風邪引き騎士に捧ぐ魔法のホットチョコレート

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 幼い頃はよく熱を出して寝込んでいた。
 そう言うと、大抵の人は「信じられない」とか「冗談だろう」とか、驚きをあらわにする。我ながら否定できないのでいつも笑って流すことにしていたし、笑われることも気にならなかったが、オズだけはこの話を聞いても笑わなかった。
「お前は、魔法使いであることを隠して騎士になったと、そう言っていたな」
「……ん? ああ。そうだけど」
 突然話が飛んだな、と不思議に思いつつ頷くと、オズは一人で納得いったとばかりに話を終わらせようとする。
「待て待て、ちょっと待ってくれ。今の質問、なにか関係あったか?」
 オズはこれ以上話したくなさそうな顔をしたが、カインが引き下がる様子を見せないので仕方なく、といった風に言葉を継いだ。
「お前は幼い頃、何度魔法を使った?」
「何度って……考えたこともなかったな。でも、物心ついてから大人になるまでは、たぶん一度だけだな。川で溺れた友達を助けようとしたときだ。親から絶対に人前で魔法を使うなと言われてたし、人前じゃなくても使っちゃいけないものだと思ってた」
「一度だけ?」
「ああ」
「お前は……」
 オズが口ごもる。言葉を探している気配がしたので、カインはおとなしく待った。しばらくするとようやく適当な単語を見つけたのか、オズが再び口を開く。
「お前は、自制心が強すぎるのかもしれない」
「……ありがとう?」
 礼を言うと、オズはこれ見よがしにため息をついた。
「褒め言葉ではない。呆れている。普通は、幼い魔法使いというのは無意識に魔法を使うものだ。子供に口をきくなと言われてきかないでいられないように、そうできるものをそうしないというのは難しい。それが、お前はできてしまったから、頻繁に熱を出したのだろう」
 今度はカインが黙る番だった。頭がよく回らない中、辛うじて話をかみ砕く。
「えーとつまり、魔法を使わないことと熱を出すことは、関係がある?」
「そうだ。魔法使いが魔法を使わないのは自然なことではない。使われない魔力が体内で渦を巻き、血を熱する。幼いうちは魔力が安定しないから余計に」
「はあ。それで、だったのか」
 カインは幼い頃の記憶を思い出そうとした。だが、あまりうまくいかない。体の中で回る熱。あの頃もそんな感じだっただろうか。思い出せない。どちらかといえば、それは昔というよりも——
「じゃあ今の状態ももしかして」
「愚かな。お前のそれは、ただの風邪だ」
 今度こそオズが会話を切り上げて席を立つ。カインはベッドに横たわったまま、それを見送ることしかできない。
「少し寝ろ。また様子を見に来る」
「ああ……また、後で」
 扉が閉まってしまうと、いよいよカインの頭はぼんやりとしてきた。やはりよく思い出せないなとため息をつく。こんなのはいつぶりだろう。怪我で寝込むことはあっても、こんなことは本当に子供の頃以来だ。
 吐いた溜息が熱い。
 風邪を引いて、熱を出すなんて。

 朝、目覚めたときから違和感はあった。
 いつもより目覚めがすっきりとせず、体が重い。それをカインは、疲れが溜まっているのだろうなと自己分析した。ここ最近、訓練や任務の他に、故郷の栄光の街からの頼まれ事、騎士団からの内々の依頼、さらにはアーサー様の手伝いにと、確かに慌ただしさが続いていた。だが、忙しいのはアーサーも同じ。主君が文句一つ言わずに働いているのに、自分だけがへこたれるわけにはいかない。それは実際、忠誠心というよりかは単なる見栄張りにすぎず、意地を張るべきところではないのだが、カインはどうして、主君の前では良き騎士でありたいという欲が出る。
 今日はアーサーのいる城へ出向いて、大臣たちと魔法使いの処遇改善の話し合いに参加する予定だった。護衛役なので発言権があるわけではないが、狸や狐の多い貴族連中とやりあうのに、誰かが後ろにいるのといないのではアーサーも心持ちが違うだろう。そう思えば、こんなところでうだうだとベッドになついている暇はない。
