1.
喧嘩をした。
今となってはその原因も理由もそれぞれの言い分も定かではないが、その時左門と三之助、そして作兵衛は喧嘩をしていたのだった。
齢十の頃である。
「もう作兵衛なんて知らない」
「おう。知るか、あんなやつ」
「もう食堂にもいっしょに行ってやんない」
「厠に行くときもついていってやんねえ」
「いっつもいっつも、さくべ、『夜勝手に一人でどっかいくな』って怒るけど、あれきっと部屋に一人でいるの怖いからだよな」
「あいつビビリだからな」
作兵衛が聞いたら顔を真っ赤にして否定してかかるだろう言い分である。
しかし実際あの頃、今よりもさらに妄想癖に脈絡がなかった作兵衛は、そういう怖がりな一面も持ち合わせていた。それをつつくのが、毎度毎度馬か何かのように手綱をつけて扱われる左門と三之助のちょっとした鬱憤晴らしにもなっていた。
おそらく、この時もそのようなことを考えていたのであったろう。
言い出したのはどちらだっただろうか。
「じゃあ二人して隠れちまえば、作兵衛少しは反省するかな」
「ちょっと、からかってやろうか」
始まりはそんな些細な気持ちであったと、二人は回想する。
***
昼下がりの一年長屋のぐるりを作兵衛は早足で歩いていた。
今日は午前放課ですでに授業が終わり、一年の面々はそれぞれ思い思いに午後の時間を過ごしているところであった。
上級生になればこんな自由時間には裏々山で自主鍛錬をしたり図書室で自習をしたりと修業に励むところであろうが、そこはそれ、彼らはまだ一年である。ここ数日雨の日が続いていたところの久しぶりの晴れ間であったので、外出届を出して街に繰り出すものもあれば、日差しの柔らかい午後の長屋で昼寝と決め込むもの、校庭でサッカーをして遊ぶものもあった。
そのそれぞれを、作兵衛は一人確かめて回った。
まずは事務員の小松田さんの所に行って外出届が出ていないのを確認し、校庭で駆けまわるクラスメイトたちに所在を尋ね、そして最後に一年長屋の隅々までを、それこそ屋根の上から縁側の下までを探しまわり、やはりどこにもいないと結論を下したところだった。
「あいつら……!!」
「あれ、作兵衛。どうしたの怖い顔して」
通りがかったのは、忍たまの友と筆箱を胸に抱いた隣のクラスの浦風藤内である。委員会も別であるしこれといって接点のない二人だが、いがみ合っているわけでもないのでこうして話すこともままあった。
「藤内。あいつら見なかったか」
「あいつらって――」
「あの迷子共! 左門も三之助もいねえんだ……いったいどこいったんだか」
「はあ、見てないな。でも、そういえば作兵衛たち、喧嘩してなかったっけ」
「そうなんだけど――って、なんで知ってんだ?」
「口喧嘩の声もその後の取っ組み合いの騒ぎもこっちの部屋の方まで聞こえてたよ。昨日」
「うげー、い組のやつらにも嫌味言われたけど、は組にも知れ渡っているとは……」
たはあ、と一頻り嘆いたあと、作兵衛はでもなあと顔を上げた。
「でも、あいつら俺が探してやんねえとどこまで行くかわかんねえからなあ。ホントはもう絶対探してなんかやんねえつもりだったんだけどさ、ほら、は組のなんだっけ、保健委員」
「数馬?」
「そうそいつ。そいつがさ、医務室に行く途中の道で蛸壺に落ちてびーびー泣いてるのみたら、あいつらも誰も知らないようなとこで蛸壺に嵌ってるかもしれねえじゃんと思ってよ。それでそんなとこで野党なり狼の群れにでも襲われた日には、ね、寝覚めが悪いから俺は――」
