五者五様の昼下がり

3,641 文字

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「俺だったら、鉢屋はさっさと死間にでもするな。だって本当の顔を見せたことのないやつ、いつまでもそばに置いて置けるかよ」

 外からそんな声が聞こえてきて、三郎はぼんやりと今日の時間割を思い出していた。本日の午後の授業、五年ろ組は座学の自習、五年い組は校庭で実技の自習。ということは、あそこで固まって話しているのはい組の奴らか。
 顔に見覚えはあるが名前を思い出すのは少し苦労しそうな、ようするにあまり関わりのない他組の生徒が、授業中に教室長屋の影に集まってなにを話しているのかと思ったら、「自分が上忍だったら同級生たちをどう使うか」なんて、下級生がやっていそうなただの妄想談義のようだった。
 もちろん正しく考察すればそれは立派な戦術論になり得るが、彼らの言っていることときたら感情論と私情の入り混じったくだらない案ばかり。ちらちらとこちらを伺う気配があるから一体なんの用かと薄目を開けて話の流れを辿ってみたが、三下が寄ってたかって日頃の鬱憤晴らしをしている姿に哀れを通り越して滑稽すら覚えた。これでちくりと刺した気になれるんならいい気なものだ。
(……あほらし)
 一言で切って捨て、それらの会話を雑音と同様に処理することに決めた三郎は、二度寝のために姿勢を整えた。なにせ今日は昼寝には絶好の日和である。窓の桟という不安定な場所ではあるが、こんな日差しの暖かい日に教室に篭って自習などもったいない。お天道様に対する愚弄ですらある。どうせなら、外のやつらのように実技の方がよかった。それならもっと居心地のいい、例えば枝振りの良い木の上だとかで、木漏れ日と風を感じながら昼寝をすることだってできただろうに。
 もう完全にさっきの出来事など覚えていないかのように、三郎はひとつあくびした。

***

 窓の外から廊下側の自分の席まで聞こえてきたその言葉を聞いて、馬鹿が集まって馬鹿言ってら、と考えたのが八左ヱ門であるのに対し、何も言わずにただ微笑んだのは穏やかな性格で通っているはずのクラスメイトであった。横の気配を感じ取って八左ヱ門が思うのは
(こいつ最近委員会の先輩に似てきたな)
ということである。彼の委員会の先輩と言ったらそれは恐怖の笑みで有名な中在家長次のことであるが、その人が笑うのとはまた別の恐ろしさが、今の雷蔵にはあるような気がする。なにせ、忍たまの友の要点が書き写されていたはずの紙が見る影もなく真っ黒に汚れている。
「おい、殺気、殺気」
 八左ヱ門は雷蔵の着物の裾をちょんちょんと引っ張って忠告した。
「ああ、ごめん」
 さっぱり悪いと思っていない風に雷蔵は謝って、しかしとりあえずのところは駄々漏れの殺気を引っ込めることにしてくれたようで、ほっと一息である。普段の穏やかな彼を知っている分、心臓に悪いのである、彼が怒るというのは。
 しかし雷蔵は憤懣遣る方無いといった調子でなおも言い募る。
「でも、あいつら、あんなこと言ってるから仕方ないだろ」
「なに、あんなのはただの妬みじゃねえか。三郎だって気にしちゃしないさ」
「僕が気にするんだよっ」
「そうかい」
 ああ、雷蔵とはこういう奴なのである。
 三郎が一方的に雷蔵の顔を借りている分、どうしても「あの鉢屋にそんなに気に入られちゃって、不破も苦労するな」というようなことを言われるのが雷蔵の立場である。しかし、実は三郎は一度心を許した相手には誰にでも懐くところがあるし、それでいて他に気に掛かることがあれば例え同室の友にであろうととことん無関心にもなる。反対に雷蔵は、母性本能だか父性本能だかが疼くのか、懐かれると過剰に構ってやりたくなる性分らしく、こうして彼らの関係は絶妙なバランスを保ちつつなんとか友情の範囲に収まっているというわけであった。八左ヱ門はそう締めくくる。――今のところ、自分の知る限りでは、という注釈付きで。
 自分だったらそこまでは思わない。三郎は親とはぐれた子猫でも寂しがり屋のウサギでも怪我を負った人間不信の山犬でもない……とそこまで列挙してなんとなく納得してしまった。もしかしたら、雷蔵にはそのように見えているのかもしれない。
 よろしい、そういうことならば止めはしないさ。彼らの友愛が何か別のものに変化しようとも、どうぞお好きに勝手にどうぞ、どこまでも。
 両拳を怒りに握りしめてすっくと立ち上がって窓際へ向かった友人を、そういうわけで八左ヱ門は生暖かく見送った。あの拳、「怒ってます」という意思表示だけじゃなくて実用的に使うことを想定しているのだろうなあ、俺だったらあんな雷蔵見たら裸足で逃げるなあ。だってあんな雷蔵、どうやったって止まりやしない――
 しかし八左ヱ門の予想は外れることになった。

