竹谷八左ヱ門は気持ちのいい男である。
というのは、おそらく彼を知る者全員が同意する意見であろう。面倒見が良いから下級生からは頼りになる兄貴分として慕われ、根が真っ直ぐで人懐こいから上級生には可愛がられる。成績優秀な五年生として教師陣からも一目置かれ、忍術学園の外でだって、愛想がいいからふらり立ち寄った茶店のおばちゃんにまで好かれる。
このような人物を好くことあれ、嫌うことなどあるだろうか。
それに比べ、と三年い組の伊賀崎孫兵は我が身を振り返って少々面白くない気分である。毒虫を扱うというだけで下級生からは恐れられるし、そこはかとなくクラスメイトの視線も冷たい。普段は他人の視線など露ほどにも感じない孫兵だが、こうも見せつけられると思うところもあった。注文したのより倍は多い量の団子を黙々と口に運びつつ、愛想をふりまく先輩を恨めしそうに見やり、こっそりと息を吐く。人のいい八左ヱ門は、お団子をおまけしてくれた代わりに買おうとでもいうのか、店先に並んだおみやげ品を物色している。
生物委員会の買い出しの用で六人連れ立って出かけた先、道中の茶店で美味しいお団子とお茶を食べている時に吐いたその少々場違いな溜息は、案の定その八左ヱ門に聞き止められた。
なんだどうした、腹でも痛いのかと見当違いなことを言う先輩に対し、
「どうしたら竹谷先輩のように、誰からも好かれることができるのだろうと思いまして」
孫兵が素直に胸の内を打ち明けると、八左ヱ門はきょとんとして、だが理由も聞かなければ笑うこともせずに答えた。
「まずは、自分が相手を好きになることだろうなあ。お前、毒虫たちはあんなに愛せるのだから、その愛情を少しは人間にも分けてやれば?」
「虫と人間は違います」
「お前が言うとなんだか違う意味に聞こえるな」
「虫のほうが百倍かわいいです」
やっぱりか、と苦笑いする八左ヱ門。一年生が二人の会話口を挟む。
「なんのお話ですか?」
人懐こい三治郎が尋ねてくるのでかいつまんで説明してやると、一平がおっとりと、
「僕も竹谷先輩のように狼や鷹に好かれるようになりたいです」
と少々ずれたことを言った。直前に毒虫という単語が聞こえていたからか、生物委員会の話だと思ったようだ。それならぼくも、と口々に賛同する一年生たちを尻目に、孫兵は再び八左ヱ門に問う。
「そりゃあ、竹谷先輩には、嫌いな人などいないかもしれませんが」
なんだい今日はやけに突っかかってくるなあ、と八左ヱ門は苦笑した。
「そんなことはないぞ。俺にだって、嫌いなやつの一人や二人」
「世紀の大悪党とかは駄目ですよ」
八左ヱ門は直ちにうっと言葉をつまらせたがすぐに気を取り直した。
「ああ、いる。いや、いた、と言うのが正しいか」
孫兵は素直に驚いた。本当に、この人が人を嫌うなどあるわけがないと思っていたのだ。
「どなたです」
八左ヱ門は悪戯っぽい目で秘密だぞ、と前置きしたのち囁くように告げたのだった。
「鉢屋三郎だ」
* * *
八左ヱ門、という名に反し、彼は農家の三男坊だった。上に兄二人、下には三人の妹弟を持つ大家族の中で、八左ヱ門が担うのは子守役である。両親や兄が畑の世話をしにいく間、まるで動物のように騒ぐ下の子達を両手背中に抱えてなだめるのが幼い八左ヱ門に任された仕事だった。忍術学園に入学した後下級生や委員会の動物たちに発揮される面倒見の良さは、生来の性格もあるだろうがこの頃に形成されたものであろう。
とはいえ八左ヱ門とて、初めから下の子の面倒を見るのが上手かったかといえばそうではない。手のつけようのないほどに暴れ騒ぐ妹弟を相手に、怒鳴ったり手を上げたり、しまいには自分まで泣き出してしまった時もある。そういう時、母は彼のぼさぼさの髪をいいこ、いいこと撫で付けながら、八左ヱ門と視線を合わせて言ったものだ。
『赤子だと思って舐めたらいけんのよ、ハチ。こっちも人間、相手も人間。ちゃあんと向き合って、目と目を合わせて、そうしたら口で言わなくても伝わるもんなのよ』
『話すときは目を見て話しなさい。それが自分が真剣だという気持ち、相手を信頼しているという気持ちを伝えるんよ』
『お前があの子たちのこと苦手だって思ってるから、あの子たちもお前を苦手だと思って暴れるのよ。いいね、ハチ、そういう気持ちは跳ね返って自分に返ってくるのよ』
