君は知らない

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 鉢屋三郎。その名を知らぬ者は学園内にはおらぬばかりか、一部学園の外にまで知られているほどである。そして当然、名前と共に有名であるのは、「変装名人」との呼び名であった。
 学園内の三郎といえば、その変装の腕を遺憾なくいたずらに発揮し、先輩後輩分け隔てなく騙くらかしては楽しんでいるし、嘘か誠か真偽のほどは定かではないが、その素顔は誰も見たことがないという噂まである。そもそも彼が常日頃からとっている姿でさえ、クラスメイトの不破雷蔵の借り物であった。彼の変装技術にかかれば、一目で彼を彼と見分けるのは教師でさえ容易なことではない。三郎を見かけた学園の下級生などは、挨拶をしようとしてまず「先輩は不破雷蔵先輩ですか、それとも鉢屋三郎先輩ですか」と問うことになる。問われればまず嘘は言わない三郎だが、暇に飽かせて「さあどっちだと思う?」なんて混ぜっ返して、後輩を困らせることもしばしばである。また、たちの悪いのが三郎と雷蔵が並んでいるときで、雷蔵は生来三郎ほどのいたずら好きではないはずだが、悪い方に感化されたのか、最近では三郎のいたずらを窘めるどころか、二人して同じ顔でにこにこ笑ってみたりするものだから、これには先輩方でさえお手上げであった。

 さて、そんな鉢屋三郎であるが、じつは同級の仲間たちは、三郎と雷蔵を見間違えることがない、というのは、意外と他の学年には知られていない。別に秘密というわけではないから、気付いている者はいるだろう。しかし、彼らも敢えて声高に二人の違いを吹聴したりしない。それは、仲間内の取り決めという訳でもなく、三郎に口止めされているという訳でもない。むしろ彼らはお互いに、一体何を持って二人を見分けているか、お互いですら知らなかった。見分けられている三郎自身でさえ、彼らがあまりにも当然のように名前を呼び分けるものだから、そういうものかと思って理由を問いただすことさえしたことがない。
 だからこれから語ることは、言うなればそれぞれとっておきの、三郎の秘密である。本人さえ知らない、三郎の秘密である。

 重心の位置が違うんだな。
 と、五年ろ組のクラスメイトで、生物委員会委員長代理でもある竹谷八左ヱ門は分析する。普段なんとなく見分けている二人の違いを、言葉にしてみるならそういう風になる。
 重心がかかとにあって、安定して印地を打てるようにどっしりと構えているのが雷蔵なら、常につま先に力を入れて、いつなん時でもどんな風にでも動けるように身構えているのが三郎。くつろいでいるように見せかけて、というより、もはやそれが彼の自然体なのであろう。野生の生き物と同じだ。狐や狼、梟といった、狩りをする生き物に特有である。最近で言えば、生物委員会で保護した若い山猫。あれも、毛繕いに集中している振りでひとの油断を誘っておいて、隙あれば用意した餌をかすめ取ろうとこちらを虎視眈々と伺っている。それに似た強かさが、三郎にもある。といっても、どこで誰にどんないたずらを仕掛けてやろうか、なんて気楽なものだろうけれど。
 今もほら、気を抜いた六年生の後ろ姿を見つけて、両手を頭の後ろで組んで何気ない振りのまま視線だけで追っている。そういうとき、三郎の足下はいつもより二割増しで軽くなる。今にもステップでも踏み出しそうな様子に、八左ヱ門は山猫の尻尾が、ひょこひょこと楽しげに左右に揺れる様を思い出すのである。

 三郎の地声は、柔らかいんだよ。
 と、五年い組の学級委員長、尾浜勘右衛門はほくそ笑む。三郎と同じ学級委員長委員会所属で、放課後やイベントごとの委員会活動でよく一緒に居るせいで、自然と雷蔵との違いに気がつくようになった。
 変装名人の名をほしいままにする鉢屋三郎であるから、姿形だけでなく声だっていくらでも似せられるのだけれど、普段の地声は実は雷蔵より一段低い。それが、雷蔵を真似るときに、ちょっと声を高くして優しげな声を作るものだから、勘右衛門は誰にも言ったことはないけれど、少し可笑しいと思っている。
 だって、その声といったら、委員会の後輩の庄左ヱ門や彦四郎と話をするときの三郎の地声にそっくりなのだもの。三郎が、雷蔵の優しい声の真似をするうちに、後輩と話すときいつもそういう声を出すようになったのか、それとも自分がそんな風に後輩と話すことを知らないで、雷蔵の優しい声を真似しようとしたときに無意識に出てくるものなのか。それは卵が先か鶏が先かくらい、勘右衛門にとってはどうでもいいことだ。
 一体何を話しているのか、向かう委員会室の障子の先から、庄左ヱ門と彦四郎の楽しげな声がする。三郎があの柔らかい声音で、からからと笑っている。それを聞くと、なんだか勘右衛門まで絆されてしまって、はやくあの輪に入りたいと、自然と足が急くのである。

