ある日のランチの時間のことである。
五年生五人は今日も仲良く一つのテーブルを囲んでいた。今日のAランチは秋刀魚定食、Bランチは秋鮭定食。どちらもメインディッシュは魚である。
勘右衛門は迷わず秋鮭定食を選んだ。というのも、勘右衛門は魚を食べるのが苦手であった。骨を取るのが面倒なのだ。ちまちまと骨を取っている暇があるなら早く腹に入れたい。しかし骨を取らなければ喉に刺さる。AランチかBランチ、どちらか一方だけが魚ならば、迷わず魚でない方を選ぶ。それくらい、勘右衛門は骨を取るのがいやだった。今日はは両方魚だったので、切り身で提供される分細かい骨を取らなくて済む、という理由だけで秋鮭定食にした。
テーブルの上の五人のおぼんを見ると、勘右衛門と同じく秋鮭定食を頼んだのは八左ヱ門。兵助、雷蔵、三郎の三人は秋刀魚定食を頼んでいた。雷蔵は今日も今日とてどちらのメニューにするか悩んでいたが、ろ組はたまたま授業が早く終わったとかで、勘右衛門たちい組が合流する頃にはどうにか決めて、五人は揃って「いただきます」と手を合わせた。
さて、早速鮭の切り身に箸を入れた勘右衛門だが、いきなり太い骨にぶつかって、内心むうと唸る。目の前に旨いものがあるのにすぐに口に入れられないなんて、やはり魚は苦手だ。ちまちまと骨を除けつつ、なかなか食べ物の入ってこない口を雑談に使う。
「俺さあ、魚の骨取るの苦手なんだよね」
「えっ、わかる。俺も」
右隣に座った八左ヱ門が、勘右衛門にすかさず同意した。おや、思わぬところに同志が、と見やるが、その割に八左ヱ門の箸の動きには迷いがない。豪快に裂いた切り身の塊を、もぐと口に入れている。
「えー、全然食べるの早いじゃん」
「んー……んん」
勘右衛門の視線を受けた八左ヱ門は、二、三度の咀嚼の後もごもごと口を動かしたかと思うと、ぺっ、と口の中から大きな骨を吐き出した。
「うわ、汚ねっ」
「だから、魚の骨取るの苦手なんだって。勘右衛門だってわかるだろ?」
「ちゃんと取る努力をしてる俺と一緒にするな」
「ええー……これが一番手っ取り早いじゃんか」
一瞬でも同志だと思った己が阿呆だった。八左ヱ門のことはもう取り合わず、勘右衛門は今度こそうまくほぐせた鮭の身を、白飯と一緒に口に運んだ。秋の鮭は脂がのっていた。骨さえなければこれほど旨い食べ物もない。柔らかい身の白飯に合う塩加減も、皮の焼き目の香ばしいところも、勘右衛門好みの味である。
もぐもぐと黙って口を動かしながら、他の三人の様子を伺う。秋刀魚は一尾まるごと供されるので、鮭より遙かに小骨が多い。さぞかし苦戦していることだろう。
右隣の兵助は、思った通り、まだ一口目にもありつけていない。お手本のような箸さばきで、中骨に沿って箸を入れてまず身を開く。それから頭の部分を箸で挟んで中骨ごと取り除く。簡単そうにやってのけるが、同じことを勘右衛門がしてもあれほどきれいに中骨を取り除くことができるかはわからない。
「兵助は箸使うの上手だねえ」
勘右衛門が思ったことをそのまま口にしたのは、真向かいに座る雷蔵だった。もりもりと白飯を口に運んでいる。あれ、と勘右衛門の頭に疑問符が浮かぶ。雷蔵も秋刀魚定食のはずなのに、もう白飯を食べている。ということは、秋刀魚の骨は上手く外せたのだろうか。
「僕も魚の骨取るの、苦手なんだよね」
言いながら、雷蔵は次の箸を秋刀魚の身に入れた。見れば、雷蔵の秋刀魚はまだ頭も取れていない。それなのに上には大根おろしが乗って、もう酢橘と醤油が垂らされている。中骨を取った兵助がこれからするだろうことが、既になされた秋刀魚。雷蔵はその背中の真ん中あたりにざっくりと箸を入れて、身をむしり取る。勘右衛門の距離からでも、小骨が飛び出ているのが分かるそれを、ためらいなく口に入れる。ごりごり、ぱきん、と口の中から音がして、また白飯をもぐと頬張る。
「秋刀魚は骨が細いから、そのまま食べても平気なのがいいよね」