「よしっ」
 一つ気合いを入れてカインは起き上がった。日課の走り込みと鍛錬を行えば、そのうち調子も戻るはずだ。
 手早く鍛錬用の軽装に着替えるが、今日はいつもよりも肌寒い気がして、その上に練習着を羽織った。髪をまとめて、タオルを持つ。走り込みの前に井戸で水を汲み、顔を洗うのがいつもの流れだった。
 階段を降りて正面とは別の出入り口から外へ出る。そこはすぐ魔法舎の裏手で、物干し竿が並んだり、洗濯桶が転がっていたりする辺りだった。
 カインは井戸へ向かうとポンプを押して水を汲んだ。木桶になみなみと張った水は、やはりいつもより冷たく感じる。季節は初夏で、今朝もよく晴れ、気温が上がりそうな気配なのに、と不思議に思いつつ顔を洗った。
「カイン」
 と、そこに声がかかる。抑揚の薄い声、時間と場所からいっても、まず間違いなく、
「レノックス?」
 タオルでぬれた顔を拭きながら振り返る。空いた手を空にかざすと、パチンと手と手が合わさる音がして、目の前に背の高い男の姿が現れる。
「おはよう。あんたも鍛錬か?」
「ああ。だが、……」
 口数が多いとは言えない男だ。だが困ったように口をつぐむのは珍しい。
「どうした?」
「カイン、自分で気づいていないか?」
「?」
 首をかしげてみせると、「困ったな」とレノックスが呟いた。言葉のわりに大して困った風には見えない。それから再び、手をカインのほうに伸ばしてくる。もうハイタッチは済んだのにな、と不思議に思いつつ、黙ってその手の行方を見守った。眼前にかざされた手は、そのままぴとり、と額に触れる。大きく、分厚い手のひらは、カインの額ばかりかまぶたの上までを覆ってしまう。視界が暗くなり、手の温度を直に感じる。思ったよりも冷たい体温に、ほう、と意識せず息が漏れてしまった。
「あんたも水を使ったばかりか? ひんやりして気持ちいい」
「違う」
 否定の言葉とともに手がどかされて、視界が戻ってくる。レノックスは難しい顔をして言った。
「お前、熱があるんだ」

 そこからは早かった。まさか、と言われたことを信じずにあくまで走り込みに向かおうとするカインの首根っこをひっつかみ、レノックスは迷わず魔法舎の居住棟の一階へと向かう。
「フィガロ先生、フィガロ先生」
「ん〜? もうお昼?」
「朝です。起きてください」
 叩き起こされたフィガロは昨夜も遅くまで飲んでいたらしい。寝ぼけ眼でレノックスを見、続いてカインを見て、うーん、と唸った。
「急患ならしかたないか。どうぞ、入って」
「いや、俺は」
「はい、先生」
 カインの主張は皆まで言わせず、患者の引き渡しが行われる。寝間着の上に白衣を羽織ったフィガロは、椅子に座らせられたカインの額を触り、喉に触れ、口の中を見た後に脈を取り、聴診器を胸と背に触れさせる。流れるような作業は、合わせて三十秒もかからなかった。
 聴診器を耳からはずして、フィガロはうん、とレノックスに頷いて見せた。
「風邪だね。完全に」
「ですよね」
「まあ、今日一日休めば治るんじゃないかな。体も鍛えていることだし」
 それを聞いてカインは情けない声を上げる。
「ええ、そんな、困る」
「困るって、何が?」
「今日はアーサー様を手伝いに城へ行かなくちゃなんだ」
「それって、君でないとだめなの?」
「俺でないとだめ、ということは……ないかもしれないが……」
 そう問われると言葉に詰まる。自信がなくなり、言葉尻が消えかかると、フィガロはそうでしょう、と微笑んだ。優しい笑みなのに何故だか胸が冷え、それ以上声が出なくなる。
「それなら誰かに代役を頼んで、大人しく寝ているんだね。レノ、ネロに言って滋養のあるものを作ってもらって。あんまり熱が上がるようなら熱冷ましを出そう」
「はい。わかりました」