自分で語りながら青くなる作兵衛はそれはそれで見物だったが、藤内は聞き捨てならない情報に思わず遮った。
「数馬また落ちてたの? 助けてあげてよ! うわー、医務室って言った?」
「ちゃんと保健委員の先輩が助けてくれてたよ」
「それじゃあその後二人して落ちてるよ……」
「それもそうだな」
「ああ、これから図書室で予習しようと思ったのに。僕、ちょっと医務室のほう寄ってみる」
「そっか。引き止めて悪かったな。あ、迷子見つけたら――」
「教えるよ。でも、外出届出てないんだったら、今日は長屋か教室の近くにいるんじゃないかな。ここ数日雨続きだっただろ? あれで、裏山より奥は土砂崩れの危険があるから下級生は立入禁止だってよ?」
それじゃあ。
蛸壺に落ちているという同室のことに気がそぞろで、藤内は別れ際作兵衛の顔をきちんと見ていなかった。
藤内の話を聞いてさっと焦りの色を濃くした作兵衛の顔色を察してやればよかったと、藤内は後悔することになる。
***
その日、陽が沈む頃になって、三之助と左門は図書室から長屋に戻った。
図書室なんていう知的な場所にはとんと縁のない二人である。入る時はおっかなびっくりであったが、なんでも上級生のうち五・六年が合同で校外実習だということで、人はほとんどいなかった。四年生の図書委員が一人で当番をしているだけで、静かにしていれば何も言われないのをいいことに、本棚の影のほうで二人して折り重なってぐっすりと寝入ってしまったのだった。
「作兵衛に見つかんなかったな」
「まさか図書室にいるなんて思わなかったんだろ。忍者たるもの、これくらいの裏を読めなくちゃだめだろうに」
二人は作戦がうまくいったことを喜びながらも、内心では一抹の寂しさを感じていた。お互い口には出さなかったが、なぜ作兵衛は見つけてくれなかったんだ思っていた。というよりも、こんなに作戦がうまくいくとは思っていなかったのだった。どうせ途中で見つかって、いつものように縄でしょっぴかれて長屋に戻され、延々とお説教されるに違いないと思っていた。なので、この結果は全く予想外であった。本当は見つけられなかったんじゃなくて、探してくれなかったんじゃないか。喧嘩したからもう俺達の事はどうでもいいのだろうかと、そういうふうに考えるのが自然な気がした。
「帰ったらさ、喧嘩、やめようかな」
左門がそんなことを言った。
それは三之助も思っていたことだったから、
「作兵衛から謝るなら、まあ、いいかな」
なんてひねくれたことを返したが、実のところは、長屋に戻ったらカンカンに怒った作兵衛がいるだろうから、なんだかんだ仲直りできるだろうと、三之助はそんな打算的なことも考えていた。
図書室から長屋までをなんだかんだ半刻近くかけて帰ったころには、日はとっぷり暮れている。夕飯を食いっぱぐれる前にさっさと怒られてしまおうと扉を開けると、部屋はあかりもなく真っ暗だった。
真っ暗な部屋を前に、お互い、何を言うでもなく顔を見合わせた。
「……夕飯、先に行っちゃったのかな」
左門はそう言ったが、そうでないことはわかっていた。左門だって、口ではそう言ったが、わかっていただろうに。
作兵衛はまだ、三之助たちを探している――!
こんなことは初めてだった。
作兵衛はいつだって二人を見つけてくれた。二人がどんなに思いがけない場所にいようとも、まるでわかっているかのように二人を探しだす。その作兵衛が。
強く、奇妙に生暖かい湿った風が、部屋の前に立つ二人をごうごうとなぶった。雲行きが怪しくなってきている。
昨日までの雨がまた戻ってきているようだった。
2.
