朝の猫、夜の猫

5,481 文字

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「わー!!」
 と、文字にするならそんなような、いささか間の抜けた叫び声が忍たま長屋に響いた。ある朝のことである。
 なんだどうしたと長屋のあちこちから、起き抜けの忍たまたちが集まってくる。叫び声の元は五年ろ組、鉢屋三郎と不破雷蔵の部屋だった。
「どうした、三郎、雷蔵!」
 五年ろ組といえばこの男を忘れてはいけない。ろ組で唯一、一人部屋を使っている竹谷八左ヱ門が、寝間着のまま自分の部屋からすっとんできて、人混みをかき分けて前へ出た。開け放たれた引き戸の向こう、こちらも寝間姿で手鏡を掴んでそこに映る自分の姿を見てぷるぷると震えているのは、八左ヱ門が見たところ雷蔵の方だった。
「な、な、なんだこれ!? 耳!?」
「猫の耳だね、雷蔵」
「それに、尻尾も生えてる!!」
「猫の尻尾だねえ、雷蔵」
「もー! 三郎も見てないで、ちょっとは驚いて!?」
 三郎は、こんな朝早くだというのに一人だけ、集まった忍たまたちの中でちゃんと制服に着替えて、もちろんいつもどおりの鬘と面をつけて、雷蔵がわーわーと騒ぐ様をうっとりとした表情で見つめていた。
 状況は、三郎の言うとおりであった。
 雷蔵の赤茶けた髪の間から、髪と同色の三角形をした獣の耳が、にょっきりと生えている。そして、寝間着の裾からはこれまた髪と同じような色の長い尻尾が覘いていた。どちらもうっすらと縞模様が入り、なにより毛並みが豊かだった。特に尻尾はそれが顕著で、ふわふわとした毛が敷きっぱなしの布団の上に広がっていた。
 つまりどういうことか。八左ヱ門の目から見ても、それは猫の耳と尻尾としか思えなかったということである。
 八左ヱ門は、まさかと思いつつも一応尋ねた。
「……お前のいたずらじゃないだろうな、三郎」
「おいおい、さすがの私も、雷蔵の耳を増やしたり、尻尾を付けたりはできないぞ」
 疑いの目を向けられた三郎は、雷蔵に向けていたとろけるような視線を引っ込めて八左ヱ門に反論する。
「変装道具じゃないってことか?」
「八左ヱ門、これ、ちゃんと感覚もあるし、ほら、動く……」
 雷蔵は早くも諦めの境地に達したようで、ぱたりと頭の上の耳を倒したり、尻尾をはたはたと横に振ってみせたりした。
「うわ、本当だ」
 八左ヱ門は素直に感心したが、それですまなかったのは三郎だった。はわ、と声にならない声を上げたかと思うと、雷蔵にとびつく勢いで迫る。
「か、かわいい……!! かわいいよ雷蔵、それすっごくかわいい! なにそれ、もう一回、もう一回やってみせて!」
「三郎、うるさい」
「そんなこと言わずに、頼む!」
「あーもう……」
 抱きつこうとする三郎を手のひら一つで退ける雷蔵。それでも諦め悪く手を伸ばし続けているのをいなしつつ、雷蔵は集まったギャラリーに向かって解散を告げた。
「みんなもさ、煩くしたのは悪かったから、仕度に戻らないと朝飯、食べ逃すよ」
 確かに、異常事態は異常事態だが、皆で集まって解決するようなものでもなし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 学園長の思いつきや一年は組の引き起こすトラブルで、突然降りかかる災難にも慣れた忍たまたちは、「まあそんなこともあるか」と物分かりよく、あっさり各自の部屋に戻って行く。それで良いのか、と思いつつ、去って行く級友たちの姿を微妙な顔して見送った八左ヱ門であるが、結局自分にもできることはない。仕方ないのでそろそろ部屋へ戻ろうと考えて、一応雷蔵に確認した。
「俺も、戻るけど」
「うん」
「それ、いいのか、そのままで」
「え、三郎?」
 雷蔵がとぼけたことを言う。たしかに、今も雷蔵の耳や尻尾に触りたそうに指をわきわきさせている三郎も、そのままではよくないだろうが。
「いや、その耳と尻尾」
「ああ、そっか。そうだよねえ。このままじゃ、頭巾もまともにかぶれないし」
「……大丈夫そうだな」
 心配することがそれだったので、八左ヱ門は心置きなく、身支度に戻ることにした。

