ネコを恐れ敬え

4,024 文字

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 五年長屋の八左ヱ門の一人部屋周辺には何故かやたらと猫が多いが、それにしても部屋の中まで入ってくるのは数えるほどだ。そのうちの一匹が、あらかじめ寝る支度をしてから湯浴みをしにいった八左ヱ門を迎えた。よりにもよって、今日干したばかりの布団の上で、である。
 ここ三日ばかり、雨の日が続いていた。昨夜は大風も吹いて、随分山の草木が騒いだ。今朝になってようやっと晴れて、しばらくぶりにお天道様の下に干した布団だったのに。
「お前は……ライゾーだな」
 ふわふわとした茶トラの毛並みをくるんと丸めて、自分の尻尾に鼻先を埋めるようにして眠っている。心底幸せそうな光景に頬が緩みそうになるが、それはそれ。本来、虫やら小動物やらを大量に飼育している八左ヱ門の部屋に、猫などもってのほか、絶対に侵入を許してはいけないのだが——しかし、こんなに幸せそうに眠っている猫を起こすのもいたたまれない。
「しかしなあ……」
 どこかのクラスメイトみたいに迷っている内に、寝間着から伸びるむき出しのすねをするりと撫でる毛並みがある。
「あっ、カン! こら、入るな!」
 鼻の周りと耳、足の先だけが茶色い、ひょうきんな風貌をした白猫は、どこか隣の組の学級委員長に似ていた。食い意地が張ってるが、虫やネズミには興味を引かれない変わり者で、今も迷わず八左ヱ門の文机の、引き出しの中にしまってある煮干しの袋へ一直線だ。
「あーもう、わかった、煮干しやるから出てってくれ……って、あ!? サブローいつの間に!?」
 ちょっと目を離した隙に、布団の上にはさっきまでなかった茶色のふわふわがもう一つ並んでいる。ライゾーと線対称に背中と背中をくっつけるように丸くなっているのはサブロー猫で、遠目には見分けが付かないくらいライゾー猫と似ているが、サブローのほうが狐顔だ。猫に狐顔というのもいかがなものかと思うが。
 また、毛並みはよく似た二匹だが性格はそれぞれ個性的、おっとりおだやかなライゾーに対して、サブローはいたずら好きで好戦的だ。これだけ顔も性格も違えば、生き物に精通した八左ヱ門にとって見分けるのは容易だった。
 カン猫に煮干しを与えるフリで気を引きつつ、二匹に増えた幸せの塊にさてどうしたものかと頭を悩ませる八左ヱ門だったが、かり、かりり、と控えめに障子戸をひっかく音がして、今度は何だと思考を中断させる。煮干しを一尾手放して、立ち上がって戸を開けた。すると、うねるような長い毛の、目のぱっちりとした黒猫が、ちょこんとお行儀良く座っているではないか。しかも、八左ヱ門の顔を見上げ、小さな声で「ナァ」と鳴くのである。まるで、「入れて」と許しを乞うように。
「あ〜〜〜〜! もう、しかたがないなあ!」
 八左ヱ門はガシガシと濡れ髪を掻き、足下のヘースケ猫を抱き上げた。ついでに煮干しに齧り付くカン猫を拾い上げて、ずんずんと布団に向かう。布団の上では相変わらずライゾー猫がすよすよ気持ちよさそうに寝息を立てているが、反対のサブロー猫はちらりと片目だけ開けている。猫のくせに狸寝入りとは、お前は猫か狐か狸かようわからん。
 抱きかかえた二匹を、ぽとんと布団の上に落として、ついでに明かりを吹き消して、八左ヱ門は布団の中に足を突っ込んだ。ちょうどライゾーとサブローの体の下に足を差し込む形になって、二匹の、見かけほど身の詰まっていない軽い体が持ち上がる。二匹の体温であらかじめ暖められた布団はぬくぬくと八左ヱ門の素足を包んだ。
 突然落とされて目を白黒していたヘースケとカンは、布団の上で寝ているライゾーとサブローを見つけたのだろう。しばらく二匹の周りをうろうろしたかと思うと、ここと決めた場所で足踏みを始める。八左ヱ門の体の上に、ふみふみと心地の良い圧が掛かる。ごろごろの喉を鳴らす音も聞こえる。ちょうど、脇の下あたりで一匹が丸くなり、もう一匹は顔の横にやってきた。長い毛がふわりと鼻先をかすめていくから、こいつはヘースケ、なら脇の下がカンだろう。
 ごろごろ、ごろごろ、喉を鳴らす穏やかな音に包まれて、八左ヱ門は目を閉じた。

 夢を見た。
 夢の中で、八左ヱ門は一匹の猫だった。灰色と黒が混じった長毛で、毛繕いがあまりうまくないせいでいつもあちこち枯れ草やら草の実やらをくっつけている。だが、年下の子猫たちの面倒を見るのは得意で、狩りで取ってきた獲物をよく弟分たちに分け与えては、頼りになると懐かれていた。
 ここ数日、大雨のせいで狩りが上手くいかず、食事にありつけない日々が続いた。体のできてきた自分はともかく、子猫たちには一日の断食でも辛かろうに、三日も続いては参ってしまう。そこで八左ヱ門は、いつもの狩り場から少しだけ遠出してみることにした。当然、縄張りも違う、土地勘もない。だが、雨に流されていない鼠の巣や、他の生き物の食べ残しでも、少しは何か見つかるかもしれない。
 一歩狩り場を出てすぐ、八左ヱ門は当惑する。山に降った雨が流れて、川のようになっている。人間なら跳んで渡れそうな幅だが、猫の八左ヱ門には跳べるか跳べないか、ギリギリの幅だった。しかし、ここを超えなければ始まらない。八左ヱ門は運動神経がいい。狩りも得意だ。おそらく、いける。一歩、二歩、後じさって距離を取り、思い切って助走を付けて、えいっと飛び跳ねる。飛距離は十分、いけた、と安心した、それが油断だった。後ろ足が乗った土が、もろりと崩れる。前足だけで踏ん張ろうとして、そちらもぼろっと崩れて流れた。濁流となって斜面を流れる雨水に逆らえない。数日食事にありつけていない体は力が籠もらず、ずるずると流されるまま斜面を滑り落ちていく——。

