月光の騎士

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(「死霊使いの帰還」の前日譚)


 玉座の主はその報告を、いつものようにゆったりと肘を立てながら聞いていた。
「――アクゼリュス崩落に伴う被害は未だ確認が追いつかない部分が多いのですが、生存者の可能性は絶望的です。現在確認されているのが十余名、彼らには早急に報告書の作成を――」
 軍の上層部と議会議員の一同が会する議場には、常とは違う重たい空気が満ちていた。話し合うべき議題は多いが、報告者以外に誰も口を開こうとしない。代わりに誰もが、中央に座る主の挙動をちらちらと窺っている。
 もたらされた報告は、彼の懐剣ともいうべき人の死を暗に伝えていた。
 しかし彼らの主は意外なほどに平静を崩さなかった。聡明な国主が、報告の意味するところを汲みとれていないわけもない。一同は戸惑った。
 それで、と報告の後を促すように顎を上げて見せた九世陛下の様子を見て、頭の悪い男が口を開く。
「マルクトはまた貴重な人材を失いましたな」
 貴族院議員の初老の男がしたり顔で言うのをピオニーは、褪めた目つきで睥睨する。射すくめられた男はすぐさま口を閉じた。すぐさま視線を議場内すべてに走らせて、彼は口の端を満足そうにゆがめた。会議の最後を告げるポーズである。
「報告は以上か。……結構。次の報告があるまで各自の義務を果たせ」

「陛下!」
 廊下を先に行くピオニーに追い縋った声はフリングス少将のものだ。立ち止まって彼の歩みを待つと、フリングスもまた、呼びとめたもののなんと言ったものかと逡巡したような顔で、あの、などと歯切れの悪いことをしか言わない。ピオニーは思わず微笑んでしまった。地位の割に口が下手な男だ。しかし、武人らしいといえば武人らしい。
 彼の言いたいことは予想がついた。
「お前も、あいつは死んだと思っているのか」
 フリングスははっと顔を上げた。透き通るような青い瞳がまっすぐに射抜く。たじろぐことも許さぬような、強い瞳だ。
「生きてるさ」
「えっ」
「あのネクロマンサー殿が、そうやすやすと死んでくれるもんか」
 すべての状況が絶望的だと言っている。望みなどどこにも見当たらない。それなのにこの方は何のためらいもなく生きている、と言う。
「俺は自分の勘を、そんなに捨てたもんじゃないと思ってるけど?」
 まあ、誰がどう思うかは勝手だがね。彼はそう言い置いてフリングスに再び背を向けた。
 フリングスはその背中を、心強さと僅かの危惧を含んだまなざしで見送った。彼は強い。強い、からこそ。
「早く帰ってきてくださいよ、カーティス大佐……」
 そう呟かずにはいられなかった。


 地が割れる。すべての民が絶対の信頼を寄せる地が、割れる。
 いかな譜術師だろうと、はたして誰がこのような事態を予期し、ましてや回避することなどできるだろうか。
「陛下っ!」
「ジェイド!」
 聞いたこともない、あいつの焦った声。沈む台地とともに遠ざかる幼馴染にとっさに手を伸ばす。しかし、届かない。
 粉々に砕ける大地が彼の足場を崩し、やがて巨石が彼の体を――
「ジェイド!!」

 一番に、荒い呼気が耳に入った。冷たい汗が頬を滑り落ちる感覚。目に入るのは見知った部屋。
 夢。
 体を起こし片膝をたて、汗で湿った髪を掻きあげる。意識的に大きくついた息は、体内にこもった嫌な熱を逃がすため。決して、悲鳴をあげそうになる喉を宥めるためではない。
 ここのところよく眠れていなかった。食事も喉を通らない。メイドや料理人に無駄な心配をかけても仕方がないから無理やり普段と同じ量を口にするものの、あとでこっそり吐いている。
 自嘲せずにはいられなかった。
 誰よりも彼を信頼していると自負していたつもりだったが、自分が一番疑っているのかもしれない。本当に信頼しているのならば、こんな風に夢に見たり、食事が喉を通らないなんてこと、あるわけないのだから。
 ごまかしていられるのも今のうちだ。周りだけでなく、自分自身も。いずれ虚勢がはがれ、無様な姿をさらさなければならなくなる。
 そうならないうちに。


