放課後の委員会室、三郎と勘右衛門が碁を打っている。学級委員長委員会は今日も仕事がない。
「む〜」
「早くしろ」
「だって〜」
へんな節を付けて勘右衛門が唸る。
四半刻前から始まった碁はそろそろ終盤戦にさしかかろうとしていた。最初は二人とも調子よく打っていたのだが、徐々に勘右衛門の手が止まりだす。
二人の間に座った庄左ヱ門は立会人ということになっているが、将棋なら祖父に付き合ううちに学んだ庄左ヱ門も、碁にはあまり詳しくなかった。勉強がてら二人の対局を見始めたのだが、正直なところもうついて行けていない。だからこの頃になると、盤面よりも思考中の二人の所作や手の動きなどを目で追うばかりになっていた。
ちなみに学級委員長委員会のもう一人の一年生、今福彦四郎は、い組の特別授業だとかで今日は来れないとのこと。仕事はないのでまったく問題はない。
さて、唸りに唸った勘右衛門はようやく観念した様子で、黒石の詰まった碁笥に手を伸ばした。勘右衛門にはちょっと変わった手癖があって、手のひら全部を碁笥に突っ込むようにして、一度に五六の石を掴みこむのだ。それから、ぽとり、ぽとりと一つずつ石を碁笥に戻して、最後に手のひらに残った一つを人差し指と中指の間に親指で押し込む。
そこからはまるでお手本の所作で、目的の位置の手前でパチンと碁盤を叩き、石から指を離さずすっと前へ押し出す。勘右衛門の黒石は白石の横にぴたりと付いて、そこでようやく指が離された。
石の置かれた場所を見て三郎は、思案顔で片手を顎に添え、ふうんと溜息のような声を一つ。
「悩んだ割に、いいところに置くじゃないか」
「もうちょっと考えたかったんだよなあ」
学級委員長委員会の上級生の碁——というか、五年生の碁は、早碁だ。一日、二日と日をまたいで行うのが当時の碁だったが、悩み癖のある不破雷蔵を擁する学年である。思考と判断の訓練として、不破がやるときは南蛮渡来の砂時計を使ってきっちりと時間を計ったりもするらしい。三郎と勘右衛門がやるのに砂時計までは持ち出さないが、それでもなんとなくこのくらいの時間で打つ、という仲間内での決まりがあるらしく、唸っていた勘右衛門も長考というほどのことはしていない。
庄左ヱ門はだから、三郎が次に打つのを見逃さないように、手番が回ってすぐにじっと息を潜めた。睨んだとおり、数回ほどの瞬きの時間ののち、三郎の顎に置いた手がするりと碁笥へ伸びる。じゃら、と碁石の手触りを確かめるように一撫でし、石を一つ、三つ指でつまむ。瞬きもしていないのに、手妻のように石は人差し指と中指の間に挟まっている。
鏢刀という危険な武器を得意とするためか、三郎の指はことさら器用に、そして繊細に動くように庄左ヱ門には見受けられた。指が長いのか、それとも細いのだろうか、と考える間も庄左ヱ門は三郎の手の動きから目を離さない。パチン、と硬質な音を立てて碁盤に置かれるかと思いきや、三郎はすっと音もなく石を置く。ずっと見ていたのにどこで離れたのかわからないくらい、早業のうちに白石は線と線の交わる場所に、まるではじめからそこにあったかのような顔をして置かれていた。
ほっと詰めていた息を吐き出す音が、思いがけず静かな室に響いてしまった。
「随分熱心だねえ、庄左ヱ門。次の手番から譲ろうか」
「おい勘右衛門、そんなこと言って逃げるつもりだろう」
勘右衛門がいたずらな声で笑いかけ、それを三郎が咎める。勝負の腰を折ってしまったと庄左ヱ門は恐縮して肩を縮めた。
「すみません、つい」
「……何か気になることでもあった?」
勘右衛門に向けていた顔をやさしげに崩して、三郎が問う。ここで「なんでもない」と誤魔化さないのが庄左ヱ門だ。
「あの、実は、手が気になって」
「手?」
「お二人のどちらが手が大きいか、比べてみていただけないですか」
「……」
「……」
勘右衛門と三郎はお互いの顔と手とを見比べて、束の間「ええ……?」とでも言いたそうな顔をした。十四歳にもなって友人とはいえおとこと手を合わせるのは積極的にしたいことではない。
とはいえ、後輩の頼みは無碍にできず、渋々手を差し出し合った。碁盤の真上でお互い手首と手首をくっつけて手のひらを合わせると、指によって差はあるものの、おおむね勘右衛門のほうが爪半分ほど長いようだ。