***

 そんなのは下策も下策だ。
 勘右衛門は反射的にそう判断を下した。
「下策だな」
 同時に同じ事を考えていたらしい、兵助が零したのを聞いて勘右衛門はこっそりと笑った。
 授業中だというのに寄って集って何をそんなに楽しそうに話しているのかと思って、兵助と二人様子を見に来たところであった。勘右衛門はい組の学級委員長ではあるが、あまりそれらしいことをした覚えがない。今だって、注意しにきたと言うより、授業より楽しいことがあるんだったら混ぜて欲しいと思ってやって来ただけである。聞いてみると、そんなに楽しい話には思えなかったが。
 その点兵助のほうが真面目さには分があったが、彼は火薬委員会の委員長代理として立派に活躍しているから、学級委員長になることができない。兵助の次が俺というのはどうなの、と勘右衛門は我がことながらのけぞりたくなるが、他の面子がこいつらのようじゃあそれも仕方がない話だった。真面目さだけが学級委員長の素質ではないがーー仮にそうだとしたら、隣のクラスの三郎はどうなるのだという話ーー、いずれにしろこいつらよりは俺のほうが優っているのは間違いない。
 兵助の声は、低い割によく通る。
 先ほどの声はほんの小さなものだったが、件の話をしていた奴らが一斉に振り返って、うわ、だの、げ、だのぼやいている。しかし兵助はそんな些末なことを気にしなかった。
「たしかに三郎ほどの変装の腕を持った者が敵陣深くに入りこめば、敵は何も気が付かないまま自滅するだろうが、おまえたち、死間という言葉の意味を取り違えているのではないか? 死間というのは、本当の情報を容易く敵に伝えてしまうような能力の低い忍びに敢えて偽の情報を仕込んでおくことで活用する用間論であって、能力のある者をそのように使うのは人材の浪費でしかないし、そもそも不可能な話だろう。優秀な忍びなら自分の持つ情報の真偽くらい判断できてしまうのだからな」
 立て板に水を流すようななめらかな弁舌には、実際一つの皮肉も含まれていない。それどころか、この程度の用語を使い間違えているようではクラス全体のレベルの低下につながるので是が非でも間違いを正さなくてはならないという使命感すら抱いているように、勘右衛門には見えた。
「お前たちが仮に三郎を死間に仕立てあげようとしても、あっさり見透かされて寝返られるだけだから、やらない方がいいと思うのだけど」
 そのあまりにも真っ直ぐな視線に、言われた方もこれが皮肉でも批難でもないと気がつき、却って気まずくなったようである。反抗も反論もできずに中途半端にごにょごにょと言い訳をしようとして、しかし突如響いた雷のような怒声に揃って肩を跳ねさせた。
「こんの馬鹿者ども! 五年にもなってろくに自習すらできんのか! 罰として裏裏裏山までマラソンじゃー!!」
 兵助に気を取られていた連中は、いつの間にか後ろに立っていた五年の実技担当木下鉄丸の怒声にはいぃ、と情けない悲鳴を上げて、一目散にマラソンコースへと走り去っていった。その情けない後ろ姿に、勘右衛門は内心、あーあと頭を抱える。普段「優秀な」の枕詞に自惚れているい組の生徒には、こういう一方的な叱責に弱いものが多い。にしたって、こうも簡単に騙されているようでは、い組の名が泣いている。こう見えて勘右衛門も、自分のクラスにそこそこの愛着があるのだ。
 先程まで三郎が寝こけていた窓を見上げると、雷蔵が手を振っていて、その隣で八左ヱ門が笑いを噛み殺しそこねたおかしな顔で木下先生の顔をした三郎を指さしている。
「そういうろ組も今の時間は自習のはずだろう」
 目の前では兵助が的外れな忠告をしていた。
 勘右衛門は面白そうだからという理由で、それを指摘する。
「木下先生は怒るときそんな風に耳だけ真っ赤にしないけど?」
「正論なら何を言っても許されると思うなよ、い組……!」
 三郎が負け惜しみのような怨詛を言い返すが、変装を解かないままの姿ではやや間抜けだ。

 やがて本物の木下鉄丸による怒声が響くまで、五人は高らかに笑いあった。

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