「た、たいへんだ」
「――何が大変なんだ?」
左門は大きな口をぽかんと開けた。返事が返るとは思わなかったひとりごとに、聞きなれた低い声が返ってきたからである。
一年長屋には不似合いな二藍の着物が目の前にあった。
「潮江文次郎先輩」
左門の委員会の先輩は、四年にして学園一忍者していると噂の立つほど、自分と他人に厳しい人であった。それは委員会のさなかでも変わらず、なぜか10kgもするそろばんを持ち、会計の間にも鍛錬を欠かさないというすごいお方だ。
その先輩が、委員会中よりもずっと厳しい顔をしてそこに立っていた。
「言ってみろ左門。何が大変なんだ」
「さ、作兵衛が……僕らの同室の作兵衛が……いないんです」
「ほう。なぜだろうな。お前のように迷子かなにかか」
「違う……と思います……けど」
左門が言い淀んだ時、がさりと長屋の近くの茂みがなって、山犬のような影が濡縁の際へと駆け寄ってきた。山犬のようだと思ったのはその髪の毛までが泥や枯葉で汚れていたからである。七松小平太だった。
「文次郎! 裏山にはいなかった! 今留三郎たちが裏々山まで入って探してる」
「七松先輩っ、作兵衛は」
ずっと黙っていた三之助が声を上げる。小平太はぶるりと頭を振って、それを退けた。彼もまた同様に、厳しい表情をしていた。
「説教は後だ。文次郎も捜索に戻らなければいけない。もんじ、行こう」
「捜索……って」
「説明する時間ももどかしいな。富松作兵衛はどうやら裏々山まで入ったみたいだぞ。お前らを探しに」
左門と三之助はほとんど同時に息を飲んだ。四年生たちはそんな二人を何も言わずに見下ろして、しかし時間が惜しいとばかりに踵を返す。
それを引き止めたのは三之助だった。
「ぼ、僕達も一緒に――」
「言うと思ったがダメだ。まずもって二次遭難はごめんだし、加えて今日は下級生は裏山より奥に入っちゃいけないことになってるんだ。知っていたか? 連日の雨で地盤が緩んでる。こんな日は土砂崩れが起こる可能性が高い。これから雨が降れば余計――」
「小平太」
文次郎が咎めるように名前を呼んだ。
雨が降り出していた。ぽつぽつと落ちた雨は次第に勢いを増し、土の色を黒く塗りつぶしている。
下級生に向き直った文次郎が、ふと腰を屈めて目線をあわせてくる。爛々と光る瞳の色が宵闇の中からでも窺えた。
「お前らの友達はなんで禁を破ってまで裏々山なんかに入っていったんだろうな。なんでお前たちは友達が帰らないのも知らずに今までのんきにしていたんだろうな。――いやいい、だいたいわかるから」
なにかを説明しようとした二人を、文次郎は押しとどめ続けた。
「左門。三之助。騙し騙され、裏切り裏切られるのは忍者の常だ。だがな、お前たち。忍者の常だからこそ、それをしないでいられる友を作らなければいけない」
文次郎はそこでちょいちょいと頭をかき、大きく一つ息を吐くと、だから俺ぁこういうのは向かないんだとかなんとか、ごにょごにょと言い訳をしてから、勢いをつけて立ち上がった。
「とにかく、ちょっと反省してろ。いいか、今日は五六年生が実習だから先生方も数が少ないんだ。絶対に部屋から出るなよ!」
雨の中に飛び出した上級生を見送って、二人はぼろぼろと大粒の涙をこぼした。雨よりも強く降る涙に、先輩がほだされたことは二人にはまだわからねど、幼いながらに先輩の言葉の先を彼らはきちんと読み取っていた。
今日、僕らは作兵衛を――友を裏切ったのだ。
***
「見つかったぞ!!」
自分たちの部屋でまんじりともせずに待つこと、どれくらいか。雨雲に隠れ月が見えないせいで、時間は何倍にも感じられたが、そう夜遅くのことではなかった。
