尻尾を掴む

5,003 文字

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「早くしろよ、雷蔵ー!」
「八左ヱ門、待ってよー!」
 ふわふわ、ぴょこぴょこ。三郎の目の前をしっぽが跳ねてゆく。ふっくらと量の多い茶色の毛が、走るのに合わせて上下に揺れる様に目を奪われる。しっぽの持ち主はじきに校庭の先へと消えてしまったけれど、三郎は今し方見た光景を脳裏に反芻して、両手をふにゃふにゃと動かした。
(あれに触ったら、どんな気持ちだろうか)
 もこもこと柔らかいだろうか。それとも案外ちくちくするだろうか。いや、その前に三郎の前を通り過ぎていった灰色のぼさぼさ髪とは違うのだから、きっとやわらかくてさわり心地がいいに違いない。お日様をたっぷり浴びた布団のように、あったかくて良い匂いがするに違いない。
 三郎はふと、自分の頭の後ろに手を回し、上から垂れる黒いそれを撫でてみる。するりと指の間を通り抜ける髪は、糸を触るように味気なく、指にも絡まずすとんと落ちてつまらない。やはり自分の髪では代わりにもならない。
 どうしたらあれに触れるだろうか。ここのところ三郎は暇さえあればそればかり考えている。一年ろ組のクラスメイト、不破雷蔵の、あのふわふわの茶色いしっぽ。三郎のあこがれのしっぽ。

