「耳の中がごそごそする」と言う雷蔵に「見てあげようか」と言ったのは三郎だ。竹を削って作った細い耳かきを持って、縁側の一番よく日が当たる場所に二人して並んで座った。
「どっちの耳?」
「左。……ええと、」
雷蔵が逡巡するのをつぶさに感じ取って、三郎は縁側に下ろした膝をぽんと叩いた。
「遠慮するな。ほら」
「お、お邪魔します」
頭巾を取ってからおずおずと三郎の膝に頭を乗せる雷蔵。幼い頃は膝枕なんてするのもされるのも何も思わなかったけれど、いつからかやらなくなったのはなぜだろう。
久々に感じる雷蔵の頭の重みに、なんだかとても大切なものを預からせてもらった気がして、三郎はわずかに緊張した。三郎の緊張を感じ取ったのか、雷蔵の体もどこか硬い。ふ、と一つ息を吐いて肩の力を抜いて、あえて何でもないように雷蔵の耳をさらりと触り、穴の中をのぞき込む。
「それでは失礼。……おお、これは」
「なになに」
「大物がいるぞ」
「うわーやっぱり」
三郎の軽い調子に気がほぐれたのか、雷蔵もいつもの気楽な感じで乗ってくる。三郎の言葉に嘘はなく、明るい日差しの下だから見えるような奥まったところに、大きめの塊がこびりついている。さてここからが腕の見せ所、と三郎は腕まくりして、耳かきをそっと耳へと近づけた。
「始めるから、気を楽にしててくれ」
「うん。お願いします」
とは言ったものの、いきなり核心に迫るようなことはせず、まずは手始めに耳の穴の周りのへこんだところに、軽く耳かきを当てた。もう片手で耳輪をつまんで、耳全体を揉むようにしながら、さりさりと軽い力で掻いてゆく。ちゃんと風呂で洗ってあるので汚れているわけではないが、耳を刺激に馴染ませるためだ。何度か繰り返すうちに雷蔵の体から徐々に力が抜けていくのがわかる。暖かい日差しが、雷蔵の頭だけでなく体全体に当たるのもよかった。三郎の膝も雷蔵の体温のせいだけでなく、ぽかぽかと暖かい。
いよいよ三郎は耳の穴の中へと耳かきの先端を滑り込ませた。
耳というのは繊細な器官だ。奥にある鼓膜はもちろん、外耳道だって少し強く突くだけで容易に傷つく。わずかな痛みも雷蔵に与えるわけにはいかない。三郎はここでも急ぐことなく、手始めに穴のすぐ入り口のところから、かすかな力で掻いてゆく。皮膚に触れるか触れないか、力が伝わるか伝わらないかの境目を見極めて、かり、かりり、と耳かきを動かす。幾ばくもしないうちに、雷蔵が僅かに体を揺らした。
「どうした?」
「くすぐったい」
「それは、がまんして」
痛くないなら何より、と三郎は安堵して、再び手を動かし始める。
雷蔵の耳の中は乾燥していて、耳かきで掻くたびにほろほろと薄皮のような垢がとれた。耳かきの先端を垢と皮膚との隙間に差し入れて剥がし、奥に行かないように匙の部分ですくって掻き出す。ぺり、ぺり、見ている側にも音が伝わるような心地よさで耳垢が剥がれてゆく。
徐々に例の塊に近づくと、三郎は今までよりも幾分慎重に、耳かきを当てた。
「んー……」
「ごめん、痛かった?」
「ううん、ごそごそいってる」
「今、取るから、もう少しがまんな」
「大丈夫だよ。任せた」
「任された」
任せた、という言葉に浮かれそうになる胸を、深呼吸して落ち着かせる。舞い上がってしまって雷蔵に痛い思いをさせたら元も子もない。
耳かきの先で塊を押しては、引き戻す。もう一度、押しては、戻して。決して急がず、時間をかける。奥に入り込みすぎないように、元に戻らないように、時に手を止めて、反対側から、もう一度手前から、ゆっくり、ゆっくり——
「とれた!」
ようやくその塊を外側に引っ張り出して、三郎は快哉を叫んだ。匙の上にちょんと乗った耳垢は、苦労して取り出しただけあって今までのより断然大きかった。小指の爪の先ほどあるそれを雷蔵に見せようと、三郎は無邪気に雷蔵の名を呼んだ。
「ねえ、雷蔵、ほら、見て……」
と、そこでようやく気がついて、三郎は慌てて口をつぐむ。息まで止めて、細く吐いて、それから、頭が乗っている下半身を動かさないよう、そっと雷蔵の顔をのぞき込んだ。
「寝てる……」
三郎は何度か瞬きをした。まさか耳の中に棒を突っ込まれた状態で眠れるなんて、と雷蔵の胆力に驚けばいいのか、自分の耳かきの腕を誇ればよいのか。
将来は耳かき屋でも開業しようか、と冗談交じりに想像して、違う、そうじゃないんだと思い当たった。三郎は確かに手先の器用さに自信はあれど、これほどまで慎重に誰かの耳を掻こうとは雷蔵以外に思わない。知らない人間の耳の穴なんてどうなろうが興味がない。耳かき屋などまっぴらごめんだ。
雷蔵だって、いくら豪胆とはいえど、己以外の誰かの膝で寝入ることもそうないだろう。ましてや、一つ間違えれば鼓膜を破られてもおかしくない状況で、易々と眠るなんてことはあり得ない。
「まいった」
三郎は両手を後ろについて空を見上げた。よく晴れた気持ちのよい日である。膝の上には五年来の親友の寝顔がある。いつから膝枕も、手つなぎもしなくなった。意識しすぎて、できなくなっていた。
「ああ、まいったなあ」
さっぱり困っていない口調で、三郎は繰り返した。暖かな陽光が、雷蔵の顔を明るく照らしていた。


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