さすが母の言うことだけあって、八左ヱ門がそのように態度を改めるとまるで魔法のように子どもらも言うことをきくようになった。確かにそれまで、八左ヱ門には「相手は何も分からぬ赤子」という思い込みがあったのだろう。口には出さないものの、それがどこか態度に現れていたのかも知れぬ。
母のありがたい薫陶は八左ヱ門の心に種を落とし、そしてしっかりと根を張った。関わったら最後まで、という彼のポリシーもまさにこの根っこから咲いた花である。
そんな八左ヱ門だから、三郎のことを初めっから嫌っていたわけではない。
入学式のその日からなにやら滑稽なひょっとこのお面をかぶって誰とも馴れ合おうとしない彼を、最初こそ八左ヱ門は何くれ構ったものだった。しかし、話しかけても遊びに誘っても、返事すらしない態度にいい加減愛想が尽きると言うものである。同じく三郎を気にかけていた雷蔵は、同室ということもあって三郎の味方をしたが、次第に八左ヱ門は三郎を悪く言う仲間の方へ流れた。
やがて一年が終わる頃、何がきっかけだったのか三郎がお面を取った。頑なに隠していた顔が一体どんなものか学園中が興味に駆られたが、面の下から現れたのはどこにでもいるような、至って普通の面白みも特徴もない面相であった。――後にその顔ですら変装であったと知れることになるのだがこの頃はまだ知る由もなく、三郎を異端視して近づかなくなっていたクラスメイト達も次第に態度を軟化させる。もちろんそれには雷蔵の貢献が大きかったことは言うまでもない。
そうして一見クラスに馴染んだように見えた三郎だが、――八左ヱ門だけは違った。
「ハチ。どうして三郎のこと無視するの」
この時も三郎に代わって、雷蔵が心底困ったと言わんばかりに尋ねてきたのだった。
「三郎がそう聞けって言ったのかよ」
「そうじゃないけど……」
雷蔵の語尾が震えて溶けたのを見て取って、八左ヱ門は嘆息した。雷蔵と仲違いしたいわけではないのだ。ただ三郎が関わるとつい当たりがきつくなってしまうだけで。
できるだけ肩の力を抜いて、八左ヱ門は雷蔵に向き直った。
「俺があいつを無視してるんじゃなくて、あいつが俺を無視してるんだよ。気づいてるだろ。あいつは絶対俺の目を見て話さない。俺だけじゃない、ほかの誰とであってもあいつは目を見て話そうとしないだろ」
それが、八左ヱ門が三郎を嫌う一番の理由であった。少しずつではあるがクラスメイトと言葉をかわすようになった三郎だが、その態度だけは面を付けていたころから少しも変わっていない。誰が話しかけても斜に構えて正対しない。遠くの方に視線をやって、聞いているのかいないのかわからない曖昧な相槌を打つ。後ろから声をかけた時など、振り返りもせずに返事することすらある。
その態度は八左ヱ門からしてみれば、『真剣に相手をされていない』としか映らなかった。どうでもいいと思っているのだ。クラスメイトのこと、八左ヱ門のことなど。
「そんなことないよ」
「え?」
それは雷蔵とて例外ではない――。そう結論づけていた八左ヱ門は、意外な答えに目を張った。
「三郎はちゃんと僕と向き合って話をするよ」
人目の多いところだと確かに斜に構えたりするけれど、部屋で話す時はそんなことしないよ。
それを聞いた時の八左ヱ門のショックと言ったら。
誰にも好かれる八左ヱ門は、今まで誰からも嫌われたことがなかったのである。そんな八左ヱ門にとって、嫌われる、というのは一種の敗北ですらあった。幼い妹弟の面倒を見ていたあの頃から八左ヱ門の取り柄であり人格の一部となっていたそれがぽっきりとへし折られた気分だった。
思い返せば八左ヱ門は、三郎がだれにでも平等に無関心であると思っていたからこそ安心して三郎を無視できたのだ。あんなに献身的な雷蔵にさえああいう態度を取るのだから、嫌われて当然とすら思っていた。それが、そうではなかった。三郎を無視していてもどこかに驕りがあったのだ。悪いのは三郎であって、自分は悪くない。自分が嫌われているなど考えもつかなかった。
『お前があの子たちのこと苦手だって思ってるから、あの子たちもお前を苦手だと思って暴れるのよ。いいね、ハチ、そういう気持ちは跳ね返って自分に返ってくるのよ』