 だめだ、この流れは良くない。このままだとベッドに逆戻りすることになってしまう。カインはがらんどうの胸を手で押さえて、フィガロに向き直った。
「なあ、すぐ治すような薬か、魔法はないのか?」
「ないね。緊急時でもないのに、そんな強い薬や魔法を使ったら、却って体に悪いよ」
「緊急なんだ」
「おや、さっきと言っていることが違うなあ」
「頼むよ先生」
 目で縋るが、フィガロは困ったように頬を掻くばかりだ。
「うーん、俺は南の国の先生であって、君の先生じゃないしなあ。……どうしてもって言うなら、そうだな、君の先生に聞いてみたら?」
「は?」
「《ポッシデオ》」
 フィガロの呪文とともに、空間がたわんで、戻る。だがカインには何が起きたか分からない。一見何も起きていないように見える。レノックスの視線の動きから、そんなことはないと分かるのだが。
「な、何だ?」
「じゃあ、あと、よろしく〜」
「え、あ、ちょっと、フィガロ、」
 大きなあくびとともにフィガロは説明もなくカインとレノックスを外へと追い出した。二度寝を決め込む気満々だ。
 ばたん、と背後で扉が閉まる。その直後、ぽん、と肩に手が置かれた。レノックスは目の前にいる。フィガロは部屋の中。それならこの手は、一体。
 恐る恐る振り返ると、そこには、
「一体、何事だ」
「オズ……」
 ナイトウェアをまとった魔王が、眉間に深い皺を寄せて立っていた。

 ◇

 体が熱い。息が苦しい。内臓が重い。
 カインは喘ぐように目を覚ました。朝のことを反芻しているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。眠る前より具合が悪くなっているのを感じる。特に胸のむかつきが耐えがたい。
 肘を立てて重い体を起こすと、額の上から濡れタオルが滑り落ちた。拾い上げたそれは体温と同じくらい温くなっていて、頭に乗っているのが分からないのも道理だ。寝ている間に誰かが乗せたくれたのだろう。ベッドサイドには水差しも置かれている。ありがたいな、と誰かに感謝して水を飲む。熱を持った臓器に冷たい水が滑り落ちて、いくらか楽になった気がした。
 人心地着くと、時間が気になってくる。この部屋には時計がなかった。騎士服を纏うときは身だしなみの一環として懐中時計を懐に忍ばせるが、いまはたぶん机の引き出しの中で、取りに行くのも億劫だ。まだ昼前、だろうか。こう具合が悪くては腹時計も当てにならない。今までどんなに怪我で寝付いても食欲がなくなるということはなかったので、どうも調子が狂う。
(アーサー様の護衛は、誰が行ったかな……)
 時間が気になるのは、ひとえにそれ故だった。フィガロに魔法で呼び出されたオズに、ざっくり事情は説明したが、果たして代役は立ててくれただろうか。自分が向かいたいという主張に、オズは駄目とも良いとも言わないで、丸々聞かなかったことにされてしまったし。
 朝カインが開けたカーテンは、今はぴったりと閉められていて、日差しはわずかにカーテンの隙間から入り込むだけだ。それでも、外が明るいことは十分分かったし、鳥の声や風の音も聞こえてくる。なのに、人の声だけが聞こえない。
 西の魔法使いの賑やかな歌声も、北の魔法使いの物騒な悪態も、東の魔法使いの訓練中のかけ声も、南の魔法使いの楽しげなおしゃべりも。寝込んでいるカインに配慮してのことなのか、それとも皆出払っているからなのか。そんなことはないと分かっていても、置いてけぼりにされた気がして、なんだか無性に寂しくなって、誰かを探しに行こうかとベッドから降りかける。
 そのときだった。
 コンコンコン、と几帳面に三回、ノックの音。それから密やかな声。
「カイン、起きてますか」
 リケだ。カインはすぐさま返事した。
「ああ、起きてる。入ってくれ」
 かちゃりと静かに扉が開く。リケとは今日まだ触れあっていないから、姿は見えない。気配だけが近づいてくる。何か運んできたのか、歩くたびにカタコトと音がする。
「失礼します。よかった、起きてたん……カイン」
