「六年生にハロウィンを仕掛ける」
五年長屋の一室に集められた雷蔵、八左ヱ門、兵助は、三郎の言葉の意味を理解するのにしばし時間を要した。
ハロウィン、というのが南蛮を起源とする秋の祭りの一つだということは皆、知識として知っている。ただ、三郎の口調があまりにもその単語の持つイメージとかけ離れていたため、三人三様に混乱した。
雷蔵は「ハロウィンって『いくさ』っていう意味だったっけ?」と悩み、八左ヱ門は「ハロウィンって『仕掛ける』ものなんだっけ?」と首を傾げ、兵助は「ハロウィンって豆腐を配るお祭りじゃなかったか?」と豆腐に思いを馳せた。あらかじめ相談されていた勘右衛門だけが、三郎の後ろでうんうんとしたり顔で頷いている。
雷蔵が発言の許可を求めて挙手する。三郎は真面目な顔で「どうぞ、雷蔵」と許可した。
「ごめん、よくわかんなかったからもう一回言って?」
「なにも難しいことじゃないさ。六年生相手に、ハロウィンをする、と言った」
「肝試しの間違いじゃなくて?」
八左ヱ門がすかさず突っ込むが、三郎は肯定も否定もしなかった。否定しろよ、と思ったがそれを言わないのは八左ヱ門の優しさだ。
「俺は高野豆腐を配ろうと思うんだけど、いいかな」
「うん、良いと思うよ。下級生に喜ばれるかどうかはわからないけど……」
「兵助、勘右衛門。それは別でやってくれ。今は六年生からどう菓子を奪うかの相談をしているんだ」
い組の戯れにもぴしり、と釘を刺す三郎。勘右衛門は「はいはい」と受け流したが、聞いていた雷蔵と八左ヱ門は「やっぱりただのハロウィンじゃなかった!」と頭を抱えた。
「なんで六年生から菓子を奪うんだよ。普通に言えば良いんじゃないか? なんだっけ、あの呪文……」
「トリックオアトリート、だね。『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』って意味」
「さっすが雷蔵。でも、考えてもみてくれ。六年生がそう簡単に、私たちにお菓子をくれると思うか?」
「「……」」
ろ組の二人の脳裏に、今まで六年生に受けた数々の仕打ちが蘇る。
一つ違いの学年は仲が悪いと言うが、ことこの二学年の関係については、仲が悪いというよりかは一方的に被害を被ってきたといっても良い。強い個性を持ち行動が派手な先輩と、団結力で困難を乗り越える後輩。特別いじめられた記憶はないが、なにかと巻き込まれて、結果痛い目を見ることが多かった。
今回だって、もし素直にお菓子をねだったとして、悪意なくお手玉にされるか、地獄のトレーニングに付き合わされるか、不運に巻き込まれるか——
「難しい……かな」
「そこまでして六年生からお菓子を貰わなくても……」
「それで良いのか? 本当に?」
及び腰の二人に、三郎は不満げだ。
すかさず勘右衛門が補足する。
「ほら、この間六年生と対決したけど、決着が付かなかったじゃない? このまま六年生に勝ち逃げされるのも、ちょっと気に食わないというか」
どうやら学級委員長二人の間の会話が発端らしい。お祭り好きは学級委員長の資質である。勘右衛門はもとより、三郎も、こういったイベントごとは見逃さない。
「六年生に一泡吹かせたい! でも正攻法では勝ち目は薄い。だから、できるかぎりこちらの有利になるように準備を万全にして仕掛けたい。万が一先生方にバレた時も、『ハロウィン』なら理由になる」
雷蔵も八左ヱ門も、徐々に顔つきを変えてゆく。豆腐にばかり関心があった兵助も、だんだん興味を持ち始めた。
「……やるか」
「うん、やろう」
「俺も乗った」
八左ヱ門を皮切りに、雷蔵、兵助が同意する。
「よし、決まり!」
勘右衛門が景気づけに手を叩く。全員の顔を見渡した三郎が、にやりと笑って宣言した。
「やるぞ!」
『応!』
四人の口から、頼もしい応えが返った。
◆
六年生にハロウィンを仕掛けるにあたって、五人は一定の決まり事を作った。勝手に始める勝負ではあるが、独りよがりではうまくない。
