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 朝食の時間になっても姿を現さない親友を訝しんで訪れた部屋は空だった。そんな気はしていた、朝目が覚めて、地面が白く覆われているのを目にしたときには既に。だから花袋は慌てることもなく自室に戻り、自分の防寒具をしっかり身につけた上で、友の部屋に置き去りになっていた彼の分の防寒具を持って玄関から庭へと下りた。玄関口から一人分の足跡がまっすぐ庭へと向かっているのを見て、呆れと安堵の入り交じった溜息をつき、すぐにその足跡を追うことにした。
 昨夜からいまだ止まずに降り続ける雪の中では、犬のように飛び出して遊ぶ者もない。だから庭はやたらに静かで、雪を踏む音と自分の呼吸の音とがいやに耳につくのだった。足首まで埋まる雪に足を取られまいとすると、自然歩みは慎重なものとなる。大した運動量ではないはずが、呼吸がだんだんに速くなるのはきっと焦りのせいだった。雪の降り方は徐々に強くなっていた。しかし足跡はまだ続いている。掻き消してくれるなと心の中で念じてみても、新雪は徐々に彼の痕跡を埋めてゆく。
 ——この寒い中に、あいつはいったいどのくらいいるのだろう。
 白く染まる視界に、ぱっと一輪花が咲いたように見えたのは、その時だった。椿の一輪でも雪に落ちているのか、否、間違いなくあれは花袋の探し人である。寝間着代わりの白い浴衣に、気持ちばかり半纏を羽織ってはいたが、到底信じられないような薄着で、彼は雪の上に転がっていた。
「独歩!」
 思わず叫んで、駆け寄った。喉から心臓が飛び出るかと思った。
「おう、花袋。おはよう」
 だというのに、肝心の彼は心配を顔に貼り付けて表れた男を見上げて、暢気に朝の挨拶などしてくるものだから、呆れてみせればいいのか怒ってみせればいいのか、不格好に口を歪めることくらいしか花袋にはできない。
「……お前! 寒くないのか!」
「寒いさ、でも、まあいいから。こんな日じゃなきゃできないんだ。ちょっとそこで見てろよ」
 戸惑う花袋が見下ろす先で、独歩は不思議なことをした。両腕をばたばたと雪の上に上下に滑らせて、積もった雪をそこだけ削って均した。腕を止めると、彼の体の両側に二枚の扇を要を合わせて開いたような図形が浮かび上がる。
 彼はふわふわと笑っていた。
「天使の羽だ——っ、と、うわっ」
 言い終わるか終わらないかのところで、花袋は転がっている独歩の腕を掴み引き上げる。できたばかりの『羽』を容赦なく踏みにじり、強引にそこから引き剥がした軽いからだは、恐ろしいほど冷えている。
「馬鹿なことやってる場合か! こんなに冷えて!」
「おい、そんなに怒るなって! ちょっと遊んでただけだろう」
 持っていた防寒着を押しつけると、掴んだ腕をそのままに元来た道を歩き出す。
(冗談じゃない。——冗談じゃない)
 二人の背後には彼の両肩から無残に引き剥がされた翼が残るが、もうだれも見むきもしなかった。それも、やがて雪に埋もれて消えるのだろう。


(第1回花独ワンドロお題使用)

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