「何だ?」
「どこへ行くつもりだったんですか? ちゃんと寝ていてください」
 そっと肩を押されて、ようやくリケの姿が見えた。むすっとした表情で、片手にバスケットを提げている。そして、もう片方の手で、カインをベッドに戻そうとしているところだった。カインは苦笑して、素直に布団の中に足を引っ込めた。
「悪い。ちょっと、外の様子が見たくなって」
 カインの言い訳は、リケの耳には入らなかった。驚いた顔でカインに触れた方の手を見つめている。
「カイン、すごく熱いですよ。顔も真っ赤です。……熱を出すというのは、大変なことなのですね」
「リケは風邪を引いたこと、ないのか?」
「あります、少しなら。でも、神の使徒たる者が弱ってはならないと、咳が出たりだるかったりしたら、すぐにお医者様に診て貰っていましたから」
 リケは見つめていた手のひらを、使命感たっぷりにぎゅっと握りしめた。
「でも、大丈夫です。僕がカインのお世話をします」
 そう力強く言い切った後に、隠しきれない喜色をにじませて付け足す。
「実は僕、誰かの看病をするのは初めてなんです」
 リケの《人の役に立ちたい》という想いが、カインの看病に全力で向けられているのがわかった。心なしか目をキラキラと輝かせているリケは、年齢よりいくぶん幼く見え、言うことをなんでも聞いてあげたくなる可愛らしさだ。そうでなくとも、看病を申し出てくれる相手に、申し訳なさはあれど断る理由はない。
「はは、そうか。よろしく頼むよ」
「はい!」
 リケは早速、手に提げてきたバスケットを丁寧に床に置くと、そこからぽってりとした蓋付きの陶器の食器を取り出した。
「ネロに作って貰ったんです。病気のときの食べ物。ええと、そじや?」
「ああ、おじやか。賢者様の世界の食べ物だな」
「はい。ネロも、消化にいいものでできているって言ってました」
 そう言って、ぱかり、と蓋を開けた。とたん、卵と出汁のいい匂いが立ち上る。作りたてなのだろう、まだ湯気が立っている。冷めないように、もしかしたらバスケットか食器に魔法がかかっているのかもしれない。
 カインは思わず手で口を覆った。
「? どうしましたか?」
「……いや」
 蓋を開けた瞬間から、胃のむかつきがぶり返した。いつもだったら食欲をそそる香りが、正反対の効果でカインを襲う。食べ物のいい匂いを嗅いで吐き気を催すなんて、記憶にある限り初めてのことだった。頭ではきっとおいしいはずと思うのに、体が受け付けないのだ。気持ち悪い。匂いを嗅ぐのもつらい。
 そんなカインの様子に気が付かず、リケはバスケットの中からスプーンや小皿を取り出している。
「食事をしないと力が出ませんからね。薬を飲む前にも、食事をしてからの方がいいそうですよ」
「ああ……」
 駄目だ。ここで「食べない」とは言えない。
 そんなことを言ったら、せっかくのリケの好意も、ネロの手間も、無駄になってしまう。普段病気と縁遠い自分の体を恨みそうになった。こういうとき、どうやって断ればいいのかがわからない。
「カイン、どのくらい食べられそうですか? 分けてあげます」
「……じゃあ、その皿の半分くらいかな」
「そんなに少しでいいんですか?」
「足りなかったらおかわりするよ」
 断るタイミングを逃し続けている自覚がある。リケが得意げに皿におじやを盛った。皿半分。いや、一口。一口くらいなら、食べられる、気がする。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 小皿とスプーンが手渡される。ここまで来たら、もう覚悟を決める他ない。一口だけ食べて、やっぱり食欲がないと断ろう。そのためにも一口、食べなければ。
 茹だった頭ではそれ以上考えられなかった。なにか間違っている気がしながらも、立ち止まって振り返る余裕がない。
 スプーンを口に運ぶのを、リケが見ている。口に入れる。味はよくわからないが、温かい。よく噛みもせずに飲み下す。ほっ、と一息ついた瞬間、それはやってきた。
