「ああ、なんて美しいんでしょう!」
丘の上までやってきて、ジャンヌは耐えきれないとばかりにくるりと身体を回転させる。出がけに押し切るように着せた花色のスカートが風をはらんでふわりと揺れた。
服を差し出した時はあれだけいやがっていたのに、今はそんな様子微塵も見えない。むしろ新しい服を貰って喜んでいる、どこにでもいる少女のようで、フランスは隠しきれない苦笑をにじませた。
スカートでは馬は駆れないから、今日はフランスが抱えて二人で馬に乗った。まるでお姫様を奪って逃げているみたいだな、と向かい風に負けないように耳元近く吹きこんだら、彼女が冗談でなく顔をしかめたのには少し傷ついたけれど。
「そういう冗談、嫌いなんです」
そんなつもりじゃなかったのに。
そもそもこの子には冗談なんて通じない。いつだって真剣なので、今回のこれも真剣に嫌がられたということだ。
ほかの女の子ならばいちにもなく喜んでくれる台詞なのになあ。僅かに傷ついた自分の心を慰めるように、できるだけ軽い口調で「お兄さん女の子にそんなこと言われたのはじめてよ?」とフランスは嘯いた。
そもそもフランスとジャンヌは、決定的に「合っていなかった」。持って生まれた性格が正反対だったのだ。何をしても彼女に諌められ諭され、時に怒られる。本当に俺を救うためにやってきた救世主なのか、と真剣に疑いそうになったことも一度や二度ではないが、おそらく彼女も、これが自分が救うべき国なのかと、フランスと同じ分だけ疑っているのだろう。
まあいいさ、たまの休日に遠駆けの許可が降りただけで上出来。誰が許可を下すのかといったら、それはもちろん彼女に決まっている。あやうく「教会で心静かに過ごしましょう」の提案を押し切られるところだった。本当のところを言えば街に降りて女の子の一人や二人ひっかけて遊びたかったのだが、しかたがない。よぼよぼの爺のような休日を過ごすことになるよりは、遠駆けのほうが遥かにマシじゃないか。
「私も連れて行ってくださいね」
と、当然のように自分の馬を引っ張り出してきたのには辟易したが。
「え、一人で行かせてくれないの?」
「国ともあろう方が一人で出かけるなんて、許されるわけがありません」
そんなこと言われたって、君が来る前は結構一人でどこにでも行っていたんだけど。そう言ったって「今は違います」と押し切られてしまう。それならせめて、と男装ばかりの彼女にスカートを履く交換条件を持ち出したのは、我ながらいい案だったと思っている。
あまり遠くに行ってはいけません、なんて、遠駆けの根底を覆すようなことをおっしゃった彼女のリクエストにお答えし、街から半刻も駆けていない。城門を出て、途中からは街道を逸れて草原の上を走った。距離は大したことないが、景色はゆるやかに、しかし街とは確実に変わってゆく。とりあえずこのあたりで、と見切りをつけ、フランスは馬の脚を遅くした。
小さな丘ではあったが二人を乗せた馬にこれを登らせるのもかわいそうかと思い、途中からは馬を引いて丘を登ってゆく。案外それがよかったのかもしれない。少し前を歩いていたジャンヌはやがて駆け足になり、最後には転げそうな勢いでてっぺんまで走りだした。
そうして。
丘の一番高いところに樫の木が一本立っている。その木陰でぐんとひとつ伸びをしたジャンヌはおいしそうに深呼吸をして、広がる景色に目を輝かせる。
馬を引いて彼女のあとについてきたフランスは、亜麻色の短い髪を風にそよがせた少女を眩しそうに見つめた。
「ほら、見てください。なんてきれいな緑の山! 大地が喜んでいるよう、芽吹きの色が鮮やかで宝石のようです! 空も春の色をしています、ずっとむこうの空なんて溶けるように滲んでます!」
手を庇にして、世界の果てまで見通そうとばかりにジャンヌは目を凝らしていた。遠くまでを見渡した後は、だんだんと近くに視線を移してきたのだろう。あっ、と何かを見つけてジャンヌがはしゃいだ。
「あれはどこの村でしょうか、煉瓦の家が見えます。大きな牧場、牛がたくさんいる、きっとおいしいミルクがとれますよ、牧草がこんなに豊かなんですもの。こんな小さな村なのに教会の十字が、きっと信心深い人々が住んでいるのね」
それを、フランスはずっと黙って聞いていた。教会に目をつけるなんて、彼女らしいじゃないか。
最後に、ふうと感極まったような溜息をついてジャンヌはこちらを振り返った。
「ああ、やはり、この国は美しいわ、フランス!」
ああ。なんの衒いもなくそんなことを言ってしまうんだ、この子は。
彼女は心の芯から称賛している、フランスという大地を。国家とそこに住む人々を。それはフランス自身とは別のものに向けられていて、彼女が見ているフランスと自分は決して同一のものではないのだ。
それなのに、褒め殺された気分で死にそうになっている自分は、なんて滑稽なんだろうか。空が透き通るように晴れていて日光はさんさんと降り注ぎ、天国みたいな風景の中にいるからこそその思いは際立った。
無自覚な少女に対して、それでもフランスはかろうじて微笑み返す。そんなことを彼女に悟られては、死にそう、では済まないかもしれない。
「うん、きれいだなあ」
「なにを言ってるのフランス」
同意したのに何故か怒られて、フランスは戸惑う。ジャンヌは彼のすぐ前までやってきて、薄い色の瞳でまっすぐにフランスを見上げた。
「あなたのことですよ、美しいと言っているのは」
まさか自画自賛ではないでしょうね。そう続けた彼女をぽかんと見つめていた自分は、どれほど間抜けな顔をしていただろう。
てっきり、彼女は自分のことはこの国家とはまったく別物、もしくは単なる付随物くらいにしか思っていないのだと。彼女が守りたいのは俺ではない、別のもっと大きな何かなのだと、そう思っていたのに。
Vous e^tes beau――あなたは美しい、と。彼女は言うのだ。
フランスは柄にもなくうろたえた。本当に予想外だったのだ。
まるで呆けているようにしか見えないフランスに向かって、ジャンヌが訝しげな視線を送る。
「どうかしました? フランス」
「な、んでもない」
お兄さん、女の子にそんなこと言われたのはじめてよ。フランスは声には出さずに呟いた。込み上げてきたのは困惑ではなく、純粋な喜びだった。
*
あの日と同じ色の空が続いていた。
春の色だ。フランスが一番美しい季節。霞むような雲が流れ、小鳥たちが喜びを歌いながら飛びまわっている。
その空に一条、黒煙が立ち上ってゆくのは異様な光景だった。火の爆ぜる音は冬の寒さを凌ぐ音のはずで、この季節には酷く似合わない。
ある者は口を押さえ、ある者は眉をひそめ、ある者は嘲笑し、あるものは祈りの聖句を唱える、その人々の輪の中心から少し離れたところでフランスは、なんとも言い難い表情をして空を見上げている。
まだ、フランスは美しいだろうか。こんな煙が上る空は、美しいだろうか。
答えは出そうになかった。


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