「そ、そーだね……」
ほくほくと笑顔で秋刀魚を味わう雷蔵。勘右衛門は視線をそらし気味にして頷いた。雷蔵の「大雑把」といえば、「迷い癖」の影に隠れてそこまで皆に認知されてはいないが、いやはやこれはこれでなかなか豪胆なことだ。兵助とは別の意味で、これもまた真似しようとしてもできるものではない。
真似、で思い出した。雷蔵の顔を借り、仕草を真似て、雷蔵のごとく振る舞うことに執念を燃やすやつが一人、いたことを。
勘右衛門は雷蔵の隣へと視線をスライドする。雷蔵とまったく同じ顔をした男が、しかし僅かに顔色を悪くしている。いやあれは面なのだから、本来であれば顔色が悪くなるはずがない。しかし勘右衛門の目には確かにそのように見えた。そもそもそ、おしゃべり好きな三郎がずっと無言である時点で、察するに余りあるものがあった。
三郎の目の前の秋刀魚もまた、雷蔵のものと同じように、骨を取り除かれないまま大根おろしが乗せられて、既に酢橘と醤油がかかっている。
三郎の性格を知る者なら、——それこそ入学以来付き合いも五年目となる勘右衛門たち五年生なら、それが無理をした結果であることはわかりきっていた。元来の性格は几帳面で凝り性な三郎である。蜜柑の皮は白い筋ひとつ残さず取るタイプ、と言えばわかりやすいか。魚を食べるのに骨も取らず身もほぐさずなんてこと、絶対にしない。
しかし、今は雷蔵が横にいるせいで、変装名人としてのプライドが三郎にその無茶をさせずにはいられなかった。五年の誰も気にしないのに、もはや本人の病的とも言える拘りだけが、三郎を動かしていた。
かすかに震える箸先が秋刀魚に近づく。ざくりと箸が入り、むしり取られた身には、案の定小骨が刺さっている。
「三郎、無理するな」
八左ヱ門がそう言ったのが、却って契機になった。うるさい、とでも言いたげな視線で八左ヱ門をねめ付け、三郎はそれを、ぱくり、と口に入れてしまった。
「……」
誰も何も話さなかった。咀嚼音は、雷蔵よりも控えめである。もぐもぐとしばらく咀嚼が続いた。想像するに、骨を飲み込むタイミングがつかめないのであろう。しかし、いつまで噛んでいても口の中の骨はなくならず、雷蔵の真似をするという目的からは遠ざかってゆく。三郎は意を決したように、口の中のものを嚥下した。
「……!、っごほっ、げほ」
「三郎、大丈夫!?」
「あー……」
「やっぱり」
「……」
隣の雷蔵だけが、三郎が一体何に挑戦し、そして失敗したのが分かっていない。勘右衛門と八左ヱ門はそれぞれ遠い目をした。自分も咀嚼中の兵助は己の口の中身がなくなるまでものを話さないが、哀れむようにかすかに首を振っている。
「お茶飲みな、はい」
「あ、りがと、らいぞっ、けほっ」
「礼なんていいから、ほら」
雷蔵が、茶の入った湯飲みを三郎に勧めた。それを受け取って一口飲んだ三郎が、眉をしかめる。
「ん……んん゛っ」
「どした?」
湯呑みを置き、喉を押さえて咳払いをする。それでも三郎の表情は一向に晴れない。けほん、こほんと何度か繰り返して、三郎は気まずげに申告した。
「骨、刺さったかも」
「ええ……。だから無理すんなって言ったのに」
「白飯噛まずに飲み込めば良いらしい」
「それ、逆効果って聞いたけど」
皆してやいのやいの言っている脇から、雷蔵が口を挟む。
「見せてみて」
三郎は言われたとおり雷蔵に向かって「あー」と大きく口を開いた。その中をのぞき込み、矯めつ眇めつする雷蔵。やがて、三郎を痛めつけている原因を見つけたらしい。
「ほんとだ、刺さってる」
「しばらくしたら取れると思う……」
三郎は喉を押さえながら苦労して唾液を飲み込んで言った。それが一番だろうと勘右衛門も思った。明日になっても骨が取れないようならいよいよ医務室のお世話になるしかなかろう。三郎の自業自得なので同情も湧かない。一件落着とはいかないが、これ以上できることもないのでそれぞれ食事を再開する。