「……っ」
 胃の奥がひっくり返るような衝撃。一口のおじやと、あとは水くらいしか入っていないはずの胃が、許容量を超えたかのように逆流する。
「カインっ!?」
 小皿をリケに押しつけてベッドから飛び出す。熱と吐き気でまともに立っていられなくて、倒れ込む前にと壁に縋り付く。
「ど、どうしたんですか、カイン!?」
 ふらふらと扉を目指す。どうにか廊下へ出て、トイレまで辿り着きたい。手のひらで口を強く押さえる。あふれる生唾を飲み込む。
 目指す先の扉が、勝手に開いたのはそのときだ。
「カインさん、リケ。フィガロ先生に言われて、薬と、濡れタオルを持ってきましたよ——って、カインさん!?」
 避ける間もなくぶつかった相手はミチルだった。朦朧とする視界に、ミチルの持ってきた飲み薬とタオル、そして、それを濡らすための桶が映る。
「ごめっ、」
 最後まで言う時間がなかった。カインはひったくるようにして、ミチルの腕から桶を奪う。
 最悪だ。こんなのは。よりによって子供たちの前で。
「……っ、ぅ、」
 力なく壁に手を付き、ずるずると座り込みながら、堪えきれない嗚咽とともに、カインは桶の中に嘔吐した。

 ◇

 誰かが髪を撫でている。汗で張り付いた前髪を除けてくれている。
 どこからか甘い香りがする。導かれるように、懐かしい記憶を思い出す。
 そうだ。あの頃。
 頬が火照って汗がだらだら出るのに、体の芯が冷えて凍えそうに寒い。自分はベッドから出られないのに外は遊ぶのにもってこいの陽気で。カーテンの向こうから子供の声が聞こえたりすると、なんとも惨めで悲しい気持ちになって。こんなことで泣いてたまるものかと、布団の中で歯を食いしばって嗚咽を堪えていると、まるで見計らったように母親がやってきたものだ。手には必ず、甘い飲み物の入ったカップを持って。
 どうして、と聞いたことがある。
 どうしていつも、俺が堪え切れなくなる前に来てくれるの。
 母親はカインの頭を撫でてこう言った。
『私は魔法使いじゃないけれど、あんたのことだったら、使える魔法がひとつあるのさ』

 ふわり、目が開いた。
 熱で潤んだ視界に誰かの姿が映る。今日触れた人は、と頭の中で思い浮かべる、そのどれでもない人の声がした。
「カイン、目が覚めたか?」
「……アーサー様?」
 なんで、と言いかけて気が付いた。部屋の中はすっかり暗く、枕元のランプだけが、ベッドの周りを丸く照らしている。その中で、礼装を解いたアーサーが、カインの前髪を梳いていた。だから姿が見えたのだ。
「夜……か……?」
「ああ、もうすぐ日付が変わるよ。よく寝ていたな、体調はどうだ?」
「会議は……俺の代わりは、誰が……っ」
 言いながら体を起こそうと試みる。主君の前で、のうのうと寝ているわけにはいかないからだ。それなのに、立ち上がったわけでもないのに立ちくらみのような症状が出て、まともに頭も上げられない。
「こら! まだ熱があるんだ、無理をするな」
「しかし……」
 カインが渋ると、アーサーは仕方ない、と微苦笑して、ソファの上のクッションをヘッドボードと体の隙間に詰めてくれる。なんだか本末転倒だが、おかげでようやく体が安定して、力を抜いてもたれかかることができた。ただ、その間にアーサーが話してくれた顛末に、今度は別の意味で頭が上げられなくなったが。
 曰く、カインが付き添う予定だった会議には、オズが連れてきた賢者様が代わりに出席してくれたということ。カインが寝ている間にフィガロが解熱の点滴を打ってくれたということ。汚してしまったシャツも、そのときに着替えさせてくれたということ。
「フィガロ様が謝っていらしたよ。こんなに熱が高くなるなら、もっと早く処置するべきだったと。それにネロも、カインはいつもたくさん食べるから、病気の時でも食欲があるという先入観で食事を用意してしまったと済まなさそうにしていた」