まず、いくらなんでも相手の留守を狙うとか、寝入っている間に盗み取るのではハロウィンとは言えなかろうと、相手に「トリックオアトリート」を宣言してから挑みかかることとする。その後に、六年生からお菓子を一つでも奪えれば勝ち。必ずしも相手を倒す必要はなく、お菓子さえ手に入れば撤退してよいことにする。まあ、相手をうまく撒けるかという問題はあるが。
ルールを決めた上で、ハロウィンといえばやはり仮装しなければ始まらない。これに関しては学級委員長たちが手配済みで、い組には化け猫の耳と尾を、ろ組には死神の黒マントがそれぞれ用意されていた。各自衣装を身につけた上で、三郎が仕上げとばかり全員に化粧を施す。鏡に映った己の顔がどこかおどろおどろしく、皆して思わず「おーっ」と声を漏らす。三郎は鼻の下を擦ってご満悦だ。
「いいか、まず勘右衛門と兵助は六年い組を狙え。俺と雷蔵、八左ヱ門は、六年ろ組を狙う。先に首尾良く行った方がそのまま六年は組に行け。残った方も後から加勢する」
「分かった。武器は?」
「当然持っていく」
「怒られないかな」
雷蔵の懸念は尤もなことで、一応、学園内での武器を用いた私闘は禁止されている。教師陣にバレなければどうとでもなるが、いつもより学園全体が騒がしくなる日、教師の目も厳しくなっていると考えた方が良い。
「もちろんそれも考慮してある。勘右衛門!」
「じゃじゃーん!」
衣装の入っていた葛籠の奥から勘右衛門が取り出したのは、手甲鉤が二組に、鎖鎌が三本。
「……さては用具倉庫からくすねてきたな」
「三年の富松作兵衛にちゃんと申請してきたから問題ないさ」
「先輩に言われたら貸し出すしかないよなあ、かわいそうに」
優等生の兵助のじと目もどこ吹く風で勘右衛門がいなすが、八左ヱ門は後輩のことを考えて遠い目をした。後で菓子でも持って行ってやろう。
「でも、手甲鉤と鎖鎌だって武器でしょ。大丈夫なの?」
「これは猫の爪と死神の鎌だから、仮装の一部であって武器ではない」
雷蔵の重ねての問いに三郎が答えた。調達したのは勘右衛門でも、提案したのは三郎なのだろう。八左ヱ門は呆れて三郎の肩をつついた。
「三郎、そういうの、詭弁っていうんだぞ」
「詭弁だろうが弁は弁、屁理屈だって理屈は理屈だ」
「……まあ、いざとなったらそのあたりはお前に任せる」
「任された」
戯れ言を口にしながらも、おのおの渡された武器を身に付けたり、振ったりして確かめるのには余念が無い。五年生ともなれば得意武器でなくとも扱いはお手の物。手に馴染むのを確認して、よし、と頷き合う。
明確な号令はなかった。ただ、視線だけを交わし合い、無言の内に散開した五年生たちは、二手に分かれそれぞれ目的の場所へと向かった。
◆
兵助と勘右衛門は当初の予定通り、六年長屋の屋根裏に忍び込んだ。
まず普段であれば近づこうとはしない場所ではある。外廊下を通るならまだしも、屋根裏など、見つかったらただでは済まない。しかし、今日ばかりは二人とも、ちょっぴりの恐怖心と大いなる好奇心を抱いて、ただ表面上はそれを押し隠し、糸を渡る蜘蛛のように慎重に、屋根裏を移動していた。目指すは六年い組、潮江文次郎と立花仙蔵の私室である。
先を行く兵助が立ち止まり、後方の勘右衛門に目で合図を送った。どうやら目的の場所に着いたようだ。天井裏に耳を近づけると、人の声が聞こえる。
「もう準備は済んだのか?」
「ああ、完璧に用意してある。いつ来ても大丈夫だ」
尋ねたのは潮江で、それにそつなく答えるのは立花だ。
「この催しも最後と思うと、腕が鳴る」
「ああ、楽しみだな。どんな仮装でくるやら」
聞こえてくる限り、ハロウィンの準備の話をしているに違いない。いつ来ても大丈夫、というのは、二人の委員会の後輩だろうか。一年生から四年生まで、下級生の顔を思い浮かべて、彼らのために用意された菓子を横取りするのを心苦しく思ったのも一瞬。
「猫がいるな」
まるで世間話のように続いた言葉に、二人の体がぴしりと固まる。体に付けた猫の耳と尻尾がぴん、と緊張した気さえした。
「二匹。屋根裏だ」
「そこか!」