急に思い出したのは母の言葉。
八左ヱ門の矜持は三郎にへし折られたのではない。自ら折ってしまったのだ。
そんなことがあってから、八左ヱ門はしばらく三郎を避けた。自分に原因があるとしたらこれ以上無視はしたくないが、今更急に態度を改めることなどできない。いつの間にかこんなに頑なになってしまった三郎との関係を、どうしたら和らげることができるのか見当もつかなかった。
そんなある日の放課後のことである。雲ひとつないよく晴れた日で、こんな日は外でサッカーでもして遊ぶのがいいのだろうがそうもできない。もしかしたら雷蔵が三郎を連れて混ざりに来るかもしれない。そう思うと、ここ数日クラスメイトとの付き合いも遠のいてしまった。
クラスメイトに見つからないようにとの理由だけで手持ち無沙汰に校舎裏を歩いていた八左ヱ門は、建物の角を曲がってから、やっぱりサッカーに混じっていればよかったと後悔した。なんの偶然か、そこには屑籠を持った三郎が立っていたのである。そういえば焼却炉はこの先だ。掃除当番の確認まではしていなかった。
人気のない校舎裏のこと、その時も周りにいるのは八左ヱ門と三郎だけ。気まずい思いをしている八左ヱ門などどこ吹く風で、三郎はちらりと目の端で認めただけでさっさとその場を去ろうとする。
「おいっ」
思わず引き止める声を上げてから、どうしよう、と思った。何の覚悟もできてはいない。そも、何を覚悟すればいいというのか。悪かったと謝る覚悟? しかし果たして謝る必要があるのだろうか。はじめに態度が悪かったのは三郎じゃないか。
ぐるぐると回る頭をよそに、引き止められた三郎は一応足は止めたものの、振り向くこともせず今にも行ってしまいそうだった。
それを見て、八左ヱ門の頭にあった考えは全て何処かへ吹っ飛んでしまった。
「おまえ、俺のこと無視するの、やめろよ!」
手を掴んで強引にこちらを向かせる。細い体はふらりとたたらを踏んで振り返った。しかし依然、三郎は下を向いたままだ。このやろう。八左ヱ門はムキになっていた。ヤケになっていたと言うほうがよいか。
「ちゃんと目を見て話せって言ってんだ!」
顔を掴もうとした手は乱暴に払われる。今度は八左ヱ門がたたらを踏む番だった。払われた手が痛んだが、どうにもやり場がなくて宙をさまよった。触れられたくないほどに嫌われている。その事実が八左ヱ門を弱気にさせた。
その時だった。三郎が、なにかを口にしたのは。
「――――んか……」
「何だよ。はっきり言ってみろよ」
「無視なんか、してない!!」
絞りだすような声だった。だが八左ヱ門は、癇癪を起こした妹弟の声に似ていると思った。二つ、三つの子が我を通そうと大泣きするときの声に。
その時初めて三郎は八左ヱ門に正対していた。特徴のない顔を最大限に怒りに歪ませ、正面から八左ヱ門を睨めつけていた。
雲ひとつない空の下、三郎の瞳は――きらきらと輝いていた。
べっこう飴みたいだ。
そんな場面ではないと思うのに、八左ヱ門の頭に思い浮かんだのはそんなことだった。
見たことのない色だった。八左ヱ門の兄弟の濃灰色の瞳とも違う。雷蔵の樫色の瞳とも違う。い組の久々知兵助のような闇夜の色をした瞳とも違う。他の誰とも違う、それは薄く陽に透けるべっこう色。
「お前、それ」
なにか言おうとして、八左ヱ門は口をつぐんだ。それを口に出してしまうのはとっても惜しいことのような気がしたのだった。
「なんでもない。それ、早く捨ててこいよ。……あと!」
先ほどまで抱いていたわだかまりとか怒りだとかをすっかりどこかへ放り出した気で、でもこれだけは言っておかなければならないと、踵を返す三郎の背中に投げつける。
「俺だってお前のこと、無視なんかしてないから!」
三郎の肩が小さく震えたかと思うと、そっと力が抜けるのが見えた。
* * *
――という思い出話を、八左ヱ門は忍術学園までの帰り道でぽつぽつと話した。もちろん一から十まで包み隠さず話してやったわけではないが、一年生などは尊敬する先輩が自分らと同じ年だった頃ということで、興味津々で聞いていた。