 ◆

 さて、結局その日一日を頭巾なしで過ごした雷蔵は、会う人全てに「お気の毒に」という顔をされた。もちろん突然生えた耳と尻尾のせい——ではなく、べったりと雷蔵にしがみついて離れない、三郎のせいである。この学園全体が、猫の耳と尻尾くらいではもう驚かない。たまにあるよね、くらいの認識だ。
 猫の耳などと比較してもまだ同情を買うくらい、確かに今日の三郎はひどかった。普段から雷蔵の隣に立つことを好む彼だったが、比喩でなく雷蔵にひっついて離れず、雷蔵の頭の上で時たまひらりと動く耳や、袴の腰板の隙間から飛び出してふわふわと揺れるしっぽを、夢見るような視線で見つめ続けていた。
 休み時間には、どこからか取り出したブラシで雷蔵の髪を梳かそうとするし(耳を触られるのは辟易したが、髪を梳かされるのは気持ちがよいので結局好きにさせた)、昼休みには、自分の分のランチの子持ちししゃもを全部雷蔵の皿に移してくれるし(くれるというのだから、もちろん遠慮無くいただいた)、放課後は、是非今の雷蔵の姿をスケッチしたいと請われて長屋の縁側に誘い出された(暖かな陽気に途中で眠くなってほとんど昼寝していた)。
 言うほど実害はないのだ、と三郎をひっつけたまま言う雷蔵に、八左ヱ門は「尊敬するわ」と一言呆れたように返すのみだった。
 そうしてつつがなく一日を終え、夕食も風呂も済ませて忍たま長屋に戻ってきた雷蔵は、同じように寝間着に着替えて戻ってきた三郎を、ちょいちょいと指で呼んだ。
「どうした、雷蔵」
 呼ばれるままに雷蔵の前にすとん、と腰を下ろす三郎を、じっくりと観察する。
「おまえ、今日、風呂に来なかったね」
「ん、ちょっと時間が合わなくてな。水浴びして汗は流したから問題はない」
「そうじゃなくて」
 考えてみればおかしな話だ。今日一日、なにかと雷蔵に構いたがって、その耳や尻尾に触れたがった三郎が、風呂なんて貴重な機会をみすみす逃すなんてあるだろうか。
 じ、と三郎の目を見ると、まるで逃げるように三郎が視線を逸らした。逃げるのならば攻めるまで。
「今日の変装、鬘が少し浮いていたね」
「……」
「それに腰回りにも何か隠してる」
「……」
「朝から妙だと思ったけど、おまえ、もしかして」
 とうとう三郎は降参した。
「はあ。雷蔵には敵わんなあ」
 三郎は苦笑して、その手を頭にやり、ずるり、と雷蔵の鬘を外しかける。あまりにためらいがなかったので、雷蔵は逆に慌てて止めに入った。
「いいのかい?」
「なにが?」
「え、だって、髪」
「なに、一年の頃はよく見せていただろう」
 そう言われると、まだ変姿の術がそこまで達者ではなかった頃、三郎はよく縁日で売っているような面を付け、自前の髪を晒していたように思う。しかし、学年を経るにつれそんなこともなくなったので、もうすっかりと忘れてしまっていた。
「別にいいよ、髪くらい」
 雷蔵の目の前で、今度こそ鬘が完全に取り払われる。その下から、するりと見事な黒髪がこぼれ落ちた。兵助のものとも、勘右衛門のものとも違う、まっすぐで素直な黒髪である。強いて言うなら六年の立花先輩のものに似ていた。
 だが、今見るべきはそこではなかった。
「あ、耳……」
 一日鬘の下に押し込められて窮屈な思いをしていただろう三角形の猫の耳が、ぴるぴると震える。ついで寝間着の腰紐を僅かにゆるめると、ずっと紐で縛り付けて押さえ込まれていた長い尻尾がにょろりと現れた。
 どちらも真っ黒な、黒猫の耳と尻尾だった。雷蔵のものよりも毛が短くて、天鵞絨のようにつやつやしている。
「はー、こんなに窮屈だとは思わなかった。雷蔵が指摘してくれて、踏ん切りが付いたよ」
「僕が言わなければずっと隠しておくつもりだったの?」
「あれだけ君のことをかわいがっておいて、実は私も、なんて言いづらいだろう」
 三郎は己の耳と尻尾を労るように撫でた。毛並みに沿って撫で付けたところから耳が折りたたまれて、指が退くとまたぴんと立ち上がる。長くまっすぐな尻尾は、三郎の指から逃げるように、ゆらりゆらりと左右に曲がった。
 それらを見ていると、雷蔵の胸にもうずうずと湧き上がるものがある。今朝の三郎の気持ちが、今更理解できた。
「ねえ、三郎。それじゃあ今度は、僕がおまえのことをかわいがっても、いいかい?」
「え?」
 予想外のことを言われた、とばかりに目を丸くする三郎。もう一度強く、「いいよね?」と尋ねる。
「もちろん、きみになら、いいさ」
 地毛を見せたときよりも思わせぶりに、うっそりと笑った三郎が、隣にぴたりと体を寄せてくる。寝間着越しの肩と肩が触れあった。雷蔵はためらいがちに、三郎の頭へと手を伸ばす。三郎は目を閉じて、その手が耳に触れるのを待っている。
 二人の背後で、二本の尻尾がゆるり、絡まった。