 しっぽのことを何度も思い出しながら、ぼんやりと長屋に戻る。二人一部屋の忍たま長屋の同室は、他でもない不破雷蔵だった。さきほど同じく一年ろ組の竹谷八左ヱ門と裏山に向かうのを見たばかりだから、まだしばらくは帰ってこないだろう。
 部屋に誰もいないことを確認して、戸をぴったりと閉じてから、三郎は顔につけた面を外してふうと息を吐く。変装術は鉢屋のお家の秘伝の術ではあるが、十歳の三郎には一日中変装をしているのはまだ荷が重い。それでも変装を生業とする家に生まれた以上、素顔を人に見られるのは幼いプライドが許さずに、こうして日がな縁日の屋台で売っているような面をつけて過ごしている。本当は早いところ、クラスメイトの変装をして皆を驚かせたいのだけれど、どうしても納得のいく変装にならないのだ。
(面はもう、できているんだがなあ……)
 自分に割り当てられた引き出しから取り出したのは、同室の不破雷蔵の顔を写し取った面である。出来映えは悪くないと、三郎は自画自賛する。かぽりと顔につければ、忍たまは皆同じ制服を着ているから、それだけで十分変装は成立するはずだ——髪以外は。
 三郎は続いて、引き出しの奥からもう一つ、茶色い毛玉を引っ張り出した。
(やっぱり、違う)
 手の中のそれに視線を落とし、さっき見たばかりの本物と比べて、むうと唸る。見かけだけならそこそこ、巧く似せられていると思う。しかし、動物の毛を染料で染めて作ったそれは、人毛よりも毛が細くてくたっとしている。試しに上下に振ってみても、あの躍動感あふれる動きにはならず、へなへなと力なく揺れるばかりだ。前髪はまだいいとして、この髷は到底満足のいく出来映えとは言えない。
 それでも三郎は、ものはためしと頭につけてみることにした。頭巾の隙間に作り物の前髪と髷を差し込む。実家から持ってきた銅鏡をのぞき込むが、何しろ自分の頭の後ろのことなのでよくわからない。その場でぴょんと一度跳ねてみる。頭の後ろで、三郎の動きを追った髷がふわんと跳ねて、くてんと垂れる。
(もしかして体の動きが悪いのか?)
 あのぴょんこぴょんこと跳ねるしっぽは、髷自体の出来だけでなく、三郎自身の動作が違うのかもしれないと、三郎は何度か動きを変えて、部屋の中で跳びはねる。
 ぴよん。
 ふわん。くてん。
 ぴよおん。
 ふわあん。くてん。
 ぴよんぴよん。
 ふわんふわん。くてん。
 何度も何度も真剣に飛び跳ねていた三郎は、いつの間に戸の一枚向こうに幼い気配が立っていることに気付かない。すらりと外から戸が開けられ、間抜けなことに三郎は、着地したときの姿勢で同室と顔を合わせることになった。
「ただいま……あ?」
「あ」
 一拍おいて、くてん、と三郎の作り物の髷が頭の後ろに垂れたのがわかったが、三郎はもちろんのこと、雷蔵もそれどころではなかった。ぽかんと口を開けて、一言。
「……ぼくがいる」
「……鉢屋三郎だよ」
 咄嗟に名乗ってしまってから、それもおかしな感じだなと三郎は顔をしかめる。ぼくが変装しています、と名乗る忍者はいまい。失敗したと悔いる三郎とは裏腹に、雷蔵は名乗られたことですとんと納得したらしく、部屋に入るとただただ興味深そうに三郎の顔をのぞき込んだ。
「あ、なんだ、三郎か。でも、それ、ぼくの変装だよね? 《妖者の術》だよね?」
「そうだけど……」
 つい最近、座学で習ったばかりの用語を口にする雷蔵は、さすがろ組の優等生といったところか。一方でこんなタイミングで未完成の変装を、それも姿を借りた本人に対して披露することになるとは思わなかった三郎は、どうしたらいいか分からずに身を固くした。へたくそと笑われるか、気持ち悪いと逃げられるか。前者はまだしも、後者は嫌だ。だって彼は三郎のあこがれのしっぽを持っている。ふわふわで、ぴょこぴょこで、元気いっぱいのかわいいしっぽ。
 どうして三郎が雷蔵の変装をしようと思ったのか。そのきっかけがこのしっぽだった。どうしてもこのしっぽが欲しくなって、それで三郎は、雷蔵を選んだのだ。それなのに、変装のせいでしっぽから遠ざかるのは本末転倒もいいところである。
「三郎って——」
「……っ」
 雷蔵がなにかを言おうとしているのが分かって、三郎は咄嗟に目をつぶった。何を言われるのか分からずに恐ろしい。ぎゅっと目を閉じた向こう側で、雷蔵が息を吸う音が聞こえる。
「——すごいんだね!」
「え……?」
「すごい、一年生なのにもう変装ができるの!? 顔はそれ、お面? お化粧? もともと僕に顔が似てるの? すごいな、いつもお面かぶってたから分からなかった。すごくそっくりだし、それに、その髪も、」
 恐る恐る目を開けると、目の前には雷蔵の興奮した顔があった。頬を紅潮させて、すごいすごいとそればっかり、稚拙な技術のことを笑うでもなく、勝手に姿を真似たことを怒るでもなく、三郎の周りをくるくると回って褒めそやす。
 どうやら悪感情を持たれているわけではないと分かって安心したのも束の間、雷蔵の手が不用意に三郎の作り物の髷に当たった。
 決してわざとではない、同室の変装に無邪気に興奮していた雷蔵の動きが多少大雑把になった、ただそれだけ。雷蔵が戻るまでの間、三郎が散々飛び跳ねて髷を揺らしたのも少なからず影響した。結局は三郎の変装技術が、まだそこまで巧くなかったという一点につきるのだが、とにかく、その些細な接触一つで、二人の間に三郎の髷が、ぽとり、と落ちた。
「ご、ごめん!」
 謝罪の声が聞こえても、三郎は床に落ちた髷から目が離せなかった。雷蔵がすごいと褒めてくれた変装は、しかし三郎にしてみれば酷いものだ。とくにこのしっぽはいただけない。どう見ても雷蔵のそれとは似ても似つかない、くたくたで、へなへなで、頼りないそれは、床に落ちるとますますみすぼらしく三郎の目に映った。
 そうでなくとも、三郎の心はこの短時間でもみくちゃにされていた。変装の不出来に悩み、思いがけずそれを見られて、雷蔵の言葉に怯え、賞賛に沸き立ち、その上でまた自分の技術の未熟を目の当たりにする。極度の緊張と弛緩、困惑と落胆とに交互に晒されて、三郎の幼い心が耐えられなくなったのは、もはや仕方のないことだった。
 じわり、と目が潤む。急激に目頭が熱くなったかと思うと、みるみるうちにあふれてゆく。床に落ちた髷を拾おうとしていた雷蔵の手に、ぽた、ぽたりと温かな涙が降った。はっと顔を上げた雷蔵は、自分と同じ顔がぐずぐずに濡れているのを見つけて、三郎に抱きついた。
「ああ、三郎っ! ごめん、ごめんね! 泣かないで!」
「……っ、……くっ、う」
 雷蔵の肩を濡らしながら、泣きたくて泣いている訳ではない、と抗議したかった。勝手に目から涙があふれて止まらないのだと、こんなのは自分の意思ではないと、言いたくても口を開けたら、みっともない嗚咽が飛び出しそうで、三郎は必死で歯を食いしばった。
 その苦しそうな嗚咽が却って雷蔵の心に爪を立てているなど、三郎は露とも知らず、抱きしめる力が強くなるのに困惑しながら、くうと喉の奥で必死に声をかみ殺した。涙に濡れる目を必死で見開き、乾け、乾け、と念じた。
 その三郎の目の前に、期せずして映ったものは。
(あ……)
「本当にごめん、悪気はなかったんだ。ねえ、どうしたら許してくれる?」
 三郎を抱きしめて、背中を撫でる雷蔵は気付かない。肩に顔を埋めていたはずの三郎の目がもうずっと、雷蔵の頭の後ろで左右に揺れるそれを追いかけていることを。
「触らせてくれたら、ゆるす……」
「触る? なにを?」
「……しっぽ」
「尻尾? って……あ、もしかして、僕の髷のこと? もちろんいいよ! いくらでも触ってよ!」
 もごもごと不明瞭な声とその意味を、雷蔵は正確に拾い上げた。その上で快諾されて、なんだ、こんなに簡単なことだったのかと、三郎は今まで素直に雷蔵に頼まなかった己を恥じた。変なプライドが邪魔して遠回りした。あのしっぽに触りたいという欲求から、雷蔵の変装をするまでにかかった時間を悔やんだ。でも、もしかしたらこうなることが必然だったのかもしれない。あこがれて、手に入れたくて真似て、それでも手が届かないしっぽだったから、三郎はここまで強く執着した。その執念がなければ、三郎はそもそもこんなに雷蔵に興味を持たなかった。
 雷蔵に抱きつかれたままの体勢で、三郎はその茶色いしっぽに手を伸ばす。そっと、まるで触れたら落ちてしまうのを怖がるようにそっと、指先で触れる。ちょんと触れた先から揺れるのを、今度は手のひらで包むように握った。軽く、空気を掴むような柔らかさで、ほわほわと毛先が手のひらをくすぐる。
「……ふふ、やわこい……」
「へんなの、三郎。泣きながら笑ってる」
 ぐずぐずと鼻声のまま、嬉しそうな三郎の気配が肩口から伝わってきて、そのちぐはぐな様子に雷蔵も笑った。自分の髷の何がそんなに三郎の気を引いたのか、雷蔵には一つも分からないけれど、三郎が笑ってくれたのならそれでよしと、おおらかな雷蔵は納得する。
 心ゆくまで雷蔵の髷を触り倒した三郎がようやっと雷蔵から離れたのは、かれこれ四半刻が立ってからだった。もうすっかり涙も乾き、今度はその瞳をらんらんと決意に燃やして、三郎は宣言する。
「ぼく、頑張るから。雷蔵のしっぽを真似できるように、もっと頑張る。だから、たくさん観察したいから、また触らせてくれる?」
「うん? うん、べつに、いいよ?」
 熱意に押されてうんと頷いた雷蔵は、にっこり笑った三郎の顔に見惚れる。いつもお祭りのお面に隠れて見えなかった顔が、たとえ自分と同じ顔であろうとこうして伸びやかな表情を見せてくれるのなら、こっちのほうがずっといい。