「そんな……そもそも俺が無理をしなければ良かっただけで、フィガロもネロも悪くない」
「そうだな。リケは無理して食べることなかったのにとぷりぷり怒っていたぞ。その割に、目は潤んでいたが」
「申し訳なくて頭が上げられないよ」
 言葉の通り、カインは俯き、落ちかかった前髪をくしゃりと握った。汗で湿った髪が指に絡まる。アーサーに撫でつけられた髪が、見る影もない。
 今日一日、皆に情けない姿ばかり見せている。レノックスやフィガロに心配され、オズや賢者様には手間をかけ、リケとミチルの前ではあの大失態。その上、主君たるアーサーにまで、こうして世話になっている。
 はあ、と大きなため息が、夜の静寂に響いた。
「……俺は、騎士失格だな」
「はは、珍しい。カインが弱気になっている」
 心から自分に落胆して呟いたのに、アーサーはしめやかに笑ってみせた。これにはカインもむっとして、指の間からにらみつける。
「笑わないでくださいよ、人が真剣に落ち込んでるってのに」
 返ってきたのは、意外な言葉だった。
「すまない。でも、嬉しくて」
「嬉しい? どうして?」
 聞き返すと、アーサーは少し考えるそぶりをしてから、こう答える。
「そうだな……お前はいつもかっこいいから。たまには弱気なところを見せてくれたほうが、安心する」
「安心……」
 アーサーの言っていることは、正直よく理解できなかった。だって、アーサーこそ、いつも凜々しくて格好いい、理想の主なのだから。いつだってカインは彼にふさわしくありたいと思っている。魔法使いとして生まれつきながら、中央の国の王子でもある、数奇な運命を辿った子。どんな逆境にもめげずに前を向く主の支えになるために、折れぬ剣であり、強い盾でありたい。それがカインの願いであり、誓いである。
 だが、実際はどうだろう。
『それって、君でないとだめなの?』
 フィガロの声が脳裏によみがえる。
 アーサーにとっての唯一でありたかった。代わりなどいないと言ってほしかった。だが、本当はカインよりもオズのほうがずっと頼りになるだろう。護衛役と言う名目があっても公式には何の立場もないカインより、賢者様のほうが仕事の助けになったはずだ。心の底でそれが分かっていたから、つまらない見栄を張ってリケやミチルに迷惑をかけた。
 分かっていても、悔しいものは悔しいのだ。
 カインはアーサーの方を見ずに呟いた。
「こんな俺はあんたにふさわしくないだろ」
 ほんの少し、語尾に気持ちが滲んでしまったことに、気づかれただろうか。
 視界の端でアーサーが動く。ベッドの端が重みで沈む。それでも頑なに見ないでいると、横から両手を取られた。ようやく視線を合わせたアーサーは、穏やかに笑っていた。
 その笑顔に、目を奪われる。
「カイン。もしお前が不安になるなら、何度でも伝えるつもりだ。でも、どうか覚えておいて」
 ランプの火が、じりりと揺れる。深い陰影がアーサーの言葉を縁取った。暗闇の中で、そこだけが明るい。
「お前は、私の騎士だ。お前だけが。だから、くれぐれも自愛してくれ。お前の代わりはどこにもいないのだ」
 カインは、ゆっくりと瞬きをした。
 言葉の意味を噛みしめる。そして、飲み込んだ。
 飲み込んだ先、胸の奥から湧き上がるこの気持ちを、いったいどうしたらいいのだろう。
 どうしてアーサーには、今カインが一番欲しいものがわかるのか。自分がわかりやすすぎる? それとも、人の心が読めるのか。まるでそんな魔法があるみたいに——。
「あっ」
「どうした?」
 思わず声を上げていたことに、問われてから気が付いた。だが、よくよく考えると正直に話すには恥ずかしい話だ。相手が尊敬する主君であれば余計に。
「子供の頃、よく熱を出して……そのときのことを思い出したんだ」
 それで納得してくれるかと思ったが、アーサーの瞳が先を促している。カインはしぶしぶ、続きを話し出した。