威勢の良い声とともに、二人のちょうど間に刃が生えた。よく見れば板と板の隙間にうまいこと、袋槍の穂先が入っている。喉の奥で悲鳴を殺した二人は、袋槍が引き抜かれると同時に外れた天井板の間から、機を逃さずに身軽に室内へと飛び降りた。
「トリックオアトリート!」
「お菓子を頂戴しに来ました!」
二人を迎えたのは、仁王像のように槍を手に持った潮江であった。立花は文机の前に胡座をかいて、落ちてきた後輩二人を面白そうに眺めている。その後ろにはこれ見よがしに、菓子箱が置いてあった。あちらに着地すれば良かったか。二人の脳裏に後悔が過ぎった。
潮江がどん、と袋槍の石突で床を打つ。
「欲しいなら力尽くで奪ってみろ!」
「先輩、武器は御法度です!」
「刃は潰してあるから、これはただの棒きれだ」
「そんなあ!」
三郎もびっくりの詭弁を弄した潮江は、曰く《棒きれ》を横に倒すと、兵助と勘右衛門を二人まるごと引っかけて部屋の外へと押し出した。菓子箱に気を取られていたのもありまんまと外へと出されてしまった二人だが、庭に降り立つと同時に、猫のようにしなやかに体勢を整え直す。
「化け猫は伊達じゃないか」
四つ足で体勢を低くした二人を見て、潮江がにやりと笑う。
まず先に飛びかかったのは兵助だった。鉤爪を武器に、臆することなく距離を詰める。寸鉄を得意とする兵助にとって、手甲鉤の間合いは慣れたもの。両手の爪の先で左右から容赦なく頭を狙うが、爪が頭に届く寸前でひらり、ひらりと頭を振られて避けられる。ならばとさらに一歩踏み込んだ攻撃は、当然のように得物によって阻まれた。槍を得意とする潮江は棒術も得意である。鉤爪を絡め取るかのように柄を回し、体勢が崩れたところをさらに蹴り付けて、兵助を地面に転がした。
「ぐっ!」
「終わりか?」
「まだまだ!」
兵助への追撃が掛かる前に、今度は勘右衛門が潮江との間に入った。低い体勢のまま足下を狙うが、これも潮江の棒捌きに弾かれる。二撃、三撃、鉤爪と柄が噛み合わさって木くずが飛ぶ。どんどんと庭の中央に押し出されながらも、その様子を見て、勘右衛門の脳裏にある作戦がひらめく。両手合わせて八本の爪をうまく柄に噛ませれば、潮江から武器を奪えるのではないか。
「兵助!」
「ああ!」
勘右衛門の声に、兵助が素早く応じる。それだけで作戦の詳細が伝わる訳ではないが、勘右衛門の作ろうとしている一瞬の隙を、逃すまいと呼吸を合わせる。
「えいやっ!」
一度飛び退いて距離を取った勘右衛門が、上段に構えた両手を、まるで猫の爪でひっかくかのように、真下に向かって振り下ろす。隙だらけの攻撃を、横倒しにした槍が受け止めにかかった。狙い通り、しっかりと槍に鉤爪が刺さったのを確認して、勘右衛門は潮江から槍をもぎ取るべく、鉤爪ごと今度は思い切り手を引いた。
「ぬぅ!?」
押してくると思った力が逆方向に掛かって、咄嗟に槍を掴み直す潮江。武器を手放すような愚かな真似はしなかったが、その瞬間、確かな隙が生まれた。
「……!」
無駄な声を出さずに潮江の脇を通り過ぎる兵助。ちっ、と舌打ちして、潮江は槍ごと上から勘右衛門を押しつぶす。
「ぐあっ」
べしょりと尻餅をついた勘右衛門にとどめとばかり蹴りをお見舞いして、潮江が振り返ったときにはもう、兵助は長屋に上がろうとしている。
「仙蔵!」
潮江の怒声が響くが、立花は姿を現さない。室内戦に持ち込むつもりか。例えそうだとしても、兵助が足を止める理由にはならない。地面を踏みしめて、飛ぶ。
「……っ、!?」
長屋に上がる最後の一歩。その足下が、急に消失した。
土が穴になだれ込む音。その上を滑り落ちる兵助の悲鳴。どすん、と地面に体が打ち据えられる痛そうな音もした。
「へ、兵助!?」
土煙の向こうに兵助の姿が消えるのを、勘右衛門は潮江に踏みつけられたまま為す術もなく見守った。
もうもうと立ちこめる土煙が収まるまでに、いくらかかかった。勝負ありと見た潮江がおもむろに勘右衛門を解放する。同時に、長屋から美貌の作法委員長が現れた。
