逃避行

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 奥播磨へのおつかいは五年生の足を持ってしても片道三日を要した。
 おつかい自体は大した内容ではなく、学園長の昔馴染みの何人かにいくつかの書状を渡して返事を貰うのみである。途中い組とろ組で二手に分かれておつかいをこなし、再び集合したのは分かれてから一日後。それぞれ胸に返書を携えて、あとは学園に帰るだけ、ではあるのだが、ここからまた三日をかけて同じ道を帰るのかと思うと、流石の彼らもうんざりした。行きは見慣れぬ道を歩く楽しみがあったが、帰りはそれもないとなれば、これから歩く距離と時間だけがのし掛かり五人の足は自然と重くなる。
 そうは言っても帰らぬ訳にはいかない。とぼとぼと街道を辿っていると、ある港町にさしかかったあたりで、村の童子たちが五人を追い抜いていった。
「早く、早く!」
「でっかい帆船が来てるんだって!」
「南蛮の船らしいよ! おいら、見たことない!」
 それを聞いた五人は顔を見合わせる。誰ともなく、足が速くなる。そのうち競うように駆け足になり、最後は本気の徒競走で、あっという間に港を一望できるところまで辿り着いた。
 秋晴れの、良い日である。昼下がりの柔らかな日差しの下、小さな漁船や交易船に混じって、一際大きな帆船が港に停泊しているのが見えた。
「おほー! 本当に南蛮船だ!」
「でかいな……兵庫水軍の安宅船の倍、いや、倍では済まないかも」
「見てよ、あの帆。今は畳まれてるけど、広げたら何畳になるだろう」
 ろ組が口々に感想を言い合う一方、い組は遠眼鏡を持ち出して甲板の様子を覗いている。気付いた八左ヱ門が、呆れた声を出した。
「お前ら、そんなの持ってきてたの」
「備えあれば憂い無しってね。兵助、何か見えた?」
 勘右衛門が尋ねる。
「うーん。南蛮人と、日本人も乗ってるな。でも船員ってよりは、人足っぽい。荷積みはもうそろそろ終わりそうだ」
「えっ、てことは、もうすぐ出港するのか?」
「行ってみよう」
 三郎が口火を切って、五人は海へ下る道を降り始めた。

 町に足を踏み入れると、出港の準備が大詰めなのか、人々は慌ただしく浮き足立っていた。小さな港ではないが、南蛮船が立ち寄るのは珍しいのだろう。町人たちにもどこか物慣れない様子が窺えた。
「平戸から堺へ向かう途中らしいよ。病人が出たから、急遽立ち寄っただけだとか。ついでに水と食料を補給しているみたい」
 途中途中で町人の会話に聞き耳を立てていた雷蔵が、こっそりと皆に報告した。
「医者を探すのでも薬を求めるのでも、堺まで行ってしまったほうが良さそうだけど」
「なにか勘違いがあったのかもね。でも、たまたまここにも良い町医者がいて、無事治ったそうだ」
「そりゃあ何よりだったな。おかげで俺たちも、珍しいものを見られたわけだし」
 兵助、雷蔵、八左ヱ門が会話する間、じっと考え込んでいる三郎に気付いたのは勘右衛門だ。
「おい三郎、何考えてる?」
 問われて、顔を上げた三郎はにやりと笑った。
「どうせなら、見るだけじゃなく、乗ってみないか」
「はあ!?」
「八左ヱ門、馬鹿、声が大きい。三郎、もう少し詳しく説明しろ」
「悪い兵助。だって、こいつがとんでもないことを言うから」
 怒られて肩をすくめる八左ヱ門に一つ嘆息して、三郎は改めて説明する。
「このあと堺へ行くんだろ? ここから歩いて学園に帰るなら三日だが、堺からなら一日だ。それになにより、歩かなくていい」
「どうやって? 路銀はないぞ?」
 代表して兵助が尋ねた。三郎はあくまで澄まし顔だ。
「そりゃ、忍んでいくに決まってる」
「見つかったらどうする」
「そこはうまくやるさ。作戦はこうだ」

