八左ヱ門の長屋の一人部屋の辺りは、どうもやたらと猫が多い。
もしや八左ヱ門が部屋の中で飼っている虫やら野鼠やらを狙っているのかと、慌ててめぼしい生き物を生物委員会が管理している飼育小屋に移しはしたものの、猫の数が減ったとも思えない。どうやら八左ヱ門がこの部屋に引っ越してくる前から、このあたりは猫の縄張りであるらしい。だとすれば後から来た新参者がでかい顔をするわけにも行かないと、生物委員会委員長代理らしい配慮でもって、ことの成り行きに身を任せることにしたというわけ。
今日も午後の授業を終えて、委員会の前に一旦部屋へ戻る途中、濡れ廊下の真ん中に猫が落ちているのを見つけた。誰が最初に言い始めたのか、「猫」を「落ちている」と表現したひとに拍手喝采を送りたいと、八左ヱ門は猫が落ちているのを見るにつけ思うのである。ぽとんと廊下の真ん中に、高いところから無造作に落ちてそのままになっているとしか思えない姿で、猫がだらんと横になっている。野良猫だろうに、あまりに警戒心がない。それなりに体が大きいが、毛並みの良さといい耳のどこも欠けていないのといい、まだ成猫となってほどないものと思われた。
金茶色をした長毛のこの猫のことを、八左ヱ門は密かに「タカ猫」と呼んでいた。
「おおい、タカ猫さん。そんなところで寝てると踏まれるぞ」
といいつつ、理由もなく生き物を踏むような八左ヱ門ではない。そもそも、五年長屋の中でも一番奥まった場所にある八左ヱ門の部屋の前の廊下を通るのは、八左ヱ門くらいしかいないので、やはり猫が廊下の真ん中で寝ていようがどうしていようが、踏まれる可能性は著しく低い。しかし、あまりの無防備さに声をかけずにはいられないのが人情というもの。
「まったくなあ……」
ぼやきつつも、確実に猫を避けて八左ヱ門は足を進める。そのうち見えてきた部屋の前で、今度は三毛と真白の猫二匹が、なにやらつんと澄ました様子でお互いそっぽを向いて、しかし並んで座っているところに出くわすのであった。
どちらも体はまだ小さいが、お座敷猫と言われてもうなずけるほど綺麗な猫である。三毛猫の方は運動神経がよく木の上や屋根の上までぴょんぴょんと飛んで行く。その身のこなしの軽さから、八左ヱ門は「滝猫」と呼んでいた。反対に白猫の方は、狩りの上手だ。草陰でじっと身を潜めて獲物が気を緩めた瞬間を見逃さずびゅんと飛び出て確実に仕留める。どことなく一撃必殺の火器の使い手のようだったので、こちらを「三木猫」と呼んでいた。
これは余談だが、三毛猫のほとんどは雌猫であると言われているが、珍しいことに滝猫は立派な男の子であった。
「滝猫に三木猫、おまえたちまたそうやって」
この二匹、以前夜中に見かけたサビ猫とサバトラ猫のように取っ組み合いの喧嘩はしないが、お互い気位が高く相手より自分が格上だと思っている節がある。普段は仲良く遊んでいるくせ、時折こうやって相手のことを見ない振りしていることがあった。どうせしばらくしたらまた仲良く遊び出すので放っておくに限るのだが、どこか一級下の後輩の面影があるから、ついつい仲裁したくなってしまう。
はああと溜息一つ、八左ヱ門は二匹を横目に自分の部屋の戸を開けようとして、縁の下からはみ出している灰色の長毛の尾を見つけてじと目になった。
「綾猫! おまえ、今度はそこに穴掘ってんのか!」
縁側に降りてわざとらしく大声を出して覗き込む。思った通り、灰色の綺麗な毛並みをどろどろに汚した猫が、きょとんと丸い目で八左ヱ門を見ている。おやまあ、とでも言いたげな姿は、間違いなく「綾猫」と呼ぶにふさわしい。犬のように穴掘りが好きな綾猫は、こうして全身どろどろになって人の部屋の周りに穴を掘るのである。猫が掘るものなので大した深さはないが、たまに茶色の長毛の不運な猫が足を引っかけて転ぶから、見つけたら埋め戻すのが八左ヱ門のここへ来ての習慣となっていた。
「おまえ、そのうちとっ捕まえて風呂に入れてやるからな」
人間の言葉はわかるまいが、猫なりに嫌な予感を覚えたのだろう。そろりそろりとその場から逃げようとする綾猫にすごんでいると、後ろからうにゃうにゃとおかしな声がする。思わず八左ヱ門が振り向いた隙に、綾猫にはまんまと逃げられたが、それはまあよい。
声の出所ではまた別の猫が、くねくねと背中を地面にこすりつけては「うにゃ、うにゃにゃ」と鳴いていた。砂浴びは猫の習性の一つだが、黒毛で腹だけが白いその猫がやると、まるで笑い転げているように見えるので、これはもちろん「浜猫」と八左ヱ門が呼ぶに十分な理由だった。これで尾っぽも白ければ、これがホントの「おもしろい」、なんちゃって。
頭の中で冗句を言うと、まるでそれが聞こえていたかのように、浜猫がさらにくねくねと身を捩ってうにゃうにゃ鳴いた。
「おまえはいつも楽しそうでいいなあ……」
もしかしたら彼なりに真剣に砂浴びをしているのかもしれないが、どうしても笑い転げているようにしか見えず、八左ヱ門は浜猫の横にしゃがみこんで、しばらくその様子を眺めていた。
「竹谷八左ヱ門せんぱーい! まーだでーすかー!」
「おっと、そうだったそうだった」
時間を忘れて浜猫に癒やされていたところ、一年は組のよい子たちの呼ぶ声に、委員会前に部屋へ戻ってきた理由を思い出す。この後は生物委員会で飼育している生き物たちの世話の道具を、街へ買い出しに出かけるのだ。そのためには私服に着替えなければならない。
「おー! もうちょっと待ってなー!」
「はーい!!」
よい子のお返事を聞き届け、部屋へ入る立ちあがる。あんなにくつろいだ様子だった猫たちは、一年生の声がした時から、いつの間にやら姿を消している。
今度、煮干しかマタタビでも持ってきてやってもいいかもな、と、八左ヱ門は今日の買い物リストに一つ二つの追加をしたのだった。


コメントを残す