「ふっ、準備は完璧だと言ったろう。作法委員謹製の、紐を引いた後でないと発動しないからくり付き落とし穴だ」
勘右衛門は地面に座り込んだ体勢で、兵助は穴の中から、呆然と立花の姿を見上げた。自分は一つも手を汚さないで後輩を土まみれにしたとは思えない、綺麗な微笑みを浮かべる立花の手に、不穏な物が見えた気がして、勘右衛門は目を擦った。間違いでなければ、彼の得意武器である焙烙火矢が、右手に三つ、左手に二つ、乗っている。
あまりにも不穏な光景に、勘右衛門が恐る恐る彼の名を呼んだ。
「た、立花先輩? 一体、なにを——」
「さあ、最後の仕上げだ。くれてやろう」
台詞と友に、遠慮も躊躇もなく、ぽぽい、と両手のものを穴の中に放り込む立花。それを見てさっと顔色を青くした勘右衛門は、何を言うより早く走り出して、穴の中に飛び込んだ。早くあれを外に出さないと、穴の中では逃げ場がないばかりか、爆発の威力も逃げていかないのでただでは済まない。
「最悪だ! 何考えてるんだあの人!」
「勘右衛門、待て」
「兵助! 早く焙烙火矢を外に! 爆発するぞ!」
「勘右衛門! 落ち着け!」
急に穴の中に入り、暗さに目が慣れないまま騒いでいた勘右衛門の肩を、兵助が掴んで落ち着かせる。
「大丈夫だ、爆発しない」
「え?」
「ほら、火が付いてないだろう」
「ほんとだ……」
改めて兵助が手元に集めてきた焙烙火矢を見れば、そのどれも、確かに火は付いていない。どころか、兵助が手の中で転がすたび、カラカラとなんだか軽そうな音がしている。
「これ、中から音してない?」
「……開けてみようか」
「慎重にな」
後から思い返せば、慎重にするならば穴の中から出てやればよかった。そんなことも思いつかないくらい、二人の頭は混乱していた。
兵助が手甲鉤を使い、導火線を切ってから、爪の先を合わさった陶器の境目に差し込む。かぱり、と簡単に二つに割れたその中身は、懐紙にくるまった何かだ。
勘右衛門が指でつまんで、懐紙を引きずり出す。そっと包みを開くと、中に詰まっていたのは黒色の火薬とはかけ離れていた。
乳白色をした、星のようなかたちの。
「こ、金平糖……?」
土まみれのまま、穴の中で首を傾げる二人は、上から見下ろす二人の様子にまで気が回らない。六年い組の二人は、後輩たちの姿を見て、してやったり、と顔を合わせて微笑んでいる。
◆
一方その頃、五年ろ組の三人は食堂へと向かっていた。
六年ろ組の二人がそこにいるという情報を掴んだからだ。実際、近づけば近づくほど、食堂からは菓子が焼ける甘くていい香りが漂ってくる。これは間違いない、六年ろ組の中在家長次がお得意のボーロを焼いている。情報通りなら、その場には彼と同室の七松小平太もいるはずだ。
「しかし、食堂はまずいんじゃないか。おばちゃんの聖域だから、万一なにか壊したら怒られるでは済まないぜ」
「そうだよ。もうご飯作ってもらえなくなるかも」
八左ヱ門が懸念を示すと、雷蔵も不安そうに同意した。それだけは絶対に避けないといけないのは、三郎も重々承知だ。
「よし、こうしよう。おれと八左ヱ門がどうにかして七松先輩の気を引く。雷蔵はその間に、中在家先輩に交渉してボーロを貰うんだ」
「……それ、最初の趣旨からずれてないか? 六年生に一泡吹かせたいとかなんとか言ってなかったっけ」
「どんな手を使っても忍務を達成するのが忍びだろ。今回は菓子さえ奪えばそれで勝ちだ」
八左ヱ門が三郎に口で勝つのは逆立ちしても無理である。微妙に納得はいかないものの、他に良い案があるわけでもない。ぐっと詰まって引き下がる八左ヱ門と入れ替わりに、今度は雷蔵が物申した。
「待ってよ三郎。中在家先輩を説得させるって簡単に言ってくれるけど、一体どうやって? あのボーロ、下級生のために用意してるんだろ?」
「そこは雷蔵、偽言の術でも天唾の術でも。なあに、君なら大丈夫だ。信頼してる」
「うーん、困ったなあ……」
三郎の、アドバイスでもなんでもない単なる激励の言葉を受けて、雷蔵が悩み出す。悩み癖を発動して雷蔵が寝入ってしまう前にと、三郎が雷蔵の背中を押した。