 真剣勝負であればあるほど笑う。
 五年い組の優等生、秀才と名高い久々知兵助は、最近になってそのことに気がついた。
 低学年の内はクラスごとに授業することがほとんどだったが、五年生にもなると、実技はクラス合同授業が増える。今日も剣術の模擬試合でい組はろ組と合同授業をすることになった。こういった手合わせで、兵助はよく三郎と当たる。変装名人の名に飽き足らず、武道大会で優勝するほどの武芸の腕前でも勇名を馳せる三郎であるから、それなりの相手でないと試合にならない。兵助は自分が飛び抜けて武術に秀でているとは思わないが、そこは秀才らしく、何事も地道に取り組む性格が実を結び、五年間積み重ねてきた鍛錬に裏打ちされた、隙のない型が身に付いている。であるから、三郎との手合わせについても、よい鍛錬の機会だと至極真面目に取り組むのだ。
 はじめ、の声かけと共に鞘を払い剣を構えて、兵助は相手に間を与えず一息で踏み込んだ。上段から押し込むように構えた模造刀が、相手の刃で防がれこすれ合い火花を散らす。防がれるのはわかっていたので、すかさず離れて二撃目を横薙ぎに繰り出したが、それも刃ではじかれた。勢いのまま三つ、と踏み込もうとして反撃の気配に咄嗟に顔をのけぞらせると、目の前を白刃の切っ先が風を切った。崩れた姿勢を好機とみてかそのまま追撃がかかるのを、ずれた重心を逆手にとって地面に倒れ込んで避ける。ついでに目潰しとばかり地面の砂を蹴り上げながら起き上がると、腕で目を守った三郎が口元だけで笑っているのが見えた。
 兵助の背筋を震えが走る。雷蔵や八左ヱ門、勘右衛門と試合うときには走らない震えだ。いくら刃を潰した模造刀とはいえ当たれば間違いなく怪我をする武器を手にした試合中、お互いに笑っている余裕などあるはずがない。なのに三郎は笑うのだ。そして、どうしてか兵助はその笑みを見ると、体の芯からぞくぞくと湧き上がる震えに、口元が歪んでいくのを止められない。
 三郎が顔から手を下ろす。現れた顔がますます楽しげに目を細めて見せるのを不思議に思う。
 いつの間に自分も笑っているなどと、兵助は気づきもしない。

 三郎の所作は美しい。
 五年ろ組、不破雷蔵は、その顔を三郎に貸してはいるが、そしてその顔はまったく自分でも嫌になるくらいに己にそっくりだと認めるところではあるが、その実、それ以外のところはあまり似ていないなと思っている。
 例えば性格。雷蔵は自他共に認める悩み癖を持ち、ことあるごとに悩んでは、悩み疲れて眠ってしまうか、あるいはいっそ考えることを放棄して、酷く大雑把な結論に至ったりする。細かいことまで悩んでいるときりがないので、敢えて割り切れる部分は割り切っていくうちに、大雑把な性格、と言われるようにまでなってしまった。
 一方三郎は、もともと非常に凝り性で繊細な気質である。変装という微に入り細に穿つ技を得意とするくらいである、それが苦でないのだから、気質だけでなく所作までも、実は丁寧でちゃんとしているのだ。
 いつだったか、三郎が雷蔵の振りをして仕掛けたいたずらで、先輩の一人をいたく怒らせたことがあった。流石に雷蔵も腹を据えかねて、先輩にちゃんと謝るまでは一切口をきかないと宣言したところ、わかった私が悪かった、これから謝りに行くから雷蔵も付いてきてくれと言うので、三郎が謝りにいくのを後ろで眺めていたことがある。
 そのときの三郎が、なんと言って謝ったのか、先輩がなんと言って許したのか、雷蔵は全く覚えていないが、頭を下げる三郎のその背筋が、まるで定規でも入っているようにまっすぐでいるのだけは、ずっと記憶に残っている。
 それから気をつけて見ていると、三郎というのは不思議なやつで、気を抜いているときほど所作が美しいのである。頭を下げる時だけでなく、食事の時、読書の時、文を書くとき、普通逆だと思うのだが、皆の目があるところより、雷蔵と二人きりで部屋にいるときやら、仲間内で出かけた時やら、そういうときにふとしたところで出るのである。
 雷蔵は密かに、三郎のぴんと伸びた背筋を後ろから眺めるのが好きだった。だが、それを本人に言ったことは一度もない。指摘したら、絶対もう見せなくなってしまうだろうから、雷蔵は一生、そのことを言わないでいるつもりだ。

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