がしかし、雷蔵はそうは思わなかったらしい。
「……届きそうだけどな」
「えっ」
「ちょっと口開けてて」
「えっ、いいよ」
「いいから」
「大丈夫だって」
何度か遠慮した後、雷蔵に押し負ける形で、三郎がもう一度口を開く。
「あー……、ッが、!?」
と、そこにすかさず、雷蔵が手を突っ込んだ。止める間もなかった。突然の奇行に、兵助も八左ヱ門も、再開していた食事を再び中断せざるを得ない。
手、と言っても三郎の口に雷蔵の拳が入るわけもなく、実際に口内に差し込まれたのは親指と人差し指の二本だった。もう片手で口を閉じられないように顎を掴み、雷蔵は容赦なく喉奥に向かって指を伸ばしている。
「ん゛ー! んん゛ー!!」
三郎がじたじたと体をよじるのを、雷蔵が言葉で制す。
「もうちょっとだから、我慢ね」
苦しそうな喘鳴が三郎の喉から漏れる。雷蔵を止めるべきか?と八左ヱ門が視線で問うてきた。勘右衛門は首を振る。まあ、元はと言えば三郎の自業自得であることだし、止めるほどのことではない、むしろ止めるほうがややこしくなりそうだった。
「っえ゛、う゛え゛っ、お゛、ぐ、ぅ、」
三人の見守る中、三郎の呻き声はますます酷くなる。雷蔵はまるで口の中を見透かすかのように、三郎の顔を真剣な目で凝視して手を動かした。
「う゛ぅ……ぐ、ぉ、ご」
三郎の口の端から、飲み込めなかった唾液がたらりと垂れた。勘右衛門はだんだん、自分たちが何を見せられているのか分からなくなってきた。兵助もそろそろどうでも良くなってきたらしい。丁寧に骨を取り除いた自分の秋刀魚の身を、黙々と口に運んでいる。そういう勘右衛門も、先ほどから味噌汁を啜るので忙しい。八左ヱ門だけが未だはらはらと心配を隠さず二人を見守っていた。本当に良いやつだ。
三郎のうめき声がそろそろ聞こえなくなってきた頃。
「とれた!」
雷蔵が快哉を叫んだ。せっかく掴んだ骨を離さぬように、慎重に指を引き抜く。三郎の唾液まみれになった指が露わになってゆく。口内から指を抜ききると、爪の先でなんとか掴んだ小骨を、誇らしげに三郎の眼前に差し出した。
が、三郎は当然それどころではない。
「っごほっ! ぅえ゛、っ゛、あ゛っ、は、はあ、ぅあ゛、」
上半身を折って、ようやく自由に吸えるようになった空気を肺へと送る。雷蔵の面をつけた顔が酷いことになっていた。酸欠で、面で隠れていない首のあたりが真っ赤になっている。涎の垂れた口の端を乱暴に袖で拭って、三郎はなんとか身を起こした。
「はーっ、はー……はぁ……」
本人はげっそりして取り繕う気力もないのだろうが、あまり人に見せられた顔ではなかった。目には涙が滲んでいるし、唇からは拭いきれない涎の跡がつうと顎にまで伝っている。中空を見つめる瞳は虚ろで、晴れた目元と合わせてどこか婀娜っぽかった。雷蔵の顔をしているのに、こういう表情をすると全く印象が違う。雷蔵にはない色気のようなものを感じ取って、勘右衛門はぶんぶんと首を振った。何かの見間違いに違いない。
がしかし、食堂の大衆の視線は三郎へと注がれている。あれだけ大騒ぎしたのだから当然である。六年生の非難がましい目つき、一二年生のぽかんとした顔、三四年生の何人かは、勘右衛門と同じような感想を抱いたのか、頬を赤らめている者さえいた。
「三郎。分かったろ」
勘右衛門が言葉少なに窘める。
「も、もうしない……」
「それがいいな」
「よく噛まないからだよ、もう」
意気消沈した三郎が肩を落とすと同時、雷蔵が呆れた風な声を出す。勘右衛門は八左ヱ門と再度視線を交わしたが、やはり野暮な指摘はしないでおこうと頷き合った。悪いのは無茶をした三郎である。
——にしても。まことに恐るるべきは雷蔵の大雑把である、と五年生それぞれが痛感した出来事であった。


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