そうこうしているうちに食堂に到着した三人は、扉の両側に二人と一人とで分かれた。入口で姿を隠して中の様子を伺うと、七松の声が賑やかに聞こえてくる。
「なあ長次、まだできないのか?」
「もそ」
「だって、もうすぐ来ちゃうかもしれないぞ?」
「もそそ」
「もう少し、ってさっきからそればっかりじゃないかー……」
賑やかなのは七松ばかりで、中在家の声は相変わらず聞き取りづらい。というか、ほとんど何を言っているか分からないが、文脈からして、二人がハロウィン用の菓子を準備しているのは間違いない。
三人は目配せをし合うと、作戦通りにまずは三郎と八左ヱ門が食堂へと飛び込んだ。
「七松先輩、中在家先輩」
「トリックオアトリート!」
「ほらあ長次、もう来ちゃった。できたか?」
「まだだ」
「えーっ!」
五年生二人など気にもせずに会話を続ける六年生相手に、一歩前に出た三郎がマントごと片腕を広げ、芝居がかった仕草で一礼する。優雅な所作ではあるが、隣に居る八左ヱ門には緊張がびしびしと伝わってきた。なにせこれから、あの暴君、七松小平太をおびき出すのだ。
「七松先輩、時間がおありのようでしたら、私たちと外で遊びませんか」
三郎の台詞に、七松の目がきらりと光る。
「おお、いいぞ! なにして遊ぶ?」
「鬼ごっこ、なんてのはどうでしょう」
「乗った!」
喜色のこもった声とともに、前振りもなく、同じ人間とは思えないバネと速度で七松が飛びかかってくる。転がるようにして間一髪外へ逃れた三郎と八左ヱ門は、示し合わせる暇も無く走り出した。広い方へ、という思いから、自然と足は校庭へ向かう。
「おい、同じ方向に走ってどうする!」
「一人で敵う相手じゃないだろ! 分かれたら終わりだ!」
「ちっ、仕方ないな」
「なーにおしゃべりしてるんだ?」
八左ヱ門は、何の前触れもなく耳元近くから聞こえたその声に、ぞ、と背筋を冷やした。
「うおあっ、ぶね!」
音もなく背後から伸びてきた腕を、本能的にしゃがみ込んで避ける。髪の先を残してなんとか腕から逃げて、息つく間もなく飛びずさった。それを見て、三郎も足を止め七松に向き直る。二人はほとんど同時に、懐から鎖鎌を出して構えた。前後を挟まれた七松が小首を傾げる。
「鬼ごっこはやめて、忍者ごっこにするのか?」
「そうしましょうか、ね!」
二人はどうにか校庭まで辿り着いていた。ひとまずは作戦通り。目的は時間を稼ぐことであり、手段は何でも良かった。七松に飽きられないように、しかし自分たちが甚大な被害を被らないように、さじ加減を間違えてはいけない。
言葉と共に三郎が放った鎖鎌を、七松は軽々と避ける。にやりと笑って反撃に出ようとするが、後ろからとんできた鎖が、七松の腕に巻き付いてそれを阻止した。言うまでもなく、八左ヱ門の技である。
八左ヱ門の得意武器は微塵だ。鎖武器の扱いには一日の長があった。鎌の部分を手元に残すようにして七松の動きを封じたはいいが、しかし力では六年生に敵わない。踏ん張っていてもずるずると引きずられてゆく八左ヱ門を横目に、三郎は七松の足下を狙って再度鎖鎌を放った。
「おっと危ない」
片足を上げるだけで、ひょいとそれを避ける七松。狙いは相手の体勢を崩すことだったが、体幹が強すぎる。
「ちっ、」
遠距離からの攻撃と一撃離脱が三郎の得意とする戦い方だ。いつもなら後方支援の雷蔵がいるが、今日は戦い方を考えなければいけない。鎖鎌では姿を隠せるほどの距離は稼げない。目が恐ろしく良く、反射神経も尋常ではない七松相手では、中距離攻撃はさして有利には働かない。であるなら。
「八左ヱ門! そのまま抑えてろ!」
「応!」
「おお、どうするつもりだ?」
八左ヱ門に一声吠えて、鎖鎌の鎖ではなく柄の部分を握り、三郎は正面から七松に挑みかかった。鎖の持つ機能を敢えて捨てて、接近武器として鎌を使う判断力は流石のものだった。さらに、目隠しのためにマントを広げ、七松の視界を塞ぐ。そのマントごと切り裂くように払った鎌は、七松の体に届く前に苦無で受け止められていた。防がれたと分かるやいなや、三郎は瞬時に距離を取る。たらり、と三郎の首筋を冷汗が一筋流れ落ちた。