医務室で待機していた三反田数馬の委員会の先輩、善法寺伊作がわざわざ部屋まで呼びに来てくれた。数馬といえば一年は組の彼らにも随分と心配をかけた。藤内などは、作兵衛が裏々山まで入っていったのはもしかしたら自分のせいかもしれないと気にしていたが、三之助には今他のことを考える余裕など全くなく、うまい言葉をかけてやれなかった。少なくとも彼の責任は自分たちよりは軽いのは間違いない。
伊作を追いかけて医務室までゆくと、浅縹の装束を剥がされて肌襦袢になった作兵衛が布団に寝かされていた。顔には泥の跳ねた後や細かい擦り傷が付いているが、大きな怪我はないように見える――が、目を閉じている作兵衛は、普段その鋭い目付きが印象的なぶん、二人をどこか落ち着かなくさせた。もしや何か、取り返しのつかない怪我でも追っているのではないのか、と。
「作兵衛っ!」
二人してわっと近づくと、しずかに!と保健委員から叱責が飛んだ。
「大丈夫、気を失ってるだけだ。でも目を覚ますまでは医務室に寝かせるからね。それと留三郎、君もひとっ風呂浴びてきたほうがいいね。まだ残り湯があるだろうから」
食満留三郎はどろどろの装束をからげながら、おう、と返事をした。
伊作に怒られて、必要以上に物音を立てないように固まっている二人は、作兵衛の先輩の存在にますます小さくかしこまった。四年の食満留三郎といえば、左門の先輩と共に武闘派で知られる怖いお方ではなかったか。
留三郎の視線が自分たちの方へ向くと、二人はぴゃっと小動物のように跳ね上がって身を震わせた。何を言われるかとどきどきした。
「お前ら……」
大声を上げる前兆のように大きく息を吸ったかと思うと、それを音にすることなく吐き出した。それから彼は眉間のあたりを指で抑え、ああもうこういうのは俺の仕事じゃないだろうなあとぶつぶつこぼして、一言。
「お前ら、せっかく入った俺の後輩を、どっかにやらんどくれよ」
とだけ言って出ていった。デジャブというのはこういうのを言うんだろうかと三之助は思い、伊作が部屋の隅で笑いを堪えるのに必死だったことには気が付かなかった。
翌朝には作兵衛は無事に目を覚ました。
これはつい最近――最近も最近、三年になってから教えてもらったことなのだが、作兵衛は裏々山で雨にふられて立ち往生している間に二人を探してそこらじゅう駆けまわった疲れが出てうとうとしているところを、留三郎に発見されたのであった。要するに、眠っていただけなのである。我が後輩ながら大人物である――もちろん皮肉――と留三郎は思ったとか。
とにかくお互いの無事を確認しあうと、三人は抱き合ってわあわあと大声で泣いた。左門と三之助はごめん、ごめんな、ごめんよおと泣き、作兵衛はただただ、よかった、お前たちが無事でよかったと泣いた。
さんざ迷惑をかけられた四年生たちは、今日はまあしょうがないとそれぞれの後輩を暖かく見守った。翌日、三人が三人ともそれぞれの委員会の先輩から盛大なげんこつを食らうことになった。三之助と左門は当然のこと、作兵衛もまた己の力量を見誤るなときつい叱責を受けた。
***
それ以来彼らの間でこのようなかくれんぼはご法度となったのは当然のことであるが、かといって作兵衛の面倒が減るわけでもなく。
「おーい、三之助ー! 左門ー! どこだー!!」
「お、作兵衛が来たぞ。なんだ作兵衛! お前も迷子か!?」
「おい左門、お前もって、俺は迷子じゃねーぞ」
「この馬鹿二匹が! 俺は迷子じゃないし、お前は迷子なんだよ三之助ちったあ自覚しろや! 俺が探しに来なかったら、このままここで行き倒れてたに決まってるんだかんな!」
今日も今日とて作兵衛は迷子たちを探すのである。必ず見つかるという一種の信頼でもって、彼らを探すのである。


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