放課後、先生に呼び出しを受けていた雷蔵がようやく長屋に帰ってきたのは、もうすぐ夕餉の始まる時間だった。上級生になると年に数回、進路についての個人面談を受けることになっている。今日は雷蔵の番と聞いていた。
肩を落として入ってくる様子を見れば、大方どんな話になったか予想は付く。それでも三郎は、ごく軽い調子で相方に尋ねた。
「どうだった?」
「先生にまで、『おまえは忍者に向いていないのかもしれないな』って言われてしまった……」
板間にすとんと腰を下ろした雷蔵は、俯けていた顔を上げて「たはは」とかろうじて笑った。その割に三郎の顔を見ようともしないで、制服の膝のあたりの布を手でぎゅっと握りしめている。三郎が思ったよりずっと、本人はショックを受けているようだ。
「情けないよ、自分が」
忍者に向いていない、というのは、先日タソガレドキ忍軍組頭に雷蔵が言われたことだ。あの後の自主補習によってある程度自信を回復したはずが、迷い癖は一朝一夕になくなったりしない。ことあるごとに悩む雷蔵を見て、学園の教師陣が同じようなことを思うこともあるだろう。
(しかし、本人に面と向かって言う必要はあるか?)
今日の面談担当教師はだれだったか、と頭では考えながら、三郎は雷蔵の横ににじり寄って、握りしめた拳にそっと手を重ねた。
「そんなに落ち込むなよ。『忍者に向いてない』なんて、褒め言葉のようなものさ」
「一体どこが。忍者の学校だぞここは」
雷蔵は部屋に入って初めて、三郎を見た。表情はこわばったまま、視線はすぐにふいと反らされる。からかわれたとでも思ったのかもしれない。そんなつもりはないのに。
重ねた手を取ろうとするが、すげなく避けられた。温かな手のひらに逃げられて、雷蔵の心のありかを知る。そう簡単に慰めさせてはくれないらしい。
三郎は追い払われた手を後ろについて体を倒し、それじゃあさ、と話を変えた。
「『忍者に向いていない』って言われてる人、きみのほかに誰か知ってる?」
「……善法寺先輩」
こんなときでも雷蔵は雷蔵だ。ここにはいない先輩に失礼がないように、名を上げるのにも躊躇する。三郎はにこりと笑うことで肯定して問いを重ねた。
「なんでそう言われると思う?」
「不運だから?」
「だれにでもやさしいから。あの人は味方だけじゃなく、怪我人と見たらためらわず、敵まで治療してしまうだろ。やさしい人は忍者に向かないんだよ」
「……」
黙り込んだ雷蔵に、三郎は体を起こして向き直った。
「きみも、だれにでもやさしいからね」
「……自分ではよくわからないよ。八左ヱ門だってだれにでもやさしいじゃないか。しかも、人間だけじゃなくて、動物にも」
「あいつはあれで、シビアなところがあるから。動物も人間も、いざとなったら道具として割り切れるやつだ」
「ああ、僕にはそれができないものな。いざという時迷ってしまうから」
「雷蔵」
また自己嫌悪に陥ろうとする雷蔵の肩に腕を乗せる。重みで前のめりになった雷蔵が、いやいや三郎を見上げた。三郎は気にせず肩を組む。
「言っただろ。『忍者に向いてる』なんて、言われて嬉しがることじゃないよ」
だってそれは、言葉の裏を返せば「おまえはやさしくない」と言われるようなものだ。三郎などはよく言われる。おまえほど忍者に向いているやつもそういない、と。
向いているも向いていないも、そう考えるとどちらがいいのかは考えものだ。三郎は元々、他人の言葉をあまり真に受けないので、気にしたことがなかった。
「でも僕は、忍者になりたい。……おまえと一緒に」
よそ事を考えていたせいで反応が遅れた。三郎はぱちんと一度瞬きをする。言葉の意味を咀嚼して、それからじわじわと喜びがこみ上げた。
普段から雷蔵と一緒に居たがるのは三郎の方で、まさか雷蔵がそんな風に言ってくれるなんて、思ってもみなかった。雷蔵は、言った後から恥ずかしくなったのか、三郎の顔が視界に入らないように必死で目をそらしているが、ほんのりと頬が紅潮している。
普段冷静沈着な相方が見せるうぶな様子に、三郎ははしゃいだ。
「なればいい! 一緒に忍者になろう!」
「……でも、向いていない僕が忍者になって、おまえまで危険な目に遭わせることになったら? おまえにばかり負担がかかるような関係では、ずっとはやっていけないよ」
はしゃぐ三郎とは対照的に、まだまだ落ち込んでいる雷蔵は、もうこれが大問題だと言わんばかりに顔を覆った。だから雷蔵は、このときの三郎がどんな表情をしていたか知らない。
「ほら、やっぱり雷蔵はやさしい」
三郎は心底思うのだ。
雷蔵の悩み癖は他人のことばかりで、もちろんAランチかBランチかで悩むこともあるけれど、そんなのは後から来た後輩が「Aランチの残りが少なくなってる!」とでも言えばすぐに決めてしまえる。いつまで経っても悩んで答えが出せないのは、自分以外の誰かに関わることなのだ。三郎だけでない、八左ヱ門も、兵助も、勘右衛門も、下級生も、上級生も、先生方も、雷蔵にとっては同じように大切で、彼らのことで同じように悩むだろう。それだけでなく、いきつけの茶屋の女将さんや、通りすがりの老人や、忍び込んだ城の門番のことでさえ、雷蔵は考えてしまう。誰のことも等しく大切に考える、それが雷蔵の美徳であり、人徳でもあった。
(そんな雷蔵が、今、私のことで悩んでいる)
雷蔵にそんなつもりはないのかもしれない。でも、『忍者に向いていない』と言われて落ち込む理由の一端が自分にあるだなんて、ことさら雷蔵に大事にしてもらえているみたいで、こんな幸せなことはない。雷蔵には悪いが、この幸せをみすみす手放すことなんて、三郎はしない。
(雷蔵と違って、私は『忍者に向いている』んだものな)
三郎は組んだ肩をぽんぽんと軽く叩いてから、するりと離れる。
「まあ、まだ卒業まで時間があるから。ゆっくり考えよう。きみが忍者になろうとなるまいと、私はきみについていくよ」
ん?と悩んでいた雷蔵が顔を上げた。
「えっ? 待って、それって、三郎が忍者になるかどうかも、僕が決めるってこと?」
「ほら雷蔵、鐘が鳴ってる。夕餉の時間だぞ」
「えっ、ねえ、ねえちょっと、三郎!」
雷蔵の悩み癖は、もうしばらく治りそうもない。
まだまだ悩んでもらおう。三郎は慌てている雷蔵に背を向けて、こっそりとほくそ笑んだ。


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