七松が獣の目をして笑っている。
「やる気が出てきたか?」
「私は、はじめっからやる気ですよ」
「それなら私もやる気を出そうっ」
語尾と同時の腕の一振りで、七松は今まで八左ヱ門が必死で押さえ込んでいた片腕を自由にする。あまりに急激な動きに、八左ヱ門の腕力より鎖が耐えきれなかった。鎌の付け根で、ぶっつりと鎖が切れたのだ。
「うっそ!?」
「ばか左ヱ門! 抑えてろって言ったろ!」
「不可抗力だ!」
鎖を断ち切られて、八左ヱ門の手元には鎌しか残っていない。ばかりか、七松は手に入った鎖を苦無の持ち手にくくりつけ、即席の縄鏢に改造した。
「長次の武器だ! これでいくぞ!」
「!!」
仕返しとばかり鎖を回して、苦無が三郎に向かって飛んでくる。鎌で弾いて軌道を変えるが、その先端は三郎のマントをさらに引き裂いた。
「せっかくの仮装が台無しだ!」
「言ってる場合か!」
八左ヱ門と合流した三郎は、己の鎖鎌と鎖が取れてただの鎌になってしまった八左ヱ門のものとを交換する。
「いいのか?」
「お前はもう一度七松先輩の動きを止めろ。今度こそ頼んだ、っ」
一言二言の短いやりとりさえも、七松の即席縄鏢が遮ってゆく。飛んできた苦無に浅く頬を裂かれただけで三郎が飛び退いたのを見て、七松が悔しそうに叫んだ。
「惜しい!」
「よくも雷蔵の面を……!」
「っ、落ち着け! 三郎!」
挑発に乗って再び正面から挑みかかろうとする三郎。八左ヱ門は交換したばかりの鎖鎌で七松の腕を狙うが、二度目ともなればそう簡単に捕まってはくれない。苦無でたたき落とされた鎖を手元にたぐり寄せようとするが、それも足で踏んづけられて阻まれる。ぐ、と奥歯を噛みしめる八左ヱ門。しかし、ある意味これで足を封じたことにはならないか。八左ヱ門がそう考えたのを、まるで読んだかのタイミングで七松が言った。
「これで私の足一本、くれてやるから、竹谷もかかってこい!」
「言いましたね……!」
挑発と分かっていても悔しいものは悔しい。八左ヱ門も、三郎の後を追って七松に迫った。八左ヱ門が追いつくのを待たずに、三郎はもう何合か七松とやり合っている。宣言通り片足は地面に付けたまま、三郎の鎌を確実に防ぐ七松。三郎も、鎌の合間に蹴りや突きを混ぜ込んでいるが、倍以上やり返されている。危うい、と思うが先か、七松の蹴りが鳩尾にもろに入って、堪らず三郎は膝をついた。
「三郎!」
「っ、八左ヱ門、だめだ!」
体勢を崩した三郎の前に咄嗟に躍り出る八左ヱ門。三郎が叫ぶ。なに、と振り返ろうと七松から目を離した一瞬のうちに、じゃらりと鎖がしなる音。偶然か必然か、三郎の視界は八左ヱ門の体で遮られて、避けることができない。
あっという間に、八左ヱ門と三郎の胴はひとまとめに絡げ上げられてしまった。
「つーかまーえた!」
「つーかまった……」
終わってみれば、四半時にも満たない、ごく短い攻防であった。文字通り手が出せない状態に追い込まれてしまった二人は、負けを認めるしかない。だが、と三郎は残った可能性に顔を上げた。今日の目的は七松に勝つことではない。時間稼ぎなのだ。雷蔵が上手くやってくれていれば、勝利(菓子)は我らの物である。
八左ヱ門もそのことを思いだし、三郎と視線を交わらせる。いけたんじゃないか。たぶん、きっと。いいや、必ず。
二人の内心など知る由もない七松は、両手を腰にやって捕まえた二人を見下ろした。
「さてと、この後はどうするかなあ。まだ遊び足りないから、裏々々山までマラソンにいこうか。もちろん付き合ってくれるな、お前たち」
「そ、それだけは!」
「どうかご容赦を!」
恐ろしい提案に冗談でなく震えが走り、顔色を悪くする。が、その言葉は七松自身によって撤回された。
「あ! 違う違う、思い出した! 今日のこれは時間稼ぎなんだった!」
「え?」
「時間稼ぎは私たちのほうで……」