 ここのところの陛下はおかしい。
 何がおかしいって、誰も何も言わないのに日々真面目に執務にいそしんでいる陛下の姿なんて、見たくても見れないものだ。ジェイドあたりが見たら何と言うだろう。
 天変地異の前触れか、いや、天変地異は既にはじまっているんだったな、なんてどうでもいいことを考えながらフリングスが向かっているのは、その主の私室だった。彼は今日は部屋で食事をとると言って、夕食の小休止中自室に引っ込んでいる。
 フリングスとて、主の挙動不審(とは酷い言い草だが)の原因は分かっている。あれだけ自信満々に彼の生存を口にしたとしても、内心では憂いているだろう。ここのところ顔色が良くない。無理をしなければいけない状況だとしても、今彼に倒れられてしまったら困るのだ。
 朝から晩まで執務室に籠りきりの主の、少しでも気晴らしになればと、そういうつもりで部屋を訪れたのだが。扉を開いた途端目を丸くした主と視線が合ってしまう。
「……何をしてらっしゃるんです、陛下」
「お前、仮にも皇帝の私室にノックの一つもなしとは――」
「しましたよ、もちろん。お返事がないので失礼ながら入らせていただきましたが」
 すかさず話題をずらそうとした彼の人を、フリングスは首の根を掴む勢いで逃がさなかった。もちろん会話上の話である。
「何をしてらっしゃるんです」
「お前、ジェイドに性格似てきてないか……」
 繰り返しの問答にフリングスは呆れた。彼の弁明を待たずに、ソファに座った彼の傍までずかずかと歩み寄って。
「『これ』は、あなたの夕食ではありませんでしたっけ。それとも最近の家畜はこんなにいい餌をもらうのですか」
 掴んだのは、ほとんど空になった皿である。フリングスが持ち上げた一皿だけではない。すべての皿が床に置かれ、そのどれもにブウサギか群がっている。
 ピオニーは流石にこれ以上の言いわけをしなかった。顔を手で覆いながら、ちらりとこちらを見上げてくる。目の下に隠しようのない隈が見えた。これほど近くで見なければ気がつかなかったかもしれないが。
「……はじめからこういうおつもりで、部屋で食事を取るなんておっしゃったんですね」
「もったいないだろう、このほうが料理も無駄にならずに――」
 フ
リングスは彼の言葉をため息で遮った。おい、と呼びとめる声も聞かずに廊下に出てメイドを呼ぶと二言三言ことづけ、すかさず元の場所に戻る。
 不満げな顔をした彼の足元に跪き、頬り出されていた手を取った。フリングスは顔を顰める。幾分細くなったようにも感じられる手首。
「メイドに、温かいスープと粥を頼みました。食べれるだけ食べたら今日はもうお休みください」
 青い瞳がこちらを向く。
「それで明日、今日の分の書類まで待ってるんだろ。冗談じゃない、今日の分は済ます」
「陛下」
 強い口調で遮ると、笑みを形作っていた頬が弱弱しく崩れた。泣きそうだ。フリングスはそう思ったが、実際彼は涙の一粒どころか、目を潤ませることもしない。
「眠れないんだ。仕事をやってた方が気がまぎれていい」
 メイドが湯気の立つ皿を二つと水差しを持ってやってきた。フリングスは受け取った皿を無言で彼の前に置き、食べるまで許さないとばかりに仁王立ちで促す。
 ピオニーはうんざりとした顔でしぶしぶスプーンを取った。


 すっかり寝入った主をベッドに寝かしつけ、フリングスはその寝顔を見つめた。眉間はかすかに寄り、とても穏やかな寝顔とは言い難いが、睡眠は最低限体力を回復してくれるだろう。
 水差しの中に睡眠薬を入れておいた。何も言わなかったがきっと彼は分かっていて飲んだはずだ。そういう変なところで気を回す主を、フリングスはだから気に入っているのかもしれない。
 雲間から月明かりが差し、主の黄金色の髪を照らす。彼が目覚めぬよう早くカーテンを閉めなければと思うのだが、その色彩の儚いまでの美しさにフリングスはしばらく動くことができなかった。
 自分では駄目なのだということは自覚している。触れることすらかなわない孤高の人。
 せめて彼のための騎士でいようと、フリングスは心に誓う。

 ケテルブルクから早馬が来るまで、あとわずか。

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