噂の真相

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 ある日の昼休みのことである。
 食堂でランチを終えて忍たま長屋へ戻ろうとする途中、雷蔵と三郎は一年は組の黒木庄左ヱ門に呼び止められた。
「鉢屋先輩、ちょっとよろしいでしょうか」
 立ち止まった三郎に合わせ、雷蔵も足を止める。庄左ヱ門の利発そうな目が、二つ並んだ同じ顔にひとつずつ向けられて、三郎の方でとまった。当たり、と雷蔵は声に出さずに呟く。三郎は満足げに、うん、と一つ頷いた。
「どうした、庄左ヱ門」
 後輩の用が自分にはないとわかっているので、雷蔵は少し離れたところから二人の様子を見守る。
 ——学級委員長委員会の先輩後輩だものなあ、一年は組のよい子たちを構うようにいちいちからかったりはしないんだなあ。でも三郎、庄左ヱ門に見抜かれて、少し嬉しそうだ。庄左ヱ門も、三郎がどっちだか一発で見抜くんだもん、流石だなあ。一年生で僕らを見分けられるのは、庄左ヱ門くらいじゃないか?
 他人事のように、そんなことを思っていられたのはそこまでだった。

「あの……鉢屋先輩は卒業されたらどこか遠いところへ行ってしまって、もう二度とお会いできない、というのは本当でしょうか」

「……えっ?」
 神妙な顔をした庄左ヱ門が投げつけた特大級の爆弾に、三郎は目を丸くした。雷蔵もまた、なにも言えずに凍り付く。
 長閑なはずの昼下がりの空気が、そこだけ妙な感じに固まった。通りすがりの忍たまたちが横目で様子を窺いつつも、巻き込まれないようにと遠巻きに避けてゆく。
 ぴーひょろろ、と頭上からトンビの声が聞こえた。
 先に我に返ったのは三郎だった。ちょっと困ったような、呆れたようなポーズをしつつ、でもどこか面白がるような声色で、腕を組んで庄左ヱ門を問いただす。
「まったく、誰がそんな根も葉もない噂を」
「伊助が、先輩のどなたかが話しているのを聞いた、と」
 伊助、というのは一年は組の二郭伊助、たしか庄左ヱ門と同室だったはずだ。なるほど、同室の友人から委員会の先輩にまつわる聞き捨てならない噂を聞かされて、居ても立ってもいられずに直接本人に真相を確かめに来た、とそんなところだろうか。噂を鵜呑みにしないあたりは、真面目な庄左ヱ門らしい。
 根も葉もない噂、と本人の口から聞いて、庄左ヱ門は明らかにほっとしたようだった。
「鉢屋先輩に二度と会えないなんていうのは、ただの噂なんですね」
「そういうこと。そもそも卒業まではまだ一年以上あるし、気が早すぎるな」
「それならよかったです」
 安心した様子で深く一礼した庄左ヱ門は、「失礼しました」と言い残し、軽やかな足音を響かせて走り去っていった。

