五年長屋の八左ヱ門の部屋は一人だけ他の皆より離れていた。特に曰くがあるわけでなく、ただ室内に虫やら小動物やらを飼っているせいで万一それらが脱走したときの被害のことを考えるにそのほうがいいだろうと、五年に上がるときに自ら志願して物置になっていた離れ部屋をもらったのだった。
さてその部屋で一人寝起きする八左ヱ門であるが、思わぬおまけがついていることに気がついたのは五年長屋に引っ越してきてたった三日目の夜のことである。
——ぅわああお。
赤子が泣くような声でぱちりと目が覚める。体を起こすことはせず、視線だけを巡らすに、そとは暗闇、ギンギンに忍者している六年の先輩方の気配もない、真夜中をすこし過ぎた頃と思われた。
リーリーと虫の声がするくらいで、あたりは静かである。いくら忍者のたまごとはいえ、安全な学園内でそうそう気は張っていられない。明日も朝から委員会の当番がある。八左ヱ門は夜闇に目をこらすのをやめ、さてはおかしな夢でも見ていたのかしらんと目を閉じようとした、そのときである。
——ぅぁああああああおぉ。
——しゃああああぁ。
今度こそはっきりとした意識の下で聞こえてきた声に、進級と共に生物委員会委員長代理の肩書きを仰せ付かった八左ヱ門は、その正体にすぐに思い当たった。
ネコだ。
赤子の泣き声に似たその声は、雄猫の喧嘩の声であろう。間違っても赤ん坊の夜泣きの声が、五年長屋のすぐそばから聞こえてくるはずがない。発情期にはまだ早いが、血気盛んな若い雄猫は季節を問わず喧嘩をするものだ。雌猫をめぐらずとも、縄張り争い、餌の取り合い、いくらでも喧嘩の種はある。
——わぁああああああおおぉぅ。
——しゃああぁぁぁあああ。
声の正体についてぼんやりと思いを巡らせていると、声はますます大きく聞こえてくる。もう長屋の濡れ廊下の、すぐ先にでもいるのではないかという近さである。
あまりの声の大きさに、このまま眠ることもできずに八左ヱ門はごそごそと寝床から這い出した。寝入っているところを起こされて、機嫌も良くない。はだけた寝間着もそのままに、四つん這いで障子の前までにじり寄り、膝立ちで立ち上がると、そこでぱんと障子を開けて、
「おわあああぁぁぁああああぉう!!」
と生物委員会秘伝の声帯模写で、渾身の猫の鳴き真似をしてやった。
寝待ち月が皓々と照らす長屋の庭の真ん中で、サバトラとサビの若い雄猫が取っ組み合ったまま、呆気にとられたように固まっている。少し離れたところで、今にも喧嘩に飛び入りしたそうな黒と白のぶち猫の首根っこを、両頬に傷のある体の大きな灰白の猫が押さえている。視線を足下へ移すと、濡れ廊下の上で、やたらと長い尻尾を優美に腰に巻き付けた黒猫が、我関せずと香箱座りでくつろいでいる。
五匹の視線が八左ヱ門に集まって、奇妙な緊張感が漂う中——長毛の茶猫がばさりと木から落っこちた。
それを合図に、六匹は一斉に庭から姿を消した。
「昨晩、なんだかものすごい猫の鳴き声がしてなかった?」
翌朝、委員会の餌やり当番を終えて食堂に朝飯を摂りにきた八左ヱ門に、向かいの席で朝定食を食べ始めていた五年ろ組のクラスメイト、不破雷蔵が声をかけた。
「そうそう、すっごかったよな、私思わず見に行こうかと思った」
隣で同じ顔した、同じく五年ろ組の鉢屋三郎が相槌を打つ。
「そしたら静かになっちゃったんだよね」
「惜しいことをした。でもあれ、お前の部屋のほうじゃないか?」
「八左ヱ門、何か気がつかなかった?」
問われた八左ヱ門は上の空だ。
二人の肩越しに、六年の先輩たちが朝食を摂っているのが見える。
潮江文次郎先輩と食満留三郎先輩は仲が悪いくせ、なぜか並んで「どちらが短時間でより多く納豆をかき混ぜられるか」などということで競い合っているし、二人のほったらかしのお新香に箸を伸ばそうとする七松小平太先輩の手を、中在家長次先輩が押さえつけている。立花仙蔵先輩は奇妙な争いに気付いているいるのかいないのか、長い黒髪を一糸乱さぬ優美な所作で吸い物を口に運んでいるし、善法寺伊作先輩は配膳トレイを持ったまま何かにつまずいて盛大にこけていた。
いつもの朝の光景と言えばそうである。
「おい、八左ヱ門?」
三郎が不審そうに声をかける。
「いや……何も気付かなかったことにしようと思う」
それだけ言って、いただきますと手を合わせて食べ始めた八左ヱ門に、雷蔵も三郎も、首を傾げるばかりであった。


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