涙の訳

2,367 文字

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 雷蔵は三郎を探していた。
 裏々山まで使って行われた六年生との合同授業。自分のはちまきを取られないようにしながら相手のはちまきを奪うというルールだった。授業終了の鐘が鳴っても戻ってこない三郎を案じる雷蔵に、六年い組の立花仙蔵が「少しやり過ぎたか」と独り言のように呟く。そうやって雷蔵の注意を引いておいてから、これ見よがしに手の中のはちまきを一本、くるくると指に巻いて見せつける。端には「鉢屋」と、授業の前に書かされた名前が見えた。
 ひやりと肝が冷えた。まさか動けないほどの怪我を負っているわけではあるまい。焙烙火矢をはじめとした火器の使用は禁じられていたはずだ。雷蔵の心の内を知ってか知らずか、立花は「おお、怖い顔だ」と、思ってもいないことを平気で言う。
「井戸を探してみるといい。できるだけひと気の少ない場所の井戸を」
 それだけ言い残して悠々と去って行く立花の後ろ姿を見送って、雷蔵は駆け出した。
 ひと気の少ない場所の井戸、といっても、忍術学園は広い。人目につきやすい忍たま長屋の井戸はさておき、鍛錬場の井戸、食堂の井戸、風呂焚き場の井戸、飼育小屋の井戸と見て回り、最後にたどり着いたのが離れ茶室のそばの井戸だった。
 主に学園長先生が客人を招くのに使い、それ以外は作法委員が茶の湯の作法を学ぶときか、学級委員長委員会が昼寝をするときくらいにしか使わない茶室。そこで茶を点てるための水を汲む井戸は、竹藪の中の昼でも薄暗い場所にあり、存在すら知らない生徒も多い。
 茶室に近づくごとに大きくなる水音。建物の陰からそっと覗くと、薄暗がりの中にうつむく、見慣れた茶色い狐の尻尾。
 果たして三郎はそこに居た。暗くてよく見えないが、血臭がないことに些か安堵する。
「三郎! さがし——」
「来るな!」
 しかし、雷蔵の呼びかけに返ってきたのは、鋭い拒絶の声だった。雷蔵はその場に立ち尽くす。うつむいた三郎の顔は見えない。頭巾をほどいて頭から掛けているのは、顔を見られたくないからだろうか。
 怪我がないと知って落ち着いたはずの心が、にわかに騒ぎ出す。
「……面を取られたの」
 自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。それに驚いたのは三郎も同じらしかった。先ほどの人を寄せ付けない雰囲気はどこへやら、戸惑いと困惑の声音に変わる。
「いや、自分で取った。いろいろ汚れてしまったせいで、あと雷蔵の面が一枚きりしかない」
「じゃあそれをつけてくれよ。そばに行きたい」
「だが、」
「はやく」
「……うん」
 三郎には、どうやら雷蔵の面をつけたくない理由があるらしい。しかし、そんなのは雷蔵の知ったことではない。有無を言わせずに急かすと、三郎は両手で顔を覆うそぶりをみせてから、頭から掛けていた頭巾を取った。それを合図に、雷蔵は井戸のほとりへと一息で飛ぶ。
「さぶろ——」
 肩に手を掛けて、のぞき込んだ三郎は。
 泣いていた。
 雷蔵から必死に目を背けているが、赤く腫れた瞼は隠しようもない。みるみるうちに目尻に溜まった涙がつうと頬へ流れて、後から後からあふれ出る。その様子に、雷蔵は息をのむ。
「見ないでくれ……」
 雷蔵の視線から顔を隠そうと、三郎は頭巾を持つ手を持ち上げる。そうはさせまいと、とっさにその腕をつかんで引き下ろした。どうして、と言いたげに三郎のぐずぐずに濡れた目が雷蔵に向く。さきほどからざわざわと騒いで仕方がない胸を、口の端をきゅと引き結ぶことで押さえつけ、雷蔵はできるだけ静かな声で問いただす。
「立花先輩のせい?」
「……」
 無言は肯定を意味した。雷蔵は一度、深呼吸をする。
「立花先輩にやられたのが、悔しくて泣いてるの」
 雷蔵を模した瞳が、丸く見開かれた。その瞬間にまた、ぽろり、と涙がこぼれる。雷蔵は一瞬、転がり落ちたその涙の行方に気を取られた。
「……ちがう、いや、立花先輩のせいはその通りだが、これは、もっぱんのせいだ」
「もっぱん」
 だから、というのは言い訳か。思ってもみない答えが飛んできて、鸚鵡返しに繰り返す。
「あの人、火器禁止だってのに、もっぱんは火器とは言わないとかなんとか屁理屈こねて、ほんと容赦ない……」
 三郎はず、と鼻をすすっては顔をしかめている。さっぱり収まらない涙と鼻水に苛立っていているのだろう。鬱陶しくて仕方がないと言いたげなその表情が、涙の理由が嘘ではないと告げていた。
 三郎の答え如何によっては立花に決闘を申し込まねばならないと、そこまで思い詰めていた雷蔵は、ようやく本当に肩の力が抜けて、がっくりと三郎に凭れかかった。
「よかった……」
「全然よくないっ、こんなみっともない状態の顔を、きみにだけは見られたくはなかった!」
 鼻声で訴える三郎の目からは、なおも涙が止まらない。しかし最後の一枚の面だからか下手に拭うこともできないらしく、次から次へと頬へ筋を作って流れ落ちる涙をどうしようもできずに、ただ静かに泣き続けている。
 雷蔵はそんな三郎の顔をすくい上げるように手を伸ばした。
「僕以外の、誰に見せるって?」
「そうは言ってないだろう……」
 拗ねた声を出しながら、それでも三郎は従順に雷蔵の手を受け入れる。すり、と頬に手を擦り付ける仕草に、心がくすぐられる。雷蔵は三郎の顔から首に手を回し、そっと引き寄せる。おとなしく胸に納まった三郎の背を、ぽんぽんと宥めるように叩く。
 顔を隠せて落ち着いたのか、はたまた雷蔵の体温に安心したのか。胸の中で三郎が深く呼吸をしたのがわかった。
「おまえの泣き顔は、僕だけに見せて」
 こくり、と三郎がうなずく。いい子、と言う代わりに、雷蔵は三郎の頭を撫でる。三郎の手が、雷蔵の制服の裾をぎゅうと握った。その仕草があまりにあどけないので、雷蔵はそれ以上言うことができない。
 ——おまえが泣くのは、僕のせいだけにして。

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