三郎の目の色のことを知っているのは、おそらく八左ヱ門だけであろう。三郎はあのべっ甲の瞳を実に巧みに隠しているようだった。思えば人と話すときに斜に構えてみせるのも、人をおちょくるように半眼になるのも、視線を合わせようとしないのも全てはあれを隠すためだった。日中の光の強い時間帯には太陽の位置まで計算に入れてさり気なく人の影になるように立つことまでしているのに気がついたのは、偏に八左ヱ門がその秘密を知っていたからだ。同室である雷蔵はだから気が付かなかった。日光の当たらない室内では三郎はそれ程警戒する必要がなかったのだ。そのくらいさり気なく、しかし頑なに三郎はその瞳を隠し続けていた。
三年に上がる頃には三郎は現在に遜色ないほどの変装の術を身につけ、同時に今につながる社交性と悪戯好きを発揮し出す。その頃からだろうか、三郎は人と話すときにしっかりとこちらの目を見るようになった。あんなに明るい色をしていた瞳は、いつの間にか落ち着いたクルミ色に変わっていた。
瞳の色が変わったことについて、八左ヱ門は大して驚かなかった。
――虫にも子どもと大人で姿かたちの変わるものなどたくさんいるから、目の色変わるくらいよくあることだろう。
などと実に生物委員然とした理解をして疑問にも思わず、また誰に話すこともなかった。
だからそれを知っているのは今も昔も八左ヱ門だけだ。そして、自分だけが知っていればいいと今も八左ヱ門は思っている。
「いいか、だから相手に好かれたければ相手を好くことだぞ。お前らが苦手だと思ってるから相手もお前を嫌うのさ。相手が人間だろうが、うさぎだろうが狼だろうが毒虫だろうが、まずは好きになる努力をしなくてはな」
八左ヱ門は後輩たちに向き直り、膝を折って彼らの目を見て笑って言った。大事な話をする時、八左ヱ門は必ず膝を折って下級生と目を合わす。膝を汚すことを厭わない。だから八左ヱ門は後輩からも、誰からも好かれるのである。それが孫兵の疑問に対する答えであった。
『はい先輩!』
八左ヱ門の思い出話からいつの間にかしっかり委員会活動になってしまったが、一年生からは良い子の返事が返ってきた。折よく学園が見えてきたところで、たまにはこんな委員会もいいかと思う。
と、それまで和やかであった下級生たちの雰囲気が突然ぴきりと固まった。かと思えば、膝をついたまま不思議そうな顔をしている八左ヱ門をそろりそろりと回りこみ、そのまま一目散に正門に向かって走りだす。
「わ、私達はこれで……」
「お先に失礼しまーす……!」
「おい、急にどうしたんだよお前ら!」
孫兵も遅れぬよう、一礼の後、遠回りに「二人」を避けるようにしてその場を去った。
八左ヱ門は後ろを向いていたから気が付かなかったろう。道際に生えた一本松から音も立てずに降り立った鉢屋三郎が、あの見慣れた半眼でこちらを睥睨していたことなど。
「はーちーざーえーもーん」
「三郎!? いつの間に!」
ようやくそこに第三者の姿を確認し、八左ヱ門は慌てて立ち上がる。
「お前、何の話してたんだ。私の名前が聞こえたが?」
「いやあ、聞いてたのか。なに大したことじゃないさ。あはは」
「笑ってごまかす気か」
一体どこから聞かれていたのか、八左ヱ門はひやりとするが、いや別に聞かれて困る話をしていたわけでもなしと思い直す。こんな場所で八左ヱ門たちを出迎えたのだって、どうせ暇に飽かせて後輩たちを脅かして遊ぼうとしていたに違いないのだ。
三郎はしばらく、八左ヱ門のくせにごまかすとは、とか、そういうのは愛嬌のあるやつじゃないと効かないからお前では無理だ、などとぶつぶつ言っていたが、ふと八左ヱ門が手に持っていた包みに気を取られた。
「何持ってるんだそれ」
「ああ、これ。これな」
例の茶店でたまたま目に入って、どうにも懐かしくてつい買ってしまったそれ。後輩たちにこんな話をしてしまったのも、元はといえばこいつのせいだ。道中後輩たちのいいおやつになったがそれでも袋の中にまだいくつか残っている。
八左ヱ門は袋から取り出したそれを陽の光に翳し、それから三郎の姿に重ねた。きらきらと光るその色は、もうどこにも見当たらないけれど。
「やるよ」
「? ……おう」
からんと甘い思い出が二人の口の中で鳴った。


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