眠る人

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 それが現実の光景だと受け止められない。
 確かに、状況も状況だ。実家の温泉旅館、子供の頃からずっと過ごしてきた場所に、テレビや雑誌で追いかけていた憧れの人が横たわっている。その現実感のなさといったら、夢のように突拍子がない。
 でも、それだけじゃあなかった。
 初めてこんなに間近で見る、彼の造形の美しさといったら。
 北国の人らしい、日本人にはありえない薄い色素。それは髪の色であり、肌の色だ。オーソドックスな蛍光灯の明かりを弾いてきらきらと輝く銀糸。眉も、まつげの先まで同じ色で、それがくぼんだ眼窩にさらに影を落としているのは、よく出来た人形でも見ているような気持ちになる。俳優のように整った顔のパーツ。瞳の色が見られないのは残念だ。海に浮かぶ氷山のような冷え冷えとした青が淡く陽光を透かして解けるのが見たい。鼻筋はすっきりとしているが、高すぎず、その下にちょんと添えられる唇の、少女のような艶めきはまさか彼が二十七だなんてちょっと信じられない。
 頭を支えるすんなりとした首に浮かぶ筋と喉仏は確かに彼が男だと主張しているのに、あまりに完璧すぎて彫像のような無機質さすら感じさせる。身に纏うのが着古しの館内着であっても、その美は決して損なわれない。深く影を落とす鎖骨の連なり。それを覆うしなやかな筋肉はフィギュアスケーターが羨望してやまない柔軟さと強靭さを併せ持っている。ゆるくなった合わせから柔らかそうな胸の筋肉が覗いていていることには気がついていたが、背徳感に苛まれ直視できなかった。視線が流れた先には、軽く折り曲げられた腕。それは確かに筋張った男のものなのに、続く指先の繊細さは一体どういうことなのだろう。桃色に血を透かす爪はアスリートらしく短く整えられており、その節の目立つ長い指はけっして女のものではありえない。それが演技中にどれだけ豊かに表情をのせるか、知っているからこそ目が離せない。

 ああ。
 でも。
 だから。

(動いているところが、みたいなあ……)

 彼のことが好きだった。
 彼の外見、造形、そういったものももちろん。でも本当に惚れ込んだのは、その演技。その表情。その強さ。その有様。
 水のように変幻自在に体を操り姿を変え、見るものを驚かすトリックスター。彼の瞳がリンクを照らすスポットライトに反射して衣装のスパンコールより輝くのを知っている。鞭のように張り詰めた筋肉が躍動し、芸術的な四回転ジャンプを生み出すのを。指先が醸し出す扇状的なまでの色気が客席に溜息をつかせるのを。知っているから。
 起きて、ヴィクトル。起きて、これが現実だと僕に、確かめさせて。

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