何故か七松の口からも「時間稼ぎ」の単語が飛び出てきて、二人は思わず作戦について口を滑らせる。
「ん、そうだったか? まあ、細かいことは気にするな!」
七松は聞いているのかいないのか、ひとまとめにした二人を米俵か何かのように肩に担ぎ上げる。
今度こそ二人の口からは、悲鳴が上がった。
「さあ、戻るぞ! いけいけ、どんどーん!!」
◆
「それは大変だったね……」
雷蔵は、土にまみれた五年い組の二人と、マントをずたぼろにした五年ろ組の二人の話を順番に聞いて、心からの同情を示した。一人だけ六年生の被害に遭っていない雷蔵は着物も汚れておらず、ぴんぴんしていたが、それでも嫌味に聞こえないのが人徳というものである。
五人は医務室へ向かう途中の渡り廊下で合流した。事前の取り決め通りに動いただけだが、結果的に五人揃って、最後の相手——六年は組の食満留三郎、善法寺伊作がいるらしい、医務室へと向かうことになった。
「それで、結局ろ組のボーロはどうなったの?」
勘右衛門が、手の中で金平糖入りの焙烙火矢をもてあそびながら雷蔵に聞いた。ちなみに、戦利品は後で部屋に戻ってから、皆で分け合うことになっている。
「うん、焼き上がったのになかなか皆が戻ってこないから、中在家先輩が先に部屋に持ち帰っておくと良いって、包んで持たせてくれたよ」
「いやいやいや、ええ?」
「どうやったんだ? 本当に偽言の術でも使ったのか? 図書委員の下級生に渡すとか言って」
顛末を知らされていなかった八左ヱ門と三郎が、雷蔵の話を聞いて驚いている。恐怖のいけどん特急に乗って食堂に戻されようとしていたところ、い組の二人に見つけられ、七松の俵担ぎから逃れた二人である。その後にすぐ雷蔵とも合流したものだから、詳しい話を聞くのは今が初めてだし、そのとき雷蔵は手に何も持っていなかったから、てっきり失敗したのだと思い込んでいたのだ。
「まさか雷蔵が委員会直属の先輩を術に掛けるとは……」
「そ、そんなことしてないよ! ただ、正直に言っただけ!」
しみじみと三郎が呟いたのを、雷蔵が否定する。
「どういうこと?」
「だから、正直に、『ボーロを五年生に分けていただけませんか』って」
「それで?」
「『仲良く食べなさい』って、いただきました」
「……」
釈然としない表情で雷蔵を見つめる四人。視線に気付いた雷蔵が、慌てて手を振る。
「僕だって、それで駄目なら中在家先輩と戦うつもりだったよ? でも、はじめっから『ただでは貰えない』と決めつけてかかるんじゃなくて、ちゃんと話をしてみてもいいんじゃないかなあ」
「ごめん雷蔵。臆病だって責めてるわけじゃないよ。本当に君の言うとおりだと思ってたところ。ねえ勘右衛門」
「そうだね、兵助。実は俺たちも、この焙烙火矢を貰ってからずっと考えてたんだ。なんで立花先輩はわざわざこんな手の込んだことをしたのかって」
焙烙火矢の中に金平糖が詰まっていたことは、ろ組の三人にも包み隠さず全て話してある。だから、その話を聞いた八左ヱ門と三郎にも、思い当たる節があった。
「七松先輩の『時間稼ぎ』っていうのは、もしかしてボーロが焼けるまでの、って意味だったのか?」
「そういえば、早くしないと来ちゃう、とも言っていたな。あれは下級生のことだと思っていたけど、おれたちのことだったのかも……」
それぞれに思うところはあれど、今は確かめるすべもない。頭の中で考えを巡らせながら、その後は無言で歩くうちに、五人は医務室へと到着した。
「……準備はいい?」
先鋒を務めることを自ら申し出た雷蔵が、扉に手を掛けて四人を見渡した。一同仮装は剥がれ掛け、薄汚れて、見るに耐えない姿ではあるが、雷蔵の声にはしっかりと頷く。
作戦はもうない。あるとすれば、雷蔵が提案したように、素直に菓子をねだるのみ。
「いくよ! ……先輩! トリックオアトリート!!」
すぱん、と戸を開けた中は——無人であった。善法寺も、食満も、養護教諭の吉野さえいない。
「……あれ?」