「熱くて、辛くて、寂しくて、泣きそうになっていると、必ず母親がやってきてくれた。ホットチョコレートの入ったカップを持って。それが、本当に俺が泣き出すかどうかってタイミングでさ、ホットチョコレートを飲んだ後はなんだか体がぽかぽかして、辛いのも、悲しいのも、全部どっかにいっちまうんだ。それが、魔法みたいで、」
 あんたがくれた言葉みたいで。——とは、さすがに言えなかった。主君を見て母親を思い出すだなんて、恥ずかしすぎて口には出せない。
 それきり黙ったカインをどう思ったのか。アーサーは何も言わずに、軽やかにベッドから立ち上がった。そして、机の上から何かを取ってくる。
「ほら」
 目の前に差し出されたのは、湯気の立つマグカップだった。甘い香りも、そこから立ち上っている。
 カインは目を丸くした。
「これって……」
 受け取ったカップを恐る恐る覗き込む。ミルクとチョコレートのほっこりとした茶色い飲み物は、間違いなく、
「ホットチョコレート?」
「保温ポットに入れてきたから、冷めてはいないと思う。どうぞ、召し上がれ」
 そう言われて、はいそうですかと答えることは、カインにはできそうもない。
「い、いや!? ちょっと待て、混乱してきた。偶然か? それとも本当に魔法?」
 混乱するカインを尻目に、アーサーは余裕たっぷりに微笑んでいる。
「笑ってないで、説明してくれ!」
 アーサーはとうとう吹き出して、ようやくカインに説明をくれた。
「カイン、オズ様に話しただろう? 子供の頃のこと。子供の頃は、頻繁に熱を出して寝込んでいたこと。……私が魔法舎に帰ってきた時、食堂でネロとリケがうんうん唸っていて。カインが食べられるものがわからない、と。私が彼らの話を聞いていると、オズ様もやってきて、それなら栄光の街へ行けばいいとおっしゃったのだ。カインのお母上なら、きっとご存じだろう、と」
 説明を聞いても俄には信じがたい、というか、できれば信じたくない話だ。
「それで、行ったのか?」
「行った」
「会ったのか!?」
 声を大きくするカインに、当然とばかりアーサーが頷く。
「お会いしたよ。カインはお母上似なのだな。明るくて気さくな方だった。カインが熱を出していることを伝えると、レシピを教えてくださって。それから、たまには顔を見せに帰ってこいとの言伝をいただいた」
 王子に言伝させるなんて、とんでもないことだ。もちろん身分を隠して行ったからなのだろうが、それでもくらくらと目が回る。
 カインはがっくりと肩を落とした。もう、情けないとか恥ずかしいとか、そんなレベルをとっくに通り越している。
「駄目だ、熱がぶり返してきたかもしれない」
「それは大変だ。それを飲んだら、早く寝ること。大丈夫、きっと明日の朝には良くなっているよ」
 それはそうだとも。
 カインは半ばやけっぱちな気分で、カップに口を付けた。懐かしい甘みが舌の上に広がり、ゆっくりと腹と心を満たしてゆく。
 寂しさも悔しさも、チョコレートとミルクに溶けて消えてゆく。代わりに、胸の奥に火が灯る。身を焦すような熱さではなく、ぽかぽかと陽だまりのような温かさ。

 熱も苦痛も、悲しみも、きっともう戻ってこない。カインは確信を持ってそう言える。
 なにせこれは、王子様が持ってきてくれた魔法のホットチョコレートなのだから!


Q. お題は「ココア」だったのにどうして「ホットチョコレート」にしたのか? 性格がひねくれているから?
A. 「ホットチョコレート」の方がタイトルの語呂がよかったからです。あと、最初は隠し味に唐辛子を入れるレシピにしようと思っていて、それがカイン母の使った“魔法”ですよー、というオチを考えていたんですが、まほやく世界の唐辛子はサンダースパイス…?それだとピリピリはするけど体暖まらなくないか…?むしろ火炎ジャガイモを入れた方が効果的では…?火炎ジャガイモの入った…ホットチョコレート…?と迷走し出したため、敢えなくボツとなりました。

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