「八左ヱ門! 起きてるか!」
 はっ、と目を覚ますと、すっかり外は明るくなっていた。声は部屋の外から聞こえてくる。昨晩共寝した猫たちは、と部屋を見渡すも姿はない。早くに起きて、餌でも獲りに行ったのだろう。部屋の虫かごが荒らされた気配がないのは上出来だ。
 寝坊した、と焦りかけ、いや今日は休日だったと思い出す。では朝から八左ヱ門を呼ぶこの声は何だろう。声の主は三郎だ。足音は二人分あるから、おそらく雷蔵もいる。
 適当に寝間着を整えただけの姿で、戸を開ける。思った通り、級友たちの姿が見えた。
「なんだよ休みなのに、朝から騒々しいな」
「寝てる場合じゃないぞ八左ヱ門」
「そうそう、大変なんだよ」
 三郎の後を着いてきた雷蔵が、腕に抱えたものを突き出して見せる。
 そこにあったのは、だらんと四肢を投げ出した灰黒の猫だった。長めの毛は、雨に濡れたのがそのまま乾いてぼさぼさだ。あちこち泥やら草やら付いていて、目も当てられない有様だった。
「今朝、井戸のそばで倒れていたのを見つけたんだ」
「ぼろぼろでぐったりしてるけど、お前に診せたらどうにかなるんじゃないかって思ってさ」
 口々に八左ヱ門に話しかける二人に、うんうんと頷きながらその猫の様子を確かめる。たしかにぼろぼろでぐったりしている。だが、涎がでているわけでも、手足が痙攣しているわけでもない。詳しく診てみないとわからないが、大きな外傷もない。
「とりあえず、部屋に入れて……」
 と八左ヱ門が、自分の部屋を指し示した。そのときだった。
 雷蔵の腕の中に収まっていた猫が、突然ばたばたと暴れ出す。
「うわっ、どうしたんだよ急に!」
 忍術学園の五年生としてそれなりの荒事を経験している雷蔵たちだが、弱った生き物が急に暴れ出したときの正しい対処法はわからない。力尽くで抑えるのがいいのか、それとも好きにさせた方がいいのか、迷う暇もなく灰色猫は上手いこと腕の中で体を捩るとぴょんと宙へ飛び出して、きれいに地面に着地した。
「おおー……」
 感心するのも束の間、猫は八左ヱ門の部屋の中に飛び込むと何かを銜えて瞬く間に部屋を飛び出した。ばびゅん、と音がするかというくらい早く、庭へと降りて駆け去る猫の口元には、鈍く輝くなにがしかが見える。それが魚のように見えて、八左ヱ門ははっと部屋の中を振り返った。
「まさか!」
「なに?」
「どうした?」
 さっきまでいなかったはずの四匹の猫たちが、いつの間にか部屋に戻っている。しかも、それぞれ満足そうに、口の周りやら前足やらをぺろぺろと毛繕いしているではないか。綺麗に食べたせいで食べ残しのひとかけらも落ちていないが、非常に嫌な予感がした。
 確か昨日、五年い組の学級委員長が、いいヤマメが手に入ったから明日の朝飯にするんだ、とかなんとか言っていなかったっけ。ろ組のぶんもあるから一緒にどうだ、とかなんとか。
「キャーッ、俺たちの朝飯のイワナが! ない!!」
 折良く、五年長屋のい組部屋の方角から勘右衛門の悲鳴が聞こえてきて、八左ヱ門はあちゃあと頭を抱えた。
「五尾全部! ない!!」
 続けて聞こえてきた声に、五尾?と顔を上げる。念のため、数を数える。一、二、三、四。やっぱりここには四匹しかいないのに、なんで一尾余計に盗ってきた? まさか、あの灰色猫のために、余計に一尾盗ったとでもいうのだろうか。
 いやいや、そんな。そんな、まさか。
 勘右衛門の悲鳴の理由も、八左ヱ門が頭を抱える理由も知らない五年ろ組の名物コンビは、走り去る猫の後ろ姿を見送りながらのほほんとした会話を続けている。
「なんにしろ元気になったなら良かった」
「なんだかあの猫、八左ヱ門に似ていたなあ」
 そのとき雷蔵が、あ、と何かに気付いて八左ヱ門の髪を引っ張った。引っ張られた八左ヱ門は、あいて、と抱えていた頭を揺らす。
「八左ヱ門。またちゃんと髪乾かさずに寝たでしょ」
「ああだから、あの猫おまえにそっくりだったんだな。濡れた毛が乾いてぼさぼさなのがそっくり!」
 笑いをかみ殺す三郎を小突いて、さてどうやって五年い組に説明しようかと悩む八左ヱ門の頭からは、今朝方見た夢のことなど、もうすっかり消えていた。

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