今日は委員会の活動日である。
学級委員長委員会の一年生、今福彦四郎と黒木庄左ヱ門は連れ立って活動室へ向かうところだった。
「そういえば今日、鉢屋先輩はお休みだそうだね。学園長先生のお使いで明日にならないとお帰りにならないらしいよ」
「そうなんだ。じゃあ今日は尾浜先輩と僕と庄左ヱ門の、三人きりかあ」
彦四郎はちょっと上を向いて、ほう、と息を吐き出した。その様子を隣で見ていた庄左ヱ門は、少し躊躇ってから尋ねた。
「どうしたの彦四郎」
「え、なにが?」
なんと言ったらいいのかと、随分言葉を選んでから庄左ヱ門はようよう続きを口にした。
「うん、なんだか……ほっとしているように見えたからさ」
「あ、えーと……ううん。そう見えた? いやさ、別に鉢屋先輩のことが嫌いなんではないんだけどね。鉢屋先輩、いっつもお茶菓子を持って来るだろう。それで委員会といっても、半分くらいはお茶を飲みながらお菓子を食べて話をして終わっちゃうじゃない。僕達が影でなんて言われてるか、庄左ヱ門も知ってるだろ? お茶会委員会だよ?」
「彦四郎は真面目だね」
「まあアホのはに比べたらね……って。庄左ヱ門はそういうこと思わない?」
「そうだなあ」
庄左ヱ門は顎に手を当てて暫し考えてから、
「鉢屋先輩がいらっしゃらないと、変装でびっくりすることがないから落ち着いて委員会活動ができるなあ、とは思うかも」
「確かに、鉢屋先輩は人をからかうのがご趣味みたいな方だからねえ」
「ちょっと心臓に悪いよね……」
上級生相手に面と向かって言いはしないが、彦四郎も庄左ヱ門も思うところはあるのだった。
そんな話をしているうちに委員会室の前までやってきた。
「尾浜先輩、もういらっしゃってるかな」
そう言いながら先に立って戸を開けた彦四郎は、中を覗いて思わず
「ぎょえー!!」
と叫んだ。びっくりした庄左ヱ門が横から覗き込むと、そこにはなんと、綺麗な着物を召した女人が倒れていたのであるから、庄左ヱ門も目を丸くする。
金糸銀糸で模様が織り込まれた絹の着物は十の子供でも一目で上等なものだとわかる位で、お武家のお姫様もかくやという装いだった。その着物のめくれた裾からは脚絆が巻いた細い足が覗いていた。旅装である。このような女人がこんな所で倒れているわけがない。街道の端であってもおかしいくらいである。
「な、な、なんでこんなところにお姫様がっ」
「いや彦四郎、ちょっと考えても見なよ。これはきっと――」
実戦経験豊富な一のはらしく、いち早く気づいた庄左ヱ門が冷静に意見を述べようとした時、二人の後ろからぬっともう一つの影が現れた。五年の尾浜勘右衛門であった。
彼は一年生二人が委員会室の前で立ち往生しているのを見て何事だろうかと急いでやってきたのだが、部屋の中を一目見るとすぐに合点が行った。
「鉢屋じゃないか、戻ってたのかい」
庄左ヱ門の台詞をまんまと横取りする形で勘右衛門は変装名人の名を呼ばわった。
部屋の中の行き倒れの女人は、彦四郎の叫び声にはびくともしなかったくせにその声にはようようと体を持ち上げて、ううんとひどく眠そうな声で唸った。鈴のなるような可愛らしいものではなく、ただの鉢屋三郎の声だった。おもむろに上げられた顔は既に不破雷蔵の面であり、艶やかな黒髪もいつの間にか雷蔵の鬘に変わっている。彦四郎と庄左ヱ門はほとんど同時に、
(鉢屋先輩の女装ならこのお姫様はさぞかし完璧なお顔だったろうに、見られなかったのは少し残念な気がする)
と思ったが互いに口には出さなかった。
ところでそんなことなど知りはしない勘右衛門は、ずかずかと部屋の中に入り三郎に問いかけた。
「なぜそんな格好してるんだ。それに、帰ってくるのは明日じゃなかったのか?」
首から上だけいつもの姿をして、あとは女人そのものの格好だというのに、起き上がった三郎は無造作に胡座を組んで座った。
「それがカクカクシカジカでな」
この度三郎が命じられた学園長のお使い――という名の忍務が都に用のあるものであった。それ自体は滞り無く終わり、予定よりも早く帰れそうである。時間は十分にあるので三郎は道中噂にて聞き及んでいた、洛北に新しくできたという菓子屋に寄ることにした。大層人気の店で、そこの生菓子は絶品というから、どうしても買い求めたくなったのである。
しかし、その店というのが少々格式高い上に女性だらけで、男一人入るのは不自然である。忍務を終えたばかりで目立つことは避けなければいけない三郎は、ならばとそれらしい姿に変装することにした。
菓子を買ってさあ帰ろうとすると、格好が格好なので目を付けらていたのか、ゴロツキに絡まれた。街中であるので人目がある。滅多なことはできないのでうまく撒いてやろうと三郎は考えた。
