ソーマ・ピーリス少尉の特になんていうこともない一日

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 0530時、起床。
 ソーマ・ピーリス少尉の朝は早い。一般兵の通常起床時刻は0600時であるが、少尉がこの時間に起きるのにはもちろん意味がある。
 その日の朝も、目覚まし時計を使うことすらなく5時半丁度にぱちりと目を覚ました少尉は、ベッドから起き上がるとまず洗面所のシンクに向かう。心なしか足元がふらふら頼りないのは、いかな超兵であろうと仕方がないことだ。
 頭脳と体の覚醒を促すために、冷たい水で顔をあらう。タオルで顔を拭いて鏡を覗き込めば、いつもと変わりない自分の顔が見えた。
 しばらく鏡の中の自分を睨めつけたかと思うと、少尉は徐に右頬を指でなぞる。
「…………よし」
 鏡に映る頬にもそして指先にも、なんら不自然なところは見当たらない。
 三日前に発見したニキビは殲滅が完了したようだった。

 0540時、身支度を開始。
 入念に梳いた髪をコームの先で慎重に選り分け、まずひと房を右に流す。同様にして、次のひと房を左へ。定規で測るかのような精密な所作でそれを何度か繰り返した後、最後に飾り気のないピンで髪の端をとめる。余らせた髪を左右に垂らせば完成だ。
 一ミリの隙も許されないような作業を終え、少尉は鏡を見て一つ小さく頷いた。
 普段から感情がわかりにくいと言われることの多い彼女にしては、心なしか満足そうな顔をしている。
 時刻を確認すると、0610時。予定通りである。

 0630時、朝食。
 自室を出て食堂へ向かう。
 基本的に朝食はビュッフェ形式だ。今日はこんがり焼いたロールパンを二つとミモザサラダ、ふわふわのスクランブルエッグにはトマトケチャップをたっぷりのせて、飲み物はホットミルクにしよう。そう思っていたのだが、昼食の献立を見てスクランブルエッグの量を減らした。
 卵は一日二個までである。

 0840時、トレーニング。
 今日は模擬戦の予定はないが、その分しっかりと基礎体力作りのトレーニングを行うことができる。筋肉は使わなければ衰えるもの。日々の習慣こそが大事である。
 毎分600メートルの速度でランニングマシンを一時間稼働させる少尉を、周囲は畏怖と尊敬の念を込めて遠巻きに見つめている。

 1300時、昼食。
 食堂で半熟玉子を載せたパエリアを食べていると、一人の女性士官が向かいの椅子をひいた。
「ここ、いいかしら」
「かまいません、キサキ大尉」
 食堂内での敬礼は免除、というか禁止されている。人がたくさん集まる場であるので、それは煩雑で煩わしいものにしかならないからだ。それでも一応背筋を伸ばして目礼すると、大尉は彼女の顔を見てやわらかく微笑んだ。
「少尉、あれ、効いたみたいね」
「は、おかげ様で」
「なんのことかね、キサキ大尉」
 そこに通りがかった、少尉の直属の上司であるスミルノフ中佐が口をはさむ。
「ピーリス少尉にニキビによく効く塗り薬を差し上げたんです。潰そうとしてたんで焦っちゃいましたわ」
「……そうか」
「そうそう、夜更かしはお肌に悪いから厳禁よ。まあ、少尉は規則正しい生活をしていそうだから、関係ないかもしれないけれど」
「ご忠告感謝します」
 背筋を但し敬礼をしかけて、慌てて腕を降ろした。少尉の様子を、大尉は微笑ましそうに、中尉は複雑そうな顔をして見ている。

 1420時、ガンダムの機体性能に関する報告書に目を通す。
 各地で断続的な活動が報告されるセレスタル・ビーイングが所有するMSは、こうして報告書で文面としてしか知ることができなかったとしてもその高性能さを見せつけられる。
 早く次回の対峙を、と急いてしまうのは、命令系統の一枝に過ぎない軍人としては失格かもしれない。名声を求めているわけではない。しかし、あれを倒すのは自分だ。少尉はそう自負していた。
「……」
 同時に、MSの次代機に関する性能要望書の作成を要請されていたので、それにも手を付ける。運用持続時間の改善、機体の反応速度向上、予備武器の再考など提言はたくさんあったが、どれも反映には時間がかかりそうだ。
 最後に、カラーリングはピンクで、と付け足すことはもちろん忘れなかった。

 1900時、夕食。
 夕食時の食堂は混雑している。しかし、少尉の周りには基本的に人が寄りつかないので、今日も彼女は一人でペペロンチーノパスタを食べていた。
 最後の一口を口にしたとき、空いていた隣の席にスミルノフ中佐が腰をおろす。中佐ともなれば自室で食事をとることも可能だと思うのだが、彼とはよく食堂で共になることが多かった。
 目礼して、一足先に立ち上がろうとしたところ、彼の持つ器から漂う匂いに中腰のまま動きを止める。
 どん、と机に置かれた中佐の今日の夕食は、味噌ラーメン。しっかりと色がつくまで煮付けられた煮卵が目に映り、思わずそれを凝視してしまった。
「……少尉、卵は好きか」
「そ、それほどは」
「私は少し苦手でな。あげよう」
「いえ、私は」
「苦手なのだ、手伝ってくれないか」
「……了解しました」
 空の皿に移された卵を頬張りながら、今日の分だけ、明日は一つ少なくしなければいけないと少尉は決心していた。

 2200時、就寝。
 キサキ大尉の助言通り、就寝時間を30分早めることにした。今まで読書と瞑想に費やしていた時間を短縮しただけなので、特に差し障りはない。
 ベッドに入る前、少尉は毎晩と同じようにデスクの一番上の引き出しからB5サイズのノートを取り出した。日記を書くためである。
 いまどきペンとノートでは、データベース化も過去の情報検索もできないので非生産的だと思うのだが、中佐が仰ることには日記にはそのような機能は必要ないということなので、このアナログな方法を採用している。
 中佐には「その日の行動記録を詳細に書く必要はない」とも言われたので、当初書いていた食事の品目とカロリー数、体温と体重・身長の変化、分刻みでの行動記録などは記録しないことにした。
 確かに、これらを詳細に書とセキュリティ的な問題も発生しそうであるし、さすが中佐、賢明な判断であると思う。しかし、それではこのノートに一体何を書けばいいのかわからない。よって少尉の日記は、任務のない日についてはまったく同じ文面が並ぶことになる。

『2307年X月XX日、晴れ。特に問題なく一日が終了した。』

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