誰の応えもないしんとした室内に、肩すかしを食らってぽかんと口を開けたまま固まる雷蔵たち。どんなに目を皿のようにしても誰も見つからない。何か間違えたか?と五人が顔を見合わせたそのとき、間延びした声が背後から聞こえた。
「あ〜! ハロウィン、もう始まっちゃってた!? どうしよう留三郎!」
「仕方ないさ伊作。お前が怪我人を放っておけないのは今に始まったことじゃないんだから」
揃って後ろを振り向いた五年生たちの目に飛び込んできたのは、私服姿で大荷物を背負った、六年は組の二人である。
「善法寺先輩、食満先輩! 一体どうされたんですか……!」
「いやあ、それが、街におまんじゅうを買いに行く途中に、道で腰を痛めているおばあさんに会ってね。家まで送って按摩してあげたら楽になったって喜んでくれたんだけど、おじいさんやら、近所のおばさんやら、隣のご隠居さんやら、次々やってきてみんなの腰を揉んでいたらこんな時間に……」
「いや、時間じゃなくて、その大荷物ですよ」
冷静に突っ込んだのは三郎だ。皆が聞きたかったことなので、他の四人もうんうんと首を振る。
「ああ、これは按摩のお礼だって。おまんじゅうを買いに行ったのに、大根やら芋やら南瓜やら、山ほど貰って来ちゃった」
「こっちは、伊作が按摩している間に笊やら籠やら直していたから、その礼だとさ。柿に栗に木通もあるぞ」
「わあ……!」
ようやっと荷物を廊下に下ろした二人が風呂敷包みを広げると、中からは言葉の通り、山のような野菜や木の実が現れる。あまりの量に、思わず五人の口から歓声が漏れた。
「というわけで、これでおばちゃんにお焼きでも作ってもらって……」
善法寺の提案は願ってもないものだった。やはり雷蔵の言うことは正しかったのだ。
今度こそ例の台詞を使ってお菓子を請おうとした五人は、口を開く直前になって、「ちょっと待った!」と善法寺本人に押しとどめられる。
「ねえ、よく見たら君たち、怪我してない!? なんでこんなにぼろぼろなの!?」
「用具倉庫の備品の手甲鉤と鎖鎌じゃないか? しかも鎖が取れてるし! 一体、なにをしたらそうなる!?」
さらには食満までが目敏く五人が持つ道具に気付いて、目尻を吊り上げる。八左ヱ門を筆頭に咄嗟に両手を後ろに隠したが、もう遅い。
「あの、トリックオア……」
「そんなのは後、後! 早く服脱いで、そこ座って! 消毒するから!」
「鎖鎌壊したのは誰だ? 小平太!? 何やったのか、話を聞かせて貰うぞ!」
あれよあれよという間に、医務室の中に連行されてゆくい組と、廊下で正座させられて説教が始まったろ組。
「ほらあ! やっぱり素直に言ってもお菓子貰えないんじゃん!」と青あざに湿布を貼られた勘右衛門が泣き喚く。
「おとなしく豆腐作って待ってるんだった!」と傷口に消毒液をすり込まれながら兵助が頭を抱える。
「ぼくじゃないです七松先輩なんです壊したのは! なにもしてませんって!」と八左ヱ門は必死で言い訳を繰り返す。
「ですから富松にちゃんと許可を貰って借りたんです。え? 授業外の武器の貸し出しは委員長か顧問の先生の許可が必要? 聞いてないですそれは!」と不備を指摘されて三郎が慌てる。
雷蔵だけは、四人の泣き言を苦笑して聞くばかりだ。
「笑ってないで、助けて、雷蔵!」
「雷蔵! ねえってば!」
「あーもう! 静かに!」
「いい加減、黙れ!」
しびれを切らした善法寺と食満の手から、騒ぎ続ける五年生の口に何かが押し込まれる。口を塞がれた四人は目を白黒させて黙るしかない。
むぐむぐと咀嚼したそれが、あんこの詰まった饅頭であることに気付くまで、あと少し。
「ほら、不破も」
雷蔵の手にも一つ、饅頭が渡される。
振り仰いだ先には、善法寺と食満だけでなく、潮江、立花、七松、中在家が、ある人は苦笑いで、ある人は意地の悪い笑みで、ある人は満面の笑みで、ある人は仏頂面で、揃いも揃ってべそをかく五年生を笑っている。
普段滅多に揃わない、六年生の六つの声が、一斉に唱和した。
『ハッピーハロウィン!』


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