる。見かけどおりの柔い触り心地が指に気持ちよく、そのまま、思わず二度三度と撫でてしまった。
「やめてくれよ、眠くなる」
「もうオフになってしまったものは、仕方がないんじゃないかい?」
 とろん、と瞼が落ちてくる。そうなる前にと、腕をとってベッドへと促す。半分眠りかけているのだろう、言われるがままに横になった彼の首元をくつろげてやり、ブランケットもかけてやって。
「お休み、ロマニ」
 むにゃ、と不明瞭になにかを発音する口元がゆっくりと寝息を立て始める。ダ・ヴィンチはその不器用で無様なまでに一生懸命な友人の髪を、しばらく撫で続けた。

 ――そうして少女は思惑を「半分」達成することに成功する。追いかけているうちに心配になった、いつ寝ているかわからない働き者。その穏やかな睡眠を守りたいというもう一つの思惑を。

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