 一刻後。五人は海上にいた。
「ほんとにうまくやっちまった……」
 八左ヱ門は呆然と呟いた。船倉の奥、見つからないように小声に抑えたが、波の音が煩いのでよほどの大声でなければ誰にも聞こえまい。
「なんだかわくわくするね」
「雷蔵……。お前なんでこういうときは悩まないんだよ」
「そんなこと言って、なんだかんだ八左ヱ門も乗り気だったじゃないか」
 三郎の作戦は単純で、人足に化けた三郎が先に船に乗り込んで、船内のちょうどいい隠れ場所を探してくる。その間に八左ヱ門、雷蔵、兵助は木箱や樽に身を隠した。隠れ場所の目星を付けた三郎と、もう一人、人足に身を扮した勘右衛門が、三人の入った木箱と樽を運ぶ。
 五人で人足の振りをすると流石に悪目立ちするため、人数を絞ったのが功を奏した。日本人の人足たちは、もともと平戸から堺までの契約だったらしい。バラバラに集められた彼らは団結力も警戒心も薄く、堺で降りることを前提に話を合わせれば、怪しまれずに船内を行き来できた。南蛮人たちに至っては人足の顔に興味などなさそうで、すれ違っても誰何もされない。一人だけ、南蛮人と人足の通訳をする立場の男がいたが、それが例の病人だったらしく、一通り指図をしたあとは大事を取って船室に引っ込んでしまった。
「おおい、もう出てきても大丈夫だ」
 ばたん、と遠慮無く船倉の戸を開けて、三郎と勘右衛門が入ってきた。狭い場所に押し込められていた体を思い思いに伸ばして、三人は木箱やら樽やらからそれぞれ出てくる。
「兵助、平気か?」
「ううん……少し、くらくらする」
 雷蔵も八左ヱ門も変わりなかったが、兵助だけが頭を抑えて気持ち悪そうにしている。勘右衛門が気遣ってその背を撫でた。
「船酔いかな。甲板に出たら気分も良くなるよ」
「出ても大丈夫そう?」
「人足たちは休んでるし、南蛮人たちは船首のほうにいる。船尾に行こう」
 三郎の手引きで、彼らは誰にも見つかることなく甲板に上がった。雷蔵がどのくらい大きいだろうと想像した帆が、今まさにめいっぱい風をはらんで、船を東へと進めていた。青空に白い帆が映える。雷蔵は眩しそうに目を細めた。
 潮の香りのする風が鼻をくすぐってゆく。大きな帆と、それを支える太い帆柱が作る陰から出ると、五人の横顔を西日が照らした。
「すごい……」
 具合の悪かったのも忘れて、兵助が感嘆の溜息を吐いた。
 今、五人の眼前には、大海原が広がっていた。船首が東を向いているため、彼らの見つめる方角にはちょうど、徐々に高度を落としその身を海に沈めようとしている太陽が見えた。
 一列に横に並んで、五人はその雄大な景色を眼に焼き付けるようにして眺めた。誰も何も言わなかった。ただ波の音と、風の音、海鳥の鳴く声がしていた。
「堺には、いつ頃着くんだ?」
 八左ヱ門が誰にともなく尋ねた。
「暗くなる前には付くはずだ。夜は船を動かせないから」
「じゃあもうすぐか」
 三郎が答えて、兵助が続いた。
 またしばらくの間があって、雷蔵がぽつりと言った。
「堺の次は、どこへ行くんだろう、この船」
「南蛮船だもの。外つ国へ行くんじゃないか」
 勘右衛門が答えた。
 それきり会話は途切れた。時間も忘れて、彼らは目前の広い空と海とに目と心を奪われた。
 どれくらいそうしていただろうか。いよいよ太陽が沈み出す。空と海とが赤く焼ける。それも一瞬のことで、やがて薄暮の薄明かりが空を照らすようになる。一番星が、水平線の上にぽつんと光り出す。日が沈むと、急にうそ寒くなった。
「帰ろう」
 誰かが言った。その言葉を待っていたかのように、五人は口々にさえずった。
「そうだね」
「おなかすいた」
「おばちゃんのご飯が食べたい」
「豆腐食べたい」
「お前はそればっかり」
 誰も言わなければ、どうなったであろう。明るく言葉を交わしながらも、全員の心には同じ疑問が残った。
 このままこの船に乗って、誰も知らない土地へ行く。そして二度と学園に戻らない。そんな未来があったのではないか。荒唐無稽な想像を、誰も口にはしなかったが、ほんの少し、もしかしたら、どうかすれば、そういうことがあったとして、おかしくはなかった。
 入港の準備が始まる前に姿を隠すべく、おのおの船内へと引き返す中、最後に三郎が誰もいなくなった甲板を振り返った。
「どうしたの?」
 気付いた雷蔵が、声を掛ける。
「……」
 三郎は雷蔵の顔を見て、口を開き、しかし何も言わずに噤んだ。
 雷蔵は全部分かっているというような、あるいは、何も分かっていないというような、優しい笑顔を浮かべて、もう一度言った。
「帰ろう、三郎」
「……うん」
 船は堺の港へ着こうとしている。
 五人は船を下り、学園へと帰るのだ。

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