 さて、それから数年。三郎の変装はすっかり上達して、髪の毛の一筋ですらもはや見分けが付かないほどになった。しかしこの癖だけは未だに直る様子がない。直す気がない、というほうが正しいか。
 日課のごとく毎日飽きもせず、三郎は雷蔵にそれを強請る。自分のかもじを触れば良いのでは?と思わないでもないが、曰く「全然違う」とのことなので、雷蔵も好きにさせている。
「雷蔵、しっぽ触らせて」
「あーはいはい、どうぞ」
 読書をしている背中にしなだれかかられても、もはやなんとも思わない。おざなりに許可を出すと、何度も何度も、それこそ毎日触れているくせに昔からかわらないあの優しい手つきが、そっと雷蔵の髷に触れる。
 表面上は読書を続けている振りで、雷蔵は三郎の手が触れるのを待つ。壊れ物を触るように、触れた先からどこかへ消えてしまうのを恐れるように、おずおずと触れられる度、雷蔵の胸はくすぐったくなる。
「あー、やっぱり雷蔵のしっぽが世界で一番かわいい」
 かわいいのはおまえだよ、と言いたくなるのを直前で飲み込む。もうそのうち、うっかりこぼしてしまう日も近い。そのときには、もう離してやる気はない。いや、今だってもう離すつもりはないのだ。
 一度掴んだ狐の尻尾、雷蔵もまたいつの間にやら、それに執着しているのだから。

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