 ◆

 さて、結局その日一日を頭巾なしで過ごした雷蔵は、会う人全てに「お気の毒に」という顔をされた。もちろん突然生えた耳と尻尾のせい——ではなく、べったりと雷蔵にしがみついて離れない、三郎のせいである。この学園全体が、猫の耳と尻尾くらいではもう驚かない。たまにあるよね、くらいの認識だ。
 猫の耳などと比較してもまだ同情を買うくらい、確かに今日の三郎はひどかった。普段から雷蔵の隣に立つことを好む彼だったが、比喩でなく雷蔵にひっついて離れず、雷蔵の頭の上で時たまひらりと動く耳や、袴の腰板の隙間から飛び出してふわふわと揺れるしっぽを、夢見るような視線で見つめ続けていた。
 休み時間には、どこからか取り出したブラシで雷蔵の髪を梳かそうとするし(耳を触られるのは辟易したが、髪を梳かされるのは気持ちがよいので結局好きにさせた)、昼休みには、自分の分のランチの子持ちししゃもを全部雷蔵の皿に移してくれるし(くれるというのだから、もちろん遠慮無くいただいた)、放課後は、是非今の雷蔵の姿をスケッチしたいと請われて長屋の縁側に誘い出された(暖かな陽気に途中で眠くなってほとんど昼寝していた)。
 言うほど実害はないのだ、と三郎をひっつけたまま雷蔵が言うと、八左ヱ門は「尊敬するわ」と一言呆れたように返すのみだった。
 そうしてつつがなく一日を終え、夕食も風呂も済ませて忍たま長屋に戻ってきた雷蔵は、同じように寝間着に着替えて戻ってきた三郎を、ちょいちょいと指で呼んだ。
「どうした、雷蔵」
 呼ばれるままに雷蔵の前にすとん、と腰を下ろす三郎を、じっくりと観察する。
「おまえ、今日、風呂に来なかったね」
「ん、ちょっと時間が合わなくてな。水浴びして汗は流したから問題はない」
「そうじゃなくて」
 考えてみればおかしな話だ。今日一日、なにかと雷蔵に構いたがって、その耳や尻尾に触れたがった三郎が、風呂なんて貴重な機会をみすみす逃すなんてあるだろうか。
 じ、と三郎の目を見ると、まるで逃げるように三郎が視線を逸らした。それを好機と指摘してやる。
「今日の変装、鬘が少し浮いていたね」
「……」
「それに腰回りにも何か隠してる」
「……」
「朝から妙だと思ったけど、おまえ、もしかして」
 とうとう三郎は降参した。
「はあ。雷蔵には敵わんなあ」
 三郎は苦笑して、その手を頭にやり、ずるり、と雷蔵の鬘を外しかける。あまりにためらいがなかったので、雷蔵は逆に慌てて止めに入った。
「いいのかい?」
「なに、一年の頃はよく見せていただろう」
 そう言われると、まだ変姿の術がそこまで達者ではなかった頃、三郎はよく縁日で売っているような面を付け、自前の髪を晒していたように思う。しかし、学年を経るに連れそんなこともなくなったので、記憶は遠い昔のこと、もうすっかりと忘れてしまっていた。
 雷蔵の目の前で、今度こそ鬘が完全に取り払われる。その下から、するりと見事な黒髪がこぼれ落ちた。兵助のものとも、勘右衛門のものとも違う、まっすぐで素直な黒髪である。強いて言うなら六年の立花先輩のものに似ていた。
 だが、今見るべきはそこではなかった。
「あ、耳……」
 一日鬘の下に押し込められて窮屈な思いをしていただろう三角形の猫の耳が、ぴるぴると震える。ついで寝間着の腰紐を僅かにゆるめると、ずっと紐で縛り付けて押さえ込まれていた長い尻尾がにょろりと現れた。
 どちらも真っ黒な、黒猫の耳と尻尾だった。雷蔵のものよりも毛が短くて、天鵞絨のようにつやつやしている。
「はー、こんなに窮屈だとは思わなかった。雷蔵が指摘してくれて、踏ん切りが付いたよ」
「僕が言わなければずっと隠しておくつもりだったの?」
「あれだけ君のことをかわいがっておいて、実は私も、なんて言いづらいだろう」
 三郎は己の耳と尻尾を労るように撫でた。毛並みに沿って撫で付けたところから耳が折りたたまれて、指が退くとまたぴんと立ち上がる。長くまっすぐな尻尾は、三郎の指から逃げるように、ゆらりゆらりと左右に曲がった。
 それらを見ていると、雷蔵の胸にもうずうずと湧き上がる物がある。今朝の三郎の気持ちが、今更によく分かった。
「三郎。それじゃあ今度は、僕がおまえのことをかわいがっても、いいかい?」
「え?
 予想外のことを言われた、とばかりに目を丸くする三郎。もう一度強く、「いいよね?」と尋ねる。
「もちろん、きみになら、いいさ」
 うっそりと笑った三郎が、隣にぴたりと体を寄せてくる。寝間着越しの肩と肩が触れあった。雷蔵は三郎の頭へと手を伸ばす。三郎は目を閉じて、雷蔵の手が耳に触れるのを待っている。
 二人の背後で、二本の尻尾がゆるり、絡まった。

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