「それで?」
「……ん?」
 足音が十分遠ざかった頃、三郎が何気ない調子で話しかけてきた。両手を頭の後ろで組み、雷蔵を振り返ることなく歩き出す。雷蔵も歩調を合わせてついて行く。
「何か言いたいことがあるんじゃないか?」
 そっくりに作られた髢が目の前でふわふわと揺れていた。
 確かに、思うところはあった。長い付き合いであるから気取られていたことには驚かずとも、こんな風に促されるとは思っていなかった。
 心にとどめておくだけで言うつもりはなかったことが、言葉として零れる。
「いやあ、さ。……その噂、僕も聞いたことがあって」
「そうなの? 私は初めて聞いたぞ。なんだよさあ、『どこか遠いところ』って。『もう二度と会えない』って。そいつ、私のこと嫌いなのか? なんか悪意あるよな」
 三郎はそう言いつつも、あまり気にしている様子はない。他人の言葉に傷つくような男ではないのだ。
「うーん。ちょっと訂正。正確には、噂と同じようなことを、僕自身が前に考えたことがあるんだよ」
 三郎がぴたりと足を止めた。
 面の上からどうやっているのか、器用に顔色を青く変えて、雷蔵と己を交互に指さす。
「えっ? そ、それってつまり……、悪意があるってこと?」
「違う違う! そうじゃない!」
 雷蔵は慌てて、その指先を握って止めた。
 他人の言葉には動じなくても、見知った誰かに言われるとこんなにも揺れる。——まったく、憎めないやつだ。
 微苦笑を一つ浮かべ、雷蔵は歩き出した。
「おまえ、普段から素顔を隠して生活してるだろ。今は忍術学園の五年生で、毎朝同じ長屋で寝起きして、同じ釜の飯を食ってるけど、もしおまえが本気で姿を消そうと思ったら……それって簡単なことなんじゃないかと思ってさ」
「ひどい……きみ、私のことをそんな薄情なやつだと思ってたのか……」
 隣に追いついた三郎が、がっくりと肩を落とす。気を落としている三郎には悪いが、雷蔵の心は晴れやかだった。
 黙って姿を消すなんて、三郎はそんなことはしない。頭では分かっていても、ずっとどこかに不安があった。変装名人で武術も達者な三郎は、ふと目を離すとふらりと消えていなくなってしまいそうな、風に吹かれてどこか遠くへ行ってしまいそうな、そういう危うさがあった。それは情に厚い、薄いという話ともまた違う。
「おまえのこと、薄情だなんて思ってない。でも、お前の口から否定の言葉が聞けて安心した。……卒業しても、また会えるんだな」
 よかったよかった、とそう言った瞬間、ぱたり、と隣でまた三郎が立ち止まった。午後の授業は座学だから急ぐ必要はないけれど、歩いては立ち止まり、また歩き出して、の繰り返しで、さっきからろくに廊下を進んでいない。
「……どうかした?」
 俯いた三郎の表情は窺えない。なにかまずいことでも言っただろうか。
 次の瞬間、三郎が勢いよく顔を上げた。
「今、『会える』って言った?」
「うん。……会えないの?」
「ひどい!!」
「え!?」
 三郎は声を張り上げると、噛みつくような勢いで雷蔵に詰め寄った。
「私、きみに言ったことあるよな? 『将来は同じ城に就職しようね』って! 『双忍として身を立てよう』って! それにきみ、『うん、そうだね』って返したよな!?」
「あ、ああ〜……そんなこともあったっけ?」
 雷蔵は咄嗟に視線を逸らした。
 もちろん、心当たりはある。忘れるはずがない。確かにそのようなことを言われたし、その場で頷きもした。言われたときは嬉しかったし、そうだったらいいなと思った。
 三郎は嘘と本当、冗談と本気が分かりづらい。大真面目に馬鹿げたことをしていることもあるし、真剣な話こそはぐらかしたりもする。だから、三郎の言うことを真に受けて後で傷つくくらいなら、冗談だと言うことにしておくべきだと、無意識のうちにそう考える癖がついてしまっていた。
 しかし、今回ばかりは杞憂だったということか。風のように自由で、水のように自在な三郎が、卒業しても傍にいてくれる。一緒にいたいと真剣に願っている。
 今度こそ雷蔵はへにゃりと笑って肩の力を抜いた。
「あれ、本気だったんだ」
 それを聞いた三郎はとうとう我慢できずに癇癪の声を上げる。
「ひどい! 将来を誓い合った仲なのに、私のこと疑ってたんだ!」
「ちょっとその言い方! 語弊がある!」
「雷蔵に弄ばれた!!」
「ちょ、三郎、声が大きいっ!!」
 五年生二人のやりとりは、廊下ににぎやかに響いた。
 そして翌日には、鉢屋三郎に関する噂はすっかり形を変えていたという。曰く——
『鉢屋先輩は卒業したら、不破先輩と所帯を持つらしい』
 と。

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