「――しかし菓子がだめにならないように撒くのは随分骨が折れた。それに、生菓子だったからこれは急いで帰らなくてはと思って道中休まずに来たから、ほとほと疲れ果ててしまってこのザマというわけさ。ああ勘右衛門。その文机の上にあるのがそれだから、せっかくの生菓子が乾かぬうちにさあ、みんなでお茶にでもしようじゃないか」
事情を語り終えて説明の義務は果たしたとばかりに、三郎は勘右衛門から一年生に視線を移してにこにこ顔になった。
勘右衛門はため息をひとつついて、ぽかんと立ちっぱなしの二人の名を呼んだ。
「庄左ヱ門、彦四郎。それじゃあちょっと食堂へ行ってお茶の準備をしてきてくれないか」
よい子の返事をして――というよりも、あっけに取られていたところを言われるがままに動いたという方が正しいか。とにかく二人が部屋を出ていくのを見送って、勘右衛門は三郎に向き直った。
「そんなに無理をしてお土産なんて買ってこずとも良かったのに。お前、生菓子なんぞそんなに好きでは無かったろ」
「でも一年どもは甘いものが好きだろう。前に中在家先輩が南蛮菓子を焼いた時など目をキラキラさせていたぞ」
「いい顔しい」
「よその先輩に尊敬の眼差しを取られたままじゃ癪じゃないか」
「尊敬されたいならちゃんと変装を解いてから来なさいよ」
「びっくりする一年はかわいかったろう」
これは駄目だ。そう思った勘右衛門はしっしと手で払った。
「その一年たちが帰ってくる前にさっさと着替えていらっしゃいよ。少しは休めたろ」
「わかったわかった」
「おい、一応聞いておくけど、怪我などしてないだろうね
」
三郎はそれにひらひらと手を振って五年長屋の方へ去ってゆく。
これでも勘右衛門は心配していたのである。
予定より早く帰ってきたと事務の小松田が教えてくれたのだが、姿が見えないから、もしかしたら怪我でも負ったのではないかと思った。あの男、怪我や病気をすると治るまで人目につかないように隠れて過ごす悪癖がある。ただの医務室嫌いなのだがまるで野良猫のようである。
しかし、怪我はないにしろ実際疲れていたのだろう。茶化してはいたが、一年坊主が部屋を覗いていても、勘右衛門が声をかけるまで意識のない様子だった。いくら無害とはいえあの鉢屋三郎が他人の気配に気が付かないとは相当である。
そうまでして委員会に出たかったのかと思うと、あいつの下級生好きはもう病気みたいなものだ。
さて三郎が出てゆくと、入れ替わりに彦四郎と庄左ヱ門が急須と湯のみを持って戻ってきた。
「おかえり」
二人はしかし、なにやら真剣な顔をしていた。
「あの、尾浜先輩」
「鉢屋先輩は僕たちにお土産を持って帰るために急いで帰ってこられたんですか」
「それであんなにお疲れなのですか」
「変装してまで僕らのためにお土産を持って帰ってくださって、でもそのせいでゴロツキに絡まれたんですか」
「おやおやどうした二人とも」
そう口を挟むのもやっとなくらい、二人は勢いづいて勘右衛門に尋ねた。食堂でお茶の用意をする間、なにかしら思うところがあったのだろう。まず彦四郎が、
「僕は実はちょっと、お茶会委員会とか呼ばれるのが嫌だったんですけど、でも鉢屋先輩が持ってきてくださるお菓子はいつも珍しくて美味しいものばかりなので楽しみにしていたところもあるんです」
それに庄左ヱ門も続いた。
「僕も、鉢屋先輩の変装に驚かされて心臓が喉から飛び出そうになったことは何度もあるんですが、でも手妻を見ているようで最近は楽しみだったんです」
「でも」「でも、」
「うん、そうか」
言葉をつまらせた二人に、勘右衛門は頷いた。一年生たちが三郎のことを心配して自分自身を責めているのがわかったから、そうではないよと言ってやろうとした。
「でもそれはね」
「おお、ちょうどお茶が入ったかな」
とその時、ちょうど制服に着替えた三郎が戻ってきたのが間が悪かった。
一年生二人は勘右衛門から三郎の方へすっと向き直った。実に真摯な態度であったので、三郎も釣られてすとんとその場に正座をした。
「鉢屋先輩、もうお土産は買ってこなくていいです」
「鉢屋先輩のお得意だとわかってはいますが、そうくだらないことに変装を使われるのはお控えになったほうがよろしいんじゃないでしょうか」
そんなことを言うものだから、言われた方はショックを隠さずに叫んだ。
「ど、どうしたんだ彦四郎。庄左ヱ門。私、なにかいけないことをしたか?」
しかし二人は頑として譲らない。さらにオロオロとする三郎と、口を引き結んだ一年生。
側には湯気の立つ緑茶と京で評判の生菓子がある。
「――おい勘右衛門、なにニヤニヤ笑ってるんだ、助けてくれ!」
さてどうやったら一番早くお茶とお菓子にありつけるだろうかと、勘右衛門は笑いながらも考えを巡らせるのであった。


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