「やったー、俺の勝ちぃ」
「ちょっとずるしてないか」
「してませーん。ま、俺のほうが三郎より背が高いしね」
「ほとんど変わらんだろ!」
「指三本分は高いね」
「んなわけ」
「背の高さと手の大きさは関係あるんですか?」
上級生たちの低レベルな言い争いに、庄左ヱ門が割って入る。気勢を削がれたのか「庄左ヱ門たら」「冷静ね」なんて声を揃えたりして、結局はお二人とも仲が良いのだ。
庄左ヱ門の質問には勘右衛門が答えた。
「八左ヱ門が、『足の大きい子犬は将来でかくなる』って言ってたから、そういうもんなんじゃない?」
「犬の話かよ」
三郎の声からは呆れがにじみ出ている。
「まあまあ。……じゃ、次、庄ちゃんね」
そんな風に話を聞いていた庄左ヱ門は、はい、と突然勘右衛門に手を差し出されて、何のことかと戸惑った。碁の手番を譲る話まで戻ったのかと思ったのだが、三郎までにこにこして手を差し出してくるから、ああ手の大きさの話の続きか、と合点する。
右手を勘右衛門と、左手を三郎と、それぞれさっきふたりがしたように手首と手首をくっつけてから合わせてみると、庄左ヱ門の指の先は二人の指の第二関節くらいまでしかない。
「わあ! ちいちゃい!」
「はー、一年生の手ってこんな小さいもんだっけ」
勘右衛門が歓声を上げる。三郎も声の調子は違えど似たような反応だ。
庄左ヱ門はといえば、手の大きさもそうだけれど、左右の手に伝わる温度や質感の違いをまざまざと感じ取っていた。
勘右衛門の手は、あたたかくて湿っている。けれど決して柔らかいわけではなく、たくさん豆ができて潰れたのであろう手のひらは皮が厚く固い。この先輩の得意武器は万力鎖であるから、さもありなん。爪はやや深爪、節が太くていかにも力がありそうな手だ。
対して三郎の手は、ひんやりとして乾いていた。手の大きさでは勘右衛門に敵わなかったが、すっと形良くまっすぐと伸びた指は爪の先までよく手入れされている。これは三郎が変装を得意としていて、時には女性にも化けるのに必要だから。しかし、女性的な手というわけではなく、よく見れば鏢刀でつけた消えない傷がそこかしこに残っている。
それに比べて自分の手は、と庄左ヱ門は重なった手の甲の内側を思い起こす。大きさもそうだが、まだまだ幼い。縄を使った登攀の訓練でできた豆や、手裏剣の訓練でできた傷はあるものの、全体がやわくて、頼りない。骨も細くてすぐにでも折れてしまいそう。
自分を棚に上げ、無邪気に先輩の手を比べ合わせたりして、恥知らずだったと反省した。こうして手を合わせているのも、なんだかどんどん恥ずかしくなってきて、庄左ヱ門は手を引こうとし、——それぞれに柔らかく掴まれる。
「庄ちゃんの手は勉強熱心だねえ。ほら、墨が爪の中まで入りこんでとれなくなってる。先生の話をちゃんと聞いて、ちゃあんと帳面を取ってきたのだろう。土井先生が、庄左ヱ門は帳面をまとめるのが上手いって褒めていらしたよ」
右手を掴んだ勘右衛門が、按摩するように墨の跡を擦る。
「庄左ヱ門、きみ、伊助を手伝ってあちこち掃除をするのはいいけど、あかぎれを作ったまま放置してはいけないぞ。ここから雑菌が入るかもしれないからね。よく効く軟膏を持ってるから、あとで五年長屋まで取りにおいで」
左手の指の関節にできたあかぎれを、三郎がそっとなぞる。
明確な言葉は、二人とも口にしない。だけれど、二人の手は確かに、「がんばれ」と、「あせるな」と、庄左ヱ門に伝えている。
おしゃべりな手が口よりも雄弁に語っている。
何もかも見透かされていることに気がついて、今度こそ庄左ヱ門は顔を赤くして俯いた。
「……っ、僕、お茶入れて来ます」
「うん」
「いいね」
同意したくせ、二人はちっとも庄左ヱ門の手を離そうとはしない。
「お二人とも!」
「まあまあたまには」
「良いではないか」
にまにまと笑いながら、二人の五年生は普段冷静な一年生が頬を染める珍しい姿